原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

事実の中に巧妙に嘘を混ぜるのがサタンの仕業  江利川姉に対する公文はフェアではない

江利川姉は最新の公文によれば、亨進様のサンクチュアリ教会、つまり真の父母様を否定、特にお母様を否定しているというところに行くので惑わされないようにと言っているとのことである。

お父様に対して何を批判したというのであろうか?

全く不可解な話である。

そのうち正確な文章が誰かによってアップされるであろうが、

こういう公平でない公文を出しては、組織批判された際には同様のようにされても反論できないようになってしまう。

これでは悪質な反対派の人たちや、動機の悪い分派たちと変わらないことになる。

正統を謳う以上は横綱相撲で胸を貸してあげて頂きたい。

 

以前に徳野日本統一教会長が、崇教真光の建造物や施設の見学を問い合わせ、先方から許可され案内されたことがなにかのブログで紹介されていたことがあった。

はて?崇教真光

真光には二つあったように思うが?

何故、そちらを選んだのであろうか?

と不思議に思っていた。

 

教祖 岡田光玉が立教したのが1959年。そして他界したのが1974年で、この時後継者問題が起きている。

岡田光玉には子供がいなかったが、養女として井上甲子を1959年に入籍している。

この女性は岡田恵珠となった。

一方、教祖の岡田光玉は関口榮を後継として指名したというものがあり、有名な後継者問題の裁判、真光裁判が始まった。

軍配は関口の方にあり、世界真光文明教団を引き継ぐこととなった。

そこで分派として別途出発したのが嵩教真光である。

勿論、双方ともに正統な後継者であることを宣言していることだろう。

 

その間の事情をウィキペディアでは嵩教真光の項目で以下のように説明している。

ブログ内の青字リンク項目はウィキペディアに繋がる。

 

1974年(昭和49年)6月23日に岡田光玉が死去。その葬儀の席上、『二代教え主は関口さんにお願いしなさい』との光玉の遺言に従い、関口榮が二代教え主に就任したことが発表され、その旨が真光誌に記載された[3]。 しかし岡田恵珠は「死去の10日前、光玉からの教え主継承の儀は終えている」と反論し、7月に代表役員の登記を済ませてしまった。 これに対し関口榮は、代表役員の地位を明らかにするために提訴し、昭和52年には「関口榮が代表役員である」という最高裁判決を得て、正式に教団の2代教え主に就任した。これによって岡田恵珠は文明教団から分派独立した。

1978年(昭和53年)に崇教真光を設立。

 

世界救世教 → 真光文明教団 岡田光玉 → 関口榮

              ↓

        嵩教真光 岡田恵珠 → 岡田光央

 

どちらも本家を主張されるところであろうが、

一般的には、嵩教真光の方が分派というのがこの世の理解である。

 

真光文明教団側の説明では、

教祖の後継指名が男性に為されたのにもかかわらず

養女として入籍した家族の女性が後継者として、嵩教真光をスタートさせたというわけである。

一方、教祖に後継者として指名されたとされる関口は、本体に残った。

 

これ以上は立ち入らないが、

何処かの問題を彷彿させる話しである。

徳野会長は女性の2代目のつくられた教団に訪問したようである。

 

真光にはメシア思想がある。

今後の継続的交流で協力ができるものと期待したい。

古事記についてお聞きしては如何か?

 

参考できる講義案 14頁から

http://www.utitokyo.sakura.ne.jp/uti-index-gaiyou01-siryou01-genri-adam.pdf