原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

実直だが無能な者や、有能だが不届きな者   いずれも害を為す者と考える!

 

21勝利者になろうとする者にぶつかってくるあらゆる環境条件は、協助する環境ではなく、反対する環境です、そのような時、その環境に耐えられなければならず、心だけは、信じて頼ることができるようにならなければなりません。この心は、歴史的な血と汗と涙がまだらに染まって私たちにまで連結されてきます。ですから、どんな困難にも、心だけは動かず、変わってはいけません。

「どこの誰も、勝利したいと思うこの欲求の心情を奪っていくことはできない」という自信をもって進まなければなりません。自信のない勝利は、偶然の勝利です。そのような勝利ではなく、自信のある絶対的な勝利をしなければなりません。そのような勝利は、歴史的な勝利であると同時に、創造理想の勝利です。信念に燃える勝利的な心がなければなりません。どんな試練でも、勝ち抜くまでは勝利の月桂冠をかぶることはできないのです。

新版 天聖経 第8章 信仰生活と修練 第2章心と体の修練 第1節 修練とは 21

 

チャングムも45話は大詰めを迎えてきた。

大長今-宮廷女官チャングムの誓い- 第45話|無料動画 GYAO!|ドラマ

 

チャングムは王の病症に似た者たちをよく観察し、様々な処方を試みる中でやっと治療法を見つけることができた。王妃に呼ばれてその旨を報告したが、病名を聞かれて応えることができなかった。

ところが医官のトップ内医正はかって自分が判断を下した病気に関する書物の記載から病名を割り出し王妃に告げた。しかし、その書の記述は粗略なものであり、それをそのまま鵜呑みにするには危険が伴っていた。

チャングム医官がそのような報告をしていることに、黙って見過ごすことができず、医官の言葉を否定した。

こうして彼らの見立ては真っ二つに分かれ対立するものとなってしまったのである。

 理論か実践か。理論か実験か。理論か臨床か。

院内のスタッフによる協議にも行き詰まり、3人の主要な医官による再問診が行われる運びとなり、その後に再び討論することとした。

ところが宮中では一介の医女如きが、内医正をさしおいてしかも王の病気の診断や治療に口を挟むことに対して大変な反発が起きていた。

また王妃が関連する責任部署の仕事に横から入ってくる形は、宮中のしきたりを無視するものなので快く思わない者が出てくることになった。

さて、内医正を含む3人の医官の診察の結果を王妃が受けている途中で、宮中の大臣たちが突然現れて抗議を王妃に申し上げた。

内医正は以前と変わらぬ判断、一人の医官チャングムの判断に同意、最後の者の意見を聞いている時であった。

「医女如きを信じるのは、お考えをお直し下さい。」と言うのである。

内医院で調べることができるのに、これを無視することはしきたりに反することだと訴え、王妃の意図が分からないと言った。

王妃は王の病気の回復に決まっているではないかと不本意であったが、法に従うことにし内医院にその後は任せた。

律法を文字面で履行することが律法の成就だと考えたわけである。

 これに対してチャングムは誤った処方をすれば王の命に関わると警告した。

しかも直ちに処置しないと病状は悪化して腹痛や呼吸困難などが症状として現れると予告した

王妃は途方に暮れてしまう。

王妃は苦渋の決断として内医正に治療を委ねた

ところが間違った治療をされた王の病状は急変しチャングム予告どおり腹痛や呼吸困難の症状が現れた。

王妃はそれ見たことかと、しきたりに捕らわれ王の命を危険にさらした家臣を諫めた。

チャングムの出番となり、内医正の提案していた薬とは別の処方を関係者に言い渡し、さらに、通常は王の安全のために王には施されない危険な部位のツボに対する鍼治療を求めた

