人によれば日本には3万人もの祝福二世が存在するという。
そのうち中高生は半分の1万五千人と言われている。
教会は一世の伝道に関心があるようだが、
二世は何処に行くのだろうか?
もし、私が二世として生まれてきていたとしたら
私は今ここにある試練に耐えることができただろうか?
これほど素晴らしい御言葉と、その如く生きられたお方を知りながら
われわれは何故、その方の真心にお応えできないのであろうか?
一説によれば
43双の頃の子女は約70%が祝福を受けたという。
777双では約40%
1800双では約30%
6000双では約20%という感じである。
候補者は他にも存在しているので、この数字は向上していく傾向にある。
だが、小学生時代は、ともかく親の願いのなかにある子供たちも、徐々に自我が成長して、単純に親の言うことを信じたり、親の言うことに従ったりするとは限らなくなっていく。
親の意向に従っている自分と、本当の自由な意思の自分との間に亀裂が生じてくることがある。
友だちの意見や、ネット上に氾濫する様々な情報の波に溺れてしまうことがある。
高校までは親の言いなりだが、それ以降はわからない。強制では信仰は確立されない。
優秀な子女ほど教会の問題解決能力のなさにうんざりして、距離を保つことであろう。
幼児の時から父母が膝に載せて度々お祈りをなし、聖書の物語をやさしく語ってきたなら、試練は小さくてすむかも知れない。しかし、多くの家庭ではこの「三つ子の魂」の教育機会を放棄してきていると思われる。
この3年間のツケが後で取り戻せないないほど効いてくる。
後の祭りである。
我が教会には三大祝福を念頭に置いた、実践的教育機関が不在である。
幼児教育の研究成果を広く信徒に提供し成果を挙げていくような・・・。
私が言いたいのは、既に世の中にあって機能している教育自体を否定するわけではないが、それらの素材を有効活用することはよいとしても、この世の教育では充分に表現し得ない、我々独自の立ち位置というものがあるだろうということである。
その独自性によってこそ、統一原理の存在理由がある。また社会に対する存在価値がある。
アカデミーであるとか、国際科学者会議を開催し運営してきた我らが組織ではあるが、こうした取り組みが外部ではなく内部にむかって、小規模であっても展開されるべきであった。
私の学生時代はアベルの子女は愛育園という幼稚園に通っていた。
そこでは毎週の子供礼拝を工夫していて、一年ごと使われた礼拝内容の資料がまとめられていたので、2、3年分購入して独身ながら勉強させて頂いた。
特に御子女様の証を礼拝に取り入れたものが時々あり興味深かった。
昔の兄弟は神の子の教育に熱心であった。
高校生部を経験していた東大の学生は、大学で復帰された我々に比べて、非常に心霊が安定していた。信仰は早くから基礎が培われるほど良いのだと思ったものである。
現在、例えば大学生に心理学を専攻する者がどれだけいて、彼らをどのようにか繋がりができるよう、場の提供をして、信仰と知性というものをどのように両立させて、教会信徒や社会に機能させていくか。また、教育学部の学生に対しても、創造本然の子女教育の方法を模索すべきであり、心理学を専攻する学生と教育を専攻する学生あるいは社会科学を専攻する学生をまとめて、子女教育について研究させるのも良いだろう。
何故我々は魅力的な組織作りを始めないのであろうか?
トップの問題である。
日本統一教会の会長は立候補と選挙によっているらしい。
われわれ一般信徒には選挙権はないが、それはともかく、少なくともご自分が会長に就任された際には、何と何をやるというようなことは、一般信徒にも伝えるべきであろう。旧態依然たる報告役としての責任者では、不十分である。
創立して半世紀以上も経つ教会である。
心情文化と言うけれども、一体何を社会に提供するのか、その社会的機能が未だに見当たらないということである。このようなことでよいのであろうか?
先日話題になった伝道する人に対する月5万円の助成金だが、およそ1億以上の金が毎月戦略的費用として計上しているらしいが、なんとなく竹下総理の「ふるさと創生金」に似てはいまいか?
