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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

聖霊体験と重生について 5 聖霊の実体 実体の神様の妻を失敗した韓鶴子という女性

祝福家庭と理想天国 第3章祝福の意義と価値 第2節新生と祝福の起源

 2、イエスと聖霊を通した重生の役事

 

 イエス・キリストは、神様が四千年の間探し求められたただ一人の存在として地上に送られました。そのようなイエス様は、万民の前に善の祖先として、死亡の中にある私たち人間を重生(新生)させるために、真の父母の立場に立って苦労の役事を繰り返しています。(50)

 イエス様は、エデンの園における堕落していないアダムと同じですが、イエス様お一人で神様の理想が実現されるでしょうか。それで新婦を探さなければならないのです。新婦の家庭がイエス様の家庭とならなければならず、新婦の国がイエス様の国にならなければならず、イエス様の国が神の国とならなければならないのです。

 イエス様は神様の息子として一人来たというのです。ですから新婦の国であるユダヤの国がイエス様の国とならなければならず、その国の教会がイエス様の教会とならなければならないのです。そうして、ローマを支配できなければなりません。

 ところが、死んでしまったのでどうなるのでしょうか。地上に父母の基準が存在できないというのです。父と母がいれば、愛の条件をかけて、再び生まれたという条件を立てることができたのに、父と母が地上にいないので、父母の愛で再び生まれたという条件を立てる道がなくなってしまったのです。それで、イエス様が死んでから四十日以後に、聖霊がこの地上に臨むのです。

 「イエス・キリストは、神様が四千年の間探し求められたただ一人の存在として地上に送られました。」というように、イエス様が聖和されてからの二千年は同様に神が再臨主というただ一人の独生子を求められ地上に送られたのだということです。

お母様を求めて2000年というのは誤りです

真の母になる方は真の父によってサタン世界から選ばれ教育を受けて真の母として完成しなければなりませんでした。

「父と母がいれば、愛の条件をかけて、再び生まれたという条件を立てることができたのに、父と母が地上にいないので、父母の愛で再び生まれたという条件を立てる道がなくなってしまったのです。」

まさに現在も悲しいかな、真の母が完成する前に堕落してしまったので、一時は

「父母の愛で再び生まれたという条件を立てる道がなくなってしまったのです。」

 

 その聖霊とは何でしょうか。母なる神様です。アダムとエバが堕落した後、初めて理想的実体のアダム型としてイエス様が生まれましたが、理想的実体のエバ型の基準がないので、理想的母型の基準を形態のない霊として送ったのです。それで聖霊を受けるというのは何かと言えば、母なる聖霊の腹中にもう一度入っていくことをいうのです。

 もう一度生まれるには、母なる神様である聖霊だけではいけません。聖霊を受けることによって自分が母の分身になり、また母なる神様である聖霊はイエス様の前にあって新婦なる神様なので、新郎イエスを思慕して完全に一つとなることのできる基準に入って初めて、霊的に再び生まれることができるのです。そうして初めて、「私」は霊的に救われることができるのです。それゆえ、皆さんはイエス様を新郎のように思い、聖霊を母のように思う、その理想の立場に進んでいかなくては、復活する道がないという理論がここに成立するのです。(51)

 

聖霊を受けるというのは何かと言えば、母なる聖霊の腹中にもう一度入っていくことをいうのです。」

というように、母の子宮に帰って行って、再びそこで生み返されなければなりません。

 

聖霊を受けることによって自分が母の分身になり、また母なる神様である聖霊はイエス様の前にあって新婦なる神様なので、新郎イエスを思慕して完全に一つとなることのできる基準に入って初めて、霊的に再び生まれることができるのです」

これを、創造本然のエバとは、母なる神なる聖霊と、非原理的エバから転換された復帰されたエバの一体化 によってなされるということです。

お父様がサタン世界から、サタンの妻であり母となった女性を復帰することによって、

相対的に非原理的妻を代表するエバ、言い換えればカイン的エバが長成期の完成級に戻ってきます。

これとは別に相対的に創造本然の妹を代表するエバ、言い換えればアベル的エバがやはり長成期の完成級にもどってきます。

そこで二人の表示体が、二人であるのに一つであるように、特に愛において一つであるような完成期の道を歩んでいかなければなりません。

お母様は三代で主を待ち望む、主の花嫁の心情基準を勝利された方として

お父様にお会いすることになりました。

そして人類史上初めて勝利され真の母として立たれるようになりました。

その母の胎に入って生まれていくには、物理的には無理ですから

心情的に辿っていって確信しなければなりません。

  

