日本では中心者として西川先生の時代より天使長が重んじられてきました。
金明熙様はお父様と21日間の同棲生活をされた後に妊娠したことを自覚されました。
通常であれば韓国で生むのが普通ですが、胎に宿っていた喜進様を日本で生まなければならないという思いが次第に募ったといいます。
そこでお父様にご相談されるとこのような御言葉を頂いたといいます。
「行けば死ぬよ、しかし、お前が私の子を日本で生めば、日本でたくさんの食口が復帰されてくることになるよ。」
日本伝道は崔奉春(西川)先生ではなく、金明熙様から始まります。
日本にアベルの子女様である喜進様が誕生されることによって、カインの子女が生まれる道ができたのです。
聖進の母親が反対したがゆえに、この家庭の型を中心として、歴史的な過程を経るようになったのです。聖進の母親がエバの立場であり、喜進の母親はマリヤの立場です。マリヤがイエス様を連れてエジプトに行ったように、喜進の母親も喜進を連れて日本に行かなければなりませんでした。
喜進は日本の大村収容所で三年以上育ちました。怨讐の鉄格子の中で育ちました。喜進は世の中のいかなる息子よりも貴い息子として生まれたのですが、愛することができなかったのです。天道を立てるまでは、愛を中心として父子の因縁を結ぶことができなかったのです。
喜進の母親は、海を渡って日本で冒険をしなければならないのです。そこで適応し、再び帰ってくる時には民族が歓迎しながら迎えなければならなかったのです。しかし、それ自体が失敗しました。マリヤが失敗したのと同じ結果になったのです。そのために、喜進もあのようになりました。イエス様と全く同じ因縁なのです。喜進は旅先で生まれ、旅先で死にました(一九六九・八・一、夏季伝道に向かう途中、忠清南道梅浦駅で殉教)。イエス様も旅先で生まれました。ベツレヘムの馬小屋で生まれたのです。そして、よその土地で十字架にかかったのです。
サタンが讒訴できない歴史的な伝統と、時代的な内容を備えた家庭になることなしには、アベル家庭になることはできないというのです。だから、それはどれほど十字架ですか。また子供に対する十字架を負わなければならないのです。このような観点から見る時、代表的な十字架を先生が背負っていくのです。皆さんは夫と息子、娘だけですが、先生は複雑なのです。家庭的に見たとしても、聖進のお母さんがみ旨を立てることができなかったために、三代にわたって延長されることになりました。真の御父母様の生涯路程 3
第四節 青坡洞本部教会を中心とした内的基盤
二 家庭的試練と苦難
金明熙様が来日され、神の心情の対象である喜進様が日本において誕生されたことによって、神がこの国を祝福し導くことができるようになりました。
天の王家の母子がこの国の中心として降臨されました。
ここから天運が到来したというのです。
私がKJ教会に所属していた時に韓国人の趙教会長は私に言いました。
「自分は大村に教会を建てたいのです。」
その一言ですべてが了解できました。
だが、家族で引っ越してみると、教会長は福岡に栄転し後に東京に行かれました。
次の方にはそのような構想はございません。
崔奉春(西川勝)先生は金明熙様と喜進様母子を助けられるため訪日されたので、出発の際にはお父様は祝祷を下さるわけには行きませんでした。
御二人があっての日本伝道です。
アベルの子女にカインの子女である復帰された我々が一つになって、これをまとめてお父様のもとに母である金明熙様が繋げることが神の御心でしょう。
家庭連合の教会には毎月原城に祈祷に行く人々がいます。
だが、日本人が何よりも先に巡礼すべきところは、大村入国者収容所(入国管理センターとも言う)でしょう。心ある韓国人の食口が長崎を訪れた時には訪れるという。
だが、おそらくは現在の建物があるところに日本人によって案内されることが多いことでしょう。実際にはそこではない。お二人が暮らされたのは跡地の方なのです。
我々の身代わりになってくださり、我々が囚われの身から解放される条件を立ててくださいました。
1955年6月25日前後 金明熙様 日本に渡航
1955年7月4日 ソウル南部警察署にお父様が逮捕される→西大門の牢獄へ
1965年1月28日 祝福を授けるための最初の訪日
豊臣秀吉のように懐でお父様の履くスリッパを暖めていた女性に
「祝福をしてやろうか?」
と言うも
「まだはようございます。」
お父様の祝福を逃す。
1967年6月12日 再び祝福のため訪日
1967年6月30日 周藤健先生に
「祝福をしてやろうか?」
と言うも
「久保木会長に聞いてみます。」
と言い、久保木会長は
「まだ、はやいよ」
と答え日本はお父様の祝福を拒み天運をつかむことができませんでした。
これが蕩減になって
1967年7月7日 朝日新聞記事から始まる「親泣かせ原理運動」
1969年5月1日 22双祝福
3か月後
1969年8月1日 喜進様聖和
400日後
1970年9月5日 聖進様が日本に来られ、アダムを迎えることができました。
青年運動のような西川先生の伝道活動は日本には受け入れやすいものでしたが、反面、祝福やお父様の理解においては充分我々日本人に伝わりきれないものもありました。
1965年の1月というのは祝福の歴史に於いてどのような位置にあったことでしょうか?
