原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

ダビデは裸で踊り、批判した妻ミカルは神の祝福を逃した、お母様と天使長はどうするべきであったか

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聖フランチェスコの回心のシーンです。

ちょっと翻訳まではわたしの手には負えません。

右下の翻訳の長方形のボタンを押して英語の字幕を出してください。

 聖フランチェスコのように神様だけで充分すぎるという人間こそ

本物の自由を得ることでしょう。

 

 

サウル親子の治世が終わり、多くの国土はペリシテ人に支配されてしまいました。

何よりも悲しいことは、モーセの二枚の石版が入っている契約の箱が敵に奪われていたことでした。

ところがやっとこの契約の箱が戻ってきたのです。イスラエルペリシテ人からこれを取り戻すことができました。

契約の箱は聖なる箱でした。

絶対「性」の賜物でした。

そこで、堕落人間はいかなる理由があっても、触れることが許されませんでした。

ダビデのもとに運ばれてくるときにはこんなことがありました。

サムエル記下6章を見てみましょう。

 

:1)ダビデは再びイスラエルのえり抜きの者三万人をことごとく集めた。

:2)そしてダビデは立って、自分と共にいるすべての民と共にバアレ・ユダへ行って、神の箱をそこからかき上ろうとした。この箱はケルビムの上に座しておられる万軍の主の名をもって呼ばれている。

:3)彼らは神の箱を新しい車に載せて、山の上にあるアビナダブの家から運び出した。 :4)アビナダブの子たち、ウザとアヒオとが神の箱を載せた新しい車を指揮し、ウザは神の箱のかたわらに沿い、アヒオは箱の前に進んだ。

:5)ダビデイスラエルの全家は琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルとをもって歌をうたい、力をきわめて、主の前に踊った。

:6)彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。牛がつまずいたからである。

:7)すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。

:8)主がウザを撃たれたので、ダビデは怒った。その所は今日までペレヅ・ウザと呼ばれている。

:9)その日ダビデは主を恐れて言った、「どうして主の箱がわたしの所に来ることができようか」。

:10)ダビデは主の箱をダビデの町に入れることを好まず、これを移してガテびとオベデエドムの家に運ばせた。

:11)神の箱はガテびとオベデエドムの家に三か月とどまった。主はオベデエドムとその全家を祝福された。

:12)しかしダビデ王は、「主が神の箱のゆえに、オベデエドムの家とそのすべての所有を祝福されている」と聞き、ダビデは行って、喜びをもって、神の箱をオベデエドムの家からダビデの町にかき上った。

 

 堕落人間が、勝手に契約の箱に触れれば死が宣告されるというのです。

牛が躓いて、抑える必要があったということが、通用しない世界です。

ダビデは怒り、自分に責任があるとして、悔い改め、まっすぐに契約の箱を迎えることができないとして、蕩減期間を経ました。

3ヵ月といいます。

晴れて主に許され、契約の箱を迎えることができました。

hale hale と喜んだといいます。

ハレルヤです。力の限り狂ったように賛美する言葉がhaleというヘブライ語だというのです。感極まった喜びの内にk味に感謝し讃美する絶叫するような心情です。

 

ところが、ダビデの相対にはそれがわかったでしょうか?

それが問題だというのです。

 

:13)主の箱をかく者が六歩進んだ時、ダビデは牛と肥えた物を犠牲としてささげた。

:14)そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。

:15)こうしてダビデイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。

:16)主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ。

 

ミカルはダビデとは、一心ではありませんでした。

神と一心のダビデ、そのダビデとは一心ではありませんでした。

それどころか、彼女はダビデの行為を批判し 、「心のうちにダビデをさげすんだ」

のでした。

エポド (エフォド)も脱ぎ捨てて、お父様は裸のまま立たれました。

お父様を信じられなかったものは、エポドの権威に帰依してしまいました。

偶像崇拝してしまいました。

 

天の父の絶対「性」の前で、裸で踊るアダムという花婿の前に、

どうして、花嫁であるエバが、同様に裸になって、

天の父の絶対「性」で花婿を迎えないことがありましょうか?

絶対「性」で花婿の前に立たれる裸のエバの前で

どうして、天使長が息子になるために、同様に裸になって、

天の絶対「性」で応えることができないでしょうか?

