原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

自動書記のイエス様のメッセージについて質問を受けました

イエス様の自動書記をわたしは二つだけ見ましたが、一つは個性完成に関係する天聖経の最も核心の御言葉を読むようにとアドバイスが有りました。
今回は、原罪についてでした。
私自身はイエス様ご本人であるように感じております。
少なくとも、イエス様の公認を受けて名乗っているような存在かと思います。
5回とか、10回とかお話の回数が多くなればもっと確信できるようになるかも知れません。
 
大切なことは、誰が語ったから重要だというのではなく、
語っている内容が重要であれば、誰でもよく、
あとは地上の我々が実行すれば良いだけのことだと思います。
 
わたしは最近、権進様相手によって態度を変えないとお話されたことが
胸の中にいつもあります。
権進様ははっきり言い切っておられました。
本当に素晴らしいことです。
相手がイエス様であれ、兄弟であれ態度を変えない人間になりたいものです。
 
通常自分より下だと思わないようにということで
態度を変えないよう注意するでしょうが
自分よりも立派な方や有名な方などに対しても
同様にできるように注意したいものです。
 
さて、コメントで質問があった方には
以下のように説明いたしました。
皆さんにも参考になればと思い、アップします。
 
 
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「堕落と関係のない状態と、神様の直接主管圏または個性完成の状態とは意味が違います。生まれた時の赤ちゃんの状態は、神様の直接主管圏ではありません。また、それは個性完成した状態でもありません。」
 
われわれ堕落人間から見ると、原罪というものや、創造本性のごとく振る舞う堕落性本性の方が、馴染みやすい言葉ですが、創造本然の人間として生まれてこられたイエス様やお父様には、そのような感覚が無いので違和感がある言葉なのでしょう。
原罪というものが、自分の内側を見つめることによっては理解できない概念だからでしょう。イエス様やお父様がその言葉を理解するとすれば、自分以外の堕落人間を観察することによってしか理解できないものなのでしょう。
そこで、次のように語られたのではないでしょうか?
 
 
 
「では、私はどのようにして、堕落と関係のない状態で生まれたのでしょうか。私は「無原罪」という言葉を使うことを好みません。なぜなら、それは理解するのがより難しいからです。」
 
 
つまり、ここで『それは理解するのが難しい』というのは、一般の人がというよりは、イエス様においては理解し難いということなのでしょう。
我々堕落人間においては、神の心情を復帰し理解することが難しいように、イエス様やお父様においてはその逆の堕落性を理解することが心底難しいのです。
 


「私は、生まれた時、堕落と関係のない状態になるために、罪や罪的なもの、あるいは罪を犯す事にさらされたことはありませんでした。堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません。」
 
 
すると、『堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません』と語られるイエス様の心情がわかりやすくなるのではないでしょうか。
 
 


「私の母は、私の誕生を、原罪のある状態から分立するために、何かをしました。彼女は罪と反対のことをしました。それによって、私は堕落と関係のない状態で生まれました。私は堕落していないアダムの立場で生まれました。」
 
 
このイエス様の言葉に対応している原理原本が以下の文です。
 
アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。
原理原本
 
 
そして、この原理原本にイエス様の自動書記も対応しているように思われます。
つまり、イエス様の時と同じようなことが、お父様の誕生の時にも起こっていたという話でした。


「これは、私の母が立てた条件の手順によってなされました。私が何かをしたからではありません。私の母は、私が特別な立場で生まれるために、サタンを分立しました。


彼は、私、ナザレのイエスからその性格を相続しました。これはとても衝撃的なことですね。私は彼の親ではありません。それでは、そのことがどのようにして起こったのでしょうか。

神学者は「命の吹き込み」について話しますが、私は難しい用語は好きではありません。ここでは考えの移転、または心情と感情と愛の移転について話しましょう。

文鮮明師が生まれた時、私はそこにいました。私は、その赤ちゃんの助産でした。私は彼の母ではありませんでしが、私は彼をこの世界に迎え入れた助産師でした。

このことはとても奇妙なことのように思えるでしょう。しかし、私たちが生きている今の状況の中では、このことを説明する時が来たと私は思います。

私は、彼が子宮の中にいた時から、彼を導こうとしていました。そして、私はそれに成功しました。それゆえに、彼は堕落と関係ない状態で生まれました。私は、イスラエル国家の蕩減基台を通して作られた基台をその申請時に相続させました。私はタマルの勝利とマリアの勝利をその赤ん坊に相続させました。これらの勝利はとても偉大なことでした。彼女らは両方とも死に直面していました。彼女らは両方とも、信じられないような勝利を成し、堕落行為を取り消しました。


全ての人に喜びを与える喜びと希望に満ちた考えとは、私は、私の堕落と関係のない血統を文鮮明師に相続させたということです。私の血統は続いています。神様の血統は続いています。」
 
 
以上のイエス様の言葉は、イエス様誕生の際に神が為された役事を、再臨の時にはイエス様が中心になってお父様に為されたということの説明になるかと思います。
その内容に対応していると思われる原理原本のみ言葉は、既に引用したものとその続きの以下の文章が当たると思います。
 
 
それゆえに、犯を犯す前に、霊人体自体が神の右側におられたが
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子​という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった
。原理原本
 
お父様は12歳のころご自分が出生の秘密をもって生まれたことを、執拗にお母さんに聞いて袋叩きになりました。おそらく後になってアボジが『堕落と関係のない状態』 で生まれることを忠母様が勝利されたのだと確信されたのでしょう。
当時はそれが神の御旨であるとは知らなかったのでしょう。
何故、「忠母様」なのかですね。
 
私は,母に尋ねた。「あなたの兄弟は結婚したのに,どうして、あなたのおじい様達は結婚しなかったのですか?誰のためにですか?」お母さんは「それはわからないね」と言って,目を閉じて向こうを向いてしまいました。それで,それはお母さんのためだったのだという事がわかりました。

もう少しはっきりさせましょう。

わたしはお母さんに「お母さんは間違った事をしたね」と3~4回言いました。するとおかあさんは私の方に向き直って,私におおいかぶさるようにして言いました。「私は間違いを犯したんだよ。わたしには秘密がある。」わたしは更にその事について尋ねました。

お母さんは「何のためにそれが知りたいのだい?何が出来たというのだい?時がたてば分かるようになる。わたしは最後までこの事に対しての責任はとるつもりだからね」 私は,この女とはもう一緒にいれない、彼女を追い出してしまわなければならないとおもったのです。
 
 
 


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