実はここまで症状が悪化すれば失明になる怖れもあるので、止むおえず危険を覚悟しても鍼を打たざるを得ないとチャングムは判断したのである。

王の呼吸はだいぶ楽になって一安心していたら、王の目に変化が現れ、見えなくなってしまったのである。

この難しい鍼治療に内医正が成功したにもかかわらず、予想外に王の目に変化が現れ、見えなくなってしまったのである。

誤った処置をした上に正しい処置が遅れたためであった。

罪人チャングムとしてまたもやお縄頂戴に至ったのである。

チャングムは即刻死刑、ミン・ジョンホは牢獄送りが決まった

そこに王妃がやってくる。

王が目がかすみかすかにしかものが見えないとおっしゃられていることに気が転倒した王妃は、王妃を説得してチャングムに治療の道を探らせたミン・ジョンホとチャングムを前に苦痛の心情を吐露した。クライマックスである。

 

王妃

「お前を信じたのに。何故こうなったのだ。」

「理由を言え。内医院の反対を押して鍼治療を行ったわけを言え。」

チャングム

「王の失明を防ごうと鍼を打ちました。」

周囲の者は皆愕然とする。

王妃

「それは・・・」

チャングム

「目がかすむ原因は病の進行のせいなのです。」

ミン・ジョンホ

「王妃様。今まで申し上げるのをはばかってまいりましたが・・・医女は目のかすみを予見しておりました。それで、あのような処方を出したのです。」

内医正

「嘘です。言い逃れに過ぎませぬ。」

ミン・ジョンホ

「王妃の命で建てた病舎において、王と同じ病状の患者2名のうち・・・1名は失明いたしました。

チャングム

「ですから王妃様・・・わたしに直接、王を診させてください。」

この言葉にはさすがに王妃以下驚き呆れた。

チャングムは善の条件を奪う戦いを命がけでしている。

危険な鍼治療、今度は女医の分際で直接脈診というふうにして、条件を立てて主導権を握ろうとしているのである。

サタンを屈服する際には、考えられない、場合によってはサタンすら思いもよらない大胆な行動に出なければならない局面が訪れる。

「貴様 正気なのか。医女如きが王の体に・・・」

チャングム

「わたしも医術を志す者の一人です。病簿を調べ同じ病の患者を診ましたが・・・一度も王の脈を診ておりません。王妃様 どうか 脈診ををさせてください。」

王妃

「ではお前が治せるのか?」

チャングム

「王妃様 恐れながら 病について 医員は断言できません。」

王妃

「処刑を引き延ばそうとしているのか?」

チャングム

病人を前に自らの命を案じたりはしません・・・王妃様。」

大臣

「王妃様が始められたことです。王妃様がご決定を。」

(実はこの大臣は王が失明し王妃がその責任を取って裁かれ、その後擁立された王子が何もできないことを見越して好き勝手に政治の実権を握ろうとしているのである。一挙両得だという。)

王妃は思案に暮れ、その後悩み続ける。

夜が更けて

チャングム

「わたしのせいで大変なことに。」

ミン・ジョンホ

「でもソ医女と共に一緒にいるではありませんか。1年でも10年でも一緒にいるとわたしは言いました。」

 

王妃がおなりになる。

覚悟を決め、チャングムに前例がない女性が王の脈診をする許可を与える

王妃

「もしわたしがお前の言うことを私が聞けば・・・私は私の全てを賭けねばならぬ。この王妃の座も賭けねばならぬ。お前の心を信じる。」

「そしてお前の言葉も信じよう。だが、心や言葉はお前の実力や才能とは無関係だ。

それゆえ私は、実直だが無能な者や 有能だが不届きな者・・・

いずれも害を為す者と考える。自らの意志であるかどうかの差があるだけだ。

おまえが心ならずとも おまえの才能が足らなければ・・・私は大きな傷を負う。

それでも 信じるべきだろうか?そうすべきか?」

チャングムに代わってミン・ジョンホが

「はい。第一の理由は王妃様はすでに両足を失っています。脈診をさせぬとして両足は戻りませぬ。しかし 脈診させ 王の病が治るのなら・・・両足が戻るどころか二つの翼をも得られます。」

