原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

統一原理の意味する原罪とは何かを考える

原初の罪である原罪は、

人類始祖の罪のことである。

原初の人間が犯した罪である。

人類始祖の罪には、エバ型の罪とアダム型の罪が存在した。

そこで、原初の罪はエバとアダムでは時間差があり、内容を異にした。

エバの原罪は、天使長との不倫なる性関係である。

もし、堕落がエバのみで終わっていれば、エバの原罪は自犯罪という性質で留まり、

遺伝在や連帯在は存在しなかった。

エバの霊的堕落のみの原罪で終わったのである。

 

そこで今日のような、全人類を救済しなければ復帰が完結しないというような、複雑で困難な様相をもたらすことはなかったのである。

そのような情況では、創造本然のエバを新たに造るか、堕落してしまったエバを再創造して復帰するか、二通りの道があった。

 

原罪を霊的堕落かつ肉的堕落とするのは、

エバの堕落も原罪であり、アダムの堕落も原罪の意味である。

 

 

そこで人類始祖の罪である原罪の蕩減復帰は、

エバが犯した罪の蕩減復帰と

アダムが犯した罪の蕩減復帰が

必要になってくるのである。

 

エバの堕落は、未完成の娘でありながら、

婚約者以外の男性格の天使長と淫行関係を結んで天使長の妻になったことである。

もし、堕落がここまでで留まっていれば

エバに対する霊的堕落の救援摂理のみで終わったのである。

 

エバが堕落することによってもたらされた罪とは、

一種の悪なる条件が成立したことを意味する。

「天使長の妻となってしまった条件」が成立したのである。

これは真の愛による主管ではなかった。

天使長のエバに対する「所有権」が成立したのである。

その状態は創造本然の「妻」の状態ではなく、妻とは言いながら、天使長に所有される「奴隷」であった。

旧約聖書にでてくる奴隷女がの原型が堕落したエバである。

天使長ルーシェルがサタンとなってエバを誘惑し、神の娘でありアダムの妹であり、

アダムと神によって祝福されていた婚約期間中であったエバを妻にしたことが、

エバの堕落の内容であり、原罪と言われるものである。

 

エス様は「心のなかで情欲を抱いて女を見るものは、すでに心のなかで姦淫したのである」と語られた。

エバは心のなかで情欲を抱いて天使長を見て、心情的堕落をした。

さらに、実際行動として天使長と不倫なる性関係をもって堕落してしまった。

 

アダムの妻となるべく予定されていた婚約期間に、

天使長ルーシェルによって妻を奪われたのがアダムであるので

これを蕩減復帰していくためには、

神側のアダム型人物によって、天使長型人物からその妻を奪って蕩減復帰しなければ、

エバの原罪を精算することはできないのである。

 

ダビデはウリヤからバテシバを奪って妻とした。

「堕落の時と逆の経路」でサタンに奪われた妻を

天使長から復帰する意図が神にはあった。

だが、その動機や方法は御心ではなかった為、生まれてきた子供は死んだ。

その後、悔い改めたダビデにはソロモンが生まれてくるようになったのである。

 

創造本然:アダム(夫) エバ(妻)

堕落行為:天使長(夫) エバ(妾) 創造本然のアダムから見れば妾、

                  堕落した天使長から見れば妻

復帰摂理:アダム(夫) エバ(正妻)

 

堕落により一人のエバの中に、原理的なエバと非原理的なエバが共存することになる。

原理的なエバはアダムの妻、非原理的な妻はサタンの妾

 

サタンの妾をアダムが奪ってきて妻とするが、

サタンによって胎を汚されているエバなので、立場は正妻だが内容がない。

そこで胎を汚されていない処女が、妾の立場から正妻の立場を取り戻さなければならない。

このようなエバの原罪精算のプロセスを象徴的に神が見せて下さったのがラケルとレアであった。

非原理的エバを表示するレアが先行して「妻」になった。

これを原理的妻を表示するラケル「妾」の立場で追随して

正妻と妾の立場を逆転して復帰しなければならなかった。

創造本然のエバが堕落することによって二人の主人に仕えるようになってしまった。

二重人格になってしまった。

エバを引き裂くことができないので、

アベル型エバのラケルとカイン型エバのレアに一旦分立して、

ラケルがレアを愛で自然屈服させて一体化することにより

「妾」から「妻」の創造本然の位置と状態を復帰することを

象徴的に見せてくださったのである。

これが、お母様と復帰されたエバの7年路程である。

 

エバの原罪とは、天使長がアダムからエバを略奪して淫行関係を結んで妻としたことを条件にもたらされた状態を言う。

エバの原罪は霊的堕落ですでに完結している。

 

では、アダムの原罪とは一体何だったのであろうか?

