公式的なプログラムを通して摂理されるのです。皆さんの家庭も同じです。祖母・母・姉・義姉・妹・義妹など女性達がたくさんいます。この女性達が皆、和動して一つになれば喧嘩はありません。女性が問題です。ここで喧嘩すれば大変なことになります。サタンが入って来るのを知っているならば、喧嘩はしないのです。このような訓練をしなければなりません。神様が忍耐し、真の父母様が、それを全部消化して来ました。神様と先生を中心として、怨讐を愛しているのに、自分の血族を互いに一つにできないはずがありません。自分の血統であり、一族です。皆さんの怨讐を愛さなければなりません。家庭内の小さな怨讐を愛さなければ天国に行けません。二人の男性と二人の女性を皆、受け入れて愛さなければならないのです。
(世界の女性の復活と解放 1993年2月1日 ベルベディア)
血統転換:公式プログラム
家庭三代理想:男性系: 祖父・父・兄(義兄)弟(義弟)
女性系: 祖父母・母・姉(義姉)妹(義妹)
兄:本家 内戚
弟:文家 外戚
本然の世界では、アダムとエバのように内戚婚(近親婚)
堕落後の復帰摂理では外戚から妻を求めて内外統一
お父様を本家、神の内戚とすれば
お母様は分家、神の外戚、すなわちカイン側の血統から探し出されるはず。
決して、原罪のない女性であることはなく、復帰原理に適合しない
堕落によって一つの家族一つの血族一つの心情←これが破壊
これを家族の構成員の神の愛で元返していくのが血統転換
だから三対象の主体的愛
だから四大心情圏
天の神と地の神である真の父母が、心臓の血を流して忍耐し全部消化
葛藤と争いから愛と和動へ
サタンの死亡の血を抜き取り、神の血を輸血して
一つの心情一つの血糖一つの血族
サタンの死亡の血を抜き取り薄めて、神の血を注入し濃くしてきたのが復帰摂理
従って神の血を増やし濃くして来たのが、近親婚
もとより、アダムとエバの結婚は罪と堕落性のない兄妹婚
兄弟の一体化と姉妹の一体化→本家と分家の消滅→統一家の復帰=神家族
家庭的四位基台
縦的三代から
サラ・リベカ・ラケル:三代のマリアの一体化
三代目が縦的三代を一代で横的に精算
さて前回での6マリアではヤコブの妻達を参考にしてきたが4人でした。
ではこれを一体どう受け取ったらよいというのでしょうか?
<6マリアの6数の原理的根拠を求めて>
6マリアの6数がもし摂理的数字であるとすれば、その根拠と考えられる最有力は、
お父様の上記の御言葉でしょう。
「公式的なプログラムを通して摂理されるのです。皆さんの家庭も同じです。祖母・母・姉・義姉・妹・義妹など女性達がたくさんいます。この女性達が皆、和動して一つになれば喧嘩はありません。女性が問題です。」
①お父様の御言葉からは
祖母・母・姉・義姉・妹・義妹の6人
これを三代で一代とみなす.
この家族成員にアブラハム・イサク・ヤコブの一家庭に代入すると
祖母サラ・母リベカ・姉レア・義姉ビルハ・妹ラケル・義妹ジルバの6人
②アブラハム家庭は3次目の家庭からすれば(三次の家庭と延長の三代の家庭)
アダム家庭のマリア→ノア家庭のマリア→アブラハム家庭のマリア 3人
これは家庭的、本来のアダムは神の国の王となるべき王子、天宙の主管者
この代表が第一アダム、第二アダムのイエス様、第三アダムの再臨主
アダムの相対者であるマリアは天宙的マリア
天宙的アダム家庭のマリア→天宙的イエス家庭のマリア→天宙的再臨主家庭のマリア
3人のマリア
③アベル・カインから見たアブラハム・イサク・ヤコブ一体家庭から
アブラハムのサラとハガルの二人のマリア
イサクのリベカは一人なので除く
ヤコブの妻ラケルとレアの二人と各々がヤコブに与えたビルハとジルバの二人のマリア
三代の中の6マリア
<サラとリベカの使命の継続性>
サラと同様の路程をリベカも歩んでいる。
:8)イサクは長らくそこにいたが、ある日ペリシテびとの王アビメレクは窓から外をながめていて、イサクがその妻リベカと戯れているのを見た。
:9)そこでアビメレクはイサクを召して言った、「彼女は確かにあなたの妻です。あなたはどうして『彼女はわたしの妹です』と言われたのですか」。イサクは彼に言った、「わたしは彼女のゆえに殺されるかもしれないと思ったからです」。
:10)アビメレクは言った、「あなたはどうしてこんな事をわれわれにされたのですか。民のひとりが軽々しくあなたの妻と寝るような事があれば、その時あなたはわれわれに罪を負わせるでしょう」。
:11)それでアビメレクはすべての民に命じて言った、「この人、またはその妻にさわる者は必ず死ななければならない」。創世記26章
さて、以上の内容に関係する情報を探していたら
ちゃぬさんが御言葉を引用したサイトと
彼女の6マリアの構成図を発見したので引用させて頂くことにします。
http://ameblo.jp/chanu1/theme2-10031388309.html
『真のお父様が、崔淳實(淳実)さんと出掛けられるときには、わざと怒らせるような言葉で、「明煕よ、すまない。わたしたちは映画を見に行ってくる。」と言って出掛けられました。また、淳實(淳実)さんは、映画館に行ってくると、真のお父様がおっしゃった言葉をわたしに話してくれました。
映画の中の女性の主人公を見ながら、「あれは明煕のようでしょう? まるで明煕のようだ。」とおっしゃったと言いました。そのような中で、淳實(淳実)さんとわたしは教育を受けたのです。淳實(淳実)さんと、その妹(崔淳花)とわたしを、真のお父様は三位基台として結んでくださいました。』
(ファミリー2005年6月号より 金明煕の証し)
『お母様の血と肉が交差しているのです。そこではお母様は、多くの涙を流しました。結婚をしたので、どこかに行こうとすれば夫に付いて歩かなければならないのではありませんか。ところが、おばあさんの三位基台、お母様の三位基台がいるのです! どこかに行く時はその人たちを連れていくのであって、お母様は連れていきません。ですから、どれほどあっけにとられるでしょうか。峠を越える時までは、そうするしかありません。そのようにすることによって、周りにいる女性たちが「あの先生は、あまりにひどいではないか!」と言うようになるのです。』
(「真の御父母様の生涯路程10」より 文教祖のみ言葉)
『また本来、再臨主は、「旧約・新約・成約」の三時代を連結できる代表的な女性が協助する中で聖婚してこそ、初めて父母圏を定着させることができる。それゆえ、縦的な三代がそれぞれ横的に展開された、おばあさんの三位基台・中年女性の三位基台・真のお母様の三位基台があった。真のお母様の三位基台となる女性たちは、エバの失敗を蕩減する主導的な役割を果たして、真のお母様を天国の王妃として保護育成しなければならず、中年女性とおばあさんの三位基台は、真のお母様の三位基台の象徴的な基盤であり、精誠によって一つにならなければならなかった。』
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)
『ここで崔元福先生について少々触れる。復帰されたエバの立場にあり、真の御父母様の前には洗礼ヨハネ的エバの使命をお持ちになっておられるお母様と一体となられる事により、サタンがお母様に侵入できない。本来大先生のお母様がマリヤと同じ様に、その使命を果たすべき立場におられたが、摂理上それは崔先生が担当されているのである。』
(歩みこられし主の道(1974年版主の路程))
『どこかへ連れて回るときには、崔先生を連れて回ります。お母様に侍っておいて、私が行くべき道を公式的にすべて教えておきます。「このように行かなければならない」ということを、一つも間違いなくただそのまま行きます。』
(第14回「愛勝日」のみ言葉 1997年1月2日 ブラシル・サンパウロ)
『今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。
本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。』(真の御父母様の生涯路程10 崔元福先生の使命完了)
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11176055075.htmlより以下を引用
<1960年ごろの六マリア>
(アベル側ラケル格マリア)
アダム的:李昌淑
イエス的:李京俊------孔子と祝福
再臨主的:韓鶴子------文鮮明と聖婚
(カイン側レア格マリア)
アダム的:李得三
ノア的 :李貞玉------ムハンマドと祝福
ヤコブ的:崔元福------釈迦と祝福
--------------
孔子 -李京埈(お母様と三位基台)
キリスト -張貞順(すでに1971年にイエスと霊界祝福させている)
釈迦 -崔元福(カインのお母様 三位基台は李得三・李貞玉)
ムハンマド-李貞玉(三位基台は崔元福・李得三)
ソクラテス-金明煕(喜進の母 三位基台は崔淳實・崔淳實の妹)
アウグスチヌス-姜賢實(1952年文教祖が直接伝道)
誰がどのような役割をしてきたのか確定することに関心が行く人もあるでしょう。
だが、大切なことは、心情と血統と結婚から見た復帰原理の全体観から判断しなければならないというのです。
本来であればアダム家庭から順を追って血統転換を考察するのが一番良いのですが、それでなくても分量が多くなるので、アブラハム・イサク・ヤコブを中心に思いつくまま書き殴って参ります。時系列ではないことをお断りします。
<創造>
アダム→エバ→天使長 (神の愛による地上天上天国)
<堕落>
天使長→エバ→アダム (サタンの淫乱による放縦と無責任の地上天上地獄)
<復帰>
アダム←エバ←天使長 (神の愛による自由と責任による秩序の地上天国)
人:自由と責任
万物:自律性と主管性
絶対愛・絶対「性」の伝統が確立できなかったというのです。
アダムの神の愛を中心とする家庭か?