124双の後になります。
1962年 6月 4日 72双 韓国
1963年 7月24日 124双 韓国
1968年 2月22日 430双 韓国
これが摂理国家ではないドイツより遅れることになります。
1969年 3月28日 8双 ドイツ
1969年 5月 1日 22双 日本
西川先生→久保木会長→歴代会長→・・・・→宋総会長・徳野会長
これらは天使長の系譜でしかありません。
性相的には中心にはなり得ません。形状的中心者に過ぎません。
周藤先生は第三のアダムが
「祝福してやろうか?」
と言ったのに、天使長の久保木会長の指示を仰ぎました。
これが日本の信仰の伝統的課題なのです。
お父様の言葉より天使長の言葉に従うことを「中心性」と呼んでいるのです。
ですから
家庭連合の信徒は第二代王の亨進様がお父様の権威に戻るための
「祝福をしてやろうか?」
と言っても、同様に天使長である
「 宋総会長と徳野会長に聞いてみます」
という信仰になってしまうと言うのです。
なんと愚かなことでしょう。
成約の侍義とは何かをご存知ないからだというのです。
天使長に侍る侍義が家庭連合の信仰であり、
アダムに侍る侍義がサンクチュアリの信仰だからです。
例えば幕張で10000人を集める大会を開くなら、旗など振って舞い上がっているのではなく、聖進様御家庭をお迎えして我々に何かお言葉をくださいとお願いしてしかるべきところではないでしょうか?
お父様の精子と血統と心情の相続者は聖進様だからです。
お父様は聖進様をかってどのように言っているのでしょうか?
聖進を生んでから、私は聖進の手を握ったり、抱いたりして愛してあげることができなかったのです。
聖進の母親がみ旨を信奉することができなかったことにより、聖進に対して私の息子だと言うことができませんでした。息子扱いができなかったのです。
ところが聖進が立派なのは、七歳の時、あんなにも自分を愛する母親であるのにもかかわらず、その母親と一緒にいるのではなく、母親を捨てて父親を訪ねてきたのです。これは普通の子供ではないというのです。それは自分の考えではないのです。母親が父親に反対するのを知っているのです。ですから我々が奨忠洞教会にいた時、正に母親が反対しに来るというときには、明け方早く連絡してくれるのです。
けれども、父親として一度もまともに接してあげられませんでした。つれなくしたのです。自分の息子を愛する前に、カインをまず愛さなければならないからです。神様は、探し立てた第二イスラエルをまず愛したのちに、息子、娘を愛するためにイエス様を送られたのです。それが復帰摂理です。摂理は、原則どおりになされるのです。
お母様を迎えた六〇年までは、私は聖進の手も握ってあげず、キスもしてあげませんでした。そして父親がいる所では住めないようにしたのです。それで外で寺を訪ねたり、食口たちの所をあちこちと巡ったりしたのです。なぜそうしなければならないのかというのです。天道を立てるべき責任を負った家庭となるためには、世界の基盤まで築かなければなりません。当たり前の道理を準備しなければならないのです。そのような曲折の道を歩みながら、激しい迫害を受けて生きてきました。
神道のように、暴れるものが騒ぎを起こさないように、神社を建てて封印して鎮まれ鎮まれと祭っては閉じこめてしまうように。
何十年もの間、幽閉生活を日本人食口に強いられてしまっておられる聖進様の御家庭に心から懺悔いたします。
何故公的行事にお招きして侍ることができないでいるのでしょうか?
それは、天使長に侍る侍義という家庭連合の信仰の恥ずかしく思う堕落した情によって行動が規定されてしまうからでしょう。
我々日本人の救世主である聖進様をもっと誇るべきであり、
見せかけではなく真に敬愛すべきでしょう。
わたしが若い日に、お父様と食事をしている夢を見ました。にこにこお話ししてくださっていたお父様が、隣の私に急に頭を垂れるようにしてぽつりとおっしゃられました。
「先生は聖進君のことが心配なんだね」
力無く静かに語られました。
後に渋谷の駅前で大阪時代の兄弟に会いました。
彼は聖進様のところにいるという。
聖進様はTさんという運転手をされていた方をとても信頼されているという。
日本の兄弟が我々を代表して御側に仕えておられる話にほっと胸をなで下ろしました。
その頃大きな書店に聖進様は行かれ、フライデーの雑誌を見ている日本人達が、ダンベリーのお父様の記事を見ながら、お父様を罵倒し嘲笑しているところに出会いました。
その内容は実に聞くに堪えないものだったそうで、さすがの聖進様も本当にその者たちをどうにかしてやりたい気持ちが湧き起こってきて、押さえることができないほどでした。
やっとのことでその感情を押し込め、へとへとになって帰り戻って、兄弟に一切の思いを打ち明けられました。
韓国時代劇「イ・サン」(李祘)は、奸臣達の陰謀によって、米びつと中に閉じこめられてしまった無実の父の身を案じ、命をかえりないで父親に好物の食べ物を届けます。
父の潔白を証す巻物を提出して父の忠心を理解してほしいと祖父王に申し出るのでした。自分はどうなってもよいから父を信じてくださいと。
父の心情は子によってのみ証され得るというのです。
お父様の心情もまた、聖進様や亨進様によってこそ真に真に明らかにされ得るというのです。我々天使長はこれを相続しなければなりません。
サンクチュアリはアダムに侍る侍義によって御子女様をお迎えいたします。
アージュ。
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