原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

家庭連合の「文亨進様は、真の父母様から「王権」を継承されていない」の誤りをお父様の御言葉で斬る

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万王の王である神様がどうなれば解放されることなのかを、我々は抑えておかないとなりません。

神様が安息し安着されるのは、家庭的四位基台が完成しなければなりません。

しかも王の基準、王権の基準が必要であり、一代ではだめなのです。

王権を伝授できてこそ天国が始まるからなのです。

「天宙天地人父母様安息圏安着圏即位式」とは、どのみ言葉に準拠されて

実際行動として行われたのかという、理論と実践から理解しようとする試みは有意義であると思われます。

 

 このあたりのことをお父様が詳しくお話されているのが、四大心情と三大王権です。

ですから、その御言葉を振り返ってから、この戴冠式の意義とは何かを求めていきことが正道であると考えます。

以下のサイトにありましたので引用いたしました。

長くなるので四大心情圏は省き、三大王権の説明をされているところから、関連すると思われる文章を選んでみました。

このお父様の御言葉をよく読まれて、家庭連合の批判を読めば、如何に彼らが観念的に式典を理解しているかが分かります。

 

http://furuta65.fc2web.com/001/houkansyuu_jyosei/005.html

 

三大王権から縦的天国と横的天国が生まれる

 

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 四大心情圏は、もう分かりましたね。次に、三大王権です。これは簡単なものです。これが、(先生が黒板の図―2の周りを何度も円で囲まれる)こうなれば球体になるのです。これが楕円形になったのだから、球体です。こう見た場合には、(先生が黒板に図―4を書かれながら説明される)神様、アダム・エバは、過去の創造主、現在の創造主、未来の創造主と、こうなるべきです。この縦的な結合を平面的に回すというと、(二五二ページの図―5を参照)こちらが神様の立場で、こちらが現在、こちらが未来です。なぜこうなるかというと、平面的に過去、現在、未来がやって来るからです。そう見た場合には、ここが神様の立場、これはアダムの立場、これは子女の立場です。分かりますか? これは縦的な立場で、これはアダム・エバを中心とした横的立場です。

 こう見た場合に、これが一つの家族に、おじいさんがいるし、これは父母です。アダム・エバには(真の)子供はいなかったのです。分かりますか? アダム・エバの子供はいなかったのです。だからアダム・エバは、創造主の体恤した喜びを相続できませんでした。子供がいなければ大変です。それでアダム・エバが子供を持ったような立場で話をするのだけど、本当は子供がいないのです。そうなるというと、これは神様です。現在、未来になるのですが、未来がなかったのです。分かりますか? 神様は、おじいさんを象徴します。一番年寄りのおじいさんは誰ですか? (神様です)。

 だからおじいさんの根っこというか、穂先というか、それがつながっているのです。自分の家庭に、天国の代表、神様の代わりとして送られてきたのが、おじいさんです。これが堕落しなかったとするならば、アダム家庭が王様になったとするならば、おじいさんは王様です。そうでしょう? アダムは現代の王様、子女は未来の王様です。そういうふうになるのです。

 

この御言葉に照らし合わせると、お父様が現代の王様で亨進様は未来の王様

ということになります。

平面的に過去・現在・未来がやってくるのです。

過去は神様の立場、現在はお父様の立場、未来は亨進様の立場ということです。

 


 だから王権を中心として見れば、過去の王権は神様なのです。アダムが現代の王権を中心として、これが一つになって、そこから移動していくのです。神様につくられたのですが、天国に子供として生めるのは二番目なのです。そうなって結局、王子たちを連れて天国に入るのです。実体世界で子供を生んで、永遠なる不滅の理想世界に移動していこうというのです。その神様の本然の世界がいかに素晴らしいか考えてみてください。全知全能の神様として、そこにすべてを備えているのです。

 霊界に行けば、そこは時空を超越しているのです。時間と空間を超越しているから、何千年の前の歴史が今なのです。何の話か分かりますか? 時間を超越しているから、何千年の歴史も今なのです。だから空間の無限の星の世界もみんな現在なのです。遠くないのです。分かりますか? 自分の感覚圏内にすべてが収まるのです。

 

神様 : 過去の王権

お父様 : 現在の王権

亨進様 : 未来の王権

 

この三大王権、これが一つになって、そこから移動していくのです
王子たちを連れて天国に入るのです。

 

真の父母様の勝利は四位基台の勝利であり、四大心情圏と三大王権の勝利によって

完結し、これが雛形になって万民が同じ道を行くのです。

過去との父母一代が切り離されていくのではありません。

家庭連合はお父様が三大王権を勝利せずに聖和されたと考えるのでしょうか?

そうではないでしょう。

四大心情も三大王権も勝利されたことにはどういするのではないでしょうか?