サタンの偽りの愛を中心とする家庭か?
神とサタンの一線は四位基台の攻防戦のことです。
エデンの園の構成員という視点では上記のように学んできたが、
神の愛とは何かというと三対象目的の主体的な愛でした。
これを別の表現で父が話されたのが、四大心情圏でした。
1,父母の愛
2,夫婦の愛
3,子女の愛
4,兄弟姉妹の愛
そこで、父・母・夫・妻・父・息子・娘・兄・弟・姉・妹の位置と状態を
取り戻す摂理が為されなければならないというのです。
神・人(アダム・エバ)・天使という観点だけでは復帰摂理は理解されないというのです。
そこで、聖書の記述は家庭の構成員の名称をよく抑えて読み解かなければならないというのです。
さらには、堕落論の動機と経路にあるように、
1,動機は神の動機かサタンの動機か
2,相対関係は神による理想相対かサタンによる破滅相対なのか?
3,堕落の時と逆の経路で、蕩減条件を立てて、本然の位置と状態を復帰
そして、堕落を通常の二つの堕落である、霊的堕落と肉的堕落に加えて、
三つ目として心情的堕落を加える。それを「結婚」という切り口で
婚約状態(祝福期)→結婚状態(結婚期)→家庭状態(子女繁殖期)
すなわち、神の祝福を受けて、次に実際に夫婦となり結ばれ、さらに子宝を得て家族を持つというような推移があることに着目して、復帰原理を見ることができるというのです。
それを前回は以下の公式からまとめて見せたのでした。
<公式8>
霊肉の堕落の結果
天使長→サタンになった偽りの父
エバ→天使長の妻にしてアダムの偽りの母
アダム→父サタンとサタンの妻にして母となった堕落エバの子
①心情的堕落:天使長が兄でエバが妹<婚約状態>
②霊的堕落:天使長が夫でエバが妻<結婚状態>
③肉的堕落:天使長が父でエバが母でアダムは子(種のない天使)<家庭状態>
復帰はこれを元返していかなければなりません。
だから、エバは
エバが堕落で失ったものは
妹と妻と母と祖母 これを復帰、簡略すると3つ
妹→妻→母
母→妻→妹
だから、結婚は
家庭状態→結婚状態→婚約状態と遡ってアダムとエバがエデンに復帰される。
どうやらお父様とお母様が復帰される道は、一筋縄ではいかず、原理講論の直接的表現だけでは到底理解できない複雑な、縺れに縺れた糸を解きほぐすような道であるようです。そこで少なくとも原理講論のなかで関連すると思われる箇所の間接的表現のも目を配らなければならないことでしょう。
ざっくりと心情と血統と結婚から復帰摂理を眺めて参りましょう。
韓国ドラマのテーマとして度々現れる
血統と結婚と財産相続は実に示唆に満ちて、摂理的民族であることを思い出さずにはいられません。
エバとアダムの性行為(結婚)は
偽りの父サタンの精子を妻になったエバの胎に仕込んで子供であるアダムを生んだ行為
<アダム家庭で抑えるべき点>
サタンはエバに侵入し精子を仕込んで子をつくり(長子権)、子によって嗣業を得る(財産権)
そこで、サタンの思想(独生女神学)をエバの子宮にに注入し、サタンの祝福とサタンとの血縁関係を結ぶ聖酒を飲ませ、サタンの祝福を与え、サタンの子を繁殖し、神の財産を奪うというのです。
サタン→エバの思いに侵入(婚約→血縁関係を条件に)→子女繁殖→万物主管(財産権)という戦術
訓母の嘘八百と呉澤龍の独生女神学→聖酒と祝祷による堕落子女繁殖→万物掠奪
韓流ドラマの現代劇では、必ず出てくるのが大金持ち、その子息に誰が嫁いで財産を受け取るかというパターンが見られます。
これが時代劇になると、国家レベルになり、中心の宮廷では王と王妃にその子供達だけではなく側近がいます。
彼らの忠誠は自分の血統の一族の繁栄です。
天使長の側近王妃に働き、王に働き、どの子を擁立するか政治的に動きます。
誰が擁立されれば一番自分が王や民の財産をかすめ取ることができるか知っているのです。
清平でも同様な政治家が側近なのです。
<アブラハムの家庭で抑えるべきこと>
サラが跡継ぎのイサクを生むと、それ以前にハガル生んだイシマエルと母ハガルは、アブラハムの家から追い出されてしまいます。
紀元前2000年頃の中近東では正妻が跡継ぎを生むことができない時には、自分の代理として夫に妾をあてがうことができた。そして、その生まれた子は妾の子ではなく正妻の子となりました。
サラはイサクが生まれたので財産権をイサクに与えたかったのでしょう。
さて、跡継ぎについての律法は、初めての子の権利は母親の立場によっては左右されることはないとされている。
<ノア家庭で抑えるべき点>
アダム家庭は8人でした。
アダムとエバの1夫婦
アベル・カイン・セツの3夫婦
そこで、ノア家庭でも
絶対「性」を取り戻すためには
セム・ハム・ヤペテが蕩減復帰しなければならないというのです。
カイン・アベル問題と
絶対「性」信仰による3人の一体化によって蕩減復帰することができる。
アベルとカインの二人の問題が、アベルが殺されたためセツが立てられ3人の問題となったというのです。セツの後孫がノアでした。
アベル・カインと3兄弟の一体化は表裏のような関係。
真の御家庭では、栄進様と亨進様の祝福が重要とされた。
詳細は引用元である以下のサイトを参照してください。
第四アダムに関するみ言|現役食口Unrestorableの不信仰告白
そのような意味において、今回(九月六日)、栄進君と亨進君の二家庭の祝福が、重要な意味をもつのです。真の父母の家庭の中で、一番最後に生まれた二人の息子が祝福を受けるとき、絶対的に真の父母と一つになったのです。自分という概念がありませんでした。すべてを真の父母に委ねたのです。解放された第四次アダム圏時代の理想家庭が出発してこそ、地上天国が始まるのです。そのためには、すべての祝福家庭が、神様の理想と栄光を顕現する、本然的な家庭の出発をしなければなりません
第四次アダム圏時代宣布
1997.9.11
栄進様が聖和される直前に、国進様に「亨進のことを頼む」と言い残されています。
国進様は栄進様の使命を引き継がれ完成されることになったというのです。
亨進様と国進様を支えるため、栄進様が世界中の兄弟に現れて活動されているのは、そのためだというのです。
3兄弟
亨進様・国進様・栄進様(天界)→亨進様・国進様・顕進様(権進様)
これでアベル・カインの表裏が完成されるというのです。
もし、顕進様が立たれなければ、権進様が果たさなければならなくなります。
我々の侍義の要諦はここにあるというのです。
<タマルの聖書記述>
タマルの物語の経緯をみると。
1,タマルはユダの長子エルと結ばれるが、エルは「主の前に悪い者であったので」神の怒りに触れて死んでしまう。
2,そこで(風習に従って)ユダの命により次男のオナンがタマルを娶ることになるが、生まれてくる子が兄の子になってしまうことを嫌って、精子を胎に入れずわざと外に出してしまう。これがまた神の逆鱗に触れオナンも死んでしまう。
3,これを見て三男のシラまでも死んでしまっては大変だとユダは考え、シラが成人するまでタマルに実家に帰って待っていなさいと命じる。
タマルはこれに従うもユダがシラの元に嫁がせるつもりがないことを知る。
4,(ここは聖書には書いてはいないが)タマルは貞操観念の徹した女性であったが、このままでは神が祝福した血統が絶えてしまうことを何よりも恐れた。
5,ユダの妻シュアが死に喪に服する時期を終えたとき、ユダが羊の毛を切るためにテムナに行くことを人から聞いて、寡婦の衣服を脱ぎ被衣で身を覆い遊女を装ってユダを待ち受けた。シラが成人しているにも拘わらず妻にはなれないと知ったからである。
6,顔を覆った遊女タマルを見つけ、ユダは子やぎと引き替えに行為を望んだところ、タマルは子やぎを与えてくれる時まで保証として印と紐と杖の三種を交換の日まで与らせてほしいという。
7,交渉が成立し二人は結ばれ、ユダによってタマルは身ごもる。被衣は脱いで寡婦の衣服に着替えた。
