原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

お母様の勘違いではないだろうか?      「愛勝日」「統一式」孝進様と二世の     40数サタン分立と一体化を振り返る

前々回に以下のお母様の御言葉を取り上げた。

 

真の家庭の四位基台は、既に孝進と興進の
カイン・アベルの勝利をもって成されています。
カイン・アベルの勝利の伝統は、
孝進と興進を通して成されたのです。
これに従って同じように
勝利するかどうかは、個々の責任分担です。

 

どうやらお母様の言葉が指しているのは、愛勝日やそれに続く一勝日の一連のことのようです。

孝進様と興進様は、國進様と亨進様のように、地上で絶対的なカインアベルの勝利をされたというよりは、個別的に勝利されたという方が自然でしょう。

これを統一式等や一勝日などで、お父様がお二人の勝利を連結されていると見ることができるでしょう。

なにもお二人に限ったことではありませんが。

 

これからその当時の御言葉を確認していきたいと思いますが、

85年当時から30人立った現在でも、家庭連合では

アベルを見失い続けています。

お父様はアベルはお父様の息子であるとされました。

ところが、顕進様、國進様、亨進様は家庭連合を離れて活動されています。

権進様は家庭連合の最重要ポストにはおられません。

また、子女様の内で男性のお子様を持たれるのは、孝進様ということになります。

そこで家庭連合は、孝進様を立てるためにキャンペーンを張っているかのようです。

第一に、孝進様は地上においてアベルカインを勝利されたわけではありませんでした。興進様がお父様を支える孝子の道理を絶対基準で勝利され、

第二に、孝進様も同様に勝利されました。

兄弟は天上と、地上に別れ、お父様を支える手本を示されました。

そして、荒野路程の40年が終わりを告げ、

いよいよ二世を中心にカナンに定着する時を迎えたのでした。

ところが、三〇年経った現在でも、以前と変わらず一世が

家庭連合を独占し、アベルである二世を抑圧し続けています。

家庭連合の実績は、約500の祝福二世家庭です。

なんとか壊れずにいるものから、献身して前線に立つものまで様々です。

我々の時代では献身が当たり前の時代でした。

ところが今や二世の祝福家庭は、献身祝福家庭はほとんど見当たらず、

献金祝福家庭に取って代わりました。

仮におお負けして、献身祝福家庭が十分の一とみれば、

50家庭、全国の教会数はその3倍以上あります。

暢気に幕張で旗を振って喜んでいる場合ではありません。

実際には10家庭あるかどうかというところかも知れないのです。

深刻な状況です。

教会の主流は70才前後でしょう。

先が見えないのが家庭連合の姿です。

 

愛勝日は「愛が死に勝った」日を祝された日でした。

 

興進様は当時兄弟を捕まえては、御旨のためお父様のため死ぬことができるかと聞かれていたそうです。

交通事故の際には、ご自分を守らず臨席の兄弟達をとっさにかばうべく、ハンドルを切りました。そこでお体は大変なダメージを被りました。

お父様の神の日だけは悲しみに染まらせたくないと言う思いを受けて、死を超えて神を愛され勝利なさいました。

一方お父様も興進様が地上で生きて晴れの祝福の日を持たれた如く、

喜びを持って天に御旨のために孝行息子を捧げられました。

涙は公的には見せることがありませんでした。

全ての行事が終わった後で

朴先生の報告を受けて、個室の中で私的に孝行息子のために、人知れず泣かれたと言います。

 

父と子の死を超えた愛によって愛勝日が定められました。

 

愛勝日の必要性 

1984年1月15日 ニューヨーク ベルベディア

 

  一九八三年は、一九四五年から一九八五年までの四十年荒野路程の最後の三年間の最初の年ですので、それが終わる時に抵抗を受けるようになっているのです。昨年の私たちの標語は、「家庭教会は我々の定着地」と言いました。それで今年は、「祖国創建」というみ言が出たのです。これは歴史的な転換点だとは思いませんか? (はい、思います)。エス様が十字架につけられた時、左右に二人の強盗がいました。それは何を意味するかというと、民主世界と共産世界です。(黒板に書かれる)そうでしょう。共産主義者は神様がいないと反対し、こちらは神様はいると言うのです。