 

それとも、お父様は生前中に

勝利できなかったがため、お父様と一体化しているお母様が延長して勝利するというのでしょうか?

もし、そうであるなら、やはり真の父母様は三次目の御聖婚には勝利できなかったということにはならないでしょうか?



 おじいさんは神様です。だから神様を象徴します。そしてアダム・エバは現代です。これをずーっと直系につなぐのです。これは縦的直系と横的直系としてつなぐのです。ここから縦的天国、横的天国が生まれてきます。分かりましたか? (はい)。横的にしたのは(先生が図―4の中央の横の線を示されながら)地上天国になり、これは(先生が図―4の中央の縦の線を示しながら)天上天国になるという意味です。横的に回してやれば、神様がこうなって、こうなるのだから、(先生が図―4の中央で十字を示される)これは永遠に続くのです。そうして、三代が一つのカテゴリーです。これは切り離すことができません。分かりましたか? (はい)。

 おばあさんたちも、三人が一つにならなければならないのです。おばあさんのおばあさん、そのおばあさんです。それから娘とか、嫁とか、三代が一つです。(先生が図―5を示されながら)切ることはできません。これは、直線を引くというと、一つ、二つではないのです。必ず水平線になるのです。垂直には水平線があるから三点です。一点、二点、三点。水平に引いても、一点、二点、三点です。それを切ったら、みんなめちゃくちゃになってしまうのです。分かりましたか? (はい)。

このように、

三代が一つのカテゴリーです。これは切り離すことができません。分かりましたか?

そのようにお父様は語られました。

 


天国に通じる道

 三代を中心としてなぜ組むのかという問題になった場合には、これ一つでも切ってしまったら成立しません。だからこれを切って合わせることによって、それは構成されて完全なものになるのです。ですから、こう見た場合に、一、二、三(横的に)。一、二、三(縦的に)です。兄弟を中心に一、二、三とみんな三点でつなぐのです。蘇生、長成、完成と同じです。ですから一族において重要なのは、おばあさん、お母さん、奥さんです。この三代です。三代の子供が未来の奥さんになるのです。この三代が一つにならなければなりません。そこで一番重要なのが、おばあさんではなく、お母さんなのです。だから、その家ではお母さんを中心としながら、(自分の)奥さんが一つになっておじいさんを神様のように侍る伝統を立てなければならないのです。だからおじいさんの命令には絶対に服従しなければなりません。なぜかというと神様の代わりだからです。

 それを木に例えれば、年寄りが一番大きな木です。次がお母さん、自分の奥さんは三番目です。木は年がたてば、年輪が多くなるのです。太くなるのです。だから山では太く大きい木が主人です。分かりますか? これは、三つを切ることができないのです。三代が一つの家庭に住まなければならないという原則になるのです。東洋の家族はそういうような形式になっているのだけれど、西洋の家庭は縦がないのです。西洋文明というものは縦がないのです。これは外的、物質文明です。心的文明、精神的文明ではなくて体的です。横的は体を象徴します。

 こう見た場合に、統一教会では、おじいさんを神様のように侍った場合には、そのまま天国に通じます。そういうふうに侍って生涯を過ごした者は、霊界のどこに行っても邪魔なしに入れるのです。分かりますか? この基準が三代王権になっているから、王様みたいに侍れば、無事通過です。それから、自分のお父さんお母さんは、過去の王様を代表としているのです。アダム・エバは、現代の五十二億すべての家庭を代表した家庭です。だから現代のすべての家庭の中の王様、女王様が自分の両親です。代表しているという場合には、それは全体の中心になるのです。誰でも全体の中心、全体の最高の者になりたいと思うのです。ただし、それは代表した立場をいうので、代表するには全体においてあがめられ、尊敬されるような立場に立たないというと、全体を代表することはできません。

 オリンピックのチャンピオンなんかもそうです。マラソンで日本と韓国の選手が競争して、日本は負けましたが、それは国全体を代表していたのです。全体が一つです。そういう関係を持った者が代表です。それを、普通の人は、自分がそういうことをしないで、ただ代表を願うのですが、そうはいきません。そういうふうに、投入して投入して、頂上の山を自分がつくらなければいけないのです。その頂上に自分が立った場合には大変なことです。そのような基台をつくらなければならないのです。基台をつくらないでただ代表を願うのは泥棒です。分かりましたか? (はい)。だから、自分の家庭のお父さんお母さんは何かというと、王様と女王様です。全世界を代表した家庭の王様と女王様です。

 では、お父さんお母さんにどういうふうに侍るのかというと、全世界の家庭を代表した王様、女王様のようにです。それは本当です。地上天国の王様なのです。そうでしょう? 地上天国の中心の家庭だから、王様の家庭なのです。分かりますか? (はい)。おじいさんは天国の王様、それから自分の父母は地上天国の王様です。それは、みんな君たちもそういうようになりたいと、良心が願うのです。そのような代表的な立場であることを忘れたら駄目です。そういうふうに、地上に住んだ場合には霊界に行っても、その基準は平面的に同じ価値基準にみんなが、なるのです。同じ天国です。分かりましたか?

