原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

神山氏の信仰の問題点を「祝福家庭と皆様へのメッセージ」に考える

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 神山氏が、食口に向けて最後のメッセージを語ったようである。

神山氏は、江利川会長とともに、お父様の膝下で薫陶を直接受けながら重要な摂理の責任を担ってこられた。

江利川会長はお父様にもお母様にも愛されてきたという。

わたしは、神山会長に対するお父様の愛し方は、特別であったように思っている。

お父様から蕩減を与えられるような愛され方をしているからである。

 

神山氏は、一年ほど前の名古屋において、強調されて語られてきたことがある。

それは、驚くべきことであったという。

「お父様は完全ではない」というような内容であった。

完全でないというのは、具体的にはどんなことなのだろうか?

それを神山氏こう表現したのである。

「お父様はウソをしばしば見抜くことができなかった。」

そして、神山氏自身が身に覚えがないことを、多くの信徒の前で、お父様によって厳しく叱責されることが、度々あったというのである。

神山はこうだと言われたことを、神山氏より他の人が言ったことをもって、お父様が神山氏に非があるとして叱責されたというわけである。

だから、

「お父様は完全ではない」

と言うのである。

だが、この事実は以下のメッセージ文のメシア観とはいささか違いはしまいか?

 

摂理歴史において、イエス様の「死」が大きな問題となったように、今後お父様の「聖和」が問題となってくると私は思っています。イエス様が悲惨な死に追いやられたのは、信徒とユダヤ民族の不信によるものでした。彼らはイエス様を絶対的価値の存在と見ることができず、相対的価値の人として判断したのです。

 

神山氏はお父様との間に葛藤があったことを告白してしまったのだと思うのである。

このことについて、ある食口は、ノアの摂理で酔っ払って裸で寝ていたノアを人間的に見て、120年間神に精誠を尽くしたお方であるという視点を失ったようなものだと言った。

つまり、人間的な信仰、人間的な判断であり、信仰的な判断ではないということであった。

実を言えば、わたしは神山氏を羨ましく思う。

この道において、メシアに公衆の面前で、身に覚えのない間違いを指摘され、悔い改めを促され、

「わたしの言葉ではなく、お父様の言葉に従ってください。」

というような経験を幾度もされたというのであるから、代わって差し上げたいくらいである。

 

女性は対象であるから、愛されることを求め、あるいは喜ぶのは当然であろう。

だが、われわれ男性は主体的存在である。

主君に対して至誠を尽くすことがあっても、

その至誠を捧げることのできる機会を、天が与えてくださった事に感謝こそすれ、

主君から直々にお褒めの言葉を頂くことを期待しないものである。

さらに、忠誠の心情の境を求めるならば、これを千載一遇の好機と捉え、主君に対する我が忠誠に偽りなく、心清らかなることを証明する場であると心得るのが、忠孝の真髄ではなかろうか?

神山氏には、乃木希典明治天皇に対して捧げた忠誠の基準を凌駕することができる環境があったとわたしは思っている。

天はよくも神山氏を愛したものである。

乃木は自分はおろか息子たちも、妻も一心一体で、家族奉じて忠孝の道理を残した。

そこには自分が報われようなどというものは微塵もない。

その心天のみぞ知れの心意気で生き死んで行かれたのである。

神山氏には、これを凌駕する忠誠を証明することができる天運があった。

わたしは彼が幸せ者だと思っている。

神山氏は、われわれのような、わけのわからない平信徒ではない。

ダンベリーで実体の神様たるお父様と囹圄の契を結んだ男である。

囹圄の神様の心情を復帰すべき責任者として、

お父様とともに監獄に囚われの身となって神の心情に通じ、

その神の恨を解くべき重要な責任分担を課せられたのが、

神山氏であった。

だが、サタンの罠に引っかかってしまった。

お父様が解放される前に、歓迎会を受けてしまった。

死ぬほど悔やんだことだろう。

 

孝子になろうとすれば、父母の心の方向と常に一致していなければなりません。孝子の道を行く人は、父母と掛け離れた行動をする人ではありません。
 父母が東に行けば東に行かなければならず、父母が西に行けば西に行かなければなりません。行く目的を提示したのちに、行く途中で回れ右をすれば、一緒に回れ右しなければなりません。そこに異議があってはなりません。十度行き、十度回れ右をしたとしても、また回れ右して従っていかなければなりません。