 興進様の事故が起こった時、その車にはほかに祝福の子女が二人乗っていましたが、二人は生き返ったのです。これはとても良いことであると思います。今回、その事故の現場に行ってみましたが、(黒板を使いながら説明)車道がこのようになっていて、相手の車がこのように、州道第九号線を走って来ました。その時、車は氷の固まりを避けようとして、ブレーキを踏んだところが、車は反転してセンターラインを越えてしまいました。そこへ興進様の車が突っ込んで行ったのです。普通このような場合には、運転手は無意識のうちに自分の身を守ろうとしてハンドルを切ります。しかし、興進様はあえてハンドルを右に切ったのです。どうして興進様は自分から突っ込んでしまったのか、これが問題なのです。道がこうなっているのです。(黒板を使いながら説明)こちらからトラックが道をこのようにふさいだのです。この辺りから来て……。それで興進様が乗った車はどうなったかといえば、運転台がここで、左側にあるのです。興進様はここに乗っていたのですが、こちらを打った場合、死ななかったのです。それなのに、どうしてかこちらをこのように打ったため、ここが壊れたのです。(先生、しぐさで示す)運転をすれば自然にこちらに行くのにどうして反対側に行ったのか、これが問題なのです。

 興進様は、コーナーに突っ込んだのです。それで助かった二人は、「自分たちを意識して、車をそちらに回した」と言うのです。その話を聞いて、どれほど有り難かったか分かりません。このように興進様が他の二人を助けるために、自らを犠牲にしたということは、世界のために自らを捧げたことを象徴するものです。興進様はそのように犠牲になる可能性を決して恐れませんでした。むしろ自ら、それを志願したのです。イエス様の時は、十字架につけられた三人はみな、死んでしまいましたが、興進様の時は、興進様だけが他を助けるために犠牲となり、二人が生き残ることにより、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。

 興進様は、珍福、珍吉の二人を父親のような思いで常に愛していました父親がいないので、いつも彼らの家に行って過ごしていたのです。その二人を息子のごとく保護する思いでそのようにしたのだと思います。分かりますか? そのために自由世界と共産世界の蕩減条件を立てることのできる道が開かれたのです。興進様はこの両世界が将来一体化するようになるために、自らを国家的蕩減基盤に立てて犠牲としたのです。事故は自由世界であるアメリカで起こりましたが、身体は韓国に帰ったのであります。祖国に帰ったのです。このようにして興進様の身体は西洋世界と東洋世界に連結しているのです。彼は世界のために死に、国家的基盤である韓国へ帰りました。勝利的な国家基盤の上で生き、そして死んだがゆえに、興進様は今後、霊界と地上界を自由に往復することができます

 二〇〇〇年前、真の父母がいなかったために、イエス様は民族的基盤をつくることができませんでした。しかし、興進様には既に国家的基盤をつくった真の父母がいましたから、それを相続することができます。そしてイエス様御自身も興進様によって、地上の国を訪ねてくることのできる基盤が連結されたのです。このことの意味は、イエス様と二人の強盗が死から復活することができ地上に再臨できる基盤が連結されたということです。これまでに劉協会長ほか、古い幹部や、多くの食口たち、またその子供たちが死んだのは教会基準の犠牲であって、国家的基準で世界を蕩減するレベルにはならなかったのです。しかし、今回の興進様によって、初めて国家基準の犠牲となりました。ですから、興進様は霊界において最高司令官となり、地上世界との間を自由に行き来することができるのです。それで、先生は興進様の死ぬ前に、「養子を探してあげる」と約束したのです。したがって、祝福を受けることができるのです。

 また、興進様は統一教会に対するすべての責めを負って犠牲になったのです。これによって、他の者がそれらの責めから解放されました。その恩恵は、我々統一教会の者ばかりでなく、自由世界と共産世界の人々にも及びます。ですからすべての人々は興進様を愛さなければなりません。自分の生命を犠牲にして愛というタイトルを全世界の人々に残したので、皆さんも世界を愛することができるのです。