1ヶ月に1箇所、集中投資して組織を蘇生させ、年間12箇所立て直せればそれに越したことはないように思われる。
その際の金の使い方は重要だが。
牧会者任せでも困る。教会畑しか知らない人には荷が重すぎる。
さて、話しを戻すと、
祝福子女の中には、「ひきこもり」という人たちが結構いる。
彼らはコミュニケーションをとることが、普通の人よりずっと苦手である。
自由でいたいという願いを実現するためには、結果として「ひきこもり」が割に合うという判断なのだろう。
確かに教育の責任は親にある。
だが、祝福二世は教会の宝である。
私には、何故一世の伝道が主力なのかが理解できない。
この3万人をどのように育てるかが肝腎であることは誰の目にもわかる。
一世には特別巡回師ができたが、二世のための二世の特別巡回師は存在しない。
一人当たり30万の給料で333人分。教会のホームページによれば273教会ということなので、8190万。
最初から経費を払って全担当者を立てても無駄だが、全国に10人ぐらいの二世巡回師を先ず立てて、本人たちにはヨハネ先生の書物から牧会のパターンを見出させ、その根拠となったり関係する統一原理の箇所を特定させ、牧会の公式集ができないか検討させる。
また、既成教会の牧会セミナーや学校などにも参加可能な地域のものには参加させる。
思い込みや思い違いを明らかにする論理療法は、大学の専門課程を経ずとも民間の資格や講座を受けることができる。このようなものや、コーチング・ファシリエイトなどの受講も良いだろう。
大切なことは個人で受講したものを共有することである。
そのためには、自分の言葉で説明できるようにならなければならない。
そして、性相的な魂の配慮としての牧会と形状的な各種スキルを融合させる努力をすることである。
ただし、キリスト教の牧会にも限界があるように思われる。
現実の人間から出発するので、堕落性を見つめることになる。
創造原理がないから苦戦しているように見える。
弱者をいたわるということは得意のようだが、
人間の創造本性に関しては弱いようである。
牧会者が取税人に変化してしまった今日
セルフカウンセリングやセルフコーチングという言葉があるように
セルフ牧会の必要性が高まっているように感じられる。
光言社にはそのような出版物はないようである。
是非検討して頂きたいものだ。
聖和3周年まで40日を切っている。
霊界がどんよりしている感じである。
善進様が祝福をされているが、ご主人の右側に立っておられる。
真の御家庭なので右側主体ということなのだろうか?
不自然に感じられた。
3万人の二世の中祝福を受け家庭を持ち子女を得て、信仰の伝統を継承させることができるのは、何人になることだろうか?
祝福の見合いの指導も酷いものである。
この世では、例えば楕円や四角く、テーブルを持ち内側と外側にそれぞれ男女が座り、2,30人ずつの男女が席について、向かいの人と自己紹介など5分ずつして、男性が一人ずつずらして席を移動し、別の女性と同様のことを繰り返す。
一巡したら、気に入った人に声をかけて、じっくりどんな人かを確かめる。
気が合えば交際に発展する。
祝福の見合いもほぼこのレベルである。
結局主宰者が方向性を示さないので
参加者は見てくれで決めることになる。
信仰観など関係がないのである。
仲良く暮らせるなら見てくれも結構だが
ちゃんとそれぞれの信仰を確認してほしいものである。
お父様がこのような祝福を願ったのであろうか?
しかも二世である。
ある信徒が言うには、教会には指導できる人がいないと。
いったい家庭部の責任者は何をしているのだろうか?
これでは、韓国人が親のいうことに従わなければならない儒教文化の影響で、
とりあえず祝福を受けて婚約期間に破綻したり、家庭をすぐに持って破綻するのと変わりがない。
このような状況を放置して、天の伝統をないがしろにしている徳野会長の責任は大きい。総理大臣が例えばオリンピック担当相というような特命大臣を任命して問題解決や課題解決にあたらせるが、会長職が忙しいなら誰かに特命を与えればよい。
3万人をどうするおつもりなのであろうか?