原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

堕落性や罪を克服する工夫とは?の質問に、日本の美徳の「恩」の感情に中心を置く

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たしかに原理は堕落性の進行状況や罪の種類を説明して、われわれが試練を受ている現状を知ることができることは有益なことです。

さて、今日は日本人の美徳からこれらの克服の緒が見つからないものか考えてみたいと思います。

山本七平氏によれば日本には大変美しい美徳があるといいます。

若いころに御説を読んで、確かになあ、なるほどなと思ったものでした。

山本氏が語った価値観とは、「恩」という日本人の持っている情的価値観のことでした。

正確な表現は忘れましたが、氏はおおよそ次のように語られたと思います。

 

「われわれ日本人は、人様に施しを与えた際には、そのことを恩着せがましく

『俺がしてやったんだ』という思いを持つことを嫌い、恥ずべきことだと考えます。しかし、反対に自分が人様から施された『恩』に対しては決して忘れてはならず。忘れるのはひとでなしである」

 

といったようなエトスがあるというのです。

現代はどうかと言われれば、定かではありませんが、少なくとも私の子供の頃や学生時代には、理解されるような価値観でした。

 

堕落性や罪の本質な何か?

それらの構造はどうか?

と考えていくことは価値が有ることでしょう。

だが、わたしはそれ以上に天の父や真の父から愛していただいたという「実感」の大きさに比例して「恩」を感じることが強まり、その「恩」に報いたい、その「恩」に背きたくないという心情から、つまり恩返しから堕落性や罪を克服することを中心に据えたほうが良いのではないかと思います。

つまり、愛を中心とした父と子の関係性から、この問題を解決していったほうが早いと思うのです。

「恩に感じる」という感情は、私が受けるに「有り難く、もったいない」という思いでしょう。

一体どれほど多くの真のお父様のご家族を見捨てられて、わたしたちは買い取られたことでしょうか?

一体どれほど多くの子女様の父の愛を奪い、父の愛を知らぬ子女様たちを天に捧げられてこられたことでしょうか?

一体どれほど素晴らしいオモニを、犠牲の道に行かせられたことでしょうか?

イエス様お一人の十字架でさえ、有り難くもったいない贖罪の役事であるにもかかわらず、われわれが生み返されていくためには、どれほど真のご家庭に支えられなければならないことでしょうか?

そのような御愛を活き活きと、ありありと感じることさえできるならば、

われわれは罪の籬から開放されることができるはずでしょう。

神様と私が、真に「父と子の関係」であることを知ったなら、無窮無限の愛の前にとうとううなだれて、「もはや父と呼ぶことができなくとも、僕の立場で父のもと生活させてください」と本心に立ち返ることができるに違いありません。

 

イエス様が語られた「放蕩息子」の話は、なんと祝福家庭に似ていることでしょうか?

われわれは、お父様が生きておられるうちに、その嗣業である祝福を相続いたしました。

父が与えてくださった嗣業の価値、祝福の価値を理解することなく使い尽くしてしまいました。

父は子女が父の知らない時に、また子も知らず知らず罪の虜になっているやもしれないと、何度も聖酒を与えてくださいました。

だが、わたしたちはその都度父の御心を置き去りにして

まるで放蕩息子のようにその宝を食いつぶしていきました。

財産ばかりか自分自身さえ擦り切れ果てた時に、

はじめて父の御愛の偉大さに気づくことができ、

本物の悔い改めはやってきました。

父の真の愛の前に、私はなんという不誠実で相応しからぬ者だろう。

父が無償で与えてくださった永遠の愛、絶対の愛の前にうなだれて、

今度こそ父とともに生きて、父の私に対する苦労と真の愛の御恩に

報いんとて、心情転換する一点から、

堕落性も罪の痕跡もない心情生活が訪れることでしょう。

父と共なる生活。

それこそが私の天国であり、

父の愛の中に暮らすことができれば、

たとえ

主人と僕の関係で暮らせたとしても

私にとって本物の幸せだと確信する日々を過ごせることでしょう。

 

 

 父は恩を忘じ給えども 我らが恩を胸に強く抱くなら 

 

主は塵から 我らを創り給い

光と空気とを与え給うた。

そして我らに息を吹き込まれ

肉から霊の命を与え給うた。

 

主がすべてを投入された後で

我らは生きたものとなり

祝福を得た。

 

父は罪から 我らを再び造り給い

御言葉と愛とを与え給うた。

そして我らに密かな犠牲を吹きこまれ

霊から心情の命を与え給うた。

 

父がすべてを失い聖和された後で

初めて 我らは父と共に生きるものとなり

嗣業を得た。

 

父によって忘れ去られた精誠よ

我らにとって忘れえぬ恩賜よ

幾たび罪と堕落の身に堕ち果てたとしても

湧き出ずる なんという懐かしい思い出よ

今こそ永遠の命を我に呼び覚ませ!

父は恩を忘じ給えども 我らが恩を胸に強く抱くなら

 

 


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おおきな木

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