原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

文鮮明恵父の教え 実子の3倍以上霊の子を愛せ  ヘレン・ケラーの霊の親サリバンの映画「奇跡の人」に学ぶ

 

 

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ヘレン・ケラーは幼い時に病気になって高熱に浮かされました。

その結果、不幸にも目が見えなくなり、音が聞こえなくなり、言葉を覚え話すことができませんでした。

モノクロの映画ではそのようなヘレンが囲われている状態を、次のように映像表現しています。

クリスマスツリーらしきものにぶら下がっている球形の物の暗い表面にぼんやり映し出されているヘレンの姿です。

この球形の飾り物を木から取り外して、ヘレンは床に落としてしまいます。

スローモーションで落ちていき、こなごなに割れて飛び散るシーンがあります。

「言葉」を知らないヘレンが、囚人のように自分が閉じこめられていることに気づいて、ちょうどひな鳥が卵の殻の内側からくちばしでつつき壊して、生まれていくように、ヘレンも「言葉」を獲得して、動物のように本能のままに生きるのではなく、人間として生きる新しい世界での誕生を求められています。

これはちょうど伝道対象者が「神の言葉」を知らずに生活して、神の子であることに気づかないで、本当の自分を知ることができていないことに通じています。

通常はヘレンのように事故によって障害を被る事がなければ、親と同じ物を見ることができ、生みの親の言葉を聞き育ち、親が話す言葉を話すことができます。

言葉とそれが指す意味を示す実際の物が何であるかがわかるようになります。

しかし、ヘレンに対しては実の親はそうすることが無理でした。

それでも、ヘレンはこの暗黒の世界から解放されなければなりません。

ヘレンが何も見ることができないので、両手を差し伸べ、周りを探りながら歩く姿のシーンは大変有名です。そこら中をそうして歩き回る少女は、人生の手懸かりを探しているのです。どこまでもはてしなく歩き続けるヘレンを後ろから追って母親が見守っています。

何とかしてあげたいのに、母親として何もしてあげることができませんでした。

何故でしょう?

 

サリバンはケラー家に着くやただちにヘレンの教育を始めます。

二階のサリバンに与えられた部屋でもヘレンに言葉の意味を教えるため、手話を用いて物の意味を理解できるように努力します。

赤ん坊が親の話し声をたくさん聞いたある日、自分も突然話し出す瞬間があるように、ヘレンにもそのような幸福の日が来るよう期待します。

ところが、この部屋でなかなかいうことを聞いてくれないヘレンは、与えられた人形で思いっきりサリバンを殴り飛ばし歯が折れてしまうほどでした。

それどころか、この部屋も鍵を持っていた彼女は、鍵をかけ閉じこめてしまいます。

ヘレンは鍵を大事に持ち歩く子でした。

聖書でいえば、天国に至る「鍵」です。

さて、はしごを持ってきて二階からサリバンを救い出されましたが、夕食時にも事件が待っていました。

みんなが楽しく談笑しながら食事をしている最中に、ヘレンはテーブルの周りを移動しては他の人たちの皿に盛った食べ物を勝手にとって食べて回っているのです。

皆は放っておかないと話しも食事もできないと思っていたのでした。

だが、サリバンは黙ってはいられませんでした。止めさせようとしましたが、ヘレンは激しく抵抗しました。

母親ですら「自分の主張が通らなくなるとこうなるのです。」とあきらめ顔です。

皆は、ヘレンは特別な子だから、哀れみの心を持って許してあげてくださいと言います。

サリバンは、わがままでしかない。この暴君に哀れみを持てと?何でも思い通りだ。現実を教えないことがよっぽど哀れ。哀れみは何の役にも立たず、教えるより哀れむ方がよっぽど簡単だと言った。

講論の末、サリバンは皆を部屋から追い出してしまいます。

 

父親はオフィスに逃げ出し、見送っていた母親に、ヘレンと腹違いの兄ジェームズは言った。

「先生と同じことを 僕も前から言っていた」と。

それを聞いて母親は彼に言った。

「面と向かって?」

心情は思いの内にと止まりはしない。

 

ナプキンを母親はおもむろにつまみ上げて見せた。

「それとも これはあなたの白旗?」

 

さて有名なサリバンとヘレンのバトルが始まる。一番上の動画です。

圧巻のシーンです。是非ご覧下さい。

全ての物語を見て頂きたいです。

 

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格闘の末、サリバンはヘレンに皿から食べさせることに成功する。自分でスプーンを持って、ナプキンをたたんだのです。

部屋中めちゃくちゃになったが、母親に教育の成果を告げることができた。

 

部屋に戻ったサリバンは、まだまだ第一歩を踏み始めたに過ぎないことを知っていた。ふと彼女が学んだ本が気にかかり、テーブルの上から取り上げ読み上げた。

「彼女の魂は掘り起こせないか?

