原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

役立たずどもと 神の眼差し         我とこしえに汝を見過ごし見捨てることあらじ!

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「神の愛であるならば、絶対でなければならない」

 

入教生活当初、常にこの言葉が頭を離れなかった。

心の底から神の愛を伝えたいと、ただそれだけを思うのに

伝えられたのは いつも人間の愛でしかなかった。

伝道対象者は喜んだが いくたびも苦々しい挫折を味わった

いったい 自分が聞いたことも 味わったこともない

神の愛を

絶対にして永遠の愛を

どのように受けて

どのように運び伝えることが

できるというのだろうか?

考えれば考えるほど気が遠くなり

目眩の起こる毎日だった。

 

献身した当初、若い兄弟が私の知らぬ間に教会を離れていくと聞いた。

厳しいかも知れないが説得に今夜行くという兄弟と共に

私は同行することを求め二人で訪ねていった。

アパートの部屋に彼は帰宅していて部屋に上げてくれた。

どんなタイミングでどっちが話し出したか知れないが

何時しか本題にかかっていた。

K君は途中「たばこを吸ってもいいですか?」

とことわって吸い始めていた。

私たち二人はそれとなく顔を見合わせ

やはりだめだと帰ろうとした。

だが 自分の心が何かを残したいと探していた。

おもむろに彼に私は言った。

「すまないが、私にもそのたばこを一本くれないか?」

「だめですよ、そんなことをしては!」

彼は止めてくれた。

たばこに火をつけ口に含んだ煙を吹き出して

たばこの先で左の手首に焼きごてした。

「なにするんですか?」

彼は驚いていった。

私は悔しさでいっぱいの思いを伝えた。

「私はこうして偉そうなことを言って君を引き留めようとしている。でも自分には本当に愛がない。きっとこうして説得している君のこともいつか忘れてしまうだろう。だから、せめて忘れないためにいつまでも帰ってきてほしいと思うために、こうするんだ。

愛がないからこうするんだ。そんな自分でもこの痕を見るたびに君の名前を思い浮かべることだろう。K君。いつか帰って来いよ。」

そう言って兄弟と共に部屋を出て教会に帰ってきた。

その後、女性信徒にも同じ事をしたことがあった。

同じ所にしたのに痕は次第に薄まって永く残らなかった。

消えるまで腕時計の下で眠っていた。

どれだけ兄弟を見殺しにしたことだろう。

 

いくつかの人事を経て、もうすっかりそのようなことをしたことも忘れていた。

 

ある時、ある姉妹が自分の身の上を話された。

昔、スケートをしたときに、転倒した人が凄い勢いで滑り込んできて、自分の足にスケート靴でぶつかってきて、転倒し頭などを強く打ったのだという。

それ以来頭痛や体の不調が続きどうにもならないほどだという。

そんなわけで献身してはいるものの、御旨も満足には歩むことができない。

祝福も病気持ちだということでどうやら対象にはなりにくいようであった。

彼女には同じように病気の信徒が友達にいて、その姉妹はてんかんであったが、祝福を切に求めていた。だが その姉妹は何度か祝福の時を見過ごして行かざるを得なかった。

励まし合ってきた遠くにいたその姉妹が浴槽の中で発作が起こったのか死んでいたことを姉妹は知った。悲惨な最期だった。

残された姉妹も自分には祝福を受ける資格はないと言っていた。

ある時、もうその姉妹は30を超えていたと思うが

巡回師の面談を受けたという。

自分が伝道した霊の子女と相手の合意の上で祝福をうけるという方法があるとのことだったようだ。

この世で結婚して夫を復帰する道もあるようだ。

 

だが 我々の時代の信徒にとって

幸せになってほしいと思って伝道した人を

自分の都合や事情でその方と祝福を受けるというのは

大変罪深いことにように感じられた。

伝道して復帰された大切なその方には、真のお父様によって最も相応しい方と祝福を受けることが、その方の真の幸せであった。

それを メシア 真のお父様でない私が勝手に選んで、その大切な方の人生を決めてしまっていいのだろうか?