 反抗すれば、孝子の道理を最後まで守ることはできません。父母が狂ったことをすれば、子供も狂ったことをしなければなりません。父母の命令ならば、狂ったことでもしなければなりません。狂ったことをすること自体はいけないことであり、父母が分からずにしているのならば知りませんが、分かってしているというのです

 それでは、なぜ父母は狂ったことをするのでしょうか。孝子の中から最高の孝子を選び出すためには、その道しかないからです。百人の孝子がいるとすれば、その百人の中から一番になることができる孝子をつくるために、その父母は狂ったことをするのです。

 しかし、その気まぐれを真実だと思い、生命を捧げてその父母の命令の前に絶対従順をすれば、その人は、孝子の王にもなることができるのです。(1972.9.10) 

真の孝の生活 第2章 真の忠孝 3)真の忠孝は従順に、「ため」に生きる愛を施すこと 

 

ある食口の婦人がパンタナールに行かれて帰ってきた時のことである。

その婦人は、「お父様の記憶力が随分衰えてきておられるようだった。」

心配して話された。

 

たとえもし、お父様がこの10年かそれ以上の間、映画の「恍惚の人」のように

痴呆症の気配があったようにお見受けされたとしても、

それが何だというのか?

 

ノア爺さんは120年間ボケ老人として扱われなかったと誰が言えようか?

 

神様に、「あなたが息子を引き離すような疑わしいことばかりを私におっしゃったとしても、私は信じます。『信じることはできないだろう』とおっしゃったとしても信じます。愛する父母が最も悪なる父母となって、むちで打ったとしても、私は、愛する孝子以上の心をもってあなたに従います」と言わなければなりません。神様は、そのように思っていらっしゃいます。(1974.7.29)

同上

 

 

神山氏は言う。

 

このような使命を相続するにふさわしい子女様は一体どなただろうと、私はお1人、お1人のお子様の心の世界を訪ねてみました。見つめたとき、顕進様こそがその資格を持つ方だと確信するようになりました。

 

だが、お父様は「一番信仰があるのは亨進」と評されました。郭氏もそこにいて同意しました。

 

「顯進が真ん中に立ちなさい。國進が左に立って!亨進は全体に責任を持つので右に立ちなさい!お兄さんを中心に、父母様と神様を中心に一つとならなければなりません。」

 

横的にはお兄さんが中心です。年長だからです。

だが、銃的には弟が中心でした。

そこで

「亨進は全体に責任を持つ」

とおっしゃいました。

責任をもつものが責任者であり、中心者であり、中心人物です。

 

神山氏によるこの言葉は間違っています。

「真の家庭は、長子である顕進様を中心として、亨進様、国進様が一つとなることによってなされるという、儀式の中でのみ言葉でした。」

 

王に至誠を尽くすも、王宮の陰謀に遭い

王に誤解を受け、見捨てられ、極刑を受ける

夥しい血を流し、囹圄の身になり、

ぼろ雑巾のように擦り切れ果てる。

胃痛は激しく続き屈辱に悶じる。

食欲は失われ、茫然として眠れず、

意識が朦朧とする中に、

忽然と囹圄の神様の心情を知る。

どうして一身の事情を語れようか。

為天献身、万事亨通。

 

 

「沈黙を破って」以降の亨進様の御言葉に遭い

あるいは、江利川会長の夢にお父さまが現れた証を聞いて

我らは亨進様を第二代王と思うに至ったのではない。

家庭連合の誰もがこの方が後継者であると知っていたはずである。

 

神山氏には最後に亨進様を証す使命があったが

残念ながらパウロ的回心は期待できないのであろうか?