 

もし、そのようなことができる8人がいたら、

天一国は確定したでしょうに。

そして聖餐式が始まるのです。

 

:17)人々は主の箱をかき入れて、ダビデがそのために張った天幕の中のその場所に置いた。そしてダビデは燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。

:18)ダビデは燔祭と酬恩祭をささげ終った時、万軍の主の名によって民を祝福した。 :19)そしてすべての民、イスラエルの全民衆に、男にも女にも、おのおのパンの菓子一個、肉一きれ、ほしぶどう一かたまりを分け与えた。こうして民はみなおのおのその家に帰った。

 

ミカルは皮肉たっぷりに「なんと威厳のありますこと」といいました。

ろくでもないものたちがするように、しかも家来ばかりか、そのはしための前にさえ、

裸になったと。 

 

:20)ダビデが家族を祝福しようとして帰ってきた時、サウルの娘ミカルはダビデを出迎えて言った、「きょうイスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すようにきょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」。 

 

"He exposed himself like a fool in the sight of the servant women of his officials!"

 やはり実際は、ダビデもすべて露わにされたようです。

ですから、実体の神様であるアボジを拝して行くのか

腰を隠していたエポド(エフォド)という天使長の権威を拝して

信仰していくのか、二つに一つだというのです。

家庭連合は、堕落天使長がお母様を巻き込んで

偶像崇拝を始めました、

神ではないものと姦淫を犯しました。

 

:21)ダビデはミカルに言った、「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。

:22)わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう。しかしわたしは、あなたがさきに言った、はしためたちに誉を得るであろう」。

:23)こうしてサウルの娘ミカルは死ぬ日まで子供がなかった。

 

だが、サンクチュアリは栄光をお父様に捧げ返すことでしょう。

 

お父様から離れた韓鶴子オモニは

 「こうしてサウルの娘ミカルは死ぬ日まで子供がなかった。」ように

もう決して人類を生み返すことができなくなってしまいました。

 

宋龍天総会長と徳野会長は

お母様の永遠の命にとどめを刺してしまったのです。

「愚か者め!」

と父が叫ぶ声が聴こえないのでしょうか?

 

 

以下は宋天龍総会長の証です。

私が今までも問題にしていたところです。

証のひとつづきは、とても重要ですから、残しておいて

今回注目するところだけ、枠で囲んでみました。

ダビデの物語を参考にもう一度考えてみましょう。

皆さん。

 

宋龍天総会長のみ言葉 – 世界平和統一家庭連合(旧:統一教会) 宇都宮家庭教会 より

 

ヨーロッパでの奇跡の体験

私はヨーロッパで父母様に侍りながら、多くの奇跡のようなことを目撃してきました。
1985年、インター・コンチネンタル・ホテルで宣布なさったお父様のみ言葉である「ソ連の滅亡」。このことは、1985年当時は誰も信じることができない時代でありました。何処の誰も、ソ連が滅亡するとは予測できなかったというのです。共産主義が全世界に大きく広がっていくその時代圏の中で、お父様は国際会議を通じて

ソ連帝国は滅亡するのだ!」

ということを、力強く宣布させたというのです。
このときお父様は、孝進(ヒョウジン:文鮮明総裁・韓鶴子総裁のご長男)様がCARP大学生の大会をベルリンで行う際に、孝進様に

ベルリンの壁まで訪ねて行って、ベルリンの壁が壊れることを宣布して来なさい 』

と命じられたというのです。
ソ連帝国の滅亡”と”東西ドイツの統一”、誰も予測しませんでしたが、しかしお父様が宣布された通りに、それはやがて起こっていったというのです。お父様の宣布の通りに成されたというのです。

お父様が2004年、漢南洞(ハンナムドン:以前に文鮮明先生が滞在することが多かった公館の通称)で食口の集会を持っておられたことがあります。私はその場にいました。3時間位み言を語られた後に、その場にいた私一人を見つめられて、

