原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

原忠美牧師著「神人合一」に学ぶキリスト教信仰の基礎 上

原忠美牧師は実に立派な信仰者であられた。

同志社大新島襄に薫陶を受け、英語にキリスト教神学、聖書の探求に勤しみ、単なる知識・学問として学んだのではなく、真に永遠の命を得る信仰とは何かを求めて、牧師生活・伝道生活・貧困に病苦などの人生経験の中で、神人一体の境地とは何かを求め、確かな手応えを掴んで、これを死の前年に「神人合一」という書名にて出版されたのである。

 

神人合一

神人合一

 

 

書名から伝わってくるように、真剣勝負で求道されてきた気迫がこの本の文章には満ち満ちている。

わたしは若い頃よりキリスト教信仰の良書に巡り会えないかと、時折キリスト教書店を訪ねてみたが、これといったものにはなかなかお目にかかることができなかった。

もとより海外の著作に求めていたが、灯台下暗し

明治の日本人キリスト者に、このような人物がいたことを知って、日本人として心底誇りに思う。

もしかしたら、その頃が日本キリスト教史におけるピークであって、傑出した人物を多く輩出していたのかもしれない。

 

「神人合一」はどのような文章から始まるのであろうか?

 

 夫婦相和し、兄弟相信じ、親子相愛し、常に相一致するは実に幸福である。これ現世の天国、楽園に他ならず。されどこれらの家族を与え給いし本源なる神と一致するは、一層幸福ならずや。然り、この神と心を同じうし、情を等しくし、愛を一つにし、相信じ相和することは、実に幸福中の幸福にして永遠の天国楽園は実にここに存する。

 我らには最高の愛を慕い、最上の義を求め、無限を追求し、至聖を浴するの念慮があり、この向上心は神の至善、至聖、至愛、無限を信じて始めて満足する。我らは自己、妻子、朋友、親、君等に対する愛心のみにては満足することは出来ぬ。我らの中にある最高の念慮をもって、強いて人間の関係に止らしめんとするならば、我らの精神は枯れ、品性は縮むの他はない。然り、我らは神と合一するように造られておる故、単に人道のみでなく、進んで天道に接触せんことを浴する。我らは神と合一して安心し、神を護て始めて自由の人となるを得るのである。これを誓うれば、我らは貝の半片の如く、神は他の半片の如し。人は神と合せんことを慕い、神もまた人と合せんことを楽しみ給う。我らは神を獲ざれば不満であり、神と合せねば不安である。我らの本性は神と合一することによって始めて満足を覚ゆるのである。

第1章 神人合一 第1節 人の本性と神人合一

 

最初の5行はまるで文鮮明先生の「平和のメッセージ」を思いおこさせるような文章である。また、彼がどれほど神と似た者となり、神と一致した者となることを衷心から願っていたことが窺い知れる。

彼が書いた文章は、僅か150ページほどだが、賀川豊彦はこの本の「神人合一後記」で、先ず最後の50ページほどを読むことを勧めている。

 

初めわたしはこの書おを手にした時には、徳永先生の「逆境の恩寵」に接する積もりで読んだのであったが、少し理論めいたところがあったので、この書に溢れて居る神秘的空気をすぐ把束することが出来なかった。

 この書は第11章から読むべきである。第11章から読むならば、この書が何を意味し、何を物語らんとするかを我等はすぐ悟るであろう。この平明透徹した文字は恰も中世期の聖徒ローレンスの文字に似通うた所がある。

賀川だけでなく、多くの人は「第11章 神人合一と病気」 に深い感銘をうけたようだ。どうやら、当時の牧師は極貧の中、栄養失調状態で、病気持ちが多く、そのことは原忠美が身動きができないほどの病苦の中にあっても、信仰的な意味と神の恩寵を証ししたことを、自分の境遇に照らして理解するはことは容易で、手本のようだったようだ。

 

率直に言って、賀川には、原の信仰の霊界が理解できなかったのだろう。

「少し理論めいたところがあったので、この書に溢れて居る神秘的空気をすぐ把束することが出来なかった。」

 

だが、何かは感じていた。

「この平明透徹した文字は恰も中世期の聖徒ローレンス」の文字に似通うた所がある。」

 

この書の重要な内容は、実は最後の50ページではない。

だが、一箇所彼の信仰の境地が歌に認められる歌がそこにはある。

その辺りを見てみよう。

    