神山氏の人生が、お父様の人生に重なっておられるので

なんとも言えない寂しさが込み上げてくる。

 

お父様は食口に、「顕進について行ってはならない」と言われ

その情景を映像を撮りなさいとまでも指示されたのです。

 

 

以下に神山氏の言葉を引用する。

赤い文は私が処理したものである。

祈り。

 

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다말해3 -바다를 본 자가 호수를 보고 바다라 하지 않듯 독생자를 본 자가 독생녀를 보고 어찌 메시아라 하겠는가?: 神山威会長が全世界の祝福家庭と食口に送るメッセージ より引用

 

統一家 祝福家庭と食口の皆様へ
神山 
 
 
皆さんこんにちは
 
今日は統一家祝福家庭、食口の皆さまへのメッセージと言うことで話してみたいと思います。
 
名古屋で三カ月前、すい臓ガンと診断され今、私はニューヨークに帰ってきています。なぜかと言うと医者が手術することもできないし手術も非常に難しいと。すい臓がんと言うのは普通でも難しいのに、あなたの場合はもうすでに6回も手術していると。ですから、お腹を切って再び手術するということは不可能だから、もうあとは家族のもとにあって過ごされるのがいいと思うとサゼッションしてくださいましたのでこちらに帰ってきました。
 
本当にすい臓ガンと言うのは、私も色々の病気をしましたけど、本当にすい臓ガンと言うのは痛いですね。そして今はその痛さを抑えるモルヒネそれからステロイドと言う薬をとってその痛みを抑えてます。その薬をとるとすこし痛みが緩和されて楽になりますね。しかしそれが切れると本当に痛いです。
 
そういう中で今日は皆さんにメッセージを送るので、十分言葉が出なくなるかもしれません。でも私は伝えるべきことは伝えなければいけないと、お父様も霊界から言われるし、今日このような時間を持ちました。心苦しいと思います、聞くのにですね。どうぞ忍耐して、私からのメッセージと言うことで聞いてくだされば幸いかと思います。
 
 
 
 
愛する祝福家庭そして食口の皆様。
 
 聖恩感謝申し上げます。
 
 私は24歳の年に真のお父様に出会い、神様のみ旨の道を生涯を通して歩むことができましたのは、本当に大きな天の恩寵でした。
 
 これから私は真お父様と、とても大切な思い出がつまった地上生活を終えて永遠の本郷の地である神様の懐に帰ります。お慕いしていた真のお父様に再びお会いできることを考えると、心が弾みますが、また一方では言葉に表せない申し訳なさを隠すことができません。
 
 地上で神様のみ旨を全て成して逝かれなければならなかった真のお父様が、基元節を目前にして聖和されたことは、真の御父母様と真の御家庭に正しく侍り、お守りすることができなかった、私達の不信仰の結果としか言いようがありません。
 
 私は真のお父様の無念の心情を、少しでも慰労し解放して差し上げるため、すべての祝福家庭が過去の真のお父様に対する不信を心から悔い改め、新しい出発がなせるよう、この4年間、昼夜を問わずお父様の教えとみ言葉を食口たちに証して参りました。
 
 摂理歴史において、イエス様の「死」が大きな問題となったように、今後お父様の「聖和」が問題となってくると私は思っています。イエス様が悲惨な死に追いやられたのは、信徒とユダヤ民族の不信によるものでした。彼らはイエス様を絶対的価値の存在と見ることができず、相対的価値の人として判断したのです。
 
 19571013 に語られたみ言葉を紹介します。
「万民を救援するために地上に来られた、イエス様の怨讐が誰だったでしょうか? このお方を絶対的な価値の存在としてではなく、相対的な価値の存在として見た人々が、正にイエス様の怨讐でした」 
 
 私はお父様の聖和も、再臨主を相対的人物と見た人々の不信によるものと考えます。絶対主体圏に立つメシヤに対して、私たちは絶対信仰、絶対愛、絶対服従で完全に一つとなるべきでした。それをただの相対的価値の指導者として見てしまい、誰も後天時代に入ることができず、そのことで基元節を出発できなくなりました。やむなく神様は、お父様を供え物として、摂理の延長をせざるをえなくなったのです。
 