 これは地上天国、これは天上天国です(先生が図―4を示し説明される)。これは未来の天国です。未来は、天上天国と地上天国が合わさって、希望を持つのです。合わさった二つの国を相続して、未来の立場に立つというようになっているのです。だから神様にも自分の現実の父母のように侍らなければならないのです。神様は、永遠の国の王様の立場に立っているから、もっと尊重しながら侍らなければならないのです。そして、自分の親も神様と平等な立場で侍らなければならないのです。分かりますか? そういうように侍らなかった場合には、地上、天上両天国を相続することはできません。

 これは、アダムです。アダムは(真の)子供がいなかったのです。アダム・エバに子供があった場合は、こういうふうに天上天国と地上天国の二つの天国を相続するのです。そうでしょう? だから子供が一人であっても、その子供はお母さんの愛の結実体でもあり、お父さんの愛の結実体でもあり、二人の愛の結実体です。それと同じです。おじいさんと子供がそういう相対関係になった場合には、そういう二つの天国のすべてを相続して生まれた子供と同じだから、二重の価値を抱えているのです。分かりましたか?(はい)。

 だから、王権の生活をして、三大王権の心情を相続しなければならないのですから、必ず神様を霊的代表として、おじいさんを天の王様みたいに、自分の親は地上の王様みたいに侍ることによって、一体になっていけば、その王族は自動的に子孫に伝来していくのです。これが伝来すれば、それが循環運動でもって、こういう線が円形になって大きくなっていくのです。分かりますか? 点は同じです。一家庭から氏族、民族、国家に拡大していくのです。循環運動をするのです。こういうふうにして、王権が世界に拡張することによって統一の世界が成されるのです。それは、この三大王権の伝統的家庭の標本を拡大したものであって、標本の元というものは、本然の中心家庭であったというのです。これは拡張した内容です。

 だから、こうすることによって三大王権ができるのです。三大王権は、決して四大心情圏を除いてはできません。分かりましたか? (はい)。夫婦生活も同じです。おじいさんも夫婦生活、お父さんも夫婦生活、自分も夫婦生活、未来の後孫も夫婦生活、四大心情圏の上にこのような連体関係をもってなすのです。今まで夫婦生活は連体関係を持っていません。関係を持ったとしても、中心とか、上とか、下の関係を持っているだけです。一組の夫婦でよかったのですが、これから関係を組んで完成することによって、天上、地上、いずこにおいても自由の王権の権限をもって、生きることができるのです。分かりましたか? (はい)。将来は王権になるのです。民主主義は兄弟時代だから、ぶっかけ合うのです。

 さあ、これで四大心情と三大王権を終わりました。だから、夫婦生活は夫婦二人ではないのですね。分かりましたか? (はい)。それは、王権を相続する基盤なのです。それを果たせなかったら、王権も何もないのです。天国へ入るには、王権を相続して入るのです。

 

では、以上のみ言葉の重要なところを列挙してみましょう。

四大心情圏と三大王権のみ言葉が実際に成就したのを祝う日が

「天宙天地人父母様安息圏安着圏即位式」(万王の王神様解放圏戴冠式

であったことがはっきり分かります。

王子が絶対必要なのです。

 

 

「三代を中心としてなぜ組むのかという問題になった場合には、これ一つでも切ってしまったら成立しません。」

 

「三つを切ることができないのです。三代が一つの家庭に住まなければならないという原則になるのです。」

 

「そういうふうに、地上に住んだ場合には霊界に行っても、その基準は平面的に同じ価値基準にみんなが、なるのです。同じ天国です。分かりましたか?」

 

 

「これは地上天国、これは天上天国です(先生が図―4を示し説明される)。これは未来の天国です。未来は、天上天国と地上天国が合わさって、希望を持つのです。合わさった二つの国を相続して、未来の立場に立つというようになっているのです。」

 

「アダムです。アダムは(真の)子供がいなかったのです。アダム・エバに子供があった場合は、こういうふうに天上天国と地上天国の二つの天国を相続するのです。」

 

「王権の生活をして、三大王権の心情を相続しなければならないのですから、必ず神様を霊的代表として、おじいさんを天の王様みたいに、自分の親は地上の王様みたいに侍ることによって、一体になっていけば、その王族は自動的に子孫に伝来していくのです。」

 

「夫婦生活も同じです。おじいさんも夫婦生活、お父さんも夫婦生活、自分も夫婦生活、未来の後孫も夫婦生活、四大心情圏の上にこのような連体関係をもってなすのです。今まで夫婦生活は連体関係を持っていません」