もし彼女が生き埋めになったら

近所の人 全員がすぐさま集まり

懸命になって 掘り出すだろう

その懸命さほどの忍耐があれば

彼女を起こせるかも・・・

真の彼女を目覚めさせられるかも

可能性は僅かだ

しかし 人が埋められたら 必死で掘り出す

魂の命だって大切だ」

 

さて、父親はこの頑固者の教師が、雇われた身でありながら、言うことを聞かず自分たちに指図するのが気に入らない。即刻首にしたいと妻に語ったが、母親はナプキンをたたむようになったことに感激していた。

 

サリバンには力づくでヘレンを従わせただけであることはわかっていた。

ヘレンはサリバンに会うと恐怖でおびえた。

自分の意思をねじ伏せるただ一人の敵だからです。

 

サリバンは自分の教育の方針が他者によって邪魔されることがない環境を整えることが重要だと考えた。そこで、父親に橋の近くの家は使っていないのなら、そこでヘレンと二人っきりで住み教育に専念したいともちかけた。

母親は彼女を信じた。生後6ヶ月でヘレンは「水」という言葉を話したことを打ち明けた。意味もわかっていたという。あんな賢い子はいませんとまで言った。ただどこかで眠っているのだと・・・

「私たちのことを我慢して下さい。あの子は迷える仔羊です。愛しているんです。」

これを聞いてサリバンは

「ヘレンの悪いところは 耳や目ではありません。あなたがたの愛と哀れみです。

ペットのように扱っている。犬にも躾はします。ここでは何も教えられません。」

サタンが働くことができないよう環境の分別が必要。

両親は障害者の施設に入れることも考えたことがあった。しかし、見学に行くと酷いところだったと言う。

サリバンの信念

「愛する者(肉親)ではなく 教師(霊の親)があたえるんです」

 

2週間という期限付きで離れで二人で暮らすことが許可された。

ヘレンにはわざと時間をかけて移動することによって、大変遠いところに来たように思いこませて、両親はいつでも見に来ることができるようにした。

その日、サリバンは夢を見た。弟のジミーと暮らした施設の夢を。

病弱な弟と死に別れ、何もしてあげることができなかった自分の恨を。

ヘレンの歳と同じ時に弟のジミーはしんだのです。

うなされて「ジミー!」と大声を張り上げて起きると、外でその声を聞いたヘレンの兄で同名のジミーが窓を開けて自分を呼んだかと聞く。

ここでジミーは持論を展開しサリバンと口論になった。

 

ジミー

「どうやってなつかせるんです?」

サリバン

「わかるわけないでしょ。彼女に賭けているの。知りたいはずよ。」

ジミー

「何を?」

サリバン

「何でも。その知識欲を利用するわ。」

ジミー

「あなたが学ぶかも」

サリバン

「勿論」

ジミー

「不可能だと。次第に心が疲れ あるがままを受け入れる そのうちあきらめます」

サリバン

「なたがたはそうでも 私には罪だわ」

ジミー

「何が?」

サリバン

「あきらめ」

ジミー

「教育は無理だ あきらめて 哀れみなさい」

サリバン

「死んだ方がましよ」

ジミー

「何故 わざわざ苦労を? 教えて下さい。」 

サリバンは急に強引に窓を閉めてしまった。

 

窓を挟んで、部屋の中は内的環境すなわち心の様子を表している。

一方、窓の外側は外的環境を表している。

信仰が大きければ環境は小さく見える。

信仰が小さければ環境は大きく感じる。

 

お父様は語る。

どんな困難にも、心だけは動かず、変わってはいけません。

「どこの誰も、勝利したいと思うこの欲求の心情を奪っていくことはできない」という自信をもって進まなければなりません。

 

このシーンは何を物語っているのだろうか?

