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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

韓鶴子オモニ母子家庭連合と遠藤周作の母性神を求めた「沈黙」

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マーチン・スコセッシ監督が遠藤周作の「沈黙」を創りあげた。

その創作の動機は「この物語が私を魅了しているのは文化の相違を描いているからです」と会見で吐露した。

来年の1月に公開されるという。

フェレイラはリーアム・ニーソンだね。

 

棄教か殉教かの岐路に立つ日に

踏み絵を前にして

「踏むがよい」

という神の母性を装おうサタンの囁きに身を委ねるか

それとも、

神の父性が差し出す厳愛の沈黙に身を委ねるか

「孝子の中の孝子となれ」

そこに日本教を超克できるか否かの一線がある。

 

お父様が繰り返し言われた

絶対信仰・絶対愛・絶対服従

すべてに「絶対」がつく

大母様は「絶対」の意味を考えなさいと諭された。

 

神は我ら人間にとって絶対であり

我らの存在にとって神との関係は初めであり終わりである。

一切は神と共にある。

 

信仰とは絶対であり、ノアがその伝統を打ち立ててくださったのである。

日本人にはヨブ記が理解できない。

ヨブという人間を見ているから分からない。

人間から神を見るから分からないのであって

神から人間を見るのが信仰である。

 

いたいけな哀れな事情を持つ人々に対して

神は何故手を差し伸べられないのだろうかと遠藤は悩んだ。

人間の自分が悩むのだから当然愛なる神は気絶するほど悩むだろうとは考えなかった。

自分がその人々のために祈るなら、その傍らで遠藤よりも号泣して、遠藤のために祈る神を見ることがなかった。

彼は悲しいことに信仰が本当のところよくわからなかったのだと思う。

 

サタンは言う。

「神父のお前が棄教すれば、他の信徒は死罪を許してやる。」

サタンは言う。

「右近よ。お前が城から出れば、神父たちの命は助けてやろう」

だが、保身ではなく、自らの命よりも大切な信徒や神父の命よりも大切なことがある。

神である。

神のために捧げた命は、必ず神の命と伝統の始まりをもたらす。

 

ポルトガルイエズス会から派遣されて、20数年間に渡り日本において地区長(スペリオ)に就任していたクリストヴァン・フェレイラは「穴吊りの形」という逆さ吊りにして耳などを切り血を流させる血抜きで、耐え難い苦痛を味わわさせて意識もうろうとする中で死に至らしめる極刑に耐え切れず、棄教をしてしまう。

日本の中心人物が倒れた瞬間だった。

 

文鮮明恵父は違っていた。

かえって、拷問に次ぐ拷問のさなか、心配する神を按じて

 「私は大丈夫です。必ず生きてみ旨を成就させます」

と神を慰め励まされた。

 

日本は天照大神の女性国家である。

善悪知るの木である女性は、善き種も悪しき種も胎中に吸収してしまう恐れがあった。

この国では「清濁併せ持つ」という善悪の節操のないところを誉れとする怪しげな文化がある。

 

聖戦には残念ながら203高地の犠牲が必要である。

うず高く積み上げられた屍の山が。

それを条件として歴史は前進するのである。

 

母なる大地の事情に合わせて信仰をしようとしているのが、

韓鶴子母子家庭連合である。

地の事情や母の事情に合わせてはならない。

オモニはアボジの席である右の席に座ることが自分にふさわしいと考えている。

世界的基盤を築いたのはオモニではなくアボジであった。

不幸になったこの20年ほどのオモニの顔をよく見てほしいのだ。

かっての偉大なオモニの姿は微塵もない。

ご病気でいつもお顔がすぐれないのだろうと思っていたが、

気がつけば、アボジの話をいつもつまらなそうに聞いているのはオモニであった。

お一人になった今もオモニが幸せそうに見える人はいないだろう。

不幸が染み付いてしまわれた。

毎回動画を見て、こんなに哀れにも貧相になられたオモニを見ることになると

誰が想像できただろうか?

アボジに対する葛藤と憎しみが誤解によって増幅してきたからである。

 

フェレイラのことを追跡調査するためにポルトガルからロドリゴが遣わされて日本にやってきた。

日本での殉教者の姿はあまりにも惨たらしく惨めで悲惨そのものだった。

ロドリゴは悩んだ。

ロドリゴは指導していたキチジロウという信徒に銀貨300枚で役人に売り飛ばされてしまった。

牢に入れられたロドリゴが悩まされたのは、闇の中から聞こえてくる

うめき声であった。

穴吊りの刑

ロドリゴの前に現れたフェレイラはこう言った。

 

 「わたしが転んだのはな、いいか。聞きなさい。

ここに入れられ耳にしたあの声に、

神が何ひとつ、なさらなかったからだ。

わしは必死で神に祈ったが、

何もしなかったからだ」

 

遂にこうも言った。

 

「わしだってそうだった。あの真暗な冷たい夜、

私だって今のお前と同じだった。

だが、それが愛の行為か。

司祭は基督にならって生きよと言う。

もし基督がここにいられたら・・・

たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう。」

 

遠藤は、ヨハネによる福音書

イエス様がユダに投げかけた突き放すような言葉を深読みして

その言葉の真意を許しや愛だと勘違いした。

 

「しようとしていることを、今すぐにするがよい」

ヨハネによる福音書13章27節

 

家庭連合も母子家庭連合と化して形骸化してしまった。

聖霊の実体であるオモニがキリストと離れてしまったからである。

徳野は気がどうかしている。

「お父様とお母様は一体です」だと、

聖書は聖霊がキリストに対してどうあるか、はっきりとイエス様によって語られている。

 

:26)わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊(聖霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

:27)あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。

ヨハネによる福音書 15章

 

聖霊はイエス様を証しし、聖霊の実体はお父様を明かすのが役割です。

また、お父様の薫陶を受けてきたものも聖霊の実体ではなく、お父様を証さなければなりません。

 

:12)わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。

:13)けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

:14)御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。

:15)がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

ヨハネによる福音書 16章

 

 

オモニがどれだけ、聖霊の実体の位置と状態から離れてしまっているか、簡単にわかるはずです。

お父様をちっとも証せず、自分ばかり証しし、

お父様のみ言葉を受けて、われわれに知らせず、

自分の言葉で語って役立たずだからです。

 

このままでは来年は、オモニが天に召されるかもしれません。

少なくとも目が見えなくなることでしょう。

実際にみ旨をできなくするためです。

その時は、どの子女様に食口はついていくのでしょうか?

 

聖和されてしまうと、オモニが救われる道は閉ざされてしまいます。

そうなれば、オモニの救いが人類の最後になるでしょう。

生きている時に悔い改めていただかなければ、

救いの道はありません。

偽の祝福が世界的に拡大している情況をみると、

本格的に天に召される道を神様も考えざるを得なくなるでしょう。

それだけは宋総会長も徳野会長も回避しなければなりません。

 

お父様はわれわれと先祖の永遠の命のために、大母様が地上にいる期間を短縮することを大母様に願われました。

それゆえ、オモニを最も支える者が空席となりました。

ここに金孝南が居座って偽りを言い続けオモニを主管しました。

オモニによって生み返され、大母様の恩恵によってまた新生し、

われわれは生きたものとなることができました。

ところが、オモニがサタンに奪われてしまったのです。

これが地獄でなくて何でしょうか?

 

家庭連合の食口のみなさん、

早く目を覚ましてください。

オモニが・・・・

 

 


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