 では摂理の延長はどのようになされるのでしょうか。み言葉を拝読します。
「イエス様は神様の息子だ」と言いましたが、神様はイエス様を愛することができませんでした。十字架にかかって死ぬようになりましたが、なぜ死の場から引っ張り出して保護してあげられる息子になれなかったのでしょうか。神様が本当に世の中に一人しかいない息子として送ったその息子が死ぬのに、なぜ背を向けるのかというのです。
 全く、そのような父母がどこにいますか。私たちが、そのような父母を信じていて天国に行けますか。保障されますか。イエス様の願いさえも成してくれないのに、イエス様のその切実な祈祷さえも聞いてくれないのに、息子を死の場に送り出したそのような立場に立った神様を、私たちが信じ、「天国に行こう」と言うことができますか。
 神様はたくさんの能力をもっていらっしゃいますが、もつれたものをそのごとくに解いていかれる立場におられるのです。しかし、それを解くにおいては、神様が解くことはできないのです。人間が解かなければなりません。人間が解かなければ神様のみ旨が成されません。それゆえ、神様のみ旨が成されない立場では、愛する人をも身代わりに蕩減の祭物にして、それを延長させる作戦をしていくのが神様の摂理の延長なのです」(一九七三年八月五日 『文鮮明先生み言選集第六十八巻』)
 
 サタンは、メシヤに対する不信の罪は死であると、神様に讒訴します。神様は復帰の道を閉ざさないために、もっとも、愛する人を、人類の身代わりに蕩減の祭物、宥めの供え物にして、摂理の延長をしていくのです。イエス様もお父様も祭物となられました。
しかしイエス様には血筋が無く、再臨主を迎えるために2000年の時が必要でしたが、お父様は子女様を残されたため、聖和直後から、お父様が残された摂理がそのまま継続していくのです。これが私たちにとって大きな希望です。
 
今、私たちがしなければならないのは、メシヤを不信したことに対して、リーダーをはじめ、すべての食口が悔い改めることです。愛の怨讐であるサタンに勝利の基準を残された、真のお父様と心情体となるなら、必ずペンテコステが起こると、私は確信しています。新しい摂理の出発ができると私は信じています。そして真のお父様のみ言葉を中心に、お母様と子女様が一体となり、真の家庭が再建されることが、私の念願であり、私の夢であり、のぞみです。
 
 現在、多くの祝福家庭は統一グルプの分裂の中で信仰の危機を感じています。そしてお父様の聖和以後、摂理がどのようになされていくのかわからずにいます。このような状況の中で、私は誰が真のお父様の使命を継承し、神様の摂理を導いていかれる方なのかを、必死で探しはじめました。
 
 私は、お父様のみ言葉によって、メシヤの男系の血筋を通じて天の摂理が展開していくことを信じています。「本然血統と連結された為に生きる生活を通して,心情文化世界を完成する」と家庭盟誓の中に記録されている通りです。
 
平和神経 P.111にもこう記録されています。
 「神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには神様の祖国、理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように創建されるのです。血統の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないということを、皆さんも肝に銘じなければなりません」
 
 それでは、どの子女様が真のお父様のみ旨の相続者としての資格を持っているのでしょうか。私はそのこともやはりみ言葉を判断基準として考えてまいりました。
 
 絶対主体なる天の父の前に、子として絶対相対の基準を立て、一体化し、この地に対しては絶対主体圏に立たれた方が、メシヤすなわち真のお父様です。メシヤの使命は、人類始祖が失った神の心情圏、三大祝福、み言、真の愛、天運をこの地上にもたらし、血統転換によって全人類を救済することです。
 
 このような使命を相続するにふさわしい子女様は一体どなただろうと、私はお1人、お1人のお子様の心の世界を訪ねてみました。見つめたとき、顕進様こそがその資格を持つ方だと確信するようになりました。食口の皆さんにも、直接顕進様にお会いして、顕進様のお父様を敬愛する心情、み言葉に対する姿勢、築かれた家庭のすばらしさを体験して頂きたいと切に願います。
 
 このような結論を得た私は日本に帰り食口たちに真のお父様のみ言葉を証しながら、これからは真のお父様と一体化した顕進様と一つになれば、お父様から相続された天運が顕進様を通して、祝福家庭に連結されることを伝えて参りました。
そして、お父様の聖和の意味や、み言葉の改ざん、基元節のとらえ方などの問題に対し、私は日本家庭連合本部に何度も対話を働きかけて、混乱を解決しようと努力しましたが、そのような私に対して、日本の本部は、名誉会長の称号のはく奪と除名処分で応えてきました。
 