『夢は夢で終わらせるな。夢は夢で終わらせるものじゃない。夢は成すものなのだよ。』

と、私を直視しながら言われたことがありました。

そこにいる人たちは、何を言われているのか分からなかったでしょう。しかし私にはその意味が分かりました。
その当時、全てのヨーロッパの食口たちの夢、その願いは何だったでしょうか。それは、「ヨーロッパに真の父母様がご入国できるようにする」という、シェンゲン協定の法を超える勝利の宣言を意味していたのです。勝利的に真の父母様をお迎えしなければいけない。そういう大きな夢を持っていた私たちにとっては、「夢は夢で終わらせてはいけないよ」という言葉が、何の意味か分かったというのです。私を見ながら下さったみ言であるというのです。

2005年には、お母様が私に対して、

『そのシェンゲンをひっくり返してしまいなさい。』

というみ言葉を私に下さったのです。
横にお父様がいらっしゃりながら、

『これは難しくないよ。やれるんだよ。』

と語ってくださいました。

全ての人たちは、「難しい。不可能である。」と言ったのです。多くの指導者たちは「難しいです。難しいです。」と言ったのです。そういう状況の中、お父様は、

『これは難しくないんだよ。シェンゲン、ひっくり返してしまえ。』

そういうみ言を私に語られたというのです。それを私は絶対的に確信しながら、「必ず成せるのだ」という確信を持って、ヨーロッパの食口たちと共に絶対精誠を込めて歩んで行きました。大母様もお迎えしてヨーロッパ全域で先祖解怨、祈願礼式を開いていきました。全ヨーロッパの全ての食口たちが一体となって、必ず私たちの夢を成そうと確信を持って、一生懸命臨んでいったのです。
それで2007年、遂にドイツで驚くような役事を成し、父母様をヨーロッパにお迎えすることができたというのです。

地中海での出来事

2011年にも父母様は訪ねて来られたのですが、その前に訪れた2009年というのは本当に特別な一年でした。
その年は7月の末頃だったでしょうか。モナコで7日間、真のご父母様をお迎えした時があるのです。シェンゲンの勝利の後、初めてヨーロッパを訪ねて来られたことがあるのです。

そのとき、お母様が私に電話を下さって、

「お父様が今回ヨーロッパを訪ねるのだけれど、地中海を見渡せるような所に行きたい。地中海全体を見渡せるような場所で部屋を取ってほしい、という指示がお父様から出たよ。』

と仰いました。

私は霊的には何か意味があるのかなと思いましたが、具体的には何のことか分かりませんでした。

後でわかったことですが、イエス様が亡くなった後に、多くの宣教師たちや使徒たちがこの地中海を通じて西ヨーロッパに宣教に出て行ったのです。使徒パウロもそうでした。地中海を通じて、あちらこちらに宣教に出て行ったのです。
そして、ノアの箱舟の役事が起きたのもこの地中海です。

ですから「お父様の願いもこの地中海を見つめる所で起きるのだ!」ということで、私たちはそのホテルの部屋を取ったのです。そこで毎日のように、お父様が訓読の精誠を込められながら、地中海を見ておられたのです。
そして2009年7月19日を迎えました。その日はお父様のヘリコプターの事故から丁度1年が経った1周年の日でした。この日私たちは、何か行事を持つことをしましょうかとお母様に申し上げたのですけれども、お母様は、

『静かに過ごしなさい。お父様は精誠を込めておられるから。』

と仰いましたので、そのまま過ごすつもりでした。
しかしその日の朝、お父様が、

『私の部屋に早く入って来い。』

と言われるのです。私は慌てて入って行きました。

『カメラは持ってきたか?』

と仰るので、「いいえ。すぐに取ってきます。」と言って、カメラを準備して戻ってきたのです。すると、

『早く撮れ。私はこの瞬間の為に、ここに来ていたんだよ。このヨーロッパを訪ねてきた理由は、ピースカップの開催の為に訪ねて来たのではなくて、ただこの瞬間、この部屋で写真を撮る為に来たんだ。これを収める為に来たんだ。』

2009年7月19日、ヘリコプター事故から丁度1周年を迎えたその日、その日の為にここを訪ねてきたんだよと言われて、撮られた写真がこれです。(写真を見せられる。)

『これは大変意義深い写真だから、あなたたちも一緒に撮りなさい。』

と言われて、金孝律補佐官と私もこのように写真に収めていただいて、4人で写真を撮りました。その時私は、なぜお父様は「この時の為に来た」と語られたのかと、深く悟ることができませんでした。

