韓流の時代劇を見ると、朝鮮の王朝に展開された問題がよく分かるような気がする。
基本的には、時代劇というものはその時代設定を利用して現代の問題意識を表しているものだと考えているが、繰り返し繰り返し現れてくるパターンには、それなりの歴史的・文化的背景があって出てきたものであることも、想像するに難くない。
信徒が誰でも知っているように、サタンは神の意図を知っていた。
その意図を挫くために、神主権の世界からサタン主権の世界に転倒させる戦略を立てた。
戦術には、血統を重視する混淫・混血を用いて心情の堕落を計った。
実際の戦闘で用いられた戦理乃至方針は、
堕落性本性から導かれたものが中心となっている。
1,不信動揺戦術(偽の御言葉で動揺させ攪乱させる)
2,離間分断戦術(不信の種を蒔いて、一体の者を引き裂き弱体化)
3,主客逆転戦術(混乱に乗じて新たな偽の主体を擁立する)
4,繁殖基台戦術(偽の主体が存在活動するための盤石な支持基盤の造成)
これらの4つの要素は単体として用いられる時もあり、複合して用いられることもある。
神の血統に相当する言葉としては、聖骨(王の血統)のような言葉がある。
日本の皇室では、皇室と皇族に区別されているように、内戚と外戚が朝鮮の宮中にも存在し、王を脅かしているというようなドラマの筋書きが実に多い。
王が持っている権力を、王を取り囲んでいる外戚の面々が虎視眈々と狙って、政治工作を行っているというものである。
所謂、権謀術数を駆使して武略の限りを尽くしているのが、王の親戚である外戚ということである。
我々で言えば、男性の子女様の相対者の親族が一族の繁栄のために、真の父母を動かし、またその神権を握ろうとするようなものである。そうして権勢を振るうようになることである。
一族の繁栄のためというのは、血統を重視する神の愛する民族性稟が、自己中心で展開してしまうことで、弊害となっている。
これが韓国の時代劇に現れてくる主要テーマとなっている。
王には側室がいるから、側室の子も権力闘争に参加することもある。側室である母が王の寵愛を手に入れた証こそが、自身の子女の即位継承だからである。
最近見始めた「大王世宗」では世宗は3男であり、次男と共に、父から政治に関心を持つなと厳しく戒められている。兄弟が権力闘争の渦に巻き込まれ血なまぐさい事にならないためである。
「善徳女王」では、ご自分が王になる、そのためには夫やその親戚から干渉されて政治が乱れることを防ぐために、独身を選ぶという訳である。
どうもお父様は韓国歴史において、奸臣一族が王宮に血縁結婚侵入し、いつの間にか王権を奪取して権勢を振るってきた罪悪歴史をお父様の御家庭で蕩減復帰して、歴代の王の恨みを解放し救済する蕩減復帰の道を御家庭を献祭して歩まれているようである。
実際アダム家庭を中心にして展開してきた人類歴史は、神とサタンの善悪権力闘争史の様相を示しているので、これに類似してくるのであろう。
一家庭の父母が、万民の父母すなわち王と王妃となり、善政を繰り広げて行くことが、神によって願われていたアダムとエバの天命であった。
本来、神の善主権によって天地が治められるべきはずであったが、堕落してサタンとなった天使長ルーシェル(ルシファー)によって悪主権による罪悪治世となってしまった。
このサタンの悪主権が神による善の主権に移行し交叉し元返される時期を終末として我々は理解してきた。
平易に表現すると、これは一種の権力闘争であり、その形態は「易姓革命」である。
ここでは単に天命による王朝の交代としておこう。
易姓革命の易は変わるということで、姓が易わる事を言う。
私たちに関係があるのは、同姓革命とでも言おうか。
姓が変わるわけではないが、実際上、王の御心は家臣の政治によって実行されるので、ここにバイアスが発生しやすいわけである。
すなわちいつの間にか王朝から別の者に実権を奪われて、その者の王朝であるかのような実体に変容してしまうことである。
孟子は仁義による紐帯が堅固な共同体社会を築き繁栄に至るが、利己的紐帯は脆弱な社会をもたらし滅亡に向かうと考えた。
本来長子が王朝を相続継承していくものであるが、何らかの事情により次子以降によって王朝の相続が移行されるような場合がある。
ただし、これは姓が変わることはない。姓が変わらず長子以外に継承されるケースである。それでもここに自己の利益を動機に紐帯する家臣が働けば弊害が起こることは避けられない。それはもう実質家臣による潜伏王朝支配であり、易姓である。
韓流の王朝時代劇に多く見られるのは、王の血統と婚姻を通して侵入する親戚の問題であり、政治における血統の混入とでも言うべき有様である。
「善徳女王」のようにはっきり王家と家臣が対立し勢力基盤を広げるべく闘争するようなものもあり、最近十数話みた「大王世宗」では、王の寵愛を受け権勢を振るう臣下に対して、至善の知恵で主管する道を三男の王子が王に提言し、王が動き臣民が自然屈服する様子が描かれていた。
家臣(側近)というのは天使長である。
彼らは常にサタンに狙われ王子を追い出そうと企んでいる。
王子を追い出すために王や王妃の言葉を匠に使うことであろう。
権力を握るために。
ヤコブは苦労したが、ラバンと一対一の戦いであり、エサウとも基本的には一対一の戦いであった。
だが、父様は条件的祝福を大盤振る舞いで与えてくださった、カインの氏族の未解決の堕落性によって、カイン氏族の拡大に比例した試練に立たされることとなった。
「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり」孟子
我々は如何にして真の家庭を天使長から守るべきか知恵を働かさなければならない。
日本では孟子の易姓革命は万世一系の王朝を転覆させる危険思想として受け取られてきた。
本居宣長は、ころころ王朝を変えてきた中国ではなく、我が国のように一つの王朝が続いている国こそむしろ中華であると考えたという。
最近、天皇に姓が無いことが、易姓革命を封じるために誰かが考えたのではないかというような議論が起こっているらしい。
我々もいかにして真の御家庭を守護していくか、様々に考察し、サタンの侵入の典型パターンを明らかにして防御すべきであろう。
血縁による潜伏易姓革命にご用心!