原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

主の路程を慕い求めて            赦して 忘れて 思い出さず ただ祝福する

 

 

 :18)よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう

:19)また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう

:20)ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

:21)そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。

:22)イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

:23)それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ

:24)決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。

:25)しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。

:26)そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。

:27)僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。

:28)その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。

:29)そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。

:30)しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。

:31)その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。

:32)そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。

:33)わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。

:34)そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。

:35)あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

マタイによる福音書18章18~35節

 

お父様がヤコブとエサウが抱き合ったように、金日成と邂逅した直前に、自分の心の隅から隅まで恩讐感情がないかどうかを徹底的に調べられ、100%大丈夫だと確信してお会いになったということです。

 

私たちは、なかなかお父様のようにはいきません。

私の心の中を静かに調べていくと、引っ掛かっているものがあることに気づくものです。

 

私は時折、恩讐感情の棚卸をいたします。

本来であれば、年末など定期的にすることが望ましいのでしょう。

何か、おやっ? 引っ掛かる感情があるぞと気づいたときや、

重いものをもったわけではないのに、急に腰が痛み出したときなどは

必ずするようにしております。

 

静かに自分の感情を辿って、意識化に眠っている

誰かに対する否定的な感情を掘り起こしていきます。

怒りがないか?

葛藤がないか?

恨みがないか?

はっきりとしたものでなくとも、

ほんの少しでも心がその人に留まって

そうではないと即断できないときには要注意だとして

リストに加えていきます。

怪しそうな対象が浮かんできたら

具体的に抱いている感情は何かと問うていきます。

何かに対していだいているはずです

自分自身のその方に対する感情がはっきりしても

そうではなくても

次のように実行します。

仮にその方が「山田太郎」という方であれば

 

1,腹に力を込めて、

2,真剣に

3,声を出して

4,「わたしは、山田太郎を心から赦す。

   わたしは、このことをすっかり忘れる。

   わたしは、このことをけっして思い出さない。

   わたしは、山田太郎を神とともに心の底から祝福する。」

5,同様にして、過去にわだかまりを抱いた人々を片っ端から思い浮かべて、

  上記のように実行します。

6,ひとりひとり終わった後には、必ず心をじっと見つめてチェックします。

7,直感的に充分だと思えば次の人に移りますが、ほんの少しでも曖昧さが残れば

  もう一度、さらに心を込めて実行します。

8,すがすがしく爽やかな気分になっていれば、うまくいったはずです。

  神に感謝して終わります。

9,しばらく時がたっているのに、既に終了はずの方が、

  リストに何度も顔を出す場合もありますが気にしてはいけません。

  潜在意識に蓄積されていた否定意的な感情が予想を遥かに超えて深いのです。

10、わたしが否定的感情と決別しようと意思表示していることが大切なのです。

 

以上はおおよそわたしが行っていることですが、

アファメーションの言葉は「否定的感情を肯定的感情」に置き換えて、恩讐を赦し祝福するのであれば、ご自分に合った言葉ですればよいでしょう。

 

わたしにとっては絶大な効力を発揮してきました。

JRの出口を通り抜け、広場に出たとき、いきなり腰が痛くなり動けなくなったことがあります。腰痛と怒りは密接な関係があるようです。肉体的な原因が想像できないときは、どうも何かに怒りを覚えていたことを忘れているらしいのです。

その時も怒りを覚えていそうな、現在や過去に出会った人を思い出した順に片っ端から、周りに人がいるので、アファーメーションを小さな声でも力を込めてはき出しました。

ちょっとでも動くと、ビリビリと電気が走るような、固まってしまった状態でしたが、

あっという間に不思議なくらい何もなかったように元通りになりました。

 

何を寝言をと思われた方には、おそらくこの本が発売されたときに、わたしは読んだのだと思いますが、大変良い本があります。

 

サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療

サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療

 

 

はじめは自分の感情と言葉に違和感を感じますが、気にしないで続けてください。

 

私たちは自分の感情は自分のものと思いこみやすいのですが、そうではありません。

 

(四)善神の業と悪神の業
 善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。
 善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。

 

善神の場合は地上人を主体、自分を対象として、主体である地上人の善なるモチベーションを高め、御心に敵った行動へと導く協助をします。

 

善なる霊人たちは、地上の善人たちに再臨して、彼らをして神の復帰摂理の目的を成就せしめるように協助することによって、ついに彼らと同一の恵沢を受けるようになるのである。

復活論より

 

ところが、悪霊の場合は自己の悪なる目的を達成せしめるように、地上人に密かに操作しようとします。

 

つまり、自分の心の中に否定的な感情が永く居座ってしまうと、同じような感情に囚われて抜け出せない霊人がやって来て、自己の目的を達成するために、地上人を操作し支配しようとします。

そこで、自分の感情以上のものが、知らない内に、見えない存在と授受作用して、増幅されていきます。

その事に気づきなさいよ!と警告してくれているのが

「善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。」

 

あなたの心は平安ですか?

心身共に健やかですか?

万一そうでなかったら、

悪霊が近づいています。気をつけなさいよ!

 

そう御言葉は警告しているのです

 

否定的感情を抱かせた人を

神よ、心から赦したいのです。

その感情をすっかり忘れたいのです。

それでも不十分です。

神よ、わたしに二度とその事を思い出させないでください。

精一杯、その方の幸せを祝福しますから。

 

 

シャローム