8,ユダは女からしるしを取り戻そうと人をやるがこの辺りに遊女はいないと報告を受ける。
9,三ヶ月後にタマルが姦淫を犯し子を身籠もったと聞いて、ユダは彼女を引き出して焼いてしまえと言う。
10、引き出されたタマルはユダに使いをやって、このしるしの主が相手であることを伝え、誰の者か見定めてほしいと懇願した。
11、ユダは「彼女は私より正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである。」と言い、再び彼女を知ることはなかった。
サタンと淫行関係を結んで堕落したエバは、アダムをサタンと同じ立場でサタンと同じように誘惑して堕落させた。
タマルは神の祝福した血統を守るという、神の立場で殺されることを覚悟してユダを誘惑して身籠もった。
長子エルと結婚 エルは神に対する不信仰→死亡
次子オナンと結婚 子供が生まれても兄エルのものになるので精子をこぼす→死亡
三男シラの成人時に結婚する約束 だがシラは別の人を妻にする
タマルはアブラハムが夫を与える意思がないことを知った。
神の血統が絶えることを怖れた。
タマルに対して「彼女を引き出して焼いてしまえ。」と命じたユダであったが、自分が預けていた印と紐と杖を見定めて、思い直したのであった。
「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである。」と認め、以後彼女と関係を結ぶことはなかったのです。
殺そうとしていユダがこの女を義としたのです。
神の目的を中心に神の予定していた相手と、兄弟姉妹の心情関係を経て、婚約期間を全うして、晴れて夫婦になるべきアダムとは別の姦夫、天使長ルーシェルの誘惑に、神の御言葉である戒め「取って食べるな。」(性的意味)を破って、エバが淫行関係を結んで生まれ広がってきて地に満ちたのが人類でした。
善悪とは互いにその目的を相反するものであり、その求める方向性は180度違っている。
ある意味において、そうであるからこそ、方向性を完全に正すことができれば、復帰の道があり救済され得るというのです。
すなわち堕落の時と同じ情況で逆の経路を歩むという道筋でした。
タマルの物語に比して今一度、アブラハムの甥ロトとその娘たちの物語を見てみましょう。
創世記19章31節~38節
時に姉が妹に言った、「わたしたちの父は老い、またこの地には世のならわしのように、わたしたちの所に来る男はいません。さあ、父に酒を飲ませ、共に寝て、父によって子を残しましょう」。彼女たちはその夜、父に酒を飲ませ、姉がはいって父と共に寝た。ロトは娘が寝たのも、起きたのも知らなかった。あくる日、姉は妹に言った、「わたしは昨夜、父と寝ました。わたしたちは今夜もまた父に酒を飲ませましょう。そしてあなたがはいって共に寝なさい。わたしたちは父によって子を残しましょう」。彼らはその夜もまた父に酒を飲ませ、妹が行って父と共に寝た。ロトは娘の寝たのも、起きたのも知らなかった。こうしてロトのふたりの娘たちは父によってはらんだ。姉妹は子を産み、その名をモアブと名づけた。これは今のモアブびとの先祖である。妹もまた子を産んで、その名をベニアンミと名づけた。これは今のアンモンびとの祖先である。
アブラハムはヘブルびとと書かれているし、その後孫も然りです。
甥のロトがこうした経緯で残した子孫はモアブびととかアンモンびとと呼ばれるようになったというのです。
タマルは姦淫を忌み嫌い貞操観念の確立した女性であったが、そういう自分の事情よりも神の祝福した血統がこのままでは絶えてしまうことを何より恐れ、死線を超えてでも神が祝福した血統を残そうと信仰を立てたのでした。
それ故、後孫に救世主、イエス・キリストが誕生するのです。
姉はモアブという男の子を産んで、それがダビデの曾祖母となるルツに繋がったことを考えると、動機が神か自分かは書かれていないが、ここにも重要な意味があるかも知れないでしょう。
ロトの妻は塩の柱になってしまっていたので、神の血統が途絶えるところでした。
<アブラハムの根本問題と6人の女性たち>
(▽は男性 ▲は女性)
▽
テラ
|
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
| | | |
▽ ▽ ▲ ▽ ▲
| | | || |
ーーーーーーー | ーーーーーー ーーーーーーーーー
| | | | | |
▲ ▽ ▽ | | ▽
ミルカ イスカ ロト| イシュマエル イサク
| | |
ーーーーーーーー |
| |
|ーーーーーーーーーーーーー |
| | |
▽ ▲ |
ラバン リベカ ーー
| |
| |
| |
ーーーー ーーーー
| | | |
▲ ▲ ▽ ▽
神の祝福された血統の死守と神の心情の相続
1,神は神の愛する血統のみの繁殖を願われる。
EX. ①ハガルから生まれた子は神の嗣業の相続人にはしない。
②ラケルの女奴隷ビルハ(妾)やレアの女奴隷ジルバの子を望まれない。
2,神は神の血統の死守のために、神の愛する氏族の近親婚を求める。
EX.アブラハムとサラは、異母兄妹
ナホルとミルカは叔父と姪の結婚
イサクとリベカは従兄妹(いとこ)
アブラハムはイサクの嫁は親族から選びたいと考えた。
3,神の手にある聖婚と、サタンの手にある混淫
堕落した血統を聖別し純化するためには、
神の祝福しない血統との婚姻はしない。
神の祝福しない血統、すなわちサタンの血統との結婚は、サタンの血統が混入す
る混淫であり淫乱だというのです。
神の血統が薄まるのです。汚されるのです。
反対に、神の祝福する家族や氏族の成員による結婚は、神の血統を純化するので
聖婚であり善なる性愛だというのです。
神の血統が濃くなる。浄められるというのです。
よって生まれてくる子も、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
マタイによる福音書3章17節
EX. ①神の祝福する血統のアブラハムとそうではないサタンの祝福する血統のハガル
による性的関係は神の血統にサタンの血統が混入する混淫
②ヤコブとビルハやヤコブとジルバが性愛によって結ばれる事も同様
4,神は神の祝福する血統を重んじる女性、自分の体面も生命も何もかもを失っても
神の祝福する血統を残そうとする女性を捜し続けておられる。
EX. タマルによって初めて神はそのような女性を見出す。
5,神が祝福した血統の子女を授けることのできる血統を愛する心情が確立するまで
神は御心に適った女性の胎を閉ざされる。
6,女性達の間に葛藤と闘争がなくなればサタンの存在基盤がなくなり血統はそれぞれアベルの血統カインの血統というような、相対的な血統ではなく、神の絶対的な血統になります。
血統転換が完了するのです。
だから6マリアは記念すべき栄光と恩恵の奇跡なのだというのです。
EX.サラ・ラケル・タマル
堕落はエバによって引き起こされた。
エバがアダムを誘惑しアダムを堕落させた。
この時アダムがエバを突き放して、自分だけ完成したなら
エバの復帰は容易であった。
サラはアブラハムを誘惑(誘導)し、ハガルとの間に子を持つよう混淫を薦めた。
神の願わざる結婚を誘導した。
ラケルとレアのような同一の父から生まれた姉妹のアベル・カインが理想でした。
姉と妹のアベルカインを複雑にして、義姉と義妹まで参加するまでにヤコブ家庭はなってしまいました。
アブラハムはこれを突き放さなければならなかった。
ところがこれを受け入れたために、神が祝福した血統が汚染され蹂躙されてしまった。
神の血統にサタンの血統を混淫した。
これがアブラハムの根本問題です。
この事実は判例のようになって、後孫の判断をおかしくした。
イサクは実体献祭の道を行き、サタンの死亡の血を流した。
彼はリベカ以外の女性を知らなかった。
リベカとは誰であったでしょう?