 

「これから関係を組んで完成することによって、天上、地上、いずこにおいても自由の王権の権限をもって、生きることができるのです。分かりましたか?」 

 

「天国へ入るには、王権を相続して入るのです。」

 

もはや、お父様の御言葉を読んだ上で、家庭連合の批判文を読めば、如何に彼らが「四大心情圏や三大王権」の理解が脆弱であり、詭弁に満ちたものであるかが分かります。

お父様の御言葉で充分ですが、いくらか青い文字の文章でコメントを途中に加えてみます。

ここから下は家庭連合のサンクチュアリ批判の文章です。

 

 

文亨進様は、真の父母様から「王権」を継承されていない | 真の父母様宣布文サイト

(1)「万王の王神様解放圏戴冠式」は、亨進様の王権継承の儀式ではない

 
 サンクチュアリ教会側の人々の主張によれば、「文亨進様家庭は、真の父母様の『王権』を継承されたのだ」としています。
万王の王神様解放圏戴冠式 特に、サンクチュアリ教会側が「王権の継承」の根拠としているのが、2009年1月15日に韓国で、さらに同年1月31日に韓国と米国の2カ所、計3度にわたって行われた「万王の王神様解放圏戴冠式」であり、そのときに“王権が継承された”と主張しています。しかしながら、この式典はその名称が示すとおり神様と真の父母様が一心、一体、一念、一核となって「万王の王」として戴冠された式典だったのであって、亨進様が「王権」を継承した式典ではありませんでした。
 亨進様が真の父母様から「王権」を継承して“王様”になったという話は、今までに聞いたことがありませんし、その事実もありません。

三大王権は「王子たちを連れて天国に行くのです」

 この式典は神様と完全一体となられた真の父母様が、神様を王様として戴冠して差し上げた式典です。そして、王権を確立された真の父母様を中心とする「真の家庭」の四位基台の立場において、亨進様が一緒になってその恩恵に与り、真の子女の立場でその場に同参したのに過ぎません。この式典は、あくまでも万王の王としての神様の“解放圏戴冠式”だったのであり、その主役は神様と真の父母様です。決して「王様」の立場が、子女様の代に委譲、継承されたということではありません。

四位基台の完成にただその式典に同参したにすぎないということがありえるでしょうか?

あるいは四位基台を抜きにして、真の父母だけ勝利したというのであれば、

子どもを持たない夫婦の一体化でしかありません。

極めて静かで自動的なイメージです。

それが本当にこの日の勝利なのでしょうか?

信じられないことです。

「三代が一つのカテゴリーです。これは切り離すことができません。分かりましたか?」

「アダムです。アダムは(真の)子供がいなかったのです。アダム・エバに子供があった場合は、こういうふうに天上天国と地上天国の二つの天国を相続するのですそうでしょう?」 

「この三大王権、これが一つになって、そこから移動していくのです
王子たちを連れて天国に入るのです。」

王子というのは、後継者の名称です。

また、王子だけでなくお孫様も同参して、三大祝福の成就を祝うのです。

 そのときの式典の「式次第」や「司会者の言葉」、および真のお父様ご自身の「御言」を調べると、一言たりとも、「亨進様に“王権”を継承します」という内容は語られていません。このときの式典で語られる司会者の言葉、「式次第」および御言の内容のすべては、事前に真のお父様が一言一句すべてをチェックされ、司会者に対しても「そのごとく語るように」と厳しくご指導しておられたのです。
 この「万王の王神様解放圏戴冠式」の式典で、真のお父様は、次のように御言を語っておられます。

 「貴賓の皆様! きょう、皆様は、真に貴い天福を受けられました。万王の王が経綸する摂理的歴史の出征式に参加していらっしゃいます。歴史的な大転換期の渦を直接目撃していらっしゃいます。縦的万王の王であられる神様の実体として万有を統治する横的万王の王、真の父母様の戴冠式に招待されました。これ以上に貴く、歴史的な瞬間が、またいつ訪れるでしょうか」(「ファミリー」2009年3月号、7ページ)

 

縦的万王の王であられる神様の実体として万有を統治する横的万王の王、真の父母様の戴冠式に招待されました。」

という言葉に対応する三大王権のみ言葉は何だったでしょうか?