エバは堕落後、天使長の妻になっていた。

そのようなエバは成人(非原理的だが第二祝福に進んだ)のような立場であった。

ところが、アダムは未成年の立場であった。

そこで、

サタンの妻であるエバと淫行関係を結んで肉的堕落に堕ちいったことは、

アダムをサタンを父とし、エバを母として生まれた息子の位置と状態になってしまったことを意味した。

 

天使長と一体となった母が息子を堕落させたので、復帰摂理では神の御心に一体となった母が息子を助けて蕩減復帰しなければならない。

母子協助のことである。

 

サタンとなった天使長ルーシェルが、神がアダムに与えた三大祝福を強奪して、

自分を中心に擬似的な三大祝福を成就しようとするも、

天使長には肉身がなかったので、

天使長が夫となりエバが妻となったところから、

神の精子のない無精卵の子女であるアダムを、

天使長が父となりエバが母となって、

生み変えて行く天使長の子女にする以外に方法はなかったのである。

 

エバとアダムの肉的堕落の淫行関係は、母と息子による淫行関係であった。

またそのことによってアダムは男子の主管性を失ってしまったのである。

本然のアダムとしては女性を主管できず、かわりに堕落した天使長の性禀をもってしか女性を愛することができなくなってしまっているのが堕落世界の男性である。

エバの夫として神の愛で主管する主管性を失ってしまったので、

創造本然のアダムとして、この主管性を復帰するためには、

母と息子によって蕩減復帰する性的関係をもたなければならない。

 

エス様は「復帰されたエバ」である母マリアと夫婦関係を結ばなければならなかったのである。

そうして、男子の主管性を復帰した創造本然のアダムが、先ほど話した勝利して本然のエバとなった女性と神の祝福を得て結婚して三大祝福を実現していくことになるのである。

 

それが、復帰されたエバと予定された創造本然のエバ、すなわち妾と正妻の復帰摂理である。

 

さて、原罪には二つの視点が存在する。

 

第一は、人類始祖アダムやエバにとっての原罪であり、それは上記の内容である。

第二は 、人類始祖アダムとエバから遺伝的に後孫である我々が受け継いだ原罪である。

 

喩えが悪いかもしれないが、イメージとしては

神から見れば「原力」だが、被造世界から見れば「万有原力」の違いのようなものである。

 

エバの原罪は天使長との自犯罪であった。

アダムの原罪はやはり自犯罪ではあるが、擬似血統的に受け継いだ罪でもある。

天使長とエバの関係が夫婦であるなら、

天使長とアダムの関係は父と息子である。

そこで蕩減復帰の経路に違いが生じる。

 

アダムとエバの子供は、血縁的因縁によって男子であれ女子であれ、原罪が相続されていくのである。

アダムもアダム以降の男性も縦的父子関係で血統的に原罪が受け継がれていくが、

エバ以降の女性はエバとは違って、縦的父子関係で血統的に原罪が受け継がれていく。

 

神にはアダムとエバに対する「親権」が存在していた。

天使長にはこれがなかったので「擬似親権」「所有権」を変形して持つようになった。そこで、中間位置にある堕落人間は、善なる条件か悪なる条件を立てて、神の所有かサタンの所有かを決定するようになるのである。

 

「原罪」という概念よりも、

アダムやエバをある条件がもたらした堕落した状態であるとか、

堕落した状態をもたらした条件というようにとらえた方の方が

復帰原理には馴染みやすいように思われる。

一言で言えば、「堕落条件」とでも言おうか。

原罪をもっと条件という視点からわれわれは考える必要があるのではないだろうか?

つまりキリスト教思想史の貢献に敬意を表し、それに合わせた形で原理講論は説明しているが、もしそういった制約がなかったら、別の表現になっていたことであろう。

 

 ところでここで明らかにしておきたいことは、第一は、この本の中に整理された体系化それ自体が「統一思想」ではなく、文先生の思想自体が「統一思想」であり、体系化は先生の思想の一つの記述形式にすぎないということである。第二は、今まで文先生から教わった思想をなるべく正確に伝えようと思いながらも、能力の限界のため、筆者としては表現の正確さを期することはとても難しく、そのため出版された内容の中には読者にとって理解しがたい部分が多くあったということである。

統一思想要綱 序文 1993年発行 より

 

さて、今までお話したことをわかりやすく言えば、

原罪とは、実体的なものではなく、堕落の内容を条件として汚された状態 。

無原罪とは、個性完成ではなく、堕落の内容をもたらした条件と関係のない状態。

 

エバの原罪はアダムの婚約者から、天使長の妻になったことを条件に生じた状態

エバにとっては霊的堕落も肉的堕落も自犯罪

 

アダムの原罪は天使長の妻であるエバと母と息子で淫行関係を結んで生じた状態

肉的堕落は自犯罪かつ天使長とエバという父母から血統的に受け継いだ遺伝罪である。

 

子孫である人類は、原罪を遺伝的に相続し、枝分かれした先祖の遺伝罪も相続し、連帯罪や自犯罪の諸条件によってサタンに拘束され奴隷となっている。

 

「遺伝的に相続」というよりは、「法的条件により相続された負債」と捉えるならば、

精算が可能であり、罪なき状態に復帰が可能であることが容易に理解されるであろう。

 

家庭連合では、エバにとっての原罪と、人類にとってのエバから引き継いだ原罪が混同されているので、霊的堕落のみでは原罪とは言わないという誤った理解になっている。

原罪の原は原初のということで、人類始祖のということである。

エバの罪とアダムの罪のことである。

これがわからないと、血統転換の根本復帰の根本原理がわからないことになってしまうのである。

 

エス様の霊界からのメッセージ に心から感謝いたします。

エス様が「原罪」という言葉に違和感をお持ちであられるようなので、そのことがきっかけとなり、考察する機会が与えられました。

すべては、我らを愛し我らを救わんとなされるイエス様のお陰でございます。

絶対感謝、永遠感謝!

アージュ

 


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