原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

胸やお尻や腰ではなく頭や肩や背中なら    ポンとたたいて体に触っても教会長はいいのか?

「神様大好き」というブログの主は、アダム・エバに対する感覚の脇が甘いようだ。

どこかの教会長のことがネットで騒がれたことがあったようである。

一部を引用させていただく。

元熊谷教会の教会長の セクハラの実態について、熊谷教会の現役食口に聞いてみました。 - 神様大好き!

 

私の頭の中では「熊谷教会 イコール セクハラ」というイメージがあります。
ネットの書き込みには複数、熊谷教会の元教会長のセクハラの記事が載っています。

先日、熊谷教会の現役食口に会う機会がありました。
(この食口は、以前は夫婦とも、熊谷教会のスタッフでした。現在は、奥さんだけスタッフで、ご主人は、外で働いていますが、2人とも 熊谷教会に通う 現役食口です。)
私は、その食口に、「熊谷教会は、李軍周教会長のセクハラで、大変だったですね。」
と言い、ネットの書き込みの話をしました。
そうしたら、「全然違う。」と言うのです。

李軍周元教会長は、確かにフレンドリーで、スキンシップが多い人だけど、
セクハラなどしたことを見たことも無いというのです。

スキンシップと言っても、親しみをこめて、肩をたたいたり、背中をポンポンとたたいたりするぐらいで、
腰をさわったり、胸をさわったり、することは一度たりとも無く、いやらしい感じは全く無いというのです。

 

少し検索してみたら以下のようなサイトがありました。

【セクハラのボーダーライン】頭と背中と肩へのタッチ、どれが一番NG? | 20代の”はたらき”データベース『キャリアコンパス』- powered by DODA -

 

20代の男女300人に女性へのセクハラだと思うことについて、アンケートを実施。こちらであらかじめ選定した15の項目の中から、該当すると思われるものを選択してもらいました! 結果は以下の通り。

 

Q. 女性へのセクハラだと思うものはなんですか? (複数回答

【女性回答】
1位 手を握られる…71.3%
2位「女性はこうあるべき」といったことを言われる…44.0%
3位 容姿や体型について指摘される…38.0%
4位 プライベートな交友関係について聞かれる…34.7%
5位 頭をポンとたたかれる…34.0%
6位 気乗りしないランチや飲みに連れて行かれる…30.0%
7位 背中をポンとたたかれる…21.3%
8位 肩をポンとたたかれる…18.7%
9位 ソーシャルメディアで友達申請がくる…14.0%
10位 容姿や体型について褒められる…14.0%
11位 「○○ちゃん」やニックネームなど、なれなれしい名前で呼ばれる…13.3%
12位 業務に関係のないことで、頻繁に話しかけられる…12.7%
13位 着ている洋服や化粧、髪型について指摘される…12.7%
14位 当てはまるものはない…10.0%
15位 着ている洋服や化粧、髪型について褒められる…6.0%

 

若い女性がセクハラだと感じるもののトップテンに

頭や背中や肩を叩かれることが3つとも入っています。

男性の目線ではなく女性の目線が必要です。

 

そもそも、体に触れなければ、女性信徒とコミュニケーションをとれない教会長は必要ないでしょう。

私が献身した当時教会で指導的な立場で歩んでいた男性が、食当のエバさんに肩を叩いてもらっていて、段々二人がおかしくなって問題を起こしました。

私は人事になってから聞いた話です。

男性が頼んだのか、女性がして差し上げましょうかと言ったのかは忘れましたが、とにかくアウトです。

 

最近私の教会でも女性に触れるのが好きな教会長がいたことがあると聞きました。

現在から数えて、数人前の方でした。

我が教会の女性たちは我慢していたようでしたが、県内の別の教会に移動になって同様のことをして発覚しました。

勿論、その後教会長はやめさせられていると聞きました。

 

天下のお父様ですら、若き日にはわざと髪をぼさぼさにして、うだつの上がらない恰好をされて、女性に関心を持たれないようにされたと言います。

さらに眼と眼を会わせることがないように下を見て歩いたと言います。

わざわざ髪を乱したり、きれいな服を着ないようにすることはありませんが、

絶対「性」の基準を立てられたお父様ですらそのようにされたと言うことが大切です。

 

我々如きがどうして女性に触れる必要があるでしょうか?

たとえ女性が「私は気にしません」と言ってきても

けっして触れるべきではありません。

 

さて我が教会には女性信徒のためのセクハラ相談窓口があるのでしょうか?

教会長がサタンになった時本部で、たとえば櫻井夫人や小山田夫人が受け付けて事情を聞くとかいう窓口があり、あるのなら女性信徒はみんな知っているのでしょうか?

問題は人間のいるところでは常に発生します。

大切なことは、起こってしまった問題が、以後起こらないようにするため

どんな歯止めを工夫して利かせたかです。

歯止めが組み込まれない以上、やがて同様の問題は再びおこるでしょう。

 

こうしたアダム・エバ感覚が研ぎすまれておらず、逆に鈍くなってしまっていると

お父様や亨進様が語られる絶対「性」はなかなか分かりづらいのではないでしょうか?

少々心配なところです。

 

こうして小さなことを見過ごして大きな問題にしてしまった教訓があります。

ミリンゴ大司教は戦われたそうです。

我々の組織も清平の堕落によって同様の道を行かないとは言えなくなってしまいました。

 

http://www.dcsociety.org/2012/info2012/150224.pdf