上記の図を見てからお読みください。

次に、三大王権です。これは簡単なものです。これが、(先生が黒板の図―2の周りを何度も円で囲まれる)こうなれば球体になるのです。これが楕円形になったのだから、球体です。こう見た場合には、(先生が黒板に図―4を書かれながら説明される)神様、アダム・エバは、過去の創造主、現在の創造主、未来の創造主と、こうなるべきです。この縦的な結合を平面的に回すというと、(二五二ページの図―5を参照)こちらが神様の立場で、こちらが現在、こちらが未来です。なぜこうなるかというと、平面的に過去、現在、未来がやって来るからです。そう見た場合には、ここが神様の立場、これはアダムの立場、これは子女の立場です。分かりますか? これは縦的な立場で、これはアダム・エバを中心とした横的立場です。

 縦的な神の立場

横的なアダムの立場

子女の立場

 

 真のお父様は、万王の王神様解放圏戴冠式が「縦的万王の王であられる神様の実体として万有を統治する横的万王の王、真の父母様の戴冠式」であると明確に語っておられます。この式典は、「神様」およびその実体の立場に立っておられる「真の父母様」の戴冠式だったことを知らなければなりません。
 このように、真のお父様ご自身が式典の意義について明確に語っておられるにもかかわらず、この式典に対して、それを真の子女様が“王権を継承”した式典であったと述べることは、事実をねじ曲げることであり、完全な誤りです。
 事実、写真を見れば分かるように、亨進様ご夫妻が式典で被った冠は、せいぜいプリンス王子)が被る「コロネット」、プリンセス王女)が被る「ティアラ」程度のものだったのであり、万王の王としての「王様」が被る冠とは言いがたいものです。

あたりまえです。

この日の主役は過去の王の神様であり、現在の王のご父母様ですから。

冠にも格位が表れて当然です。

そして、おっしゃる通り、コルネットとティアラを被っている方は

王様と王女様の後継者であるプリンス(王子)とプリンセス(王女)

でしかないのです。

王様の退位と共に、今度は王子が王位に就くのです。

現在の王は亨進様以外にはありません。

そうでないなら、何時何処で三大王権は確立あるいは勝利されたか示すことができなければなりません。

お父様が出来なかったといえば、天国への道が塞がれてしまいます。

お父様が道半ばで倒れ、延長されているのがお母様だというのも、

お父様のみ言葉によってアダム三代が中心ですから

み言葉に反します。

 ところで、式典の途中、真のお父様が「祝祷」された部分こそが“王権の継承”であったと主張する人もいます。しかし、それも誤りです。それが誤りであるのは、その式典の司会者の言葉を含め、前後の一連の内容を吟味することによって、より明白になります。「祝祷」前後の内容は次のようになっています。(以下、式典映像のディクテーション)

この式典は確かに「直接的」には、“王権の継承”式ではないかもしれません。

だが、王位継承も統一的に含まれるのです。

家庭的四位基台を一代で完成させたり、勝利させることはできません。

三代が一つになって初めて勝利できるからです。至極当たり前のことです。

おじいさん、おばあさんが過去の時代なら、お母さん、お父さんは現在の時代です。 息子、娘とは何でしょうか。未来の永遠な神様の理想世界、天国と一体化され得る、天宙統一を完成させ得る後孫として、我々の家庭の出発存在として抱いているのが息子、娘です。 ですから、過去の世界の代表者、現在世界人類の家庭の代表者、未来の後孫を代表する代表者を抱いて、一つの所に圧縮させておいたのが家庭です。 それで、堕落しなかった家庭はそのような立場に立っているために、霊界と肉界にみな通じることができます。地上世界が、父子の関係の愛を貴く考えるのと同様に、その愛をもって生きたなら、天上世界も神様を父母として侍り、息子、娘のような立場で暮らすことになります。 地上生活と霊界 第3章

【司会者の言葉】

神様の実体として立ち、万王の王戴冠式をなされるために、(真の父母様が)今入場していらっしゃいます。そのあとには、真の子女を代表して世界平和統一家庭連合、文亨進世界会長ご夫妻が入場していらっしゃいます。そして、そのあとに10名のお孫様が続き、3代圏が一つになって入場していらっしゃいます。人類歴史に新しい始まりを告げる驚くべきこの時において、万王の王神様解放圏戴冠式のために入場していらっしゃいます。

(真の父母様)ご夫妻が天のお父様に心からの礼を表していらっしゃいます。熱い歓声と拍手で歓迎いたしましょう。
〔真の父母様が神様に礼を捧げる〕ご夫妻が天のお父様に心からの礼を表していらっしゃいます。
〔真の父母様が玉座に座られた後、亨進様夫妻がその前にひざまずいて敬礼を捧げる〕文亨進世界会長ご夫妻が天のお父様と天地人真の父母様に敬礼をお捧げしています。
〔真の父母様が『平和神經』を下賜〕
平和の王天地人真の父母様が、全人類を代表する文亨進世界会長ご夫妻に『平和神經』を下賜されます。続けて祝祷をしてくださいます。