イエス様が亡くなられて後、五旬節に屋上の間で、百二十名の聖徒たちが集まり祈祷した時、聖霊が降臨しましたが、この聖霊が誰かといえば母なる神様です。イエス様を父とするならば、聖霊は母なる神様なのです。夫を最もよく知っている人は、その夫の奥さんであり、夫と完全に通ずることのできる人は、奥さんしかいません。

 それでは、具体的に聖霊は、どのような方でしょうか。エバがもし完成したならば、実体の母となっていたはずでしたが、堕落することによってエバの霊性は、神様によって引き取られましたそれでその霊性は、イエス様が地上で新婦を迎えたならば、その新婦に再臨して実体の形状をもとうとしましたが、イエス様の新婦の基盤がなくなることにより、その霊性は再臨することができず、イエス様は実体の父母の位置に進むことができませんでした。それで仕方なくイエス様は、聖霊と共に霊的父母の位置にだけでも進んでいかなければならなかったのです。そうしなければ、み旨を導いていける基盤も残すことができなかったのです。

 それで今日、キリスト教を信じる人々は、聖霊を受けなければならないと言っています。ところでなぜ、聖霊を受けなければなりませんか。女(エバ)、すなわち妻が罪を犯したので、女がお産の苦労をしなければなりません。それで、聖霊が役事しておられるのです。また、救いを受けたければ、イエス様の愛と共に聖霊の愛を受けなければならないので、キリスト教徒たちは聖霊を受けなければならないと言っているのです。(52)

 

キリスト教2000年の歴史は、主イエス・キリストを花婿として迎える、主の花嫁としての女性信徒の姿に集約されてきました。

キリスト教の絵画に描かれてきた女性は、自分のことは一切捨てて、ただ主を慕い求める人々でした。自分を誇る方はいませんでした。

何故なら、彼女たちは知っていました。

真実にキリストと一体であれば、全てが自分にはあるということを。

ですから、自分を誇る必要などありませんでした。

むしろ、想像もできないことでした。

だが、お母様は禁断の領域に歩み始めたのでした。

 

そこで、神はお母様から「エバの霊性」を引き取られ

代わりに、ヨナ様に「エバの霊性」を授けられました。

 

「エバがもし完成したならば、実体の母となっていたはずでしたが、堕落することによってエバの霊性は、神様によって引き取られました。」

というように、お母様は堕落してしまいましたので、エバの聖霊は取り去られてしまいました。

ですから、ピースTVの放送をよくご覧ください。

今回の週刊ブリーフィングです。

お父様と仲睦まじかった頃のお母様の笑顔を。

そして、現在のお母様の幸せを感じることができなくなったお顔を。

本当にここまで変わられてしまいました。



 聖霊は完成した女性神です。聖霊の役割とは、アダムの内にもとかえっていくのを助けることです。それでクリスチャンはすべて、イエス様の体の内にある子女の種と同じ立場に帰らなければなりません。

 このような信仰をもっているクリスチャンは、果たしてどのくらいいますか。夢ででもそのように考える人はいますか。ただイエス様を無条件に信じて天国に行こうという人ばかりです。しかし、口だけで信じているといって天国に行けると考えるとしたら、大きな間違いです。イエス様の骨肉の中に入っていって初めて、完全な復帰ができます。

 このような摂理を広げなければならない神様の役割がどのようなものか考えてごらんなさい。このような過程では、数多くのサタンが陣を敷いていることを知らなければなりません。そのサタン圏を突破して入っていくには、数多くの犠牲が伴うようになります。犠牲を甘受しなくては、イエス様の骨肉の深いところまで行けません。

 このようにイエス様の内に入り、神様の愛に触れなければなりません。そして、真の父母の血肉に接することのできる内的因縁を立てたという条件を充足させなければなりません。そこから、イエス様と聖霊が互いに慕い合う愛の道をたどっていって初めて、再び生まれるのです。

 同様に、女性が男性を思慕し、男性が女性を慕うように、一致した愛の境地を通過して初めて、再び生まれます聖霊は感動の役割をします。聖霊の感動を受けると、イエス様がとても慕わしくなります。イエス様は新郎であり、聖霊は新婦です。キリスト教の復活の原理は、まさに二つの実体が一つとなったとき新しくなるのです。(53)

 

聖霊は完成した女性神です。聖霊の役割とは、アダムの内にもとかえっていくのを助けることです。

もし、お母様が完成された女性神として立たれるなら、アダムであるお父様の内に元帰っていくのを助けることです。

それ以外にはありません。

「アダムの内に」とは、アダムの骨髄にということで、アダムの精子にもとかえって行くことです。これをお母様は助けなければなりません。

ところがどうでしょうか?

