原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

騙されてるお母様と聖霊の実体的マグダラのマリア 勝利されていた頃のお父様が絶賛したお母様

分派問題のルーツとは何か?というと、

それを木に喩えるならば、木が根と枝葉からなるように

根である根本原因が、枝葉である現象となって出てきたものだと

家庭連合の国際部の方は説明されています。

一家の根に当たる部分は真の父母です。

すると、こんなふうにも言えることでしょう。

この父母に問題があったので、それが原因となって、アベルの子女やカインの子女が

枝葉のように分かれてしまったと・・・

 

では、根っこにある父母の問題とは何のことでしょうか?

お母様の神観がずれ始め、それに従ってお母様の父母観(メシア観)もずれてしまい、

その影響が子供たちに世界的に広がってしまったということです。

 

以前にこの問題を神の中の男性と女性の主体と対象の格位の問題として、

聖書から、原理講論から、原理原本から、天聖経から引用して

男性主体を中心にして女性対象を統一して存在している神様を確認して参りました。

 

このことをもっと平たくわかりやすくお話しするとどういうことになるのでしょう?

 

真の父母とは真の父と真の母がそれぞれの使命と責任を果たして成立します。

真の父とは神の御言葉の種を持つ人、神の血統の精子の種を持つ人。

真の母とは神の御言葉の種を真の父から受肉してその言葉通りに繁殖する人、

また、神の血統の精子の種を真の父から受け継いで受精しアベルとカインの子女を善男善女として繁殖する人です。

 

お父様:御言葉の種と血統の種である精子を持つ

お母様:御言葉の種と血統の精子をお父様から受精して繁殖する

 

さて、イエス様の相対として立ったマグダラのマリア(ガリラヤのミグダル村のマリア)はイエス様が聖和された後で

復活されたイエス様にお会いしたときの話がございます。

弟子達にその時の状況をお話ししたり、ペテロに求められ、イエス様がマリアには話したが弟子達には話さなかった御言葉を「あなたがたには隠されている言葉を教えましょう」と言って語り始めました。

「マグダラノマリアの福音書」の著者カレン・L・キングは、聖書外典「マリアも福音書」を要約してこう纏めています。

 

マグダラのマリアによる福音書  イエスと最高の女性使徒

マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒

 

  

『マリアの福音書』の話は単純である。最初の6頁が失われているので、福音書は、復活後にセットされた救済者と弟子たちとの議論の場面の途中から始められている。そこで救済者は、物質からなるこの世界の終わりと罪とは何かを問う弟子達の質問に答えている。彼は、こう答える。さしあたり、物質的なものであれ霊的なものであれ、すべては互いに絡み合っている。だが、最後は、そんなわけにはいかない。それぞれのものはそれ自身の根元、それ自身が出てきた元の状態と死の破滅に帰っていく。しかし一方、罪はこの雑多な世界において生命としっかり結合されている。人びとが罪を犯すのは、自分自身の霊的本質を認識せずに、人を欺き、病や死を生ぜしめる低次元のものに執着するからである。救いが実現されるのは、心の内面に人間性の真の霊的本姓を発見し、人を惑わす肉体の情欲とこの世のわなに打ち勝つことによってである。かくして救済者はこの教えを、弟子たちを誘惑して英雄的な指導者か一連の戒律に従わせようとする者への警告でもって締めくくる。むしろ弟子たちは、自分の心の中に子供のような真の人間性を探し求めなければならない。このように、救済者は語り、福音宣教の任務を弟子たちに託して去っていくのだ。

 ところが、弟子たちは福音宣教の旅に喜んで出て行くことをしない。それどころか、論争が始まる。マリアを除くすべての弟子は救済者の教えを理解できずにいたのだ。心の中に内なる平安を求めるどころか、もしも救済者のいう福音の宣教に従えば、救済者と同じ過酷な運命を共有することになるのではないかという不安と恐れにさいなまれていたのだ。マリアが間に入って、彼らをなだめる。彼女はペテロの要請によって、幻に見た救済者から受けた未知の教えを彼らに語った。救済者が、救いの預言と魂の最終的な安息にいたる再生について、いかに話されたか。人間の魂をこの世に閉じこめ、魂の霊的本姓について無知なままにしておこうとする邪悪な勢力、その不法な力に対していかに戦うか。