 興進様は先生の身代わりとなって行きましたので、皆さんが興進様を愛するその愛は、先生に対する愛となって表さなければなりません。分かりますか? 今まで霊界は、真の父母に連絡する道がありませんでしたが、興進様が霊界の代表となられたので、今や、興進様を愛するすべての霊界が直接に先生に連結することができます。また興進様は、統一教会のために行かれましたので、統一教会にも連結することができます。

 興進様は命を懸けて、自分の仲間を愛するという模範を示しました。また、自分の父が世界のために生き続けることができるようにと願って行きました。霊界にいる人々は、興進様を愛することによって、地上にいる真の父母と連結することができます。ですから、彼が霊界へ行ったことは、霊界にとっては大きな喜びです。彼が霊界のメシヤとしてやって来たからです。興進様は、統一教会のための殉教の模範を示しました。それゆえ、統一教会のメンバーは、興進様をますます愛するでしょう。彼は霊界と地上界の両方から愛されるのです。

 では真の父母はどうすれば良いのか、これが問題なのです。神の愛を歓迎し、地上の愛を歓迎する意味において、自分の息子を祭物として捧げたことを栄光と思い、誇りと思わなければなりません。

 神様はアダムとエバが十代で堕落してしまったために、今まで、霊界においても一人の青少年も真に愛する機会をもつことができませんでした。しかし、今や、清い未婚の息子が霊界に行きましたので、復帰のために苦労してこられた神様が、純潔な子供を愛することができるようになったと、思うのです。それで先生が祈る時、「私が十代の少年だった時に、神様の前に基盤を整え得ず韓国を十分に愛せなかったことを申し訳なく思います。今、ようやく世界的な基盤を整え、国家基盤を蕩減した上でこのアベルを私の代身として、栄光を受けてください。私の時に栄光を受けられなかったのを蕩減してください」と祈ったのです。しかし、今や、自分の息子を犠牲として捧げたことによって、先生は韓国と世界に対して責任を果たしました。過去にできなかったことを今や興進様を通じて神様に受けてもらうことができたのです。

 先生の二番目の息子としての興進様は死にましたが、先生は死なずに地上世界と霊界において愛の復活圏を成就します。死を通して興進様は霊界へ行きましたが、先生は死を通して霊界をつかみ、地上界もつかんで、愛の復活圏を設定します。もはや死は何の力ももたなくなりました。死亡圏と分かれるのです。ですから葬式も悲しみで行ってはなりません。それで興進様が地上から(黒板を使い説明)ここを通る時に、先生は特別な霊界と肉界とを中心とした式を行いました。その過程の話は複雑ですが、すべての蕩減条件を成して、「愛勝日」という日を宣布するために、死体を前にして、神様の愛のために闘いをしたのであります。これは何の話かというと、母や父が、死んだ我が子を思うよりは、神様の愛をもっと思って、死亡圏に勝つことのできる時であるというものです。

 先生はあくまで神の摂理を中心として考え、行動します。それで病院で「統一式」を行いました。そして、この愛の勝利のゆえに、真の父母は本当に誇らしく思っていること、また、全霊界と地上界がそのために真の父母をたたえるであろうことを、神様に誓いました。この時、神様が見ても誇れる父母となり、霊界の先祖たちや、天使世界や聖徒、聖人すべてが誇ることができ、また地上世界の人々も、「なるほど、死亡圏を除去することのできる愛の権限をもっている方に間違いない」と、頭を下げることのできる勝利をしたのです。「愛勝日」とは、興進様の犠牲によって、真の父母が新しい基準に到達し、今後、その基準の上に前進して行くことを宣言した日です。分かりましたか? それゆえ、先生は、お母様に対して、「涙を見せてはいけない。今は涙を流す時ではない。神様と人類にとって栄光の時なのだから……。私的な場所では母親として涙を流しても構わないが、特に葬儀の時間は、公的場であるから涙を見せないように……」と言ったのです。そのような時間があったことを知っていなければなりません。それゆえ、民族的、世界的な新しい愛の方向を立てることができたので、「愛勝日」という日を宣布したのです。