 真のお父様は、たとえ問題のある食口であっても、除名処分など一度もせず、すべて抱きかかえてこられたお方でした。日本の本部はそのお父様の伝統を忘れてしまったのでしょうか。
 
 私が韓国の麗水でお父様に最後にお会いした時、真のお父様は私に「日本の食口を頼むよ」という言葉と共に「神山頑張れ!」という言葉を残されました。そして、封筒を頂きました。「これで日本の女たちに何かしてあげなさい」。その言葉を胸に抱いて今まで走って参りました。しかし今、私が受けたこの言葉を皆さんに伝授する時が来たようです。日本の食口の皆さん、お父様の願いと期待を絶対に忘れないでください。
 
 家庭連合本部は、私がお母様を軽視していると非難します。
私はお母様を心から敬愛しています。お母様が、1970年代、80年代には、いつも真心でお父様に侍る姿に感動したものです。しかし、最近の「独生女」を主張し、お父様を無視するようなお母様を見ていると心が痛み心配です。
 
 今一度、メシヤとは何か、その相対者とは何かを、み言葉で確認してみましょう。
「メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。父子の関係だ。父子の関係。分かりました?
相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない」(御旨と世界P.852)
 
「お母様はお父様について来ます。絶対服従すれば通ずるんです。何故かというと、エバがアダムを主管したのが堕落であるから、このあやまちから復帰きされるには、アダムに完全に主管されなければならない。しかし最前方に立って闘うのはアダムがやらなければならない。それは60数億の民を悩みの底に落しているのはサタンである。しかし天使長をしてサタンとならしめた、即ちそれを決定ずけたのは誰かというと、アダムである。エバじゃない。だからアダムが最後の決断をしなければならないという立場が、どこまでもある。だからこれを世界のはてまで追いよせてゆかなければならないというのが先生の使命感であるわけです」(「心情の境」 1967612日)
 
 このように、お父様とお母様の使命の違いをはっきりと定義されています。お父様の願いは、「真の愛と真の生命と真の血統」を実体化した「真の家庭」を、お母様と子女様と共に完成させ、三代王権と四大心情圏を完成させることでした。
 
 200846日「第49回真の父母の日」名節記念儀式を、ハワイ島コナのキングガーデンにおいてなされました。その時のみ言葉を紹介します。
「今から行う式典は、お母様が主管する。2人の息子はお母様に絶対服従すること。お母様を中心にカイン・アベルが一つになり、エバが夫の立場のアダムを堕落させたことを元返して、夫にぴったり従い越えていくことによって、堕落以前の神様に直接連結された真の愛、真の生命の因縁に一致すれば、真の血統に連結されるので、サタン世界とは何の関係もない、神様とのみ対することのできる一心一体一念一和一核の自由・解放の地上天国にならざるを得ない。
 
真のお父様の前にカインとアベルを一つにしたお母様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、また全てが絶対信仰・絶対愛・絶対服従、自信満々に各者が完成の道を行かなければならない。真のお父様の道がどれ程難しこであったかを理解しなければならない。そのような道を代りに行こうとする時に、難しいと考えるのではなく、千回万回死ぬようなそのように信じ難こも、感謝の思いでしか越えることはできない。解放的、釈放的生き方は心と体が一つにならなければできない。一生懸命準備して、2013113日までに、一族全体を完成すべき召命的責任が残っていることを自覚しなければならない。勝利者となることを許諾したので、自信満々、堂々と各自が完成する主人とならざるを得ない。アージュ!」
 
 このみ言葉のように過去のすべての内容を悔い改めて一つになれなかったために、2008719日、ヘリコプター事故が起こってしまったと私は思うのです。
 
 このような状況の中においても、お父様は顕進様を自らの代身者として立て、全世界の食口の前で公的に語る機会を通して一つになることを奨励されましたが、お父様の指示の方向に一つになることができませんでした。
 
 それでもお父様は再び顕進様を中心として一つになることを願って、20081224日に、次のようなみ言葉をかたられました。
「顯進が真ん中に立ちなさい。國進が左に立って!亨進は全体に責任を持つので右に立ちなさい!お兄さんを中心に、父母様と神様を中心に一つとならなければなりません。6数が一つになるのです。このような数を合わせなければならないということを知っているので、一つにならばければ駄目です。中心がなく、神様がいなければ真のお父様と真のお母様が一つになる道がありません。お兄さんがいなくて、中心がなくては弟が一つになることはできないのです」天正 「新しい神殿と祖国光復」2008.12.24
 