ノア家庭の蕩減復帰

その年の6月1日は、韓国において数千名が集まりお父様の自叙伝の出版発刊式が開催されましたが、その時お父様が何と語られたのかというと、

「6月1日は、ノアの洪水審判の日なんだよ。』

と語られたのです。

そして、お父様はその後7月にヨーロッパに来られた訳です。
シェンゲンを勝利することで、ヨーロッパがサタンから解放されて神様中心のヨーロッパになり、初めてのヨーロッパの訪問になります。それ以前は、お父様がヨーロッパ入って来れないように、サタンが完全に障壁を築いていました。しかし、その障壁を崩したので、西側ヨーロッパを何処でも自由に往来できるという状況下で、この日お父様は、

『この日、この一瞬の為にここに来たんだよ。』

と仰ったのです。

お父様は毎日、この部屋から地中海を見渡しながら過ごされました。毎日、この港に色んな船が入って来たそうです。毎日毎日行ったり来たり、色んな船が出入りしていました。
しかし、(写真を示される)この船が入ってきたこの一瞬、お父様は、

『これは、ノアの時代の箱舟だ!』

というのですよ。新しい新天新地で、地中海のこの海にノアの箱舟が入って来たというのです。その一瞬の為に、お父様は精誠を込めておられたのです。
お父様はこの一瞬を見られてから、その後に全員に座りなさいと仰いました。そこには丁度8名が居たのですが、その部屋でお父様はみ言を語り始められたのです。3時間位、創造本然の世界について語られました。このように(写真を指しながら)座ってお話しされるのですよ。
そうなさりながら、

『今まで私は原理的な生きざまを一瞬も外れたことがないんだよ。先生は原理的に生きた人なんだよ。創造本然の原理、これに外れた生活は一回もしていないんだ。私の全ての物は天の願いとみ意に叶った原理的な生き方だったんだよ。』

と仰られながら、足元の靴下を突然、片足から脱ぎ始めるんですよ。しかしその時お父様が言われるには、

『原理的な靴下の脱ぎ方を見せてやろう。これが原理的な靴下の脱ぎ方だ。ズボンも原理的に脱いであげよう。』

お父様は大変自然な姿で・・・。そして靴下を脱いでから、ズボン、パンツと全部脱がれたのです。
そしてその後、改めてパンツをはいて、ズボンをはいて、靴下をはかれたのです。お母様はそういう状況であっても全く何も仰らずに、静かに見守られていました。8名だけがそこにいて・・・。大変不思議な場面ですよ。

そしてその集会が終わった後に、私と金孝律補佐官が話をしました。お互いに話をしながら、「こんなこと、お父様はされたことがなかったよ。一体どんな深い意味があるのだろう。突然そんなことをなさることは、今までにはなかった・・・。」

次の日の訓読会の時、お父様が出て来られてこのようにおっしゃられました。

『昨日の夜、オモニが私にこんなことを言ったよ。こんな質問をしてきたんだよ。』

どんな質問をされたのかというと、

アボジ、何で指導者たち食口の前で、あのように脱ぐようなことをしたの?』

お母様はそのように質問されました。するとお父様は、

『私は、こう答えたんだよ。』

と、訓読会で皆に教えるのです。

『父母と子女の間、父子関係においては境界線はないんだよ。恥ずかしいことはないんだよ。何の境界線もない、一体になっているんだよ。親と子は。私はお母様にそう言ったんだよ。』

と、その8人に語られたのです。

私は、お父様のそのみ言に触れた瞬間悟りました。
即ち、「この朝の船はノアの箱舟を意味している。そして午後に見たそのお父様の行為、お父様が語られながら私たちと共に見せて下さったその行為は、ノアの箱舟の洪水審判を越えた後に、新天新地で起きたノアの家庭における内容の蕩減復帰だったのだ。」ということがわかったわけです。分かりますよね?
裸で寝ていたノアに対して、ハムがその下部を覆ったことが罪になったという話がありますね。これを全て蕩減した訳ですよ。周りの人が何一言文句を言うことなく受け入れたのです。

 

お父様はいつも集会を終えられた後に、何と言われるか。最後に和動した後に終えていく時、何とおっしゃるのでしょう。

『一緒に生きていこう。永遠なる世界でも一緒に生きていこう。エデンの園で私と一緒に生きようよ。』

 


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