 第12項 従順の徳を学ぶ

私の病気重り、喀血あり、発熱があって全身苦しみ、手も動かすことが出来ず、足も縮むること出来ず、口は開かず、眼は見えず、四肢五体をかんずるに当っては「此れ我重き十字架なり。苦き盃なり」との念、心頭を去らなかった。此時主がゲッセマネに於いてせられし祈祷(マルコ14の32−36)を読んだのであった。キリストは十字架の耐え難き苦痛を前に見つつ、祈祷の座に躓き祈り給うた。私も病気の忍び難き苦痛を感じつつ、同じく祈祷の内にあった。キリストは口を開いて「アバ父よ。汝に於いては凡てのこと能わざるなし。此の杯を我より取り給え」と祈られた。神は実に大能である。キリストより十字架の苦き杯を取り離すことは易いことであり、私から病気の苦杯を取り去ることは一挙手の労のみであろう。されば私はキリストと共に天父の前に「アバ父よ。汝に於いて凡ての事態わざるなし。此杯を我より取りたまえ」と涙にくれて祈った。然り、私は此苦痛の時ほど熱誠に求めしことはない。キリストは語を続けて「然ど我よくする所をなさんとするに非ず、汝が欲し給う所に任せ給え」と祈り給うた。私もキリストにならって「然ど我欲する所をなさんとするにあらず、汝が欲し給う所に任せ給え」と祈った。全身神に託し、聖旨の我身になれかしと求めたる刹那、私は言い難き平和を感じつつ天来の安心を獲たのであった。

 

イエス・キリストの辿られた主の路程を、

自らの事情と重ね、その心情を復帰する。

さらに、その求道の褒美として、天は彼に一つの信仰心情の境を与え給うた。

ここにその歌がある。

 

主よのむべき わがさかづき

えらびとりて さづけたまえ

よろこびも かなしみをも

みたしたもう ままにぞうけん

 

このような心情を掴むことができた原忠美の神観を想像させる歌が、患難との関係において考察されているところにも出てくる。

 

むちうたる子にもまさりて打つ父の

   みこころいかに痛みますらん

 

神の事情と心情を先ず考えるというのである。

賀川豊彦は「神人合一後記」を次のように締めくくっている。

 

「原先生の信仰は、私の信仰である。私も凡てを神に委せて、一生を歩む。神人合一の境 ー これは私の祈りである。理想である。」

 

だが、わたしは賀川豊彦の神人合一と原忠美の神人合一は明らかに違うように思われる。

賀川は、「沈黙」を書いた遠藤周作のように、神からよりも人から神に至るところがあるのではないかと思う。

つまり人と神との折り合いをつけるという道になるのではないかと思う。社会悪の撤廃に尽力を尽くした賀川が、心の本質的な問題とその解決よりも、現実的社会の問題の解決に重心を置いてきたように感じられるからである。

もしそうでないとすれば、賀川にとっての「神人合一」とは何かということが説明されている著作があり、脚光を浴びているのではなかろうか?

 

「初め私はこの書を手にした時には、徳永先生の「逆境の恩寵」に接する積りで読んだのであったが、少し理論めいた所があったので、この書に溢れて居る神秘的な空気をすぐ把束することが出来なかった。」

 

そのように賀川は書いている。

少なくともこの時点で、賀川は原の書いた「神人合一」がよく理解できていないのだろう。おそらくはその後においてもそうだったのだろう。

だが、賀川ばかりではない。多くの友人や当時のクリスチャンにもその真価が掴みきれなかったようである。

そこで最後の部分1/3の文章にばかりが注目されるのであろう。

 

ラウレンシオ修士の場合は修道生活であり、俗世間と切り離された生活であった。

原は俗世間のただ中で、神人一体の道を求めなければならなかった。

そこで、彼が書いたものは、われわれにとっても実に参考になるような、実践的なものである。

 

第4章 神人合一の状態 第一節 我らは神が我らと共にあるを信ず 第ニ項 キリストと神

には、つづく第三項 我らと神 に繋がるキリスト教信徒としての信仰の基本至誠を

神とキリスト、神と人の関係性に求め、かつ何よりも注目している。

即ち、神とキリストが父子の関係であるように、我ら人も神と父子の関係であることを心底悟ったのである。

 

聖書中キリストの最初の言は其12才の時、母に対して「我は我父の事を務べきを知らざるか」(ルカ2の49)であって、我父即ち天父なる思想をもって始まっている。其最後の語は十字架上にて「父よ我霊を汝の手にあづく」(ルカ23の46)で、ここでも天父という言葉を以て終っている。其間の生涯においても「父我と共にあり」(ヨハネ16の32)との観念は、終始キリスト教の心中に在した。さればキリストは天父と共に起き、天父と共に寝、天父とともに進み、天父と共に退き、天父と共に語り、天父と共に黙し、天父と共に喜び、天父と共に悲しみ、天父と共に生き、天父と共に死に給うた。然り、天父に従うはキリストの歓楽にして、天父のみ旨をなすはその糧であった。かくしてキリストは天父を離れ給わず、天父もまたキリストを去り給わず、キリストは天父とは実に一であった。