問題は人や環境にあるのではなく

自分自身の物事に対する捉え方や姿勢にある。

私が主体であり原因である。

環境は対象であり、諸条件に過ぎない。

主体であり、原因である私は、既存の条件を活用して新しい条件を創り出し、

私の目的にそって環境を変化させていかなければならない。

外的に起こってくることは

内的に心理的に私を揺さぶってくる条件だが、決定的な勝敗を決する原因ではない。

私が主人として本当の原因となっていかなければならない。

そして、霊的な試練に打ち勝たなければならないことを示している。

 

思い悩んでふと隣の部屋に寝ていたパーシという男の子を起こして、手話を教えるゲームをヘレンにさせた。ヘレンはパーシーを離れたが、サリバンはわざとパーシーに教えている振りをして、へレンに嫉妬させ、まんまと術にはまったヘレンはパーシーを追いやり、サリバンと手話のゲームをすることに。

この期間多くの言葉を手話で覚えたが、それは物と言葉の合い言葉のような物で、山と言えば川というのに似ていた。言葉が物の意味を表していることは、依然としてヘレンには理解されなかった。

サリバンには、兄のジミーが語った言葉が試練となっていた。

彼女は呟く

「毎日のように 教師としての自信をなくしていきます。どうすればいいのか。誰か教えて。でも誰が?あなたの心に届く方法なんて。どうすれば?」

サリバンはヘレンの顔を見あげた。

 

最終日に両親が見に来るが、ヘレンは犬を相手に手話を教えていた。

犬にも彼女にも意味はわからない。

6時までに何ができようか。

サリバンはこう思っていた。

「心を開いて あなたに触れたい この世の物は・・・一瞬で消え去ってしまう でも私たちは言葉という光を残せる 5000年昔の光も見えるわ 感じたことのすべて 知識も分けられる だから誰だって 闇に住んでいないのよ 無理じゃない 言葉さえ分かれば 世界をあげられる 何としても分からせるわ でも どうやったら?これは 言葉なのよ」

 

我々も同様に御言葉を伝道対象者に理解して頂けるように行く道は全く同じです。

 

時間が来てお母さんに抱きかかえられていくヘレンを呆然として見送るばかりであった。

 

ヘレンが帰って来た事を祝う夕食を前に、ヘレンは部屋の鍵を母親のポケットに預けた。彼女にとって自分の思いのままに何でもしてくれる人が一番であった。そこで、天国の鍵を彼女に預けたのです。

 

食事の祈りはジミーが指名された。

霊的戦いの幕開けです。

ヤボク川の一戦。

負けているのに負けられないと言う心情。

タイムアップしているのにまだこれからだという心情。

神に談判祈祷するべき時です。

 

「ヤコブは一人残され 天使と挌闘した すると 太股の関節が外れた 天使は『日が昇るから行く』と。 ヤコブは『祝福してから』

そう祈ってヘレンに

「天使ちゃん」と微笑んでいった。

 

ヘレンが最後の抵抗に出た。

ナプキンをわざと床に落として様子を伺っている。

サリバンが元に戻したが、再び彼女は床に落とした。

サリバンと天使ちゃんの格闘が始まる。

母親が仲裁に入り特別の日だから見過ごしてほしいと願う。

サリバンは立ち上がり

「試しています」

ジミーは

「そうだ」

父親

「ジミー 黙りなさい」

サリバン

「どうなるか試しています。心配したとおり」

父親

「前よりましだ」

サリバン

「同じです これでは学びません」

ジミー

「試している 僕の意見だ」

父親

「興味ない」

サリバン

「あります 真実です 今までの苦労が無駄になります 指導させて下さい これでいいんですか? どうか任せて下さい 」

母親は決心してどうぞと娘を先生の方に引き離した。

ところが今度は父親が入り娘を座らせ食べさせてあげようとする。

遂に暴君が始まった。

止めようとするサリバンを思いっきり噛んだ。水瓶の水を浴びせられたサリバンはもう誰にも邪魔させないとヘレンに水を汲ませに行く。

格闘が始まった。

お婆さんは無礼を許すなと父親に迫るが、兄のジミーがドアを閉めて、サリバンが正しく、父親が間違っているとサリバンをかばった。

「水を汲むのよ」と井戸のポンプのバーを握らせ

「もう ママはいないわ」と諦めさせ

ヘレンを蛇口に水瓶を持たせて、サリバンがポンプのバーを押した。

ヘレンの手首に水が落ちてきて、サリバンは

「水よ 名前があるの WAT・・・」

突然、蛇口にしたたる水を手で握りしめたヘレンは魂の声を挙げる。

「お水」(WATER)

意味が分かったのです。

驚喜して様々な物と手話の言葉を確認していく。

両親に抱きしめヘレンだったが、彼らを振り解いて

サリバンの元に行き、お母さんに預けていた「鍵」を先生に渡すのでした。

人間としていきることができる天国の鍵

 

