われわれ統一食口は、いつから信仰の初心を忘れてしまったのでしょうか?
教会は実に居心地の悪いところになってしまいました。
祝福を受けたら安心して
家庭を持てたらホッとして
サンクチュアリに来たらもう天国に行ける?
霊界の法は地上のように値引きは全くありません。この法度に引っかからない基準は、天上の生活ではなく、地上の生活です。いつも霊界の生活を準備する心で、私が行くべき霊界はどこだろうかという気で生きなければなりません。この法度から逸脱すれば、自分の霊魂が行くべき所は、天道に従って、そのまま落とし穴に引っかかるしかありません。ですから、地上の生活を正しく生きなければなりません。
「李相軒院長が最後にくださったみ言」霊界の実相と地上世界より
清平の先祖解怨は、過去の先祖解怨とは3つの点で違っていた。
第一に、原理修練会に参加することができた。
第二に、祝福を受けることができた。
第三に、興進様のもとでみ旨に参加できた。
つまり地上の祝福家庭となんら変わりがない。
彼らは再臨協助して我々とともに三大祝福の成就にむけて努力をすることになろう。
その出発が個性完成でした。
堕落性のある人は、肉身を脱いで霊界に行けば地獄の悪い所に入っていきます。死を迎えて肉身を離れた霊人体は、色合いと形を見て、それと似た霊の集まっている所へ行くのです。自分の霊人体の姿に該当する霊界を訪ねて行っても、「私がなぜこんな所に来ているのか?」と、もっと良い所に行こうと他の霊界をみな見て回ります。あちらに行ってみては、また別の所に行ってみるのですが、また元の位置に戻ってきます。
すなわち「今の位置よりもっと良い所に行くことはできないか?」とあちこち行ったり来たりしても、自分の霊人体の姿と合わないので、自分がいるべき場所ではないことを悟るようになるのです。そのように、自分がとどまるべき所を探すために、霊界をすべて見て回る期間が40日期間です。食口は総じて、誰かが昇華して霊人体が離れれば、40日間地上にいて40日後に霊界に行くものと思っているのですがそうではありません。40日が過ぎれば「仕方がない。私のとどまる位置がここなのだ。地で結んだことは地で解かなければならないのだ」と理解するようになります。40日が過ぎれば、すべて分かったので行ったり来たりすることもできず、また、そのような思いもなくなるのです。そこがあまりにも苦痛であれば、その場にとどまらずに地上に降りてきて家族や子孫たちに入っていくようになります。そして、子孫が立てる蕩減条件を通じて、自分のすべての罪を取り除いて完成に位置に行きたいというのが霊人たちの思いなのです。
「大母様の愛のメッセージ」 より
このような話は、われわれが家庭連合にいようが、サンクチュアリにいようが、この世的な生活をしてこようが、それに関係なく霊界に行けば体験することになります。
そこで、われわれは、自分の体に流れるサタンの死亡の血を全部抜き取って、罪や堕落性と関係のない世界で生きていかなければならないというのです。
サタンの血筋が、サタンの堕落性が、あたかもわれわれの本性であるが如く、霊肉ともに私という人間を占領して、罪作りの日々をわたしに強いようとしている謀略に、圧倒的な義憤と、支配され隷属されゆかんとする自分に、慟哭するような悔い改めをして、目が罪を犯すならその目をえぐりだし、手が罪を犯すならその手を切り落とし、口が罪を犯すなら、針と糸で縫い付けてしまいたいと思うほどに、罪と堕落性に決別する戦いをわれわれはしなければならない。
われわれには、大母様のような基準、イエス様のような基準、お父様のような基準で罪が未だわかっていない。
人間はいつ霊界に行くかわかりません。それゆえ、一日一日を整理しながら行きなければなりません。「今私が霊界に行くとすれば、整理できていない部分は何であろうか?」と常に自分を診断しながら生きなければならないのです。普段から肉的なことや、環境的なこと、また霊的なことをいろいろ整理する習慣を持たなければなりません。天国に行くためにはどのように生きるべきかについて、計画を立てて設計しなければなりません。すべての生活において天国に行くことに焦点を合わせなければなりません。
