原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

とりとめもない うわごと            宋総会長と一般信徒のパーセプション・ギャップ

現体制は1/10でどれくらい運営できるのか模索しているようである。

今後多くの信徒の移動を見据えて、スリム化を図ろうと考えているようだ。

また日本信徒だけが重い負担を背負わされている現状を少し改善しようと考えているのかも知れない。

聖職者から変革しなければならないと宋総会長はお思いだが

原理では奪われた条件を取り戻すためには新たな条件を立てなければ

サタン分立はできないことになっている。

奪われたのは小さな地方教会ではない。

世界本部である。

そこに蔓延したサタン文化は部下たちに伝播され不動のものとなってしまった

やむなく精誠を尽くされたお父様御自身が巨文島に拠点を移された

大いなる文氏によって道を教える島

 

お父様でさえもう駄目だと捨て去り、一から出発されようとするのに

はたして変革は可能であろうか?

ウェスレーのようなリバイバルを現教会が起こすことができるかどうかにかかっている。

だが 実際にリバイバルを起こしているのは亨進様と世界中の支持者の方である。

 

本来は三人の御子女様、亨進様・国進様・顕進様が天一国の創建に協力されることが、天によって願われていた

南北統一はアベルカイン問題である。

お父様と金日成が抱き合って道が切り開かれた

如何にビジョンが偉大であっても、神側のアベルカインが一体化しない限り

その夢は泡のように消えていくしかない。

亨進様・国進様・顕進様が揃わないでいる時に

地上で3人が邂逅される日を待ち望まれながら

かって「亨進君のことを頼む」と国進様に言われた言葉を

国進様が実際に果たされている姿を天より御覧になっていた栄進様は

今度は私が彼らを支える時が来たと

顕進様が不在のときの身代わりとして

霊的に世界中に現れて

アベル・カイン・セツの果たせなかった神の恨を解かれている。

なんと素晴らしい兄弟愛であることか!

神の御旨を中心とした兄弟愛に誉れあれ!

 

三種の供え物をアブラハムが裂くことですら大変だったのに

この大きな組織をまるごと裂くことができるのだろうか?

大した信仰である。

 

小心者は言うだろう。

悪辣な文化を創ってしまった一世と

これから天一国を築いていく二世は裂いて分けて

別組織として出発させるべきではないかと思う。

そのほうがスパッと裂ける。

 

現体制では徳野会長の後任を二世にできないか検討をし始めていると言う人がいる。

それが本当なら結構なことである。

 

二世にとって現在は、久保木先生が中心となって草創期の先輩たちが教会建設に歩んだ時のように、1000人を100人を10人を率いていくことができる人材が天によって要請され、一世が果たすことができなかった伝統を立てる時である。

それが最優先される。

 

トップガンを卒業しても配属される場所がなかったら何にもならない。

いい加減一世の失敗の歴史を彼らに押し付けることはやめようではないか。

我々は失敗したのだ。

 

正直に二世の前で告白し謝罪し悔い改めようではないか!

そのうえで、彼らに御旨のバトンを渡そうではないか!

 

やがて彼らが確固たる伝統を立てることができ、

一世がつくった悪文化に汚染されないほどになった時には

もう一度統合する日を迎えればよい。

 

寄宿舎生活に出す親の心情で

彼らの思う存分やりたいようにさせればよい。

だが 全ては神の御心のままに。

 

鳩を裂く。

何と難しいことか?

何と人間の愚かしさは続くのだろうか?

 

不思議なことに対策の集会で、どのような話しがあったかをブログで報告する人はいなかったようだ。

9月15日に宋総会長が語られた内容は以下のサイトによれば次のようであった。

統一教会変革論議 もしかしたら家庭連合は変わるかも

 

分派活動をする人たちに対して
彼らを愛してこられなかったことを悔い改めなければならない
彼らが来られる教会にしなければならない
痛みや疎外感を与えてしまった兄弟姉妹が帰って来られるように
門を正しく大きく開いてあげるべき

 

 宋総会長は真面目な方だろうが

物事の理解が実態とはいちじるしく乖離しているように見える。

愛されなかったから兄弟が離れていくのだっろうか?

そう言う兄弟もいるのかも知れない。

 

だが 多くの兄弟は自分が愛されなかったと言っているのではない。

お父様が愛されなかったと言っているのだ。

誰に?