7年路程はなんでもなかった。
愛するラケルと結ばれるならどんな苦労も受けて立った。
ところが叔父のラバンはヤコブをだまして姉のレアと結ばれるように策略した。
ヤコブはこの罠にはまり、ラバンに抗議したが後の祭りであった。
狡猾なラバンはもう7年仕えればラケルも嫁がせると約束した。
ヤコブが騙されたことによってエバだけであった女性問題を姉妹型のアベル・カインを生み出してしまった。
さらにこの姉妹はそれぞれ妾をヤコブに与えて、アブラハムの時と同じ間違いを犯してしまった。
イエス様の時はこれを蕩減復帰するために、マリアとエリサベツが登場することになった。堕落後のアダム家庭のように単純にはいかなくなってしまった。
姉妹のアベル・カインとそれぞれの子である、イエス様と洗礼ヨハネという、ザカリアを中心とした腹違いの子供によるアベル・カインが登場してきた。
さて、詳細は省いて要点を言うと、
ヤコブの時もアブラハムの時のような、神の祝福した血統にサタンの血統が入り交じる、混淫が行われた。
そばめ=妾のことである。
ラケルがあてがったビルハと
レアがあてがったジルバによって
ヤコブの子供が生まれてきた。
神の血統にサタンの血統が混入する混淫があった。
ラケルはエバのように、ヤコブを誘惑(誘導)して、ビルハをあてがい姦淫を薦め子を宿らせたた。それは神が予定したヤコブの子ではなかった。
妾の子、姦淫の子、混淫の子であった。
神が祝福することができない、本来は、嗣業を相続させることもできない者たちであった。
レアもエバのように、ヤコブを誘惑(誘導)して、ジルバをあてがい姦淫を薦め子を宿らせた。それは神が予定したヤコブの子ではなかった。
姦淫とは原理的に定められた相対関係ではないということと、その動機が神の血統の繁殖でないことである。
ヤコブは時ならぬ時に、神の祝福とは関係のない者と、時のことをしてしまったのである。
ザカリヤの家庭において、
かってヤコブの時はサタンが妾を用いて姦淫をヤコブにさせ、神の血統の混淫を招き混乱を生じさせたので、
今度は「堕落の時とは逆の経路」の原理原則から、妾を用いて神の血統を現す。
神は妾(マリア)を用いて、形の上では見かけ上姦淫に見せかけ、実際には死んでも姦淫をしない男女が神の御心故に、死線を超えて、サタンの死亡の血を流し抜き去って、そこに原罪の精算された神の血統を誕生せしめた。
イエス・キリストの誕生のことです。
このことは再臨の時にもしも予定されていた天の女性が失敗した際には、
婚姻関係が続く夫婦のときに、妾の立場のような女を復帰して結ばれなければならないことを暗示している。
アブラハムの家庭的摂理の進展がままならなかったため
三代に渡って延長することになった。
そこで、
三代で一代、三家庭が一家庭とみなされる。
アブラハムの家庭のサラとハガルの問題と
またレアとはした女ジルバ
合計6人の女性問題を
誰かが一家庭一代によって蕩減復帰して、解消しなければならなくなったのです。
その道は
男性にとって愛の拷問の道だというのです。
女性にとって愛の拷問の道だというのです。
それを目の当たりにする子女にとって
愛の拷問の道だというのです。
よって何人も御子女様を非難してはならない。
堕落がなければ全て必要がなかったことだというのです。
ヤコブが14年も苦労してでも愛し合い共に幸せを分かち合いたいと思ったかけがえのない女性がラケルであったように、
お父様の胸の中には永遠絶対に愛されるお母様がただ一人おられるのです。
どのような屈辱的で奴隷のような引き裂かれるような道を行こうとも
真のお父様の清らかな愛は、ただただお母様のためだけにあり、捧げられた真の愛なのです。
ヤコブの混乱から生まれてきた12人の男子の収拾のために、お母様が天から要請されたのは、可能な限りに12人の男子の誕生でした。
ヤコブの子供たちの混乱の歴史的終了を賭けて、今御子女様たちが統一の道を闘ってくださっているのです。
さて、サラの信仰ですが、原理講論にはこうあります。
アダムとエバが未完成期(婚約期間)において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長ルーシェルがエバを奪ったので、その子女達と万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。従って、アブラハムがこれを蕩減復帰(罪の負債精算)するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、一旦サタンの実体であるパロに奪わせたのち、渠の妻の立場から、再び彼女を取り戻すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである。
( )の中は私注です。
このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、はじめて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」を捧げることができたのである。
1,サラがアブラハムの妹としてサタン側のパロの元に行き、懐に抱かれる所を、知恵と信仰で免れてアブラハムの元へ戻ってくる。
この時、人(人類を象徴)と財(万物を象徴)を神側に復帰してくる。
創世記12章10節~20節
10、さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。
11、エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は愛するサライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。
12、それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。
13、どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。
14、アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、
15、またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。
16、パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。
17、ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された。
18、パロはアブラムを召し寄せていった、「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。
19、あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください。
20、パロは彼の事について人々に命じ、彼と彼の妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた。
2,三種の供え物→失敗
アダムが堕落したために善にも悪にも相対するように陥ってしまったため、その子アベル(善の表示体)とカイン(悪の表示体)に善悪分立したように、供え物を裂くことによって善悪分立し聖別された供え物として捧げなければならなかったが、深い眠りに襲われて鳩を裂くのを怠ってしまった。
創世記15章9節~13節
9、主は彼に言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい」。
10、彼はこれをみな連れてきて、二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。ただし、鳥は裂かなかった。
11、荒い鳥が死体の上に降りるとき、アブラムはこれを追い払った。
12、日の入るころ、アブラムが深い眠りにおそわれた時、大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ。
13、時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。
3,この失敗のゆえに再びサライは同様の路程を歩まざるを得なくなったのであった。(創世記20章1節~18節)
妹であると言ったサラをアビメレクは召し入れ、関係を結ぼうとしたが、信仰を立てたサライゆえに神がアビメレクの夢に現れ、「あなたは召し入れた女のゆえに死ななければならない。彼女は夫のある身である」(20章3節)と告げ、まだサライに近づいていなかったアビメレクが妹であると聞いていたいたと釈明して命乞いをした。するとまた夢に現れて続けて言われた。「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯せず、彼女にふれることを許さなかったのです。いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。(20章6節~7節)
こうしてアビメレクはアブラムに羊と牛および男女の奴隷を与えサライを返した。また銀1000シケルをも与えたのである。
4,サライの勝利によって、もう一度献祭を捧げる事ができる立場に立つことができたが、簡単な供え物を精誠を尽くして捧げることができなかったために、より大きな代価の捧げ物が必要となったのです。
これがイサク献祭でした。
たやすくできたはずなのに鳩を裂かなかったということは、アブラハム(アブラム)の心が裂かれていないことを意味し、これは善にも悪にも相対し得る非原理的な立場であったので、神のみに相対しうる立場に立つためには、より大きな捧げ物が必要となったのである。自分の命よりも貴重なものを捧げることによって、サタンの血統の死亡の血を流すことができるのである。善悪分立のことです。
自分の命を神に捧げることには躊躇しないであろうアブラハムも、さすがに生まれるはずがないと思って老境のみに与えられたイサクだけは、捧げる覚悟を決めるのに3日かかったのでした。
ご存じの通りアブラハムとイサクはこの試練を父子一体で勝利したのであした。