骨肉の戦いをお父様に挑んでおられるというのです。

「骨肉の戦い」とは血統の戦いのことです。

そこで散々お父様はお母様に

「韓氏を誇るな!」

とおっしゃられてきたのです。

韓氏を誇ることは、聖霊の使命を放棄することになるからなのです。

 

「口だけで信じているといって天国に行けると考えるとしたら、大きな間違いです。イエス様の骨肉の中に入っていって初めて、完全な復帰ができます。

現在のお母様と一体化すれば、お父様の骨肉に返って行けなくなるというのです。

お母様に従っていけば、

「私はお父様の血族ではありません。韓氏の血族です。」

と自認することになるというのです。

これをサタンは天の法廷に持って行って、決定的な証拠として提示するのです。

目を覚まさなければなりません。

家庭連合にいる兄弟たちよ、

お父様は言われます。

 

数多くのサタンが陣を敷いていることを知らなければなりません。そのサタン圏を突破して入っていくには、数多くの犠牲が伴うようになります。犠牲を甘受しなくては、イエス様の骨肉の深いところまで行けません。

 

それは真の母の胎中を通過して真の父の精子に至らなければならないというのです。

韓氏だけでは無精卵でしかないのです。

生まれることができません。

生まれ変わることができません。

「真の父母の血肉に接することのできる内的因縁を立てたという条件を充足」

することにはなり得ないというのです。

お父様は語られます。

聖霊は感動の役割をします。聖霊の感動を受けると、イエス様がとても慕わしくなります。」

つまり、聖霊の実体が正しい役事をされていれば、感動を呼び起こし、聖霊の実体ではなく、お父様がとても慕わしくなるというのです。

 

お母様は真の父母という言葉は使いますが、お父様がこうしてくださった、お父様が偉大だ、お父様の愛は無限だというお話は全くされません。

お母様は堕落され、聖霊の実体の位置を離れました。

 

 キリスト教では、聖父(父なる神様)は神様、聖子(御子)はイエスと言います。それでは、聖霊は何ですか。聖霊は母なる神様です。母なる神様である聖霊を受けなければ重生することはできません。母なる神様である聖霊が産んでくれなければならないのです。この聖霊はイエス様を慕うのです。どれほど慕わしいか、目の玉が飛び出るほど会いたいというのです。皆さんはそのような体験ができなかったでしょう。母なる神様である聖霊が、新郎たる夫の神様を思慕するその心が、人の体に現れなければなりません。そのような心をもって、もう一度生まれなければなりません。父母の愛を通さずに人が生まれる道理はありません。これが天理です。

 イエス様は父、聖霊は母、すなわちイエス様は新郎であり、聖霊は新婦です。皆さんの心に聖霊が臨み、聖霊が新郎イエスを思慕する力と皆さんの心が一致する時、火を受けるのです。逆転するのです。ですから、霊的父母の愛の因縁を通して新しい生命が注入されるのです。これがまさに、キリスト教でいう重生というものです。(54)

 イエス様と聖霊が今までなしてきた使命は、お産をする使命です。エバの内にある本然の母なる性稟の存在は、エバと相対基準を結べないことにより神様が引き取られましたが、それをイエス様の時代において主体の前に対象として送られたのです。ところが、体がありません。イエス様は体がありますが、聖霊は体がありません。しかし、母の使命を果たして私たち人間の心に入り、感動を与え罪を清める役事をするようになると、母が子供を育てるように、父の、すなわちイエス様の保護を受けて再び生まれたという条件となり、重生することになるのです。(55)

 