 

イエス・キリストの全生涯のテーマは、正に天父との合一に他ならないことを知った原忠美は、キリストに倣いその人生を御父に捧げるべく、忠誠を誓ったのであった。

 

我らは在来の忠孝をもって満足することは出来ぬ。今や親の親、祖先の祖先は天父であって、王の王、帝の帝は神であるという真理が発揮せられて来た。我らは二千年来養い来った忠孝の精神は、我らが神に対する忠孝の準備であったのである。神は我らをして最も高尚なる忠孝の徳性を発揮せしめんために、低き忠孝を修めしめ給うたのである。勿論神に忠なるものは、神の与え給うた国王に忠であり、天父に孝なるものは神の生み給いし親に孝でなくてはならぬ。神は神人合一の一基礎として特に我らに忠孝の精神を養わしめ給うた。されば我国人が神と合一するの基礎は確かに忠孝であり、我らは之をもって神と合一せなければならぬ。我らの長所は誇るに足らない小さきものであるが、我らをして神と合一せしむる一基礎である故に貴いのである。そうでなければ長所は何の功あらんや。

 

原は、神人合一の真意についてこう語っている。

「我らの愛と義が神のそれと一となり、神の徳が我らの心に長じ、神の姿が我らのうちに成り、我らの品格が神の品格と合する。これすなわち神人合一の第一義である。」

 

また、彼は単に神の属性である品格に合一するだけでは十分ではなく、品格の本体、神自身の本体との合一に向って進まなければならぬとしているのである。

 

「我らは神の愛と合一するよりも義の本体である神そのものに合一することを望む。然り、我らの欲するものは神の寛容、神の正義、神の知恵、神の謙遜ではなくして、寛容なる神、正義の神、知恵の神、謙遜の神、すなわち神自体である。」

 

われわれ統一食口は、個性完成を原忠美ほどに真剣に考え求め、これに至るべく精誠を尽くしているだろうか?

そして万民の前で公然と我も真の父文鮮明先生に傚いて、完全とその道を行くと宣言しているだろうか?

恥を知らなければならないだろう。

 

さて、神人合一の実際的基礎として、原は善心と悔改と謙遜の3つを挙げている。

善心を抱くだけではなく、当然実行しなければならないとし、

 

「されば神の子供たる人を愛するは即ち神を愛することであり、人を敬するは神を敬することである。我らは人に接することによって神に接し、人に交わることによって、神に交わるのである。」

 

と言い、日々の小事こそ天に達する道であるとジョン・キーブルの歌を引用するのである。

 

くるあさごとに とるわがつとめ

ひとをあいして おのれにかたば

神にちかづく みちこそなれ

 

次の悪心の悔改についても徹底して実践したという。

彼はピーチャが言う「我は強きに於てよりもその弱きに於て、清きに於てよりも汚れに於て、善に於てよりも悪に於て神に近づきたり」に大いに共感し、神人合一以前に、先ず己が如何に悪しきものであるか徹底して自覚しなければならないとしている。

 

私自らもこれまで心中で幾度も姦淫を犯し、物を盗み、心に鋭い刃をとって人を殺したかわからない。私はこれを回顧するだに戦慄に満さるる。私は実に大罪人である。罪人の首である。

然し私は神の愛を聴き、神の恵みを知ったが故に、過去の罪状を悔改め、神の許しを得て始めて平和を得たのである。然るに私は重患に陥ってより、私の罪悪が尚心中に残り、悔改せざるものの多々あるを発見し、此世を去る時、天国の門守に責められざるかと思い、慟哭身を置くに所なきかを感ぜし故、私は直ちに神前に平伏し、其罪を一々列挙して悔改すると共に、他人に負える所は一々之を片付けた。元より其本人は之を知らざりしものもあったであろう。

 

われわれが信仰生活をしている中で、罪を犯している自覚ができているのは、実際には少ないのかもしれない。

自覚的な悪心に対する悔い改めは、氷山の一角の如きもので、海面下にある本体が巨大であるように、われわれの気づかない意識下の膨大な問題が潜んでいることに、ことさら意識を注がなければなるまい。