 ところが、彼女の報告が終わるやいなや、二人の弟子がいきなり彼女に異議を申し立てた。そのひとりのアンデレは、彼女の教えは聞いたことこともないと言って抗議し、それが救済者からのものであることを信じようとしなかった。もうひとりのペトロはさらに進んで、イエスがこのような高尚な教えをひとりの女性に授けるなどということは決してありえないし、さらに、イエスが男の弟子たちよりもマリアを好んだとはとても考えられないと言った。明らかに、ペトロは、マリアに話すように要請した際、彼女がそれほどの知的教えを受けたとはまったく予想していなかったのだ。こうなると、彼女の人柄が問題になる。ペトロの発言は、彼女が弟子たちの内に自分の威信を高めるために特別な教えを受けたと作り話をしていることをそれとなくにおわせるものだった。あまりにも突然の言いがかりにマリアは、泣き出した。弟子のレビがすぐに彼女をかばって言った。ペトロは誰知らぬ者のない短気者、マリアを敵のように扱うのはよくない、と。レビは弟子全員に忠告して言った。われわれは自らを恥じなければならない。内輪もめなどせずに、救済者がわれわれに命じたように、福音の宣教に出かけなければならない、と。

 

マグダラのマリア → 第一弟子? 他の弟子が知らない高度の御言葉を聞いていた

ペトロ → 女性にそんな高度な御言葉を男性の弟子を差し置いて語るはずがない

レビ → 仲裁して、本来イエス様が命じた福音の宣教に行くべきと訴える

 

子女が相続者として立つまでは、イエス様亡き後は相対者であるマグダラのマリアがその使命を肩代わりしなければなりませんでした。

お父様の御言葉にも子女様が立たれていない時代には、お父様が天に行かれた際には、お母様を中心にやって行きなさいというような御言葉があります。

家庭連合が判断の基準はお父様の最新の御言葉によってせよというように、

現在では既に亨進様に引き継がれお父様が祝福の祈祷を為されたので

亨進様の時代、二世の時代になりました。

お母様もヨナ様の名前をこの時自ら声を挙げています。

お母様が主体になることはできません。

お父様の御心ですし。お母様もそのように一緒に祝祷されたのでした。

 

さて、イエス様が聖和された時には、イエス様の長子はいませんでしたが、庶母のマリアが中心にならざるを得ませんでした。

これに反対であったのがペトロ(ペテロ)でした。

どうやら天使長たちにマグダラのマリアは追放されてしまったようです。

レバノンから海を渡ってフランスのマルセーユに着いたようです。

そこでマグダラのマリアたちは伝道し続け50くらいの教会を建てたようです。

その子孫がキリストの子孫だと言っている方たちなのでしょう。

 

エス様の聖和時もカインの氏族の弟子たちが主導権を握って、ペトロはカトリックの最初の祭司として今日の組織を作りました。

本来はイエス様の妻子が中心となって行かなければなりませんでした。

ところが追い出されてしまいました。

天一憲法によって、お父様の血族ではない天使長たちが権力を握る仕組みが、正当化されてしまったように。

御子女様たちは内的にも外的にも追放されてしまい、どの国の幹部もこの法制度を助ける愚行を繰り広げています。

間違った天一憲法によって、神主義が民主主義にすり替えられてしまいました。

物質世界に執着して天使長の誘惑に負けた側近たちの陰謀でした。

何のために王の中の王が降臨されなければならなかったのでしょうか?