それなら いっそのことその方はお父様の祝福に行ってもらい、自分は独身のままでいる方がいいではないか。そう考える方が普通であった。

「私はこんな役立たずなのだから家に帰ろうと思う。」

姉妹はにこやかに語った。

 

その時私は言うに言えない神の視線を強く感じた

全能の神が自分は無能であると切ないため息のような視線を姉妹に投げ続けていた

おもむろに私も姉妹に微笑みながら言っていた。

「そうですか。さんざん考えて悩んだあげくの結論なんでしょう。ここで今引き留めることはできないのでしょうね。では、今からあなたが帰ってくるよう神様と共に40日までは断食して待っています。」

静かに何も考えることなく、神の眼差しゆえに口をついてでてきた言葉だった。

 「そんなことをしてはいけません」

姉妹は言った。

私は笑顔を浮かべて姉妹に言った。

「神様と共にあなたが帰ってくるのを40日待っています。」

姉妹が去っていく気持ちに変化はなかった。

役立たずだったから・・・

私はもう一度言った。

「神様と共にあなたを待っています。」

そしてそれぞれの責任分担の部署に戻っていった。

 

もし戻ってくるならば、7日か10日くらいはかかるだろう。

それまでに難しいなら40日になる。そう確信していた。

 

ところが1食も断食しない内に、午前0時を迎えるずっと前に電話があり40日断食は必要なくなった。

「体の具合は本当に酷く堪えられないけれど、もう一度頑張ってみます」

そう姉妹は決意してくれた。

神様と共に私はほっと胸をなで下ろして

神様と顔と顔を合わせて微笑んだ

 

一ヶ月後、姉妹と再びあった。

「どうしても体の具合が悪いし、私は神様やみんなの足を引っ張るばかりです。やっぱり家に帰ることにしました。最後に基準が低い私なんかのために、いろいろしてくれたのでお礼が言いたかったのです」

私は微笑みながら、頷きながら姉妹に言った。

「そうですか。それは残念だな。では約束だから、神様と共に40日までは断食して待っています。」

そう言って別れた。

何も脅かすつもりも

何の考えもあったわけではない。

ただ、「私は救うことができない無能で無力な神だ」という

切ない心情が私の心にこみ上げ続けてきた。

どうすることもできないやるせない心情。

 

薄笑いを浮かべて天を仰いだ。

今度こそ、間違いなく40日だ。

だが 一切不安はなく、とても静かな平安に満たされていた

決意など全く不必要だった

神自らなされるのだ。

 

再びその姉妹が訪ねてきた。

また1食も断食はしていなかったのに

私は大変驚いた。

40日はすることになると信じていたからだ。

不思議だったので私は姉妹に聞いてみた。

「どうして帰るのを取りやめにしたんですか?」

「だって、あなたが断食すると思ったからです。」

姉妹は言った。

 

「神様有り難うございます。あなたの御心が叶いました。」

 

実は私には40日断食とは4度の縁がある。

我が親友にして聖書の師であった、高校時代の親友である古澤義弘にかってこう言われたのがきっかけであった。

彼は私に何度か言ったものだ。

「イエス様の気持ちは40日断食しなければ分からない。」

私はその言葉を100%信じた。

 

さて、以前このブログで書いた、かって天から与えられていたインスピレーション。

「おまえは20までは生きられない」

を受けていた頃

 

冥土の土産にはったりで40日断食をする準備をしていた。

「古澤、やるぜ。俺は。」

本人には伝えなかったが心の内でそう思った。

 

水戸で19歳でIOWCのチームマザーであるノルウェー人のリヴさんに伝道され、20歳まではあと数ヶ月しかなかった。

教会とは関係なく、断食がどうやってするのかよく分からなかったが、とりあえず試しに水だけで3日やり、2~3週間後7日断食をした。

40日はこの何倍なんだ?