「大母様の愛のメッセージ」 より
わたしたちは、日々の信仰生活における、サタンとの血の出るような戦いに目を背け、神が与えてくださった創造本性の成長を怠ることができません。
一進一退の攻防を、兄弟姉妹と分かち合いながら、神を讃え、御国を仰ぎ、霊的に聖浄化されていく自分を見出さなければなりません。
インチキの生き方、とりつくった内容のないハリボテのような生活から脱却しなければなりません。
互いに神を求め、心情を求めた経緯を恩恵交換して、個性完成の道を促進化していきたいものです。
時代的恵沢の中で、また、お父様は我々の罪を憐れみ給うて、路傍に捨てられていた石ころのようなわたしに、祝福をくださいました。
それは、「条件的祝福だよ」と言われました。
祝福家庭だからといって天国に行けるのではありません。
お父様は次のように語られたといいます。
「今は完成した姿を祝福してあげたわけではないので、祝福を受けた後に立派に成長して、神様と一体になりなさい。神様があなたの中に、あなたが神様の中にとどまることができるように生活しなさい。蘇生、長成、完成に向って、あなたたちが立派に育たなければならない。今まで祝福を受けるまで非原理的にしてきたすべてを脱ぎ捨てなさい。血気に立ったこと、欲を張ったこと、憎んだこと、驕慢だったこと、淫らなビデオを見たり、淫らな考えをしたりというようなことすべてを、これから全部整理して、神様を中心に立てて、そこに従って行きなさい。
あなたたちは悪の世界にいるので、善なる立場に行くことはとても難しい。そこで、悪の世界で私が条件を立てて、善の世界へ移してあげたのが今の祝福である。私があなたたちにこうして位置祝福をしてあげたのだから、あなたたちは原理的に生きて個性完成をしなければならない。あなたたちがこの立場から上がって行って完成した立場に立ったとき、私は再び完成祝福をしてあげよう。私があなたたちをこの悪の世界から善の世界へ移したので、あなたたちは完成に向かって進みなさい。あなたは人格完成をして、神様と一体になりなさい。あなたたちが善の世界で善だけを見つめて、真の愛だけをもって真の家庭を築いてために生き、絶対的な信仰と絶対的な愛と、絶対的な服従で生きなさい。そうすれば、私があなたたちに完成祝福をしてあげよう。あなたたちが完成祝福して生きていく天国で、永遠にともに笑いながら幸福な姿で暮らそう。」
夥しい罪を受け継いで生まれ、凄まじいい堕落性に翻弄されてきた我が人生に、
お父様は無償で条件を立ててくださり、「位置祝福」まで与えてくださった。
あとは私がやるだけです。
何が何でもお父様とのこの約束を果たしていきたい。
われわれの苦労などは、たかが知れている。
たとえ泡のように消えていくも、惜しいことはないだろう。
だが、あなたの苦労は、あなたの苦労だけは
何としても何としてもこの私に結実しなえればならない。
水泡に帰することはできない。
お父様、父と子の心情の境を教えて下さい。
ひとつの境を知ったなら、多くの兄弟と共有させてください。
もはやその心情の境に未練を持たず、
次の境を尋ねていくために。
嘘と弁解の通じない正午定着の世界に行かせてください。
地上生活では、人の目を避けて隠れることが可能ですが、霊界では絶対に隠れることはできません。地上ではいまだ霊眼が開かれていないため、自分の罪を見ることも、相手の罪を見ることもできませんが、霊界はそうではありません。人が言わずとも見ることができます。自分の霊人体が抜け出しさえすれば、自分がどんな罪を犯し、何を誤ったのかということが全部見えます。
ですから私たちは、誰が見ようが見まいが、常に自分の霊人体がよく成長できるように生活すべきなのです。私たちが生活するのを神様が見ており、サタンが見ています。薄暗い部屋で一人座っていたとしても、人間には見えませんが、神様は見ておられ、サタンも見ているのです。ですから、常に神様が喜ぶことのできる生活をしなければならないのです。