王が来られたのに剥奪してしまいました。

孝進様の子女様を立てても、摂政を側近がいくらでもできるような仕組みが作られてしまいました。

 

物質の本姓について聖書外典「マリアの福音書」ではこのようにイエス様が語られたとされています。

 

「・・・それなら「物質」はまったく破壊されるのでしょうか、されないのでしょうか」。

救済者が答えた、「一切の本姓、すべての被造物は相互に関連して存在する。

そして再びそれ自身のあるべき根源へと解体していく。物質の本姓は、その本姓に属するところのものへと解体されるからである。聞く耳のある者は聞くべし!」。

マグダラのマリアによる福音書 より

 

そして魂の上昇について「マリアの福音書」9・2-7には、霊人体と肉身、生心と肉心の対比で、われわれが、死を契機として、あたかもサナギから蝶にに変身するように自身を超克することを説明されています。

 

 すると、欲望が言った、「わたしはお前が下降するのを見なかった。でも今わたしは、お前が上昇するのを見る。いったい、お前はわたしに属しているのに、なぜ偽りを言うのか」。魂が答えた、「わたしはあなたを見た。あなたはわたしを見たこともなければ、わたしを知りもしない。あなたは、(わたしが身につけていた)着物をわたしの(真の)自己と(とり違えて)しまった。そして、あなたはわたしを認識しなかった」。これらのことを言ったあと、魂は大いに喜んで去っていった。

マグダラのマリアによる福音書 より

 

このような高度な内容の教えを男性の弟子たちをさしおいて、イエス様がひとりの女性に語るはずがないと、短気なペトロは憤慨したのでした。

まるでうそでもついているかのように言われたマリアは泣いて訴えました。

 

 そのとき、[マ]リアが泣き、そして、ペトロに言った、「わたしの兄弟ペトロよ、あなたは何を想像しているのですか?わたしがこのようなことを自分一人で勝手に考えたり、あるいは救済者についてわたしが虚偽を語っているとでも思っているのですか?」。

 レビが考えて、ペトロに言った、「ペトロよ、あなたは前々から怒りっぽい人だ。いまわたしには、あなたはまるで敵対者にたいするようにこの女性に議論をしかけている。もし救済者が彼女を価値ある人としたのであれば、彼女を拒否するあなたはいったい何者なのか

 たしかに、救済者の彼女に関する知識は完全に信用に課する。あの方がわたしたちより彼女の方を愛したのはもっともである。

 むしろ、わたしたちは恥じ入るべきなのだ。わたしたちは完全な人間を身に纏い、あの方がわたしたちに命じたように、わたしたち自身まことの人間を身につけ、福音の告知に向かうべきなのだ。救済者が語ったこととは違う規則や法は、一切定めないで」。

 [彼はこれらの]こと[をいった]後。彼らは教える[ために]、そして宣教するために出て行った。

 

お母様はお父様が第二代王として立てた亨進様をお父様と共に祝福され、祝祷されました。ところが、これを勝手に剥奪され、別の方にされようとしています。

マグダラのマリアとは正反対です。

マリアはラボニ(先生)と復活したイエス様に語りかけました。

エス様のおっしゃったとおり弟子たちに伝え、自分も実践しました。

お母様はお父様が地上に居られた時の警告を無視され続けました。

堕落訓母とお母様は責任を取らなければならないとお父様はおっしゃられてきました。

 

旧約聖書では霊能者の弊害を危惧してか彼らに否定的です。

死者との口寄せで話す者のことです。霊媒者です。

 

:27)男または女で、口寄せ、または占いをする者は、必ず殺されなければならない。すなわち、石で撃ち殺さなければならない。その血は彼らに帰するであろう』」。 

レビ記20章

 

:10)あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、  

:11)呪文を唱える者、口寄せかんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。

申命記18章

 

 イエス様亡き後マグダラのマリアはイエス様を代弁して信徒を励ましました。

 

泣いたり、嘆いたり、疑いを抱いたりしてはいけません。あの方(=イエス)の祝福はあなたがたとともにあり、今も守ってくださっているのですから、むしろ、あの方の偉大さを讃えましょう。なぜならあの方に準備していただいたおかげで、私たちは真の人間になれたのですから

「イエスが愛した聖女 マグダラのマリア

 マービン・マイヤー エスター・デ・ブール

 

 

イエスが愛した聖女 マグダラのマリア

イエスが愛した聖女 マグダラのマリア

 

 

DVDブック ビジュアル保存版 イエスが愛した聖女 マグダラのマリア

DVDブック ビジュアル保存版 イエスが愛した聖女 マグダラのマリア

 

 

 

