原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

李鎬宅氏の動画に対する太田朝久氏の反論   統一原理の理解のために双方比べてみては?

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李鎬宅氏による「摂理的同時性からみた危機的状況とその対策」という動画に対する公式見解の動画がアップされた。

お馴染みの太田朝久氏の解説である。

以前に李鎬宅氏の動画をご紹介したので、フェアに教会の動画もご報告する

「摂理的同時性からみた危機的状況とその対策」 の動画を見て - 原理講論を読む

 

わたしは李鎬宅氏や太田氏の動画について、話そうと思えばいくらか書けるだろうが、積極的に関わる気はしない。

というのは、亨進様に対応するだけでせいいっぱいであるし、亨進様の説教で充分であると思われる。これの理解に集中することが得策である。

太田氏は大変誠実で信仰者らしい姿勢でお話しされている。

いくぶんいつもよりお疲れのようである。

今回は一本太田氏が取ったということになろうか。

だが、本部がこうして2本もの動画を制作されたことに驚きを禁じ得なかった。

それほど影響力があったのであろうか?

李鎬宅氏は手を広げすぎているように思われる。

御自身が研究されてきた同時性と亨進様が正統な後継者であることを主張する

いわば二刀流であるかに見えるが、二刀流は宮本武蔵のような天才にして使える代物で、我々のような凡人には向かないように思われる。

相手の言質だけを主戦場にすればよいのに、ご自分の理論に執着しすぎた

膨大な内容のそれでも一部であるというから、

いくらでも攻撃する戦場を提供していることになる。

素朴に420代の根拠は何ですか?

とお訊きすることもできるところである。

教会が取り上げていることのみに集中すれば、先方は防御に回ることしかできないのである。

私も含めて、得意は誰にとっても命取りになる。

 

私たちの世代では、益村公俊氏という方が多くの著作を書かれ、大変ワクワクしながら読んだ記憶がある者は結構いるのではないだろうか?

そこで著者と共に我々が学んだ教訓が、

人間の責任分担が果たされるか否かによって結果が異なってくる

という基本的なことであった。

 

同時性は、言葉が適切ではないかも知れないが

「後付」のような形をとる。

すなわち、

「結果として~というようになったのだと解釈できる」

というようなものであり、

基本的には積極的に未来を予測する性質のものではない。

 

もう少し焦点を絞って研究されては如何であろうか?

李鎬宅氏によって示された数字(年数)には聖書や聖書研究からすると、違和感があるものとして太田氏は根拠を示され解説され、残念な結果となった模様である。

反論があれば発表されたらよい。

 

迷路の出口を求めて、マウスが右の行き止まりを引き返し、今度は左の道へというような、試行錯誤の道を繰り返しながら、正解に近づいていくように、我々もまた、兄弟の指摘に感謝して、それを栄養に再チャレンジすることが大切であろう。

実に科学の発展も反証可能性にあったという。

 

3万双の兄弟が教会本部の総力を結集した反論に、がっかりすることなく、良いものをもっておられるのであるから、神の導きによって正しく育ててほしいと考える。

 

確か、ノア時の言語がハングルだったとお父様が語っておられたように思うが、もしそうなら壇紀となんらかの関係があっても、全く根も葉もないことではないかも知れない。ぜひさらに研究されてほしい。

 

わたしが一番聞きたかったことは、

エフライムと信俊様の対比についてであったが。

何故エジプトの女から生まれたエフライムと

ヨナ様から生まれた信俊様を同一に語れるのか

一度何故なのか聞いてみたいと思ったからである。

 

幸運にも、ものみの塔の研究が発表されているサイトがありエフライムについてまとめていた。

エフライム — ものみの塔 オンライン・ライブラリー

 

そこで列挙してあった、祝福に関する聖句の箇所を、実際の口語訳聖書で記述されているとおりに、以下に示しみた。

 

 :50)ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れた。これらはオンの祭司ポテペラの娘アセナテが産んだのである。

:51)ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」

:52)また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」

創世記41章50~52節

 

:5)エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします

創世記48章5節

 

:21)イスラエルはまたヨセフに言った、「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。 :22)なおわたしは一つの分を兄弟よりも多くあなたに与える。これはわたしがつるぎと弓とを持ってアモリびとの手から取ったものである」。 

創世記48章21~22節

 

必ずその気にいらない者の産んだ子が長子であることを認め、自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初めであって、長子の特権を持っているからである。

申命紀21章17節

 

  :4)ヨセフの子孫が、マナセと、エフライムの二つの部族となったからである。レビびとには土地の分け前を与えず、ただ、その住むべき町々および、家畜と持ち物とを置くための放牧地を与えたばかりであった

ヨシュア記14章4節

 

:1)イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。――ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない

歴代記上5章1節

 

 :13)ヨセフはエフライムを右の手に取ってイスラエルの左の手に向かわせ、マナセを左の手に取ってイスラエルの右の手に向かわせ、ふたりを近寄らせた。

:14)すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。

:15)そしてヨセフを祝福して言った、

「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、

生れてからきょうまでわたしを養われた神、

:16)すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、

この子供たちを祝福してください。またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、

彼らによって唱えられますように、

また彼らが地の上にふえひろがりますように」。

:17)ヨセフは父が右の手をエフライムの頭に置いているのを見て不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした

:18)そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。

:19)父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。

:20)こうして彼はこの日、彼らを祝福して言った、

「あなたを指して、イスラエルは、

人を祝福して言うであろう、

『神があなたをエフライムのごとく、

またマナセのごとくにせられるように』」。このように、彼はエフライムをマナセの先に立てた。

創世記48章13節~20節

 

いろんな示唆が得られるかと思うが、

先ずは聖書に記述されているという

客観的事実を踏まえてみることは有益であろうかと思う。

ものみの塔の方々にはお礼を言いたい。