サラが絶対貞操を守り、リベカは神が愛するヤコブに対して夫のイサクが長子としての祝福を与えるよう神の立場で協助することによって、神の血統や心情の後継者ヤコブが成立し、そのヤコブは天使との組み討ちに勝利して勝利者すなわちイスラエルと天使から名を名乗るように言われることに繋がっていくのである。タマルがエバが果たすことのできなかった女性の勝利者として、絶対愛・絶対「性」・絶対貞操の伝統を確立してイエス様が聖霊によって身ごもるという道筋を神が教示してくださったのです。
聖霊体験というのは実際に体験すれば、単なる霊的な働きではないことがわかるのです。
聖霊の役事によって、大きな力が自身に働くと、その力の背景に、はっきりと人格が認められ、母性愛が本質で圧倒的な力で包まれます。
聖霊によって身ごもるというのは、神を中心として勝利した女性が血統転換の役事を主導し、協助して現された摂理であり、神の心情を復帰した初めての真の父・イエス・キリストの誕生であったのです。
罪なき、第2のアダムが創造されたのでです。
ラケルはレアの喜びを自分のこと以上に祝福したい心情に欠けました。
そのためにはレアを愛するために、レア自体を愛するほかに、さらに一段下がって、レアの子女に仕え愛する道を行くべきだというのです。
そうすれば、二人の姉妹は見かけは二人でも、一人のマリアのように一心になれたでしょう。そこにはサタンが侵入する道はなかったというのです。
またヨセフのような立派な方も、同じ信仰や神の愛する血統の信仰的女性ではなく、異邦人である「エジプトの女」と結婚してしまい。天運を逃してしまったことは残念なことである。
神を中心とした、神が祝福し得る結婚とは大きく離れていたことが、その子孫にキリストが誕生しなくなった失敗だったのである。
神様の眼から見て、ヨセフとマリアは御心に適った信仰の持ち主であった。神の眼に適ったというからには、我々とは天地の差がある御方であった。
そこで期待された内容も、想像を絶するものであったのである。
神の復帰摂理はアダム家庭に願われていた創造理想を復帰することであった。
アダム家庭においては
1,愛の秩序
神→アダム→エバ→天使長
アダムとエバを人間としてひとくくりにすれば
神(親)→人間(実子)→天使(僕)
という挌位で、神から真の愛が行き渡り、愛による理想世界が誕生するはずでした。
2,天使の淫行による堕落によってもたらされた堕落性
本来ならば神の神性が創造本性として人間に相続されるはずでしたが、天使長ルーシェルの堕落によって偶発的に生じた4つの堕落性が、人間にも相続され、地には人々がこれを携えて繁殖し広がり罪悪世界が展開されてしまったのです。
4つの堕落性とは、
①神の立場に立てない(神の立場で愛せない。)
②自己の位置を離れる
③主管性転倒(主体挌位と対象挌位の逆転主管)
④罪の繁殖
3,アダム家庭において起きた問題のいくつか
堕落時の情況を逆の経路で復帰(元返す)
アダムとエバが兄と妹として、未完成期間の婚約期に、エバが本来予定されていた結婚相手であるアダムとではなく、天使長ルーシェルによって誘惑を受けて不倫なる淫行関係を結ぶ。天使長を主管できず逆に主管されてしまったエバは、アダムの前には対象挌位であるはずであったが、天使長ルーシェルと同様に、アダムを誘惑し、神に許されていない未完成の未成年期に淫行関係を結んでしまった。こうして生じた罪が子々孫々に受け継がれるようになり、現在に至る罪悪世界が形成されるようになったのです。
①絶対「性」の破棄→神の立場、神を中心とした絶対「性」の復帰
神が与えた戒めである絶対「性」の確立に関する御言葉「取って食べるな」(御言葉)を守らず死を覚悟して堕落。
従って、絶対「性」を死線を超えて、神の元に復帰。
主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木から取って食べてはならない。それを取って食べるときっと死ぬであろう」。(創世記2章15世宇~17節)
さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、本当に神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちはそのの木を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな死んではいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がその木を見ると、それは食べるには良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。するとふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。(創世記3章1節~7節)
②本来的自己の挌位の復帰と死守→③天使に対する主管性の復帰
創造時: エバ(主体)・天使長(対象)
天使長はエバによって主管される
堕落時: サタンと化した天使長(主体)・堕落エバ(対象)
復帰時: 復帰されたエバ(主体)・サタンの実体(対象)
EX.サタンの実体であるパロやアビメレクがアブラハムの妻サラを誘惑したが、これを信仰で死守したので神が守ることができた。そこで天使長にたいする主管性を復帰し、本来の主客の秩序が取り戻せたのです。
興進様によればサラはパロやアビメレクに犯されないため、中世の貞操帯のようなものを身につけていたという。夫が妻に浮気されないために鍵で施錠した防具が中世では使われることがあったという。しかも、これをこじ開けたときのために、サラは中にウジをいっぱい入れておいたという。これを見てはさすがのアビメレクも意気消沈したのです。
ここまで徹底したサラは偉大な女性です。
神が祝福した夫アブラハムの妻という位置は、神の妻の位置です。
神に対する絶対的貞操を守ったのです。
偉大な女性、サラやリベカやタマルの勝利の延長線上に現れた希有の信仰の持ち主がイエス様の母マリアでした。
マリアが罪なき神のひとり子であるイエス様を生むためには、想像を絶する歩みに勝利しなければならなかったのである。神のために自分という思いを完璧に捨て去って行く死線を超えていく道でした。
これを勝利して、
④罪の繁殖→善の繁殖 に転換
善の実体の繁殖、すなわち神の子、イエス・キリストの誕生を人類は迎えることができたのです。
アダム家庭
未完成期間(婚約期間):アダムー兄、エバー妹 ←祝福
神の戒めを守り時が満ちる:アダムー夫、エバー妻 ←結婚
天使長:子供を持つことが許されていない僕の立場
ところが天使長ルーシェルが堕落し姦夫となりエバを誘惑強姦して淫行関係を結ぶ。
アブラハム家庭
アダムの立場→アブラハムー兄、
エバの立場→サラー妹 (父は同じだが母が違う、腹違いの兄と妹)
パロやアビメレクは堕落した天使長ルーシェル(サタン)の立場
したがってサラとの間で子供を持つことができないというのです。
原理講論によれば
イエス様の家庭
婚約期間:天使長の立場→ヨセフ、エバの立場→マリア
ヨセフは天使長の立場で蕩減復帰(罪の負債精算)
すなわち、婚約期間に神側の夫により妻を奪われて子を持つことが許されない。しかしながらその子供を大切にして、親でありながら僕として、善の天使として仕え育てる。
ダビデの時の摂理
天使長の立場→優秀かつ忠実な家来(僕)ウリヤ
エバの立場→ウリアの妻バテシバ
神側のダビデがウリヤの妻バテシバを奪い返すことで蕩減復帰(罪の負債精算)する。したがってウリヤはバテシバとの間に子を持つことが許されない。
奪還の方法:ウリヤを殺害=悪
その結果は死産 (神の御心ではない)
第二子にソロモンが誕生する。
ヨセフとマリアが信仰を全うすべきは
神の働きです。
「聖霊によって身ごもった」
堕落によって失われた本然の位置と状態を復帰するためには、
サタンの血統の血を流し、抜き去らなければならない。
そのためには人間自体の意思などはどうでも良い。
すなわち「御心通りになりますように」というようにして
「取って食べるな」という御言葉を「食べたら死ぬ」と神に言われていながら
死を覚悟して破って天使長ルーシェルとの性的淫行関係を実行して堕落したエバであるならばいったいどうやってこれを元返せばいいというのでしょうか?
これを元返していくというのであれば
神に愛され信じられていた人間が、「取って食べてはいけない」という御言葉、すなわち戒めを与えられながらも、天使長ルーシェルとの不倫なる淫行関係をおかしたというのだから、これと同じ状態に立ち返って、再び本来の位置と状態に元返して取り戻さなければならないというのです。
堕落の時と逆の経路を行かなければならなくなったというのです。
神に信じられながら不信していったことを蕩減復帰するには
エバが到底信じることができないような愛の問題で神の御言葉に信じ従わなければならないというのです。
そこでマリアは「御心どうりになりますように」と言わなければなりませんでした。
エバがヨセフとの婚約期間に天使長流ルーシェルと不倫なる愛の淫行関係を結んだので
今度は、神様が与えるのは信じられる御言葉ではなく信じられないような御言葉になってしまうと言うのです。
絶対「性」と神の血統の喪失と神の血統の復帰
<創造>
神はエバを信じ愛し御言葉(戒め)と祝福の言葉「生めよ殖えよ」
<堕落>
エバは サタンの試練で 神を不信し 神の愛を否定し 死を覚悟して
御言葉を破棄 淫乱
不倫なる愛でサタンとの血縁関係を結び胎を汚してしまい、子孫の血統を汚した。
<復帰>
堕落した原初のエバの胎中まで遡って、神の血統を取り戻さなければならない。
神の試練で 信じられないような道を信じ それでも神の愛を肯定し 死線を超えて いかなる神の御言葉(命令)をも死守して 淫乱のような堕落時の様相を再現して サタンの死亡の血を抜き去り 絶対「性」を復帰しなければならない。
神の眼に適った信仰を持ったマリアが、処女でありヨセフと婚約関係にありながら、神の命令であれば「御心のままに」と言えるようでなければ、エバによって失ったものを
取り戻すことができないというのです。
外的に見ればヨセフと婚約関係にありながら、姉の夫のザカリアと結ばれなければならないと、神に命じられたというのです。
ザカリアこそ神が神の血統を純化してきた結実だったからです。
彼はレビ族でした。
レビ族にはカナンの土地が割り振られません。
他の部族からの1/10の収穫や生け贄の動物が与えられました。
何故約束の地を分割してはいただけなかったのでしょうか?