【真の父母様の祝祷】
「天宙天地父母様安息圏安着即位式において、真の父母様の祝福を伝授いたします。アーヂュ」

 即位式において」「真の父母の祝福を伝授」いたします。

「祝福いたします」ではなく「伝授」を入れていることが重要です。

単に真の父母が亨進様を祝福したのではなく、「真の父母の祝福を伝授」したのです。

「平和神経」を伝授して「祝福」したのではないことは明らかです。

イサクがヤコブを祝福した、あの「祝福」です。

ですから、仁進様も亨進様をお父様が選んだと言われているのです。

 

【司会者の言葉】

次は御宝と指揮棒を(真の父母様に)奉呈する時間となります。
〔真の父母様に指揮棒を奉呈〕私たちを代表して天総官文興進様家庭の長男、文信哲様が指揮棒を真の父母様に奉呈しています。(ディクテーション終わり)

 以上、一連の式典の流れを見ると分かるように、真の父母様が全人類に『平和神經』を下賜されるときに、その全人類を代表する立場で亨進様ご夫妻が『平和神經』を受け取られ、「祝祷」を受けておられるのです。これは、あくまでも人類に対して真の父母様が『平和神經』を伝授されるときの、そのための「祝祷」なのであり、決して亨進様ご夫妻が「王権」を継承して王様になったわけではありません。
 事実、祝祷の言葉も「祝福を伝授いたします」というものであり、決して「王権を伝授します」「あなたが王様になります」といった内容ではありませんでした。

 

王子が王の死後王様になれないなら、誰が王になれるというのでしょうか?

人類歴史に新しい始まりを告げる驚くべきこの時において、万王の王神様解放圏戴冠式・・・」

それほど重要なときに人類に下さった「平和神経」は重要な文章を削除し、霊界の証も削除して、名前も勝手に変更しました。「平和経」です。神様の文字を削除したことが、今日のお母様の神不在を象徴していると言えましょう。

お父様が指定した、誰も手をかけてはならないはずの八大教材に、お母様と家庭連合は手をかけました。

そのような真の父の心情を蹂躙する偽りの母には、従うことが出来ず、従うべきでもなく、注意すべきでしょう。

お母様がお父様を否定したので、そのような、お父様と離婚するような行為をし続けるお母様に従ってはいけないのです。

 ちなみに、「天一国」の名称を正式に言えば「天宙平和統一国」ですが、これは霊界と地上界を併せた「天宙」の平和統一国であり、その王国の中心は永遠に「万王の王」であられる神様と真の父母様です。真のお父様と真のお母様が霊界に行かれた後も、その天一国の中心は永遠に神様と真の父母様であり、その点については、かつて亨進様ご自身も、「真の父母様は永遠に一組です。子女は子女であって、真の父母になることはできない」と語っておられました。
 また、この「万王の王神様解放圏戴冠式」が挙行された同年の2009年11月14日に、文亨進様は、真のお父様から「このメッセージをみんなの前に語りなさい」と命じられ、次のように語っておられます。

 「私(亨進)が、真の父母様を否定したり、真の父母様に従わなければ、統一教会人たちは、私に従ってはいけません」

 真の父母様と言うとき、それは真のお父様だけでなく、当然、そこに真のお母様が含まれています。したがって、今現在、真のお母様を否定し従おうとされない亨進様に「統一教会人たちは従ってはいけない」というのが、真のお父様の御意です。
 「万王の王神様解放圏戴冠式」が挙行された年、真のお父様が亨進様に対し「このように語りなさい」と命じられた事実を考えると、亨進様が現在のようになられる可能性があることを、そのとき真のお父様は予見しておられたのではないかと思われます。
 

(2)「亨進様は王権を相続したのであるから、その新しい王に従わないと地獄へゆくことになる」という言説の誤り

 
 前項で述べたとおり、文亨進様ご夫妻は、真の父母様から「王権」を継承された事実はありません。したがって、亨進様は「新しい王」になったわけではありません。
 ところが、サンクチュアリ教会側の人は、「亨進様は王権を相続したのであるから、その新しい王に従わないと地獄へゆくことになる」などと語り、教会員たちを畏怖困惑させています。
 天一国の永遠の中心は、神様と真の父母様です。また、その中心は、万人を導いて救われることに目的を持っておられるかたであり、人々を裁き、地獄に落とすことが目的のかたではありません。したがって、新しい王に従わないと「地獄に落ちる」と畏怖困惑させるのはとんでもないことであり、70億の全人類のことを考えながら“万人救済”を目指しておられる真の父母様の精神に反するものです。

 

(画像引用:https://www.youtube.com/watch?v=dLXx07NzavQより)サンクチュアリ教会側が「第二代王権戴冠式」と称している儀式(2015年8月30日)