お父様がこよなく愛された祖国の信徒にである。

共産主義ノーメンクラツーラみたいな特権階級ができあがってしまった

韓国の宮廷ドラマを見ると、日本の時代劇には見ることのできない存在が頻繁に登場してくる。

官婢である。

両班は大量の奴婢を所有していた、彼らは家畜と同じであり人とはみなされて折らず奴隷であった。

官婢は重大な国法を犯したとされて処遇された国家の管理下にある奴婢、すなわち奴隷のことである。

この官婢が多いのには驚く。

 

日本人の信徒はお父様を見本として神の僕、神の奴隷となることを快しとした。

お父様やお母様を生んでくださった祖国に感謝しあらんかぎりの敬意を表した。

だが かの国の信徒は主体性を放棄して悪弊の歴史を繰り返し続けている。

7奪というから、そう言うこともあったのかと潔く反省し、国家的連帯罪があるものと、深く悔い改めた。知った者には責任があると統一原理を応用して蕩減復帰の道を行くんだと心に決めた。かの国とこの国を神の国にするために。

確かに不法を働く者はどの時代にもどの国にもいよう。

だが 第三者の立場からすれば7恵であるかに見えることもある。

ケント・ギルバートはこんなふうに捉えている。

韓国人こそ歴史を学べ! | Web Voice

 

韓国の堕落したノーメンクラツーラ信徒が官婢としたのがの日本人信徒であった。

私が6,000双の祝福のため訪韓した際に私たちをもてなし世話をしてくださった夫人は430双の方であった。一緒にバスで移動すると日本語を話しているのに気がついた韓国人がいちゃもんをつけてくることがあったが、言い返して擁護してくださった。

恩讐を愛する立派なご婦人であった。

私たちは過去の日本人がしたであろう屈辱にたいしてご婦人に心からお詫びをした。

すると夫人は

「食口のみなさんは違います。みんな神様の兄弟です。」

と日本語で語られた。

だが こうした父の心情で赦し愛する信徒とは別に、父の心情を蹂躙し続ける信徒が宮中では跳梁跋扈していたのである。

つまり、我々日本人の食口は、お父様が血の代価を払って人類をまた日本人を贖ってくださったが為、お父様が神の奴隷として歩まれた道を慕い、僕の僕、すなわち奴隷として御旨に勤しんだわけである。

献金は日本人の献金である前に、お父様の献身が先にあって初めて生まれた、いわばお父様が天に捧げておられる献金である。

これをかすめ取り、御旨を大きく後退させてしまった。

天の父や真のお父様に捧げられ、人類の救済と福祉に使われるべき献金が側近によって横領が繰り返され、愛人まで囲って、それを伝統として悪の繁殖をし、お父様が神のために立てられた宮殿を陵辱するまでに至っている。

巨文島に流刑のように逃れて、そこから天の伝統を新しく立て直さなければならなかった。

つまり、私たちが愛されなかったと訴えているのではなく

お父様が愛されず、心情は蹂躙され、天のために注がれたお父様の心血をどうしてくれるのか?というのである。

それが身に染みて分かるのなら、変革を断行すべきであるというのである。

われわれが疎外感を持っているのではない。

お父様が疎外され続けるのはもう我慢がならないといっているのだ。

宋総会長は立派な方だとは思っているが、

そのお方ですら、こんなにも認識がずれておいでなのである。

どうして歪んだ情勢判断で真の変革が成せるだろうか?

お涙頂戴の人間的改善で終わることを危惧するものである。

 

日本人には日本人食口としての問題がある。

だが 今日の家庭教会の根本問題は韓国人にある。

これは世界的な食口の常識である。

 

25年ほど前に韓国で100人くらいの信徒を纏めていた方から、韓国の事情を聞いたが、酷いものだった。

多少大げさなところもあるだろうが、

「36家庭以下みんな自己中心的で始末が悪く、お父様の面汚しだ。たったひとりお父様だけは完璧な立派な方だった。」

そう言って、もうどうしようもないほどだとあきれ果てていた。

すでにこの頃はもう悪の伝統を打ち立て、お父様を苦しめ続けていたと言うことか。

 

わたしは不思議に思ったことがある。

興進様がやって来られた時、興進様に「あなたの信仰を見せてもらった」と評せられた阿部正寿氏が何故日本統一教会の会長に就任しないのだろうかという疑問である。

聞くところによれば氏は率直に韓国の問題に対して発言するそうだ。

そう言う人は反韓というレッテルを貼られやすいことだろう。

一旦そのように評価が下されればどうなるかは想像に難くない。

まさに韓流ドラマが日本でも再現されているとでも言わんばかりか?

 

日本の問題は日本人が解決すべきであり、

韓国の問題は韓国人が解決すべきである。

 

神様が添削すれば以下のようになることだろう。

宋総会長様、御声をお聴きください。

 

分派活動をする人たちに対して
お父様を愛してこられなかったことを悔い改めなければならない
神様が来られる教会にしなければならない
痛みや疎外感を与えてしまったお父様が帰って来られるように
門を正しく大きく開いてあげるべき

 

アージュ