祭司を司ることができるレビ族にとっては、嗣業は土地ではなかったというのです。
無形の「神こそが我が嗣業」という信仰と誇りを持っていたのがレビ族なのです。
そこでお父様は「牧会者の道」でレビ族を採り上げるというのです。
マリアには自分というものは微塵もあってはなりません。
そうして堕落によってサタンという姦夫に汚された血統を
神の聖霊によって血統転換し浄めていくというのです。
それゆえ血統転換は心情転換になるというのです。
それを聖書では何と言っていますか?
「聖霊によって身ごもる」というのは、神を中心とした絶対信仰・絶対従順・絶対服従で絶対「性」・絶対血統・絶対貞操を、摂理的勝利者の女性たちであるタマルやサラやリベカらによって協助され役事されて、同様にこれを相続した女性が、神によって祝福された子を授けられたということです。
さてダビデに戻りましょう。
この子孫からメシアが誕生すると人々は信じていました。
この間の物語には神の意思を代弁する預言者ナタンが登場するので、非常に複雑でわかりにくい。
普通にこの辺りの話を読めば、単なるダビデの姦淫として責められることになるかと思う。
サムエル期下11章~12章を見ると
2 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出で、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。
3 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。
4 そこでダビデは使者を使わして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。こうして女はその家に帰った。
5 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った。「わたしは子をはらみました」。
そこでウリヤに気づかれぬようにするためか、ヨアブに彼の部下ウリヤを呼びつけさせ、8 「あなたの家に行って、足を洗いなさい」と休息をとるよう言われた。9 しかしウリヤは王の家の入り口で主君の家来たちと共に寝て、自分の家に帰らなかった。そこでダビデがこれを聞きつけ理由を聞くと、ウリヤは答えて言った。11 わたしの主人ヨアブと主君の家来たちが野のおもてに陣を取っているのに、わたしはどうして家に帰って食い飲みし、妻と寝ることができましょう。そこで14 朝になってダビデはヨアブにあてた手紙を書き、ウリヤの手に託してそれを送った。15 彼はその手紙に、「あなたがたはウリヤを激しい闘いの最前線に出し、彼の後ろから退いて、彼を討死させよ」と書いた。こうしてウリヤは死ぬことになったのである。26 ウリヤの妻は夫のウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。27 その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。
12章には主が預言者ナタンをダビデのもとにつかわして罪を問われたことが書かれている。
9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。これに対してダビデは悔い改め、13 ダビデはナタンに言った、わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生まれる子供はかならず死ぬでしょう」。
預言通り子供は打たれ病気になったので、16 ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。それでも 18 七日目にその子は死んだ。・・・24 ダビデは妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデはその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。25 そして預言者ナタンをつかわし、命じてその名をエデデアと呼ばせられた。
よく見てみるとナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。というように、神は罪を取り除いたとされている。
また、第一子は死んだが、第二子ソロモンに預言者ナタンが、「主は愛される」「神の愛する者」という意味のエデデアという名前を主の御心として伝えている。
つまり、一方では罰しているように見えて、一方では祝福しているように見えるのである。
実際ソロモン王が生まれてきたのであるから不思議だというのです。
お父様がメシアでメシアでなくてどうしてこれを説明できるというのでしょうか?
真の父 文鮮明恵師こそ人類のメシア
神の御業である血統転換を解き明かすことができたのです。
ソロモンはダビデがただ悔い改めて生まれ出てくるような人物ではない。
これも、僕である天使長ルーシェルが、アダムの妻となるべきエバを誘惑し強姦して奪っていったので、その罪を蕩減復帰(罪の負債精算)していくために、同様な情況で、逆の経路を辿らせ、本来の状態にもどそうとされた摂理としてみないと理解ができないことなのである。
神様はアダム家庭において創造理想を成就されようとしたが、人間堕落によって踏みにじられてしまった。
神は絶えず全人類の中から、創造本然のアダムとエバと天使長に当たる人物を立てることを願われ、探されてこられた。
先ず堕落したエバを復帰して
その復帰したエバから罪なき神の子イエス様を誕生させ
アダムの立場に立つイエス様(兄)の相対である女性(妹)を求める。
アダムの相対者(伴侶)が妹エバであり、アブラハムの相対者が妹サラでした。
アブラハムとサラが母親違い、腹違いの兄妹であったことを考えると、イエス様の花嫁として予定されていた方の候補は、複数いるとしても、最も自然であるのは、洗礼ヨハネの妹です。
残念ながら、聖書には洗礼ヨハネの妹の記述はない。
表面的にはヨセフの家庭が摂理の中心に見えるが
本質的にはザカリヤの家庭に神の霊はあったのです。
ザカリヤの家庭には神による復帰摂理の秘儀が凝縮し、集約されています。
アダム→ザカリヤ(神が祝福した血統)
エバ→マリア
天使長→ヨセフ
堕落がエバから始まったので
復帰はエバの復帰から始まる
だが神側の人物、復帰されたアダムのような人物が必要となる。それがダビデの血統であるヨセフに隠されたレビの子孫ザカリアです。
①アダムとエバが未完成期間(婚約期間)
②アダムが兄 エバが妹のとき
③神の僕の天使長が、アダムの妻となる予定の妹エバを、兄であり将来夫になる予定のアダムから奪う
④神が祝福し立てた人が、天使長の実体であるヨセフから、婚約期間に許嫁であるマリアを奪い返し、神側にエバを復帰した条件を立てる。
⑤ヨセフは天使長が勝利できなかった内容を超えて行き、少なくとも神が許されるまでは子供を持つことができない。善の天使長として生まれてきたイエス様に仕え侍り生活しなければならない。
⑥神の復帰摂理上の勝利した女性、サラ、リベカ、タマルによる聖霊の役事によって、外的世界に生まれる以前の、女性の胎中、女性器また子宮において堕落した天使長ルーシェルによって陵辱された一切を聖別して、サタン中心の悪主権から神主権の善主権に、善悪交叉し、サタンの宮から神の宮にその身が善悪交体し、それは血統転換を意味し、そのまま心情転換がなされることも意味する。
⑥ラケルとレアが神を中心に一体化へ導かれたように、妹マリアとその姉エリサベツも一体化しなければならない。
⑦その一体化の基台の上に腹違いの子イエス様と洗礼ヨハネが一体化に導かれ、兄弟の中にイエス様の第一弟子が誕生する。すなわち洗礼ヨハネです。
⑧洗礼ヨハネの誕生の際は、父で祭司長のザカリヤが聖所にはいって香をたいていると、大天使ガブリエルが現れ、恐れることはない。祈りは聞きいれられエリサベツに男の子が産まれるので、名をヨハネとつけるように命じた。
⑨ところがザカリヤは自分も妻のエリサベツも年を取っていて、すでに老人であるのにどうしてそんなことが起きるだろうかと不信した。何処かで聞いたことが・・・アブラハムとサラがイサクを授かる時と酷似している。信じなかったサラは言葉を話せなくなった。
⑩不信したためザカリヤは話すことができなくなり、子供が生まれて、命じられたとおり親族にはない名前のヨハネと名づけて初めて話せるようになり、主を讃えた。
⑪ザカリヤが聖所に入った時、彼が香をたいている間、民衆は皆外で祈っていたが、彼がなかなか出てこないので不思議に思っていたが、出てくると物が言えなくなっていたので、聖所で幻を見たのだと悟った。
アダム家庭ではアダムとエバが不倫なる淫行関係で堕落し、その後産まれてきた子供にカインとアベルがいたが、神が二人に命じた供え物を献祭した際に、神はカインの供え物は受け取らず、アベルの供え物のみを受け取った。これに腹を立てたカインは弟のアベルを殺してしまった。
アベル・カインを三つに分けて考えるとわかりやすいように思われる。
①人と天使(僕)のアベル・カイン→神側の人とヨセフ
ヤコブとエサウ、ペレツとゼラの使命未完遂(胎中での一体化)を完成させる。
③妹と姉のアベル・カイン→マリアとエリサベツ
EX.ラケルとレア
これが神を中心として一体化することを願われていた。
アブラハムの家庭
イエス様の時
外的には、
内的には、
ペレツとゼラは胎中で争ったがイエス様がマリアの胎に宿ったことを、エリサベツの胎中で洗礼ヨハネは喜び(祝福し)、母エリサベツは聖霊によって満たされた。胎中でアベル・カインの一体化。
イエス様が誕生してからも、
神を中心として
イエス様とヨセフの一体化
マリアとエリサベツの一体化
洗礼ヨハネの妹と母マリアの一体化
やがてイエス様のご家庭に子女が生まれ、真の家庭のモデルとなり、
ザカリヤが聖所で幻を見て、洗礼ヨハネが一体どんな人間になるのだろうかと、ユダヤの山里の隅々にまでも知れ渡っていた。