 一九八四年一月三日、午前四時に、先生は「愛勝日」を宣布しました。この時間の表す数は、一月三日の四時ですから、一プラス三プラス四で、再出発を表す八数になるからです。このことによって、地上において愛の連合戦線が始まるために、霊界においても愛の連合戦線が開始され、興進様には新しい使命が与えられました。それは、真の自由人として、霊界と地上界を自由に往復することができ、霊界と地上界の若者を導いて愛の力によって清めることです。


 この「愛勝日」の期間は、死んだ息子を側において、結婚式をする時以上の喜びの心情をもって神様を愛するという、心情圏を勝利せずしては越えることができないのです。それで先生は、興進様の葬儀の間は一滴の涙も流しませんでした。そして、朴先生が来て昇和式の報告をした時、初めて父親として泣きました。息子のために涙を流しました。公的な人は、自分に対しても厳格でなければなりません。先生は、お母様にこう話しました。「あの木の頂の芽は、一番高いところにあるので風が吹けば、一番多く、最も危険に揺れ動いています。しかしそんな中でも育っていかなければなりません。そのためには中心がなければなりません。台風がきても、根は深く張っていなければ芽は育ちません。私たちが神様の愛を必要とするのではなく、神様の愛により芽である子供たちが育たなければなりません」と。何の話か分かりますか? (はい) 。

 

私たちの子女が天に召されていく時の心構えや覚悟を父は教えてくださいました。

私の息子が万一天に召されなければならない時が来たとしても

既に祝福を受け家庭を持った立場ですので

死んだ息子を側において、結婚式をする時以上の喜びの心情をもって神様を愛するという、心情圏を勝利

という世界は事情が違います。、孫がまだですから・・・。

天に捧げる息子と共にまだ見ぬ孫の祝福と結婚式をする時以上の喜びの心情を持って

父に続く覚悟です。

また、万一その時が来たら、信吉様の聖和時にお父様が天に捧げられた心情に続く所存です。

父が実体で我々にお教えくださった、愛勝愛天の道を行かないわけにままいりません。

お父様はこの惨たらしい我々を、実に本気で実子として接せられてこられました。

その貴い尊い御心に誰が背くことができましょうか?

我々は実子の死に直面しようが相対者の死に直面しようが

すでに先駆け勝利された父の心情と共にあるべきでしょうし、

我々は皆当然、そうありたいと思う者です。

 

さて、これを契機として、情的に近かった孝進様は、何かを悟られたようでした。

以下のブログより引用します。

第25回一勝日 ( 宗教 ) - ほぼ週刊 【 壮年 ★ ジャンプ 】 - Yahoo!ブログ

 

徹夜祈祷は1985年1月12日~2月20日の40日間
2月27日イーストガーデンでの孝進様に対するインタビュー
 
■40日徹夜祈祷をされた動機は?
父母様と苦難を共にすることによってその心情を体恤したかった。
どうしたら、お父様の心情を理解するこができるか、神様の内情を少しでも深く知ることが出来るのか?

 

■難しいと思われたことはなかったですか?
難しいと感じるかどうかは自分次第。
これほどまでに寒くして下さると言うのは(当時ニューヨークは大寒波に見舞われていた)、苦難の中でも感謝できる私を育てて下さるための神の愛なのではないかと思った。
辛かったことは祈祷を終えて聖地を降りていくこと、続けてその雰囲気を維持したかったが朝は学校に行かなければならなかったため惜しい心で降りてきたこと。

 

■兄弟姉妹に話したいことは?
私の心の汚れを洗い、その空間を埋めることの出来るのは涙しかありません。
何事に対しても形式的な態度をとらず、真実と愛を持って望まなければならない。心情の扉をいっぱいに開いて自分が持っているすべてを与えることの出来る人にならなければならない。

 

■祝福家庭の子供に語りたいことは?
すべての祝福の子女達が父母様の家庭と一つになる時、前後左右が一つになることが出来、究極的には神様のみ旨どおりに人類を指導できる能力が生まれてくる。
 

 

