原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

堕落の動機と経路と堕落性感情の克服について <愛の減少感と愛の絶対感 十偽心と十住心>

父に似た統一食口が求めることは 

 

思いやりあふれる心にて

優しい眼差しで見守り

微笑みをもって

あたたかな言葉を差し上げて

奉仕する栄光に浴し

その褒美として上席を譲る

至福と感謝の日々

 

 ふと今日、堕落の動機と経路の流れの中で、天使長やエバに生じた堕落した感情には、おおよそどれくらいの種類があって、われわれ彼らの子孫に受け継がれてきたのだろうかと考えました。

お父様は堕落性がすっかり本性のごとく、習慣とか習慣性となって我々を支配して、

我知らず無意識下で働いて、あらぬ方向に情を垂れ流しすることに対して、忠告してくださいました。

潜在意識に蓄積されてきた堕落性の情が顕在意識に反映して現れてくるような、

代表的な堕落性の感情にはどんなものがあるのか?

できれば3つとか5つくらいに、それがダメなら7つ道具の7つで、それもどうしても無理ならせいぜい10くらいまでにと考えました。

勿論、自分が信仰生活を実践する中で積極的に用いていきたいと思ったからです。

 

ざっくりと堕落直前までの感情の推移の考察を

 

<天使長>

愛の減少感 ⇒ 不信 ⇒ 不平不満  ⇒ 貪欲心 ⇒ 怒り ⇒ 敵愾心 ⇒ 傲慢 ⇒ 主管性転倒 

そしてエバに対する悪の伝道をして、罪の繁殖に至ります。

 

<エバ> 

不信 ⇒ 貪欲心(神のように目が開かれる) ⇒ 正しい時期を破る心 ⇒ 偽りの主体を求める心 

 

ざっくりと堕落以後に生じたであろう主な感情を

 

<エバ>

 本来の相手が別であったことを知った。

「こんなはずではなかった」という落胆の感情

神から離れた不安と心配 ⇒ 恐怖心

自己欺瞞のため徒党を組む ⇒ 誘惑する心

 

そこからさっとまとめてみたのが以下のような内容です。

 

<神の愛の絶対感たる無住心と十住心> 

 

0,愛の減少感=比較による相対愛 ⇒ 神の愛の絶対感=縦的父子関係による絶対愛

 

知で比較することから損得勘定することは、感情をコントロール出来ない者にとっては

淋しい思いを感じるだけにとどまらず、堕落性を誘発することにつながってしまいます。愛の減少感自体は堕落性ではなく、本然の世界でも感じることはあるが、堕落した情にはつながらないものです。

どちらがより愛されているかを知的に比較分析するのではなく、国進様の証にあるように、お父様に愛されている弟の亨進様を見て、ご自分が同様にお父様に愛されていることを実感されたような、本然の父子関係による神に愛の絶対感を勝利することが御心であります。

 

1,二心=不信(自己中心の立場) ⇒ 一心=信仰(神中心の立場)

 

お父様にして初めて語ることができた、ゲッセマネの祈りにおける「父よ願わくはこの盃を過ぎ去らせ給え」という祈りでさえ、二心であったと喝破されたことは、如何に神の立場に立ち御旨を愛することが難しいかを、あらためて思い知らされることでした。

 

2,離心=偽りと不倫と裏切りの心 ⇒ 従心=真実と忠誠心と孝心の位置を守る行為

 

自己の位置を離れるというのは、実際に空間的に離れたり、持ち場を離れる前に、自己の心の位置や自己の情の位置を離れるということでした。

昔から知行合一とか理論と実践とか申しますが、先ず見えない心が動いて、それに従って続いて見える行動を起こすのが人間の常です。

したがって、出来る限り心の動きを察知して、その段階で解決しなければなりません。

 

3,貪る心=過分なる欲望(振り回される) ⇒ 充足心=足るを知る心(ぶれない)

 

ないものねだりをするのではなく、いまあるもので充分だと思う心を育てることが大切ですが、人は大概失ってみないとその価値を実感することができないものです。

 

4,不平不満心=目立つ見かけの比較に陥る心 ⇒ 感謝の心=目立たぬ本質を見る心

 

葡萄園の労働者の喩えのように、先に報酬を約束されてはじめは感謝していたはずなのに、主人と同じ気持で、後から来た者が同様の恵みに与ることを喜ぶ心を抱けませんでした。

横の比較ではなく、主人との関係性による心情一致から、感謝することが肝要でした。

 

5,怒りの心=人を打つ攻撃の心 ⇒ 微笑む心=人を受け入れるもてなしの心

 