そこで、
神の地上天国建設のご計画をアベル・カインでざっくり表現すれば
アベル カイン
氏族:イエス様の上記の氏族 その他の氏族 → 一体化
世界:地上天国の実現
<参考>
一部のユダヤ教の伝承では、兄がローマ人の祖先であり、神は未来のローマ人とユダヤ人の関係を告げているのだと説明している。現代の注解者の大部分は、兄エサウがエドム人ーイスラエルと国境を接し、長年にわたって争ったーの父祖だと考えている。
神様を父として、アダムとエバという子が生まれた。彼らは兄弟姉妹の心情を体得した後、夫婦となるべく、神によって祝福されていた。(三大祝福)
同一の父による異母兄弟として、アブラハムとサラは育ち、夫婦となった。そして諸国民の父と母になった。
アダム家庭の家庭教会においてアダムが祭司や教会長となり、長子に継承される予定でした。
ところが神が長子を愛することを知っていたサタンが長子に未練を持ったので、善悪分立上、長子カインが悪の表示体とされ、次子アベルは善の表示体とされ神がこれをとった。
このアダム家庭の堕落によって失われたすべてを、元返していくために、神が選ばれた家庭が、ザカリヤの家庭であった。
ザカリヤは祭司であった。聖所に入ることを許されていた。祭司長の立場でした。
そこではアブラハムとサラの時を彷彿させる出来事が起こっている。
信じなかったので言葉を失ってしまった。
さあ、これからが神によるエバの奪還です。
神が救世主、イエス・キリストを誕生させるために、選び抜かれた女性がマリアでした。
聖書を参考に見ていきましょう。
マタイ1章18節~24節
18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公になることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20 彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリアを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
21 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
24 ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリアを妻に迎えた。
25 しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
ヨセフの信仰
①ひそかに離縁しようとしたが、主の使いが夢に現れて、マリアは聖霊によって身ごもったので、心配しないで結婚せよと言われ、その命に応じた。
②主の使いが命じたようにイエスと名づけた。
③主の使いが夢に現れて、へロデ王がユダヤの王になる者が生まれたという話聞いて恐れ、幼子を皆殺しにするので、良いと言うまではエジプトに逃れよとの命に応じた。
マリアの信仰
①エリサベツの時から6ヶ月後、聖霊によって身ごもることを天使ガブリエルに告げられ、これを信じ受け入れた。
ルカによる福音書1章
28 御使がマリヤのところにきて言った。「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵をいただいているのです。
31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
34 そこでマリヤは御使に言った。「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
35 御使い答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
36 あなたの親戚のエリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
37 神には、なんでもできないことはありません」。
38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
40 ザカリヤの家に入ってエリサベツにあいさつした。
御使に告げられ何故か「大急ぎで」ザカリヤの家に行ったのです。
この挨拶と共にエリサベツが聖霊体験をする。
聖書の予言の成就のためダビデの血統のヨセフが選ばれたが、
実際にはレビの子孫であるザカリアを父としてイエス・キリストが誕生されたのでした。
では、イエス様はなんと語られていることでしょうか?
:41)パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、
:42)「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。
:43)イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。
:44)すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
:45)このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。
:46)イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。
マタイによる福音書22章
レビ族は祭司職であり他の部族のようにはカナンの割り当てとしての所有地を持たず、農業や商業には携わらなかったのです。その代わりに他の部族が神殿に捧げる1/10献金と供え物の動物を獲ていました。
聖書では、レビ族の割り当て、すなわち神の嗣業とは神御自身であると説明されています。そこで、イエス様はレビの血統のザカリアから生まれますし、神の役事に関わる人々もそうであり、諸国民の父母アブラハムとサラと同様に腹違いの母から生まれた、イエス様と洗礼ヨハネの妹が真の父母になるべきであったというのです。
56 マリヤはエリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。
ヨセフやマリアの信仰に対する疑問
①皇帝アウグストから人口調査せよとの勅令がでて、ヨセフがダビデの家系であったため、ダビデの血統の町であるベツレヘムまで戸籍登録に行くのだが、2千年前とはいえ、お産直前の妻マリアまでもが一緒に旅に行かねばならなかったのか?
流産の危険が大きかったように思うが、それにしても準備不足であるように見えるが、人によっては自然な流産を密かに期待していたのではないかと考える者があっても不思議ではないように思われる。
②夢でみ使いによってマリアが聖霊によって身ごもったことを告げられていたにも拘わらず、大勢の人が宿を借りていたとはいえ、馬屋の飼い葉桶にキリストが生まれることがあるのであろうか?準備やユダヤ共同体の助けがなかったのでしょうか?
③マタイによる福音書には有名な東方の三賢者(三博士)がユダヤの王が誕生したことを知り、星に導かれてイエス様がいる家に入り、ひれ伏して拝み、黄金・乳香・没薬の贈り物を捧げた。
これらの三人は、アダムを育てた、おそらく人間の知情意の機能のレベルをそれぞれ代表としていると思われる三大天使の実体版であったと思われる。このときヨセフやマリアに信仰があったとしたら、彼らはイエス様を育てる際の重要な働きをしたように思われるのであるが、拝んで贈り物をするだけで去ってしまっている。スカイツリーの見物人とさして変わりがないのです。
④ルカによる福音書には野宿している羊飼いたちにみ使いが現れて救い主の誕生を告げられ、ベツレヘムに探し求めて、飼い葉桶の中のイエス様を捜し当てる。また人々にこのことを伝えている。人々は不思議がったが、マリアの様子が腑に落ちない。
ルカ2章19節
しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらした。
今さら何を思いめぐらす必要があったのでしょうか?
それとは正反対に羊飼いたちは
20節
羊飼いたちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりだったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
⑤神は正しい信仰深い人であるシメオンに救い主に会うまでは死ぬことはないと聖霊の示しを与えていた。イエス様の両親が律法の定めを守るべくイエス様をエルサレムの宮に来て、子供を主に捧げる儀式をされていた。シメオンは御霊に導かれてイエス様に会ったのです。
ところがヨセフとマリアの反応がおかしい。
ルカによる福音書2章28節~32節
28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとりにこの僕を安らかに去らせてくださいます。
30 わたしの目が今あなたの救いを見たのですから。
31 この救いはあなたが万民のまえにお備えになったものです。
32 異邦人を照らす啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります」。
ところが、この言葉に対して、33節には
父と母とは幼な子についてこのように語られることを、不思議に思った。
その他にも、84歳になっているアンナという女預言者で、宮に仕えて夜も昼も断食や祈祷を捧げている者にも証をさせている。
まるでヨセフとマリアが受胎告知の時の信仰を維持することができずにいるので、神が今度は霊的ではなく、実体的に生きている人の中から信仰者を選んで証しさせて、両親の信仰が保たれるように働かれているようにさえ見えるのです。
信仰を失ったとすれば、人間的な、この世的な考えから物事を見るようになるのでしょう。
もし、聖霊によって身重になったと言うことを疑ったとすれば、どうなるでしょうか?