「大母様の愛のメッセージ」 より
霊界はすべてオープンな世界です。
公私が一体です。
連体の世界ですから。
わたしたちはこの世界で永遠に生きるための準備を徹底的にしないといけません。
わたしたち爺婆夫婦はバリヤーフリーです。
わたしのメールやLINEを相対者は見ようと思えば何時でも見れます。
誰と電話のやり取りをしているかも知ろうと思えば知れるでしょう。
全く問題がありません。
サイバーサンクチュアリにいたときに役員の会議がありました。
わたしは全部所属する教会の信徒に報告すれば良いと言っていました。
あちらの兄弟を救うために、知られてはならないようなことは別として・・・
全部オープンにすればいいと思っていました。
兄弟姉妹だからです。
それどころか、たとえばホームページ上に掲載して家庭連合にさえ見れるようにしたらいいとさえ思いました。
初めはつたない会議であっても、次第に改善され、家庭連合のような上ばっかりを見るような、報告会議でないことを示せばいいと思いました。
TV会議はなかなか現実の会議とは違いやはり不自由がありました。
あるとき役員の一人が事前に会議の項目について、メールで役員全員の意見交換を出し尽くして、その後にTV会議をして、そこではまとめることに集中したらという案が浮上して、随分レベルアップしました。
そのようなやりとりをサイバーのメンバーにも知ってもらって、われわれをチェックしてもらいつつ、見守って貰えればよいのではないかと考えたのでした。
遅まきですが、正午定着とは何かを考え始めた時でした。
霊界に行ってその門前で「おまえはこういう過ちを犯したのだが、なぜそうしたのか?」と誰かに聞かれたならば、自分の事情と理由を説明すればいいのではないかとおもうかもしれませんが、絶対にそのようなことはありません。地上で肉身のあるときは、理由を挙げて弁解することもできますが、霊界では理由も弁解もありえません。ある言い訳をして通り過ぎるという方法論は絶対に通じないのです。
一度「するな」と言ったことはしてはならないし、「しなさい」と言ったことはしなければなりません。「それはどうすることもできなかったし、そうせざるを得なかったのです。私は知らずにそのように生きました。環境がそのようなのでそのように生きました」などと理由を挙げて弁解する所は霊界にはないし、それを聞き入れる者もいません。一度神様が天法を定めたならば、その定められた天法の通りに生きなければならないのであり、それを避けて人間的な考えで生きてはならないのです。霊界は容易に越えていくことのできる世界ではありません。
「大母様の愛のメッセージ」 より
われわれが霊界に行く前に、言い訳や弁解をして、地上にいる人達が人間的に許してあげても、霊界ではそうはいきません。
われわれは自己弁解のメッセージを残すことができません。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
数日前にお父様が夢に現れました。
短い夢でしたが実に鮮明でした。
わたしは何故か、昔東北のブロック長をされていた多久和さんと共にいました。
私が左前で、右後ろに多久和さんが立っておられました。
わたしたち二人と前におられるお父様の3人だけでした。
前方を見ておられたお父様はいきなり我々の方に振り返られ
とても険しいお顔で大きな声でわれわれに言いました。
「さあ、監獄に行くぞ!」
わたしはなんのことかと一瞬その言葉に戸惑い唖然としました。
するとお父様は間をおかず、
「声が小さい!」
と真剣に叱られました。
あっという間に自分の口から腹に力を込めた大きな声で言っていました。
「はい!お父様」
するとお父様はさっと前方に振り返って進み行きます。
われわれも歩き始めました。
「さあ、監獄に行くぞ!」
「はい、お父様!」
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