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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

神主義とは、主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダムの制度、すべてのものがアダム国家の理念制度

本来、人間始祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者となり、アダム王となるのです。それゆえ、この世界はアダム主義で一つに統一されるのです。つまらなくみっともない主義たちは、ほうり出さなければならないのです。くだらない主義が現れて世界を攪乱させているので、私たちはこのような主義を根こそぎ全部引っこ抜いてしまわなければならないのです。
 主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダムの制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義は「神主義」です。神様の心によって神様と一つにならなければならないので「神主義」と言うのです。

頭翼思想とは何かと言えば、完成したアダム主義です。アダムが堕落することによって完成したアダムになれなかったので、アダムを育てあげるためにサタン側の息子、神側の息子を育てていったのです。それで、左右が互いに主人になろうとして闘ったのです。そのような歴史です。頭翼思想は何を中心とした思想でしょうか。原理で見れば、間接主管圏と直接主管圏が統一されていません。アダムが責任分担を果たすことによって間接主管圏、直接主管圏が一つになる思想です。どこで一つになるのでしょうか。十段階を越えてです。 

成約人への道 第3章 国家、世界観 1)人類が追求してきた一つの国家、世界 ① アダム主義、アダム国家、アダム世界

 

今までお母様は、ご自身を中心として

例えば

右大臣のような立場に善進様を置き

左大臣のような立場にヨナ様を立て

天使長のチョン室長は合成体の位置かね。

 

あるいは、

お母様は、ご自身を中心として

 

主体が善進様で対象が誉進様(真の子女)

合成体がヨナ様(祝福子女)

 

お母様を中心とする、すべて女性からなる三位一体ないし、四位基台ということか。

 

お母様は祝福された息子の子女様の言葉より天使長の言葉を信じるということか。

誉進様もお父様の神観を覆す神学を提唱した。

阿呆神学者と同じ道を行かれるということか。

 

とにかく、三位一体にせよ、四位基台にせよ、

もはやめちゃくちゃの様相を家庭連合では現している。

 

2020年までに、7カ国復帰と、お母様は激励しているという。

足もとの家庭的四位基台が、これほど崩壊しているのに

国家がどう形成されるというのか?

全くもって不可思議です。

 

頭翼思想とは何かと言えば、完成したアダム主義です。アダムが堕落することによって完成したアダムになれなかったので、アダムを育てあげるためにサタン側の息子、神側の息子を育てていったのです。それで、左右が互いに主人になろうとして闘ったのです。そのような歴史です。頭翼思想は何を中心とした思想でしょうか。原理で見れば、間接主管圏と直接主管圏が統一されていません。アダムが責任分担を果たすことによって間接主管圏、直接主管圏が一つになる思想です。どこで一つになるのでしょうか。十段階を越えてです。頭翼思想とは何かと言えば、完成したアダム主義です。アダムが堕落することによって完成したアダムになれなかったので、アダムを育てあげるためにサタン側の息子、神側の息子を育てていったのです。それで、左右が互いに主人になろうとして闘ったのです。そのような歴史です。頭翼思想は何を中心とした思想でしょうか。原理で見れば、間接主管圏と直接主管圏が統一されていません。アダムが責任分担を果たすことによって間接主管圏、直接主管圏が一つになる思想です。どこで一つになるのでしょうか。十段階を越えてです。

成約人への道 第3章 国家、世界観 4)民主世界と共産世界の未来 ② 宗教と哲学を収拾する頭翼思想

 

全人類の中で唯一のお父様の心情の相対であられる、信俊様まで、

お父様、亨進様、信俊様の三大王権を否定しては

どこにも四位基台はありません。

宋総会長の家庭的四位基台でしますか?

徳野会長の家庭的四位基台でしますか?

お父様を裏切った極悪人であることをどうして免れることができるでしょうか?

 

姿をくらます天狗になることなかれ!

事実を知り判断をしたら、即実行です。

如何なる環境にあり、同情すべき事情に立ったとしても

そこで、神をとることができなければ、

すべては能書きを垂れたに過ぎなくなってしまいます。

それは誰かに指摘されるまでもなく、

神と我の信仰関係、信仰問題です。

そのようにして、多くの復帰摂理上の人物は

見物人となり、評論家となり、道を分けて行ったのです。

それは責任を持たない天使長だったからです。

 

だから、わたし自身も肝に銘じなければならないというのです。

 


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