献身した当時は、本当に自分の時間というものがありませんでした。
前線に立って歩んでいた時は、月始めの休みだけが貴重な時間でしたが、洗濯だとか、また、責任者と共にしなければならない時間も多く、ご存知のように全く自分のしたいことを計画することができません。
それでも、せめてファミリーのお父様の御言葉や重要な特集などは消化しなければいけないと思いました。
そこで、このような生活がずっと続くなら、もうまともに御言葉を読み返すことができることはなかろうと思い、自分にとって一番重要であると思われること以外はバッサリ切り捨てることにしました。
二つの基準で選別しました。
ひとつ目は、自分の信仰と人格の向上に関係があると思われる御言葉です。
いわゆる個性完成に関係すると思われる文章を、ある題のついたお父様の御言葉の中から、選び出し、そこだけ切り取って、大学ノートに貼り付けて行きました。
裏表のページに渡る際には、片側のページの文章は手書きで書いて補いました。
コピーをするお金も時間もありませんでした。
ふたつ目は、御言葉の深い理解にの手助けになると思われた文章を切り抜きました。
特に、原理講論のどこに関係する御言葉であるかを意識しました。
その他の部分は全部捨てました。
ある時兄弟がその作業をしている私を見て、どうして大事な御言葉を捨ててしまうのか?と怪訝に言いました。理解できないというのです。
多くの兄弟のように、大切にファミリーを保管しておられたのだと思います。
わたしは、また読む機会などないと思ったほうが良いだろうと思い、読む時間があるとしても限られているなら、自分にとって重要な点に絞って読めれば良いと割り切ることにしていました。
初めのうちは、どれもこれも重要のようで、多くなりがちですが、その候補を何度も削って、最終的に選んだものを少量としてスクラップブックにするのです。
しだいに、選別するコツを覚えて、意識しなくともスイスイできるようになりました。
さて、そのようにしてつくったノートは確かに後で見ることもありましたが、
そんなことよりも、こうして環故郷前までだったでしょうか、実行していたことは、
思わぬ恵みをもたらしました。
つまり、御言葉を一読すれば、おおよそ重要なところがわかるようになっていたということでした。
世の中の政治経済の評論家の方々も、時々、新聞などを読んでいて、大きく扱った一面ではない記事で、しかも小さな見出しの記事の中に重要な事が書かれているものだと言う方がおられます。
こういうのも同じなのではないかと思われます。
若いころ築地の天ぷら屋でバイトをしたことがります。
そこで、築地や銀座で伝説になっている吉田総理のエピソードを聞きました。
総理のために大きな鯛が用意されたそうですが、
吉田総理は、一番美味しいところを二三切れしか箸をつけなかったそうです。
まあ、もったいないという人もいれば、
さすが天下の大物だという人もいました。
今思えば、私の読書も吉田総理の食事のように、一番美味しい御言葉だけ
食べていたのかと思うことがあります。
年取って、若いころわからなかったことが、不思議な形で
わかったようになるものですね。
通常の読書は、心をまっさらにして、そこに書いていることを皆吸収しようとするものですが、そういう仕方とは反対に、最初から読む目的があって、その目的を叶える文章を探していくというようなスタイルになります。
私は、物臭なこのような読書を検索読みと言っています。
お父様には怒られるかもしれませんが、当時はそのような選択しか私にはないように思われました。
訓読の話ですが、天聖経を持っていなかったものですから、
教育部長としてお手伝いのため戻ってきた時に初めて読むことになりました。
青年たちと輪読した時、私はかなり速いスピードで読むので、皆が驚いてにやっと笑いました。
大体、通常の1,5倍速以上でしょうか。
現在も2倍速を目指して、超高速で読んでいます。
兄弟はとてもみ言葉に集中して読めるようですが
わたしは読んでいる最中にも雑念がよく起こってきます。
限界まで高速で読むと、み言葉に集中できます。
また、お父様が話しているような口調で読むようにしています。
実は自然にそのようになり、今も続いています。
以上のように高速で読み、お父様が語られているように読むことで
実にたくさんの恵みを受けることができました。
ボケ防止も一番のようです。
原理講論なども録音して、通勤通学時に3倍速くらいで聞くのも良いでしょう。
自分に負荷を与える、蕩減を与える
そういう生き方がお父様の生き様でしたね。
皆さんは、どのような工夫をされているのでしょうか?
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