原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

限界状況の中で自分の事情に振り回されるか、事情を超越して神の心情をとるか、二つに一つ

統一教会の食口は安物ではありません。聖書を抱えて礼拝に行けば天国へ行き、いくら献金すれば天国へ行くと考える、そのようなつまらない群れではありません。それはつまらない群れです。そのようなひどい群れではありません。信じたなら、ひたすら最後まで信じるのです。どのくらいすごいかといえば、自分が死のうと生きようと、夫がつかんで行けないようにしても離婚も辞さずに信じるというのです。そのようにものすごいのです。
 神様がそれを見て、「おい、お前は離婚して私についてくれば、お前を地獄に送る!」と言われますか。離婚をしてでも、け飛ばしてでも正しい道を行くという時、神様が「お前は離婚することをよく決心したな」と言われるでしょうか。どのように言われるでしょうか。一度答えてみてください。

人間の生と霊魂の世界 第2章 霊界はどのような所か 2)天国と地獄 ⑤ 地獄は神様の愛と関係のない所

 

信仰は常に神とサタンの一線です。

サタンはわたしという人間が何にもっとも固執しているかを、誰よりも知っています。

そして、その確保を保証してあげるから、神とは縁を切れと迫ります。

通常は、地位とか名誉とか財とかですが、

愛する父や母、夫や妻、息子や娘、さらには孫ということもあるでしょう。

その時、いよいよ天下分け目の戦いの時が来たかと、腹をくくって、神様に手を伸ばせば、復活の道があるというものです。

「死なんとするものは生きる」

後生ですから、これだけは勘弁して下さい。見逃してくださいと思えばアウト!

執着を断つこと至難とするものは捨てるに限ります。

躊躇して、神様に心配をお掛けすることだけは避けたいものです。

全てをご存知なのです。

それ以上神様に負担をかけて何の良いことがあり得ましょうか?

至誠を尽くした後は

えいっとばかりに、気合を入れて、

さっさと断ち切ってしまえというのです。

 

人間というものは、不思議なもので

普段はからきしだらしなく、弱虫な心の自分であっても

公的な精神を抱いて、一旦神の霊を受けると、一体全体どうしちまったのかと

我ながら思うほどに変容するものです。

 

余命一ヶ月の命だと医者に宣告されたなら、

この一ヶ月でどんなお土産を風呂敷に包んで天に登り

お父様の前で広げられるか

父子一身の境地を今こそ圧縮して体恤するための機会を

天は下さったのだと、笑って踊って神様と手をとってぐるぐる回って

天を仰ぐのが食口の意地ですな。

 

お父様は、まさかお母様が本気で離婚をする気だとは思いもしなかったでしょう。

お父様に内緒で、実体の神様を省いて、直接無形の神様とお母様が結婚する道などありません。

原理的に不可能なのです。

お母様は金孝南にそそのかされて、禁断の一線を超えてしまわれました。

お父様は、叱責し、悔い改めと方向転換を誓わせて、許され、

蕩減復帰の道を模索されたのでしょう。

 

だが、お母様は、ご自分がお父様より偉大であると勘違いされ続けています。

お父様は、遂に相対者を持つことができず天に旅立たれてしまいました。

これから、どうやってお父様の相対を探したら良いのでしょうか?

お父様ですら、永遠にないと言われているのに・・・

 

お父様との相対基準が合う女性を探すことは

ほとんど不可能な世界です。

だが、神はなんとかしなければと考えておられるに違いないと思うのです。

 

 


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