 真の家庭は、長子である顕進様を中心として、亨進様、国進様が一つとなることによってなされるという、儀式の中でのみ言葉でした。
 
 200938日 草束において約500名の教職者達が集まる中で、梁会長が意図的に作成した偽りの霊界メッセージの内容をもって、顕進様は公職のすべてを剥奪され追放されるにいたりました。
 
 201065日 早朝の寝室で 異端者 爆破者として決定づけたのです。
 
 真のお父様の最後の祈祷文そして映像まで捏造し食口を騙しつづける今の現状に私は心痛めております。
 
このような重大な問題を責任をもって解決しなければならないお母様は、このお父様の願いに反し、亨進様、国進様をそそのかし、二人を顕進様と敵対させ、顕進様を追い出したのです。そして、次にはその亨進様、国進様まで追い出しまったのです。
 
現在、お母様の周りには、お父様の血統を受け継いだ長子も次子もいません。お父様の願いである「真の愛、真の生命、真の血統」は、天正宮にはなくなってしまったのです。摂理の方向を完全に狂わせ破壊してしまいました。
 
「女の産んだものの中で最も偉大」だと言われた洗礼ヨハネが、「天国では最も小さい者、惨めな者」となったように、お母様がそのようになってしまってもいいのでしょうか。お母様を扇動し、自分の我欲に走った弟子達の罪も非難されるべきでしょう。
 
私はお父様から、「神山がいくら年上でも、孝進をお兄さんと立てないといけない侍らなければならないよ、天地開闢の時代だ!」と教えられました。長子である顕進様を「お兄さん」として立てる事ができず、追い出したその罪は永遠に記録されることでしょう。 
 
 顕進様は、真の家庭を守るために、「堕落したアダム」「サタン」と非難されても、黙々と祈りを捧げてこられました。弟の亨進様のように、お母様を「堕落したエバ」「バビロンの淫婦」「レズビアン」などと呪ってはいけないのです。真の愛を持って、許し、愛し、団結しなければならないのです。憎しみの争いには勝者はいないのです。
 
 愛する祝福家庭、そして食口の皆様
 どうか霊の目を開いてください。「原理解説」には次のようにあります。
 「今は終末期であり、そして聖書に「審判は神の家より始まる」とあるように、いかなる教会指導者も頼れない、善悪の判断のつかない、善悪の混沌期だ。ただ頼りになるのは、祈祷による神様の直接の声と、真のお父様のみ言によって研ぎ澄まされた清い良心の判断のみです」
 
 祝福家庭、そして食口の皆さん。皆さんが祈祷とみ言と良心で、顕進様こそが、真のお父様の血統を受け継ぐ長子であり、人類始祖が失った、み言、真の愛、神の心情圏、天運をこの地上にもたらし、神様の願いを実現しようとされている方であることを見出し、顕進様と共に真のお父様の願いを実現していかれることを祈っております。
 
 生涯真のお父様の愛と恩恵を受け、摂理の最前線でご苦労される統一グループの元老達と同時代を共に生きてきた兄弟姉妹に私の懇切な思いを一言残したいと思います。どうか真のお父様から与えられた使命と願いに背くことが無いようにしてください。
 
「新しい出発の門は悔い改めと贖罪を通じて開かれなければなりません」と、ご自身はもちろんのこと全食口を鼓舞するため叫ばれる顕進様と一つになり祝福家庭を正しく導いて、人生最後の期間で有終の美を飾ってください。霊界でお父様にお会いする時、恥ずかしくない姿で真のお父様にお会できるよう共に決意しましょう。
 
 そして最後に私の言動に寄って心情蹂躙を受け、心に傷が残っていらっしゃる方が多く居られると思います、どうか寛大なる心をもってこの私を許してくださるよう心より念願致しております。
 
 皆様の御家庭と皆様の尊い仕事の上に神様の祝福と御加護あります様にお祈りいたしております。
 
 
2016822

 

神山