マリアは常にイエス様を讃え証しし、真の父であるイエス様の祝福によって、真の人間になれたのだと語りました。

聖霊の実体のような姿がここにあります。

 

マグダラのマリアについて知りたい方は上記の本がおすすめです。

図書館にないか調べてください。

理由は、平易であること。文字も大きめで分量も適当で読みやすいこと。

マグダラのマリアに関係する主要文献の要所を押さえているので、原文から考察できること。それらとは、「マリアの福音書」「トマスの福音書」「フィリポの福音書」「救い主との対話」「ピスティス・ソフィア」「マニ教詩篇集 『ヘラクレイデスの詩篇』というようにほぼ揃っています。

 

では堕落天使長に魔法をかけれれてしまう以前の我らのお母様はどうだったことでしょうか?

以下のサイトから引用します。

32.基元節恩赦は「文先生の妾問題」をも赦す! えっ、誰が!?|御言 missing link

 

「‥‥‥それで、妾として、妾の女を連れて神のほうに戻っていかなければなりません。そうなると、妾は本妻の、正妻の怨讐です。地獄にみな同じく入ります。抱き合って転んでそこに行こうというのです。大変なことです。これをなだめて一つにならなければならないという、復帰された家庭にはそういう内縁があることを知っているのだから、神様はそれを収拾するために、『怨讐を愛せよ』ということを発布せざるを得ませんでした。分かりましたか?(はい)。」(女性訪韓修練会御言集 P114)


「そのためには、聖進の母親が、そのように妹を育てて、そのようにすることができる、このような立場を助けてあげなければなりません。ところが、それをしないで反対したのです。すべて破綻したのです。」 (ファミリー2003年11月号 第15回「八定式」におけるみ言葉 P34)

 そこで、次の2つの御言をお読み頂ければと思います。

「今、この御旨が成されれば、聖進のお母さんは、お母様を愛さなければならないのです。愛さなければ駄目なのです。離婚したその聖進のお母さんを、お母様は今まで一生涯、後援してあげました。会ったこともありません。お母様が素晴らしいのはそこです。あらん限りの力を尽くして助けてあげるのです。
 家も買ってあげるのですが、自分の家を買う前に、その家を買ってあげるのです。お母様はそのように考えるのです。ために生きるからです。そのような面で素晴らしいお母様です。先生がそれ(聖進のお母さん)を助けることができるなら助けます。愛ですることを妨げてはならないのです。」
 (祝福家庭10号 P22 神と共にある家庭 1998年 5月19日 ウルグアイ


「この前、聖進の母親が住む家の前までお母様を連れていったのです。この世的に考えれば、そこはお母様がついていくところではないのです。背を向けるべきところなのです。そして家を買ってあげるにも、全部お母様が買ってあげるようにしたのです。今までも生活費をまかなってあげたでしょう。別れた中でも今まで夫の役割をしてきたというのです。復帰はそのように難しいのです。 それはすべて、蕩減条件に引っ掛からないためです。私だけではありません。お母様もそのようにしなければならないのです。女性の中の女性、ために生きる女性の姿を残さなければならないのです。そのような意味で、お母様は立派なのです。何の不平不満もなく『ええ、そうされなければならないでしょう』と言うのです。そのようにして、それを越えたお母様が立派なのです。」(真の御父母様の生涯路程③ 弁解せずに責任を負ってきた家庭問題)

 

マグダラのマリアのような庶母を神の立場で愛されてきた偉大なお母様なのです。

家庭連合の幹部はこの栄光の功績を台無しにしてしまうのです。

恐るべき人間信仰です。

 

是非、熟考されてください。

 

 

 
 
魔法をかけれれた栄光のお母様を救う為の教科書 ⅠーⅤ、及び総合版
三部構成
 
一部 
Ⅰ は概要
ⅡはⅠの概要+主体対象の正統な理解について
ⅢはⅠ+Ⅱ+主体対象の一体化の摂理的意義について
 
二部 Ⅳ
三代王権について
1、亨進様の正統性
2,ヨナ様の正統性
3 ,信俊様の正統性
4,江利川会長の正統性
 
三部 Ⅴ
6マリアの理解の基礎
 

 


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