我々食口は、ノア家庭で説かれている「心情一体」の条件というものが、いかなるものであるかを興進様と孝進様の証を通して深く知ることができます。

宇宙でもっとも重要な真理が、神と人が父と子であるということであるならば、

心情とは子が父に捧げる孝心でありましょう。

孝進様も興進様も絶対的孝心を天に捧げられたので、

聖和されたお父様の御側におられるのです。

 

五 「一勝日」宣布とカナン定着のための総動員

祝福家庭の悔い改め運動と二世糾合

 レバレンド・ムーンは、二十世紀の十字架を背負った立場で、あらゆるものを復帰します。私が監獄に入っていくことにより、複雑だった韓国の統一教会も、すべてを悔い改めて一つになる運動をしました。二世たちも、そのままにしておけばすべてサタン世界に染まってしまうのです。それゆえに、八月十五日になる前に孝進に-八月十四日に終わったと言いましたか-そのこと(第一回祝福家庭子女四十日修練会、七・八~八・一六、清平修練所、二百十一名参加)をさせ、すべて取り戻したのです。

 今まで世界基準へ上がっていく時は、カイン・アベルが出てきて闘いましたが、今は先生がすべて蕩減しました。ゆえに、カイン・アベルの役事はどのようになっていくのでしょうか。先生の直系の子女は何でしょうか。アベルの立場ではありません。本然の長子、本然のカインの立場です。本然の長男として生まれた立場だということを皆さんは知らなければなりません。

 先生の家庭を中心としてここまで上がってきましたが、既にアダムとエバが生んでいたので、堕落した世界のカインとアベルをすべて接ぎ木してあげなければなりません。それでは、どのようになるのでしょうか。先生の家庭、先生の息子、娘を長子として見れば、祝福家庭の息子、娘は次子の立場に入っていくのです。このような立場に立っているので、孝進君を世界CARP(原理研究会)運動の代表、二世の代表として先頭に立てたのです。(拍手)

 この一九八五年は、韓国が解放されてから四十年になる年ですが、四十年になる前に二世を統合し、日本と韓国のすべての一世を統合しなければなりません。彼らを連結させ、世界中のすべての二世と祝福家庭が完全に一つにならなければなりません。若い人々、二世を走らせるために孝進を日本に送り、この期間で五十二ヵ国のCARPの結束運動をさせました。今、アメリカでは、アメリカなりの結束運動をしています。

 一九八五年八月十五日、この日は四十年になる日です。この日を越えながら、韓国において、二世を中心とした四十日修練を通して孝進君が四十数を蕩減復帰し、統一圏を成しました。息子、娘たちを一つにしただけでなく、祝福家庭までもすべて一つにしたのです。

 

 

「一勝日」と聖水式
(一九八五・八・一六、〇七:〇〇、イースト・ガーデン、八・二〇、全世界祝福家庭)

 一九八五年八月十六日韓国解放後満四十年を越えたこの日、真の御父母様は、韓国の清平修練所で開催された祝福家庭子女四十日修練会を無事に終えて帰ってこられた孝進様を歓迎する席で、「一勝日」を宣布され、「聖水式」を挙行された。そして、それから四日後の八月二十日、牢獄の身から完全に解放された真のお父様は、ベルベディア修練所において、全世界の祝福家庭を対象に聖水式を挙行された。

 今、統一教会を中心として、右側の強盗の立場は誰かというと、アメリカの国民です。アメリカの国民がそのような立場に立っています。右側の強盗と左側の強盗がいるのです。今回、キリスト教統一教会と一つになり、アメリカの国民が反対することなく、一つになって私たちを支持しました。そのような雰囲気が生まれたのです。

 このようなことが世界的舞台において外的に展開するのです。そして、統一教会内においても、先生の息子、娘と祝福家庭の息子、娘が一つになりました。ゆえに、内外で一つになったのです。外的な世界舞台で、カイン・アベルが一つになることができる立場に立ち、また、内的な立場においても、ヤコブエサウと闘って勝利したのと同じようなことが世界史的な現世を中心として成し遂げられていくのです。このような現象が、先生が出獄したこの期間を中心として成し遂げられていくのです。