ヨセフは何時・誰と・何処でマリアは関係を持ったのだろうかと考えることでしょう。
イエス様が育っていく中で、その顔は誰に似ているのだろうかと見るこでしょう。
そこで彼に違いないとヨセフが考えたら、イエス様は「人の子」でしかなくなり、そのような待遇、あるいは酷い仕打ちや境遇に身を置かざるを得なくなるでしょう。
その後、12歳になるまでのイエス様の生活は聖書には書かれていない。空白です。
息もつけないような家庭内での虐待に身を置いて、奴隷のような生活をされてこられたのであろうと思うと、胸が痛い。
⑥イエス様が12歳になられた時、毎年の慣例で両親と過越の祭りのためにエルサレムに言った。この時のイエス様の言葉が通じなかった。
ルカによる福音書2章43節~51節
つまり、イエス様はいてもいなくてもどうでもよい存在であったのである。なにしろ・・・
44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
45 見つからないので、探しまわりながらエルサレムに引返した。
普通の家族ではあり得ないことである。1日気づかないとは・・・
46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちの真ん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答えに驚嘆していた。
48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
49 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
文鮮明 恵父によると、この時啓示がイエス様には既にあって、はじめてイエス様はご自分が神の子として、また救い主として生まれてきたことを知ったところだったという。
何故、あなたがたは神様から教えられているにも拘わらず、わたしを正しく扱わないできたのかという義憤の気持ちがイエス様にはあったことでしょう。
50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
51 それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
⑦ 東方の三賢者(三博士)が地に伏して敬礼し拝んだイエス様に両親は使えることなく、逆にイエス様が使えたというのであるから、問題です。
ヨセフはマリアを深く愛するがゆえに、イエス様の父親とおぼしき者を憎み、嫉妬してイエス様を愛することができなかった。
そこでそのような夫のヨセフに気をつかって、マリアも表だってイエス様をしっかり愛することができなかったのです。
神の啓示よりも人間的な判断で生きる夫に自分も同調し気遣って、すっかり信仰を失ってしまったのです。
神のみ旨を知っていながら神の意志にそむく母マリアを見てイエス様はいたたまれない思いで見ておられた。
⑧ガリラヤのカナに婚礼があった際に葡萄酒がきれて母がなくなったので何とかしてほしいとイエス様に願われるが、イエス様の言葉が理解できない。
イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。私の時は、まだきていません」。
母ではなく婦人、つまり他人だというのです。
また、人類の真の父母となるべきイエス様であるので、母親こそイエス様の伴侶に相応しい真の母になる女性を捜すべきであり、人の婚礼に心を注ぐ余裕はないのです。
⑨イエス様が伝道活動をされていると家族の者たちがそれを聞きつけてやって来たことが聖書には書かれている。酷い扱いを受けている。
マルコによる福音書3章
20 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。
21 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取り押さえに出てきた。気が狂ったと思ったからである。
神の子どころか狂人扱いされたのです。
そんな彼ら家族を念頭に語られた御言葉が
31 さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
32 ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
33 すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
34 そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
35 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
マリアはヨセフと一体化するのではなく、神の御心を中心としてイエス様と一体化すべきであり、侍られるのではなくイエス様に仕え侍るべきでした。
やむをえない際には、ヨセフと分かれるとしても、イエス様をお支えして、真の母となるべき女性を誰よりも捜す使命があったというのです。
(*聖書ではマリヤとなっているのに私はマリアと書いている)
さらに深く掘り下げて読み解いていきましょう。
神様が兄だとすれば
天使長ルーシェル(ルシファー)は弟でした。
兄である神様の子女が、アダムとエバでした。
すると、アダムとエバからは
天使長ルーシェルとは叔父でした。
人類歴史は神の願いの如く成人したアダムとエバの聖婚によって始まるべきであっでした。
ところが、堕落論にあるように
相応しい時に
相応しい相手と
結婚をすることができず
人類は、本来神の似姿として創られ、「熟成せよ・殖えよ・万物を主管せよ」の三大祝福の成就を実現することができず、神の創造目的は暗礁に乗り上げてしまいました。
アダムとエバが未成熟期間(婚約期間)に問題は起きました。
叔父である天使長ルーシェルとエバが不倫なる淫行関係を結んだのであったというのです。
さらにエバがアダムを誘惑して同様に未成熟のまま淫行関係を結び、その子孫は全て罪の中に生まれ、堕落して天使長ルーシェルの、すなわちサタンの子として、悪魔の罪悪血統を引き継ぐ結果となってしまったのでした。
そこで、復帰摂理にはイエス様の家系に見られるような、一見想像できない類の行為を為した人物たちが現れることになってしまうというのです。
人類始祖の堕落がなければ一切必要がなかったことです。
神様に微塵の責任はない。
罪悪世界と罪悪歴史は人間の責任です。
復帰は、堕落の時(の情況)と逆の経路でなされるというのです。
それによって蕩減復帰(負債精算)を果たし、元の位置と状態を取り戻すことになる。
さてイエス様の家庭では、どのようにして神の摂理が働いたのか。
天使長の立場の二重性から試みに読み解く
1,堕落による天使長(主人)と アダム(僕or奴隷)という倒錯関係 から
想像本然の秩序と関係である アダム(主人)と天使長(僕)の正常関係の蕩減復帰
天使長(僕) → ヨセフ(僕) 子女の繁殖停止 or 一定期間の保留
アダム(主人)→ イエス(主人)
第一祝福の復帰に関係すると推測されます。
主人と僕とはパウロで言えば「自由人と奴隷」と言ってもよいでしょう。
2,サタン側 叔父と姪による不倫関係 から 神側 叔父と姪による蕩減復帰
天使長(叔父) → ザカリア(叔父)
エバ (悪の妾)→ マリア (善の妾)
第二祝福に関係すると推測されます
3,堕落の動機と経路の検証
過去においてサタンは復帰されたが、エバは悔い改めることができなかったとの報告があった事から、これは一見「堕落の時と逆の経路」に反します。
すなわち原理講論では、
天使長の堕落 → エバの堕落 → アダムの堕落
というような表現になっていると受け取れる
ところが、私が学生時代に聞いた上記の報告とは矛盾することになる。
この問題の整合性を得るには、堕落の動機と経路を以下のように考えられるのではないか?
①エバの心情的堕落
心情的堕落はエバから始まった。
「取って食べるな(性的体験をするな)、触れてもいけない((性器に触れるな)」
という神の戒めの言葉を、エバが誰よりも初めに破ることを抱いた。
堕落はエバから始まった。
②エバの情的誘惑
エバは対象挌位であることから、主体挌位であるルーシェルに
誘惑させるよう仕向けるため、情的に誘導し誘惑させるような環境を作った。
③天使長の心情的堕落
愛の減少感の中にいた天使長は、エバの誘いに誘導されて過分なる欲望を抱くようになった。
以下は原理講論の通りになる。
総括すると堕落は
心情的堕落 → 霊的堕落 → 肉的堕落 の三段階とみることができる。
1,心情的堕落
エバ → 天使長 → アダム
そこで何故「エバが先頭に立たねばならない」かが理解される。
サラが何故、天使長であるパロたちを正しく主管しアダム(アブラハム)の相対の位置に戻っていくかがわかる。サラからでなければならない。
天使長であるパロの懐に抱かれた状態から逃れて、本来の理想相対であるアブラハムに戻って(復帰して)いかなければならない。
2,霊的堕落
エバと天使長による堕落
3,肉的堕落
エバとアダムによる堕落
アダムにおいてはエバとの肉的堕落の段階に心情的堕落・霊的堕落・肉的堕落があったとみなされる。
最後に
メシアとして原罪のないイエス様が誕生される為には、
叔父である天使長が堕落したことを蕩減復帰するために
神の側の叔父ザカリアがマリアを、天使長の側のヨセフという夫から、
神の娘を奪い返す摂理が為されたのです。
アダムとエバの婚約期間に起こった不祥事を蕩減復帰するために
マリアとヨセフが婚約期間中に役事される必要があったのです。
同様の情況で蕩減復帰が成立するからである。
人類史上初の原罪を持たずに誕生されて来られたお方が
イエス・キリスト その人だというのです。
最後にイエス様の言葉を思い出そうではありませんか。
:12)わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
:13)けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
:14)御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
:15)父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
:25)わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。
蛇に踵を砕かれず、かえって蛇の頭を砕け!