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日常生活の中で 考える糸口を求めて

天一国憲法夢想 アメリカ憲法偽相     3,アメリカ憲法は民主的か?

アメリカ憲法の生い立ちについて、ロバート・A・ダールの「アメリカの憲法は民主的か」にいくらか記されています。

 

アメリカ憲法は民主的か

アメリカ憲法は民主的か

 

 

私たちはものごとを頭の中でのみ考えがちで、それがそのまま実際の現実だと考えがちです。

それがほほ当たっている時はいいのでしょうが、だいぶ違うことがあります。

科学でも理論値と実験値が食い違っていることがあり、新たな発見に繋がることもあります。

何かを考える時には、

「頭の中でふつうに考える」ことと共に、「実際行動に即して考える」

ということが重要なようです。

「客観的事実から考える」ことが静的ならば

「実際行動に即して考える」ことは動的だと言えるかもしれません。

 

われわれはアメリカの憲法は、民主的なものを目指して創られたと考えがちではないでしょうか?

それではこの憲法がどのような手続きを経てできあがっていったのか?

それは果たしてわれわれが頭の中で考えていたような「民主的」なものであったのでしょうか?

 

ダールはこの疑問にたいして著書の初めに以下のように書いています。

実際行動に即して考えるよいお手本になるかと思いまして、皆さんと一緒に実際行動に即して考えることについて学んでみたいと思います。

 

 次の疑問の背景に何があるかを理解するために、1787年夏にフィラデルフィアで行われていた憲法制定会議が、どのように急ごしらえされたものだったかを思い起こしてみたいと思います。13州全てが代表を送ったものと想定しがちですが、実際にはロードアイランドは出席を拒否しましたし、ニューハンプシャーの代表団が到着したのは、会議が始まって数週間経ってからでした。その結果、6月と7月に実施された重要な投票の一部は、出席していた11州の代表団だけによって行われました。その上、票は州単位で数えられ、ほとんどの場合、ほとんどの州代表者は一つの立場で一致していましたが、時には彼らは内部で意見が分かれすぎていたため、票を投じることができませんでした。

 私の疑問とは、次のようなものです。私たちはなぜ、2世紀以上前に、55人の神ならぬ人間によってつくられた文書に拘束されると感じる必要があるのでしょうか?しかも、その文書に署名したのは、実際には39人だけであり、関係者の多くは奴隷所有者でした。その文書はわずか13州で、たかだか2000未満の票で採決されたにすぎません。そして関係者の全てはずっと前に死んでしまい、ほとんど忘れ去られているのに。

 アメリカ市民ならこう応答するでしょう。私たちアメリカ人は、にもかかわらず、修正条項によって憲法を自由に変えることができるし、実際にしばしばそうしてきた。それゆえ、私たちの現行憲法は、究極的には、今日生存している私たち全ての同意に基づいているのだ、と。

 この返答を受け入れる前に、もう一つ質問をさせていただきたいと思います。すなわち、私たちアメリカ人は、私たちの憲法システムについて、熟慮にもとづいた意志を表明する機会を持ったことがあるだろうか、という質問です。例えば、この本の読者のうち何人が、現行憲法のもとで統治され続けたいかどうかという設問について、直接選挙に参加したことがあるでしょうか?答えは、もちろん、誰もいません。

 先程のアメリカ市民は、今度は別の議論の筋に頼ろうとするかもしれません。私たちの役に立って来た、そして今も役立ち続けている憲法を、なぜ変えなければならないのか、と。

たしかにこれはまっとうな議論の筋ですが、それに対しては、もう一つの疑問が出てきます。すなわち、私たちの憲法が役に立って来たというのは、いかなる基準においてか、ということです。とりわけ、私たちの憲法システムは、今日における民主的な基準をどれだけ十分に満たしていることでしょうか。この問題については、次章で扱うことにします。