(画像引用:https://www.youtube.com/watch?v=dLXx07NzavQより)サンクチュアリ教会側が「第二代王権戴冠式」と称している儀式(2015年8月30日)(画像引用:https://www.youtube.com/watch?v=dLXx07NzavQより)
サンクチュアリ教会側が「第二代王権戴冠式
と称している儀式(2015年8月30日)

 ところで、サンクチュアリ教会側の人で、「亨進様夫妻に、王権を國進様が伝授したのだ」と主張している人がいます(右2枚の写真を参照)。果たして、國進様が亨進様に対して「王権を伝授する」ということが、原理的にあり得るのでしょうか?
 『原理講論』に明記されているように、復帰摂理におけるカインとアベルは、あくまでもアダムを善悪に分立した立場であり、アベルは“アダムの代身者”に過ぎません。それゆえ、『原理講論』には、「彼ら(カインとアベル)が『堕落性を脱ぐための蕩減条件』を立ててサタンを分立したならば、その父母であるアダムはサタンを分立した立場に立つことができるので、その子女たち(カイン・アベルよりも先に『実体基台』の上に立つようにな(る)」(300ページ)と説明されています。
 この復帰摂理におけるカインとアベルは、蕩減復帰のためのアダムの代身として立っている立場です。アダムの代身として立ったそのアベルを中心として、カインが屈伏し一体化してこそ蕩減条件となり得るものです。したがって、父母の代身として立ってもいないアベルとカインがどんなに一つになっても、それは摂理的に意味がありません。

 

 

サンクチュアリ教会側の人で、「亨進様夫妻に、王権を國進様が伝授したのだ」と主張している人がいます」

 

事実確認をしていませんが、これは表現が適切ではないでしょう。

 

サンクチュアリは基本的には家庭連合の個人の見解を公式に取り上げて批判はしません。家庭連合の公式見解について意見を述べます。

普遍性と個別性、一般性とと特殊性の区別をするからです。

私自身も公式見解しか関心がありません。

あまり品のいい批判には思えません。

 「万王の王神様解放圏戴冠式」が、亨進様夫妻に、お父様が伝授された王権だったことに対して、この戴冠式は、国進様がカインとして同意し祝福する心情が、王冠の奉献という形になって表現された式典」です。

前者が神と真の父母の祝福であるのに対して、兄であるカインの祝福であったということです。

従って以下の疑問に答える必要はないでしょう。

 今や、人間始祖の立場である「真の父母」が立った時代圏において、真の父母様は、復帰摂理を勝利され、創造本然の世界の“定点”に立っておられるかたです。
 真のお父様は、「真の父母」が現れるときが、歴史上の“定点”をなすときであるとして、次のように語っておられます。

 「人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり……摂理の願いです。ですから、そのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです」(八大教材・教本『天聖經』2003ページ)

 このように、歴史上でたった一度しかない真の父母様が現れる時こそが“定点”をなす時であり、永遠の歴史の中心であることを、私たちは忘れてはいけません。
 したがって、真の父母様が立たれた状況下においては、真の子女様におけるカイン・アベルとは、復帰していく立場なのではなく、どこまでも真の父母様の勝利圏を「相続」していく立場にあるのです。それゆえに、「王権の伝授」とは、どこまでも神様と真の父母様から与えられなければならないものです。
 事実、復帰摂理におけるカインとアベルの一体化は、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」とはなり得ても、「王権の伝授」とはなり得ません。それは、せいぜいが「長子権」復帰に過ぎません。そしてまた、カイン・アベルの真の一体化のためには、真のお父様のみ言によれば、そこに「母子協助」が必要不可欠なのです。今や、父母様と一体化できず、母子協助することすらできない立場におられる子女様です。どのようにして「母子協助」があったと言うのでしょうか?

 ちなみに、真のお父様は2008年4月6日の第49回「真の父母の日」(ハワイの式典)の御言で、子女様たちをお父様の前に立たせ、次のように語っておられます。

 「あなたたちカインとアベルお母様の言葉に絶対服従しなければなりません。……あなたたち兄弟同士で争って分かれることはできません。それが父母を殺した元凶です」(『ファミリー』2008年6月号、30ページ)

 真のお父様は、ここで「お母様の言葉に絶対服従しなければなりません」と語っておられますが、この御言に従って、今、真のお母様の言葉に絶対服従しておられる子女様はだれなのでしょうか?
 また、たとえ子女同士で一つになったとしても、真のお母様と一つにならなければ意味がありません。そして、前述したとおり、「王権の伝授」とは、どこまでも万王の王であられる神様と真の父母様によって伝授がなされるのであって、子女同士のやり取りによって「王権の伝授」が成されるというのではありません。