 今、統一教会時代においては、先生の息子、娘を中心として、内外ですべて一つになっていくのです。したがって、十字架を下ろす時には、すべての反対が完全になくなります。(拍手)それで先日、十六日に何の式を行ったかというと「一勝式」という式です。「一勝日」を宣布したのです。

 イスラエル民族はエジプトを慕ったがゆえに荒野で滅びました。また、カナンの福地に入ってきても、エジプトとエジプトの地を慕ったがゆえに滅びました。エジプトに対する観念のゆえに滅びたのです

 したがって、皆さんは、地上における今までの観念をすべて一掃してしまわなければなりません。今から皆さんが行うべき新しい式は、聖水式です。人の体の四分の三は水です。この聖水式を通して皆さんにあるすべてのものを清算しなければなりません。この聖水式は、真の御父母様が勝利した基盤を皆さんに伝授する式であり、またカイン・アベルの闘争をすべて解消する式になるのです。

今、我々統一家を中心としてみるときに、統一家のアベルが誰かというと、先生の息子なのです統一教会自体から見るならば、祝福を受けた家庭、または祝福を受けた人が、祝福を受けていない統一教会の会員たちの前ではアベルです。それで順理的に一つになるようになっているのです。同じ原理を学び、同じ父母に侍ることができるという事実が驚くべきことなのです。もし、父母がいないとしたら争いが起きます。しかし、今、祝福を受けた子女たちが、あの祝福を受けた人々がアベルの位置にいるのに、カイン側に立った統一教会員たちは反対しないのです。順応するというのです。それが違うというのです。
 では、統一教会と先生の家庭とを見るときには誰がアベルですか? それは先生の息子、直系の子女が統一教会の祝福を受けた家庭の前にアベルの位置にいるのです。
 このような観点から、統一教会では祝福を受けていない信者たちは、祝福を受けた人たちに対し無条件に順応し、付いて行かなければならないのであり、そこには異議を唱える余地がありません。そうでなければ、エデンの園の堕落した蕩減内容の基準が順理的に解決されないというのです。それと同じく、統一教会員であれば、祝福家庭であるなしに拘らず、父母様を中心にした直系の子女の前には従わなければならないというのです。
 それはなぜかと言うと、カイン・アベル問題をここで清算しなくてはならないからです。

國進様は、お父様が亨進様を愛される姿を通して

お父様が國進様を愛される心情を実感されたと証しされました。

アベルの供え物のみが神によって良しとされた時、淋しい思い、羨ましい思い、恨めしい思いを持って、カインは憤りましたが、國進様は、かえって神と共に、父と共に弟を祝福する思いに満たされました。

真の家庭の内外の二世のアベルカインの一体化から

真の家庭内のサタンが懺訴することができない、

心情の一体化を遂げられました。

本来は先に顕進様と國進様が勝利されることが御心でした。

 

カナン定着のための三年総動員(一九八五~一九八八)

 四十年の間先生が闘って勝利したものを、三年半で皆さんに譲ってあげようというのです。この期間は、カナンの福地に定着するための期間と同じです。ゆえに、この期間でエジプトの観念やすべてのものを忘れてしまわなければなりません。そして、先生の話、モーセの話を絶対視し、その命令を絶対視し、行動を絶対視しなければなりません。そのようにすれば、一九八八年には、私たちの定めた所期の目的を達成することができると思うのです。

 これは、出エジプトから四十年目にカナンの福地への入城を命令し、出動したのと同じです。荒野四十年ののちにカナンに入っていったのと同じです。ですから、今夕既成教会の牧師の二世と統一教会の二世が先頭に立たなければなりません。カナンの地に入っていく時なので二世が先頭に立たなければなりません。イスラエル民族がカナンに復帰する時には一世が責任を果たすことができませんでした。同様に、キリスト教が責任を果たすことができませんでした。ゆえに、再臨時代には二世を通じてカナンに入っていくのです。 

 
一体家庭連合の何処に二世がいるというのでしょうか?

また、アベルである子女様を抜きにして、どうやって父に繋がるというのでしょうか?

777だ何だといっても、肝腎な時に機能しないではありませんか?

どうやって、お父様と天国でお会いすることができるというのでしょうか?

 

 

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