「母なる神様である聖霊が、新郎たる夫の神様を思慕するその心が、人の体に現れなければなりません。そのような心をもって、もう一度生まれなければなりません。」

ところが、お母様はちっとも新郎たる実体の神様、すなわちお父様を思慕する心の表現を全くしなくなりました。

そこで我々自体にもその思慕が体に現れるほど燃え上がることが塞がれてしまい、もう一度生まれ変わることはおろか、サタンと婚姻をしてしまったお母様は、サタンの末裔を世に送り続けられるようになっていしまっています。

それは

「皆さんの心に聖霊が臨み、聖霊が新郎イエスを思慕する力と皆さんの心が一致する時、火を受けるのです。

一旦神様が逆転してくださったものを

もう一度サタンとともにサタンの血統に生み返して行かれているのです。

 

「父の、すなわちイエス様の保護を受けて再び生まれたという条件となり、重生することになるのです。」

 

 キリスト教でいうには、イエス様と聖霊を通さなくては救われないそうです。イエス様は霊的な父をいうのであり、聖霊は霊的母です。霊的父母と一つになる立場で、息子の因縁をもって立つようになるとき、霊的復活という……。霊的ではあるが父母の関門を通る、接ぎ木する過程を経て復活圏が開かれるというのが、キリスト教の重生の原理です。父母を経なければ生命が誕生しないのです。このようにして、今まで救援摂理を発展させてきたのです。(56)

 イエス様は責任を果たせなかったためどのようにしたかといえば、その代わりに、霊的にその使命を果たしたのです。霊的にイエス様と聖霊を中心として、父、母の代理の使命をする基盤を築いたので、霊的に再結合するようになるのです。霊的にお産の役事をするのです。

 今日、堕落の後孫である私たち人間は、母の腹中を通して生まれるので、母の愛に抱かれて入らなければならないのです。これが聖霊の愛です。聖霊は母なる神様であるので、その母なる神様は愛という感情をもって、父であるイエス様を協助し、(私たち人間を)抱いてあげなければなりません。この愛によって、母なる神様が父を霊的に思慕するようになるのです。このように思慕するその愛の力が作用して、ぶつかる力を感じるのが、すなわち火を受けるということです。これを体験してこそ初めて、新しい生命が生まれるというのです。

 言い換えれば、母の腹中を通して父、母を中心とした愛の感覚を感じなければならないのです。その愛の感覚を感じなくては、新しい生命として生まれることはできません。愛なくしては、新しい生命が生まれることはできないというのです。これがキリスト教でいう重生です。

 イエス様はこのような原則を完結させることができず、霊的にのみ行ったので、このようなことを再度しなければならないのです。ですから、統一教会が、このような使命を再び行わなければならないというのです。

 それでは、この使命を完遂しようとすれば、どこへ入らなければならないでしょうか。来られる主はどのような人でしょうか。来られる主は父であるので、その父の腹中に入らなければならないのです。堕落した人間は、本来の父の中に入ったという条件を立てなくては、もう一度生まれることができないので、イエス様を新郎として侍る母なる神様の恵沢を受けて、男性であるイエス様の腹中に入ることができたというのです。しかし、実体でイエス様の腹中には入れません。それで、愛する心で入っていかなければならないというのです。愛する心をもって、通ずることができるのです。(57)

 

母が父を愛する心があり、これを子である私たちが相続して、父の精子から生まれた

神の血統のものであると確信して、初めて重生が為されていくのです。

 

今まで、全世界のキリスト教徒たちがイエス様を信じてきた理由は何でしょうか。母なる神様である聖霊の協助を受けて、イエス様の腹中に入るためです。イエス様は結婚しなかったので、独身なる神様と同様の立場です。そのようなイエス様の腹中にある子供の種の立場に、探し求めて入っていくために全世界のキリスト教徒たちは今までイエス様を信じてきたのです。このようにイエス様の腹中に入った後、復帰された新しい母を通して、もう一度生まれたという立場に立って初めて、重生になるのです。今日、実体を身にまとっている人間としては、これを行うことができないので、必ずこうした条件的内容を中心として、その条件を立てて連結させなければならないのです。(58)

 

「イエス様は結婚しなかったので、独身なる神様と同様の立場です。」

 そして

お父様も、「相対はいない、永遠にいない」と言われます。

だが、イエス様はお父様によって祝福を受けられました。

神がお父様のためにそれを回避できる道はひとつあるかもしれません。

知る人はそれを知ることでしょう。

 

皆様のご家庭に神の祝福と加護と導きがありますように!

アージュ

 


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