血気怒気によって、モーセは一度打つべき岩を二度打ってしまいました。

不信仰な民の行為に呆れ果てたからでした。それでもそれがきっかけとなり重要な儀式に間違いが生じました。

偉大なモーセにしても怒りの心を縦的に正すことは難しかったのでしょう。

怒りを持つ人に出会ったら、相対せず微笑む心で受け入れたいものです。

 

6,敵愾心=人の存在を消す殺意の心 ⇒ 祝福する心=人と共生共栄する心 

 

怒りが昂じて敵愾心になれば、「そのひとがいなくなればよい」という殺意と殺人の心に至ります。人殺しなのです。霊界は思いが現象化する世界です。

われわれは、相手の姿に関係なく祝福する心を持つべきでしょう。

 

7,主従転倒心=驕慢な心と依存する心 ⇒ 垂直心常に垂直の軸を持つ球体の心

 

主管性転倒は、積極的に現れると驕慢な心となり、消極的に現れると依存する心になります。歪みのない鏡には等身大の自分が移ります。

凹面鏡の大きな鏡の前に立つと、実際の自分より大きく見えます。

凸面鏡の大きい鏡の前に立つと、実際の自分より小さく見えます。

歪んで見えるので子供の頃はそれを見てお化けのようだと喜んだものです。

どちらも虚像でしかありません。

鏡の場合はその特性を有効利用できるようですが、人間の場合はどうでしょう?

 

8,落胆の心=陰を見て光を見ぬ心 ⇒ 希望の心=陰の存在から光ありと気づく心

 

「こんなはずではなかった」とがっかりして肩を落とす心、サタンは常にわれわれの絶望する姿を予想してそばに立っている。

だからこそ、サタンの予想外の希望を見出せば、反対にサタンが絶望する。

 

9,恐怖心=不安や心配から来る恐れ ⇒ 平安の心=神と共にある心

 

モーセもギデオンも躊躇した。自分がやると思って不安になり出来るだろうかと心配した。神が自分に臨在されなさるのだという確信をはじめは持てなかった。

神の愛から離れているとき、不安た心配が起こり、ひどい時には恐怖心を抱く。

 

10,徒党心自己欺瞞のため罪を繁殖 ⇒ 回心=自己を取戻すため罪を悔い改める心

 

天使長とエバが罪の繁殖をするのは、自分の罪を隠すためでした。

自分を欺いて「仕方なかった」と自身を説得するために、人に同意を求め、自分の罪を隠すのでした。

徒党を組まず、本来の自己を取り戻すべく、心からの悔い改めにこそ、人間の素晴らしさがあります。

 

サタンに騙されている偽りの心が10と、天一国に住む為の真の心が10 

 

<愛の減少感と愛の絶対感 十偽心と十住心> 

0,愛の減少感=比較による相対愛 ⇒ 神の愛の絶対感=縦的父子関係による絶対愛

1,二心=不信(自己中心の立場) ⇒ 一心=信仰(神中心の立場)

2,離心=偽りと不倫と裏切りの心 ⇒ 従心=真実と忠誠心と孝心の位置を守る行為

3,貪る心=過分なる欲望(振り回される) ⇒ 充分心=足るを知る心(ぶれない)

4,不平不満心=目立つ見かけの比較に陥る心 ⇒ 感謝の心=目立たぬ本質を見る心

5,怒りの心=人を打つ攻撃の心 ⇒ 微笑む心=人を受け入れるもてなしの心

6,敵愾心=人の存在を消す殺意の心 ⇒ 祝福する心=人と共生共栄する心 

7,主従転倒心=驕慢な心と依存する心 ⇒ 垂直心(常に垂直の軸を持つ球体の姿)

8,落胆の心=陰を見て光を見ぬ心 ⇒ 希望の心=陰の存在から光ありと気づく心

9,恐怖心=不安や心配から来る恐れ ⇒ 平安の心=神と共にある心

10,徒党心自己欺瞞のため罪を繁殖 ⇒ 回心=自己を取戻すため罪を悔い改める心

 

信仰をお持ちでない方は

特に怒りと心配と落胆の感情のなかで、自分にくせがあると思うものを選んで、

それに正反対のメッセージをカードに書いて、朝に昼に夜に声を出して

宣誓することから初められることをおすすめします。

アファメーションは、自分の堕落性の正反対の感情表現で、「わたしは常に平安の心を持っている。・・・・」などとします。

 

勝利の3V

Verbalize あるべきなりたい自分を言葉で表現する

Visualize あるべきなりたい自分の姿をいきいきとイメージして視覚化する

Vocalize 表現された言葉をしっかり声に出して宣誓する

 

 

 


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