 それに、もしも私たちの憲法が、多くのアメリカ人が思っているほど良いものなら、他の民主的な国々がそれを真似しなかったのはなぜでしょうか。第三章で見るように、他の発展した民主的な国家は全て、私たちの憲法システムとは非常に違うシステムを採用しました。なぜなのでしょうか。

 仮に私たちの憲法システムが、他の発展した民主国家の憲法と比べて独特であることが判明したとしたら、他と違う分だけ、私たちのシステムはより良いのでしょうか。より悪いのでしょうか。それとも、違いは優劣とは関係ないのでしょうか。この難しい問題については、第四章で探求してみたいと思います。・・・・・

 

(注)制定会議での票が満票でなかった10州で、全部で1540人の代表が憲法をめぐって投票し、賛成964に対して、反対は576であった。

 

神主義と民主主義が異なるものであるわけですが、民主主義を標榜してできたアメリカ憲法の成立手続きが実際行動上どうであったかを知ると、学生の頃習った内容のイメージとはずいぶん違うように思いました。

 

さて、天一憲法は民主的なものであるべきでしょうか?

それとも例えば神主的なものとなるべきでしょうか?

神主的とは一体どういうことでしょうか?

神主と民主は対立的な概念でしょうか?

補完的あるいは調和的関係でしょうか?

 

私たち日本人なら誰でも知っているリンカーン大統領の言葉があります。

通常「人民の 人民による 人民のための政治」と訳され伝わっています。

学生時代にある本でこれが誤訳だという事を知りました。

「government of the people,by the people,for the people」

 of the people の ofは目的を表す of ということでした。

そこで例えば

「人民に 人民による 人民のための政治」

と言うふうになるのかと思います。

日本語では「人民に 人民による」という言葉はまったく同じ意味なので

不思議だと思っていたなぞが解けました。

 

リンカーンは王の立場から民を慈しむ王道政治ではなく、人民に選ばれた代表者として善政を民のためにする政治を目指したのでしょう。

 

一方、これまた日本人の記憶にあるケネディー大統領の言葉も有名です。

 

Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.

国家が諸君に何をしてくれるか期待するのではなく、

諸君が国家に対して何をすることができるかを求めよ!

 

存在するものはすべて、全体目的と個体目的をもっています。

全体から個体への貢献

リンカーンの言葉は中心者であり全体を代表する立場から、個体である人民の幸せのための政治を語った。

個体から全体へ貢献

ケネディーの言葉は人民ひとりひとりが主人であることを誇りに、全体の至福に貢献する政治を語った。

 

天一国ではこれらを統一し、神の代身である王を中心として営まれるべきでしょう。

神主政治は、天意を受けた王が神の代身として、全体のために貢献したいと願う民主主義と、主体対象で融和されるところに現れることでしょう。

 

さて、お父様は天使長である側近に苦しめられ辱められました。

われわれは第二代王が聖君として徳治政治をなされるに、実際上は代身として形に表さなければなりません。

いったい側近はどのようにあるべきなのでしょうか?

荀子の言葉によって締めて参りたいと思います。

 

天下においてなすところ必ず行われ得る方法。それをもって主君に仕えれば必ず通達し、それをもって仁道を行えば必ず聖となる事のできるためには、隆(たっと)ぶべき礼を立てて決してそれに違背してはならない。この点をまず確立して、しかる後に恭敬の念をもって首唱し、忠信の心をもって統一し、謹慎の心をもって実践し、正直な心をもって遵守し、辞譲の念をもってこれに従い、努力して繰り返し行ってゆく。主君が己の真価を知らなくても少しも怨み悪(にく)む心がなく、己の功績が偉大であっても決して徳に誇るような顔色を見せず、欲求は極力抑えて結果の時功を多くし、人を愛敬して心に倦(あ)く事がない。このようであれば、常に為すところ悉く順当に行かないものはない。このようであってこそ、これをもって主君に仕えれば通達し、これをもって仁道を行えば必ず聖となるのである。これを天下においてなすところ必ず行われ得る方法と言うのである。

荀子 藤井専英 訳

 

 

荀子 (新書漢文大系 25)

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