こうして準備している話しを学生教会の信徒に話していたら、ある学生が言い出した。

「今はお父様の勝利圏があるので40日は必要ない。7日でいいんだ。」

この言葉には狼狽した。

はったりの心が折れてしまった。

「なんだかよく分からないが、俺の知らない理由でどうも7日に短縮されているらしい。」

7日はもう終わっていたので、とてもがっかりしたことを覚えている。

 

彼は成約断食のことを話していたのだった。

 

19から始まって、必要がなくなること3回、

もはや自分の人生に40日はあるまいと思っていたら

後に有水ですることになった。

 

さて、そんなこともすっかり忘れていた数ヶ月後、

わたしが10人ぐらいの兄弟といた、ワンフロアーの部屋に

別の部署の先輩である兄弟がやって来た。

その兄弟のことは知ってはいたが今まで話すことはなかった。

ところが、彼は多くの兄弟がいる中で、私に向かって近づいてきてこう言った。

 

「何々君。不思議なんだよね~っ。本当に不思議なんだ。自分は御旨のために40日断食を決意したんだよ。ところが、決意したとたんに、40日断食が全く必要ではなくなってしまったんだ。本当に不思議なんだ。さっぱり分からない。」

 

それでわたしに話してきたというわけか、

私はじっと笑って兄弟の話を聞いていた。

他の兄弟には分からなかっただろう。

私には彼が正しく理解できた。

 

統一教会もまんざらじゃない」

天の神を仰ぎ見た。

そう言うところだった。統一教会とは。

777双・1800双・1610双の先輩達が命がけで主を支える道を

我ら後輩に示し歩んでくださった。主と共に行く道。

 

今やわけの分からない、得体の知れない教会に落ちぶれてしまった。

だが 亨進様のサンクチュアリ教会には主の香りがある。

 

献身はしたものの、私は何処に於いても役立たずだった。

自分の居場所がなく、常に違和感を感じていた。

本当にさしたる貢献ができなかった。

頑張っている兄弟を尻目に、

「すまないが、お父様のことをよろしく頼む」

と心の中で手を合わせて敬礼した。

 

だが お父様も 神様も 決して私を見捨てたりはされなかった。

御子女様を ひとり ふたりと 見捨てていく中にあっても

私の命は 幾たびも 血の代価を以て 買い取られてきた。

主は語り給う。

「行くな、我に従え」

 

お父様と共に天に子女様を幾度も捧げお送りしながら

地上におられる子女様達を思った。

 

ダンバリーの時に

お父様のために40日断食をしようか迷った。

断食自体は何でもなかった。

療養中で777の巡回師ともめるのが煩わしかった。

すると、神は1/10祈祷をするように命じられた

 

療養中は与えられた部屋の押入のものを全部どかして、

お父様が上におられ

自分は下に、神山氏のようにいると

心情的に辿りながら眠りに就いた。

見あげたところの押入の木にはお父様の御写真を貼った。

お父様よりよい布団は使えないと寝袋に入って休んだ。

 

朝五時に起きて神と真の父母様に三拝敬礼をして

真の御家庭を思って祈った。

お父様とお母様の為に祈り初め

全ての御子女様のお名前をひとりひとり上げながら

「御子女様にとって大切なときに、足りなく愚かなものなので、御側近くに侍り仕えることができないことを、思いを尽くし精神を尽くし力を尽くして、神と真の父母様と御子女様の前に謝罪して懺悔した。」

おひとりおひとりのお祈りで2時間24分はあっという間に過ぎ去っていった。

30日の予定を今度も40日まで延長した。

 

ダンバリーの外で凍えつく極寒のなかで、孝子として心情の境を祈られる孝進様の姿があった。

ダンバリーの中のお父様が、ダンバリーの外の孝進様と心一つに生きておられることを強く感じた

 

私は思い出す。

孝進様の長男が生まれたときに、お父様が三代揃って神の前に、

険しいお顔で特別な祈祷を捧げられた時の様子を。

私たちが満足に支えられず

真の御家庭を窮地に追いやってしまっていた

その有様を。

 

三代王権。

神の秘めた夢よ。

天に在す孝進様はおっしゃられていることだろう。

「亨進。おまえがやるんだ。」

 

それにしても 神よ!

何故に 私たちを滅ぼしておしまいになられないのですか?

とうに滅ぼされて然るべき

おぞましく汚れ果てた我らを!

決して見過ごさず、見捨てることなき 神よ!

我が魂を如何せん!

 

三代王権。

神の悲願よ!

全ての食口の決意よ!

 

聖和された真のお父様、偉大な文鮮明 恵師が私に教えてくださったことに、

ひとつはこれがある。

 

 「神の愛であるならば、絶対でなければならない」

アージュ