 ところで、「王権」を相続すると言われますが、真の父母様の歩まれた道は、縦横の八段階を経ながら、まず「長子権」を立てられ、その次に「父母権」を立てられ、その基台の上で「王権」を勝利して行かれました。その道と同様に、亨進様が「王権」の位置に立つためには、その前に「長子権」、「父母権」を立てていかなければなりません。では、それらの内容をどのように復帰して立てて行かれたと言われるのでしょうか?
 今現在、亨進様や國進様がされておられることは、真の父母様の御言から掛け離れたものであり、原理的ではありません。

(3)真のお父様の御言によれば、真のお母様も「神様の立場」に立っておられる

 
 サンクチュアリ教会側の人は、「お母様は、既に堕落したのであるから、お母様についている信徒は、間違いなく、地獄へと審判される」と主張しています。
 いったい何をもって「お母様は、既に堕落した」と言われるのでしょうか? 『原理講論』で述べられている堕落とは、「不倫なる性関係」によってもたらされました。そのような事実は、真のお母様にはありません。
 ところで、真のお父様は、真のお母様が「還暦」を迎えられた2003年2月6日(陽暦)に、2度目の聖婚式をされましたが、その聖婚式について、次のように語られました。

 「神様とアダムとエバは、(人間始祖が堕落したため)『家庭王即位式』をすることができませんでした。分かりますか? (しかし今や)その『家庭王即位式』をしたので、神様が、本来の真の父母を中心として、婚姻申告をすることができる時を迎えたということです。分かりますか? (「はい。」)文総裁を中心として、(神様は)婚姻申告をしました。今、霊界に行けば……。今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁ご夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか? このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかります」(「ファミリー」2003年5月号、27ページ)

 また、真のお父様は、平和メッセージで、次のように語っておられます。

 「アダムとエバが、心の中に神様をお迎えして、一体となって完成した基台の上で、結婚して子女を生んで家庭を築いたならば、アダムとエバは外的であり横的な実体の真の父母になり、神様は内的であり縦的な実体の真の父母になったことでしょう。……神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としておられ、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体を使って真の父母の姿で顕現されるようになるのです」(『平和神經』54~55ページ)
 「アダムとエバが神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様と完全一体を成していたならば、神様が彼らの中に臨在なさることのできる因縁が決定していたことでしょう。……完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです」(同、170ページ)

 これらの平和メッセージにあるように、完成したアダムと完成したエバの結婚式は「神様の結婚式」であり、霊界においては、神様はそのアダムとエバ(真の父母)の姿をもって顕現すると語っておられます。
 前述した2003年2月6日の2度目の結婚式について語られた真のお父様の「神様の婚姻申告」の御言にあるように、真のお父様は、「今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁ご夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなる」と明言しておられます。
 すなわち、真のお父様は、真のお父様と真のお母様がそれぞれ完成したアダム、完成したエバであると語っておられるのです。
 この御言で明確なように、今や神様は、真のお父様のお姿を通してだけでなく、真のお母様のお姿をもっても現れるということを明言しておられます。これが、真のお父様が語っておられる、真のお母様の立場なのです。

 『原理講論』に、「愛の力は原理の力よりも強いので、アダムとエバが完成し、神を中心として夫婦となることにより、その絶対的な愛の力によって、神の直接的な主管を受けるようになれば、いかなるものも、またいかなる力もこの絶対的な夫婦の愛を断ちきることができないから、彼らは決して堕落するはずはなかった」(114ページ)とあります。
 完成したアダムと、完成したエバは、決して堕落するはずはないという『原理講論』の内容と照らし合わせてみると、真のお父様と真のお母様は、堕落することはあり得ないと言えるのです。

 ところで、サンクチュアリ教会側では、「お母様についている信徒は、間違いなく、地獄へ審判される」と言われますが、再臨のメシヤが地上に来られた目的は、神様の仲保者となり、堕落人間を神様に連結して救うことが目的であって、決して審判することが第一義的な目的ではなかったはずです。にもかかわらず、「地獄に審判される」と言われることに対して、真のお父様の思想との食い違いを感じます。
 真のお父様は、常に弟子たちの不足を執り成してくださり、そのために蕩減条件まで立てられて、弟子たちや人類の救いの道を開拓して来られたのではなかったでしょうか? このようなサンクチュアリ教会側の“信者を脅して自分たちの側に取り込もうとする姿勢”は真のお父様の精神と異なっており、その畏怖困惑させる言葉に、私たちは心を痛めざるを得ません。

 何度でも見てください。

お母様が勝手なことをしているのに、どうして従うことが出来ますか?

お父様の御意に従わないお母様に従えば、天国に行けないのは明らかです。

天国とは父がいるところです。

父を否定する人は住むことができません。

天の父や真の父のいないところは、地獄と言うことができます。

天の父や真の父と住まない人は、悪霊人と言うことができます。

 お父様の妻の位置にもいない人が、どうして「神の立場」に立つ事ができるでしょうか?

 

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