 

お父様は必ず御自身が実践された中で獲得されてきた御言葉を語ってくださいます。

我々がお父様の語られた真意を求める際には、やはり我々自体も父の御跡を慕って、尋ね求めてめていく以外に道はありません。

お父様は美辞麗句に仕立てられた観念的神学のために語られたのでもなく、

御自身一代の宝の想い出として語られたのでもなく

心底ご自分のように生まれ変わってほしいと願われ

貴重な体験を語られました。

6,000双以前の信徒には「事情を通じて心情を復帰する」ことをお教えくださいました。同じ事情を通じない限り心情を知ることができないとおっしゃられるのです。

考えれば考えるほどに、足りない私がどうすれば、そのような深遠な道を行くことができるでしょうか?

神様、他には手立てや手懸かりはないものでしょうか?

お父様の喜びが、対象である我々の姿にかかっていることを考えると

どうやってその真心に応えていくことができるでしょうか?

どうして許されざる者たちをかえって国賓のように招かれて祝賀の日をお迎えになろうというのでしょうか?

 

3人の善の天使長を主管することができれば、完成した人間と見なしてくださる恩恵に与り、家庭を持つことができるよう祝福に進むことが許されました。

共に生死を超えていくことができる基準で結ばれた者とならなければならないといいます。それが信仰の3子女すなわち霊の子だと教えられてきました。

 

我々が若い日には先輩たちによってそのようなことを教えられ、誰しも如何にしてお父様の御言葉とその背後にあるご心情に応えるべきか、試行錯誤の歩みをしてきました。

 

お父様の御言葉は観念的なものでしょうか?

決してそうではありません。

 

おそらく同じように訪ね求めた信徒であれば、

ほぼ同様の過程を通過するのではないかと思われます。

 

参考のために、若い方のためにいくらか列挙しておきたいと思います。

実の子の3倍あるいは3倍以上愛する伝道の道。

伝道対象者を神と共に愛する道はおおよそこんな感じではないでしょうか。

我々はお父様のように常に万民を愛することができることが、残念ながらできていません。

だが、信仰路程においては、決して見過ごせず、捨て去ることができず、超えて行かざるを得ない局面が誰にも訪れるものです。

神の裾を強く握って離すことができません

 

1,自分の命を賭ける段階

2,自分の命以上のものを捧げる段階

3,神の加護の95%を与えて頂くために、神や真の父母や神的存在に談判する段階

4,実の子を賭してさらに一層愛していく段階(独身であっても道あり)

5,突然、霊の子女から「あなたのためなら命を捨てることができます。」と祝福の

  言葉を与えられる段階

6,神とお父様が私や人類に注がれる、永遠絶対の愛に共鳴して歓喜を得る段階。

  (我々の命の代価として惜しげもなく北韓の御家庭や真の御家庭を捧げ来られた

   心情を実感することができるようになります。)

 

以上は私の個人的体験ですが、他の方々とそんなに変わりはないことでしょう。

3は私の場合は興進様に助けて頂きました

同様の道を行かれた信徒に会えば、私はわかるはずだと思っています。

霊の子女さえ知らないことで、誰にも証したことがありませんが、

お父様の偉大さとお父様が説かれた道が決していかさまではなく

本物の王道であることを何としてもお伝えしたいと思います。

どこかに必要な方がおられることを願って。

混迷にある教会に神が信徒に希望を与えたいと願われておられることを感じて。

 

この道はけっして強いられて行く道ではありません。

自らが決めて行く道です。

 

:16)すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。

:17)イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。

:18)彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。

:19)父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。

:20)この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。

:21)イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

:22)この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

:23)それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。

:24)また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

マタイ伝 16章16~24節

 

父と母を敬えとおっしゃられたイエス様は、わたしに従ってきなさい、すなわち献身しなさいと言います。

より本質的にはそれが父母を敬うことだからです。

 

:37)わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 :38)また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 :39)自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう

マタイ伝 10章37~39節

 

我々が父母を失う時、お父様が北韓に残した父母をより一層思う心情に溢れるか?

我々が子女を失う時、お父様が身代わりに天に旅立たせた子女様に一層感謝するか?

我々が相対を失う時、先に失われた方の精誠で胸がいっぱいになることになるか?

人生の最大の危機の時に、真の父母様の偉大な愛に出会う。

決して奪われず、隠された神の至福にひれ伏す。

神は誉むべきかな!

 

430家庭勝利者が続く中、行き場のない恥ずかしい懺悔の日々が続く・・・