堕落性は神のおられる位置に立てず、そこから離れることから始まる。

すなわちほんの少しでも神の立場に立てず、神の立場で感じ、神の立場で考え、神の立場で 愛していないとすれば、それはとりもなおさず、神を離れ自己の立場に立つことになり、次には主管性転倒が待っており、神の立場ならぬ自分の立場を主張する道に逸脱するのである。

 

われわれは知らず知らず日々罪を犯している存在であり、それゆえ知らず知らず天父を悲しませている存在である。

この罪の意識に徹頭徹尾悶々とした日々を通過して、いよいよ神を求め神の御愛と赦しに委ねて、この身は地上に生活しながらも、我が魂は父のもと、天の御座にありという実感を確信する信仰の道を行かねばなるまい。

 

 謙遜についての考察にも多くを割いているが、特に第5項 謙遜の真意 に彼の謙遜に対する聖別された考えが述べられている。

 

第5項 謙遜の真意

 謙遜とは其真価より低く見ることではない。力あれど之なきが如く、智あれど之なきが如く、徳あれど之なきが如く思うことではない。もしかくの如くあらば、これ自らを欺くものである。真正の謙遜とは自らの最高をもって神の前に立つ時、以前自ら高しと見しものも神の前では実に低きものであることを知るに至ることである。「雲かかる足柄山は高けれど、晴るれば富士のふもとなりけり」我らの信仰の眼雲って天を仰がず、唯自由のみを顧みる時は、自負自慢に了るだろう。然し一度信仰の眼を啓らき雲霧を排して神を仰ぐに至るならば、自己は微小であって実に数うるに足らざることを知るのである。さればかのパウロが「罪人のうち我は首なり」(テモテ1の15)と言ったのも、自己を神に比して余りにも低く、汚れていることを嘆じたる語である。然り、自らの最善をもって至善なる神のみ前に出で、自らの最尊をもって至尊なる神のみ前に立ち、而して自己の卑しく無力にして且つ汚れたるを知る事は、真正の謙遜である。かかる謙遜者はキリストに讃められ、神と一致する特権を有する。げに謙遜は神人合一の第三基礎である。

 

原は、動機の聖別ということを本当に追求された人であった。

自分の内に生じてくる心の純粋を如何に獲得するか、

真剣勝負の道を歩まれた稀有の方である。

だが、それはキリスト教徒であるならば、誰もが天父を慕い、キリストを慕って追随すべき道であり、追随したくて仕方がない道であるはずである。

「キリスト我にあり」とは 、正にかくの如き格闘にも似た霊的戦いをヤコブの如く勝利して始めて体恤できる霊界であろう。

 

私は文鮮明先生の「天聖経」の中にある。心霊が次第に高く引き上がっていく各段階を暗示や夢からはじめ、直接啓示、さらには黙示と段階を経て行くとあるが、最後には、君臨という世界に至ると語られた「君臨」という言葉にはいささか違和感があり、神の現存・臨在ではいけないのだろうかとふと感じたことがあった。

だが、天一国は如何なる世界であろうかとしばらく考えていた時に、天国とは神の支配による王国であったことを思い出して、なるほど個人においても神の支配、すなわち神の君臨が実現されなければならぬと深く悔い改めさせられたのである。

 

天の神と地に居る我が絶対基準で実子であると言い切ることができる道とその証明をイエス様や真のお父様は明らかにしてくださった。

この至恩にたいして我々は禽獣でないとすれば、必ず報いなければならないことであろう。

 

今日はこの辺で筆を置くことにしたいが、原忠美の書いた「神人合一」は、

日本キリスト教史における幾多の著作物の中で、間違いなく白眉であろう。

北森嘉蔵は「神の痛みの神学」を書いた。

はたして北森は、神の痛みを、神と我が父子の絶対的因縁を持つという確信と、イエス様が『アバ父よ』というが如きその同一の意味において、天父の実子としての我に目覚め、実父の痛みとして原のように神の痛みの本質を捉えることができたであろうか?

わたしには、はなはだ疑問の残るところである。

原忠美は彼の先を行っているのではあるまいか。

少なくともわたしにはずっと先を行っているように思われるのである。

 

このような稀有の価値を持つ書籍が忘れ去られ、復刊なれることもないことは、一体どういうことであろうか?

光言社が手を挙げてはいかがだろうか。

原忠美牧師先生に心からその信仰に対して、崇敬の念を食口を代表してお捧げ申し上げる。 

実はこの「神人合一」は非売品である。

神が与え給うた空気や水のように・・・ 

 

 


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