チャングム

「ジョンホ様。」

王妃

「だが・・・それはチャングムが王の目を治してこそ可能だ。」

ミン・ジョンホ

「それが第二の理由です。医女チャングムは必ず治します。」

その後王妃は夜を徹して考え悩み、王の問診をするよう命じられ、ミン・ジョンホは獄に戻された。

さて、診断が終わり処方が定まったが、その前に確認したいことがあると三度めの要求を王妃にしたである。

逃亡されないように兵とともに、王が飲む水の水源や入浴する温泉やその近くの牛を飼う所などを回った。王がそこの牛乳を飲んでおられたからである。

薬や食事の両方をチャングムは続けたが、それでも王の病状に変化はなかった。

ずっと気をもんでいた王妃も遂に堪えきれず、チャングムが王に食べさせていたもので咳き込んだ王を見て、それでも食べさせようとするチャングムの持つ食べ物を払い落として、チャングムを突き飛ばし毒づく有様だった。

おまえを信じたのに目も皮膚も一向に治らないと・・

それでもチャングム少しも騒がず食べなければなりませんと説き伏せ続けた。

王妃はヒステリックに喚き続けチャングムは牢にまた閉じこめられた。

命を賭けて支えて下さったミン・ジョンホが向かいの牢には入れられていた。

その方が捧げてくださった心情を思うとただ切なさが溢れ涙が流れた

 

ハン尚官様の汚名を晴らすこともできぬままに死んで行く自分が本当に怖かった。

 

翌朝 チャングムは牢から引き出され、拷問を受けることに・・・

その時 お待ち下さいと伝令がやってきて、チャングムが王妃に呼ばれた。

医官が診察してみると、皮膚病は完治されていてチャングムのお陰だという。

王妃は驚いてまたチャングムを呼んだのだ。

皮膚は治ったが目がまだなので手を尽くしてほしいと願われた。

ついにチャングムは鍼を手にして自ら鍼を打ち始めた

あらゆる施治を尽くして、ついに王は目が見えるまで回復する。

 

実直だが無能な者と有能だが不届きな者という両足に代わる、真の忠臣が求められている。

両足が揃えば、王と王妃は比翼を得て自由を得る。

 

韓国の時代劇は心情や成約の信仰の在り方を我々に教えてくれる。

天にありては比翼の鳥となり 地にありては連理の枝となる

ミン・ジョンホとチャングムはこの時夫婦ではなかったが

王を思う一片丹心に生きて、その事によって実際の夫婦以上に結ばれていた。

祝福の中心家庭とはかくの如しか。

チャングムは一度忠誠を誓った王や王妃によって、獄に繋がれようが拷問を受けようが死刑を宣告されようが、愚痴や弁解を残さなかった。

生きるも主のため、死ぬも主のための一心で生きた。

師の汚名を晴らし王の命を救うためなら、

法を超えて行った。

 

王の命を賭せば チャングムの心情がわかる。

すぐさま試練がやってくる。

それでなくとも気の遠くなる息の出来なくなるような賭けの中で

あっさり足下をすくわれるような出来事が起こる。

その時 これをそのまま受けとめて行こうとすれば

超えて行くことができない。

そこで 主の路程にあるように

この試練を逆手にとって行く。

興南で窮地に立ったお父様が

僅かな食事を隣人に分け与えるように

サタンが与えた試練がかすむような

蕩減をさらに自らに課してしまう。

そして サタンの試練を善の条件に転化して奪い取ってしまう。

完全に死にきったはずのところから

霊界が開かれて 神の御手が差し伸べられる。

 

我々こそそのような道を真の父母のために行くべきである

 

チャングムの歩みはそのことを教示してくれている。

エジプトで奴隷生活を強いられている同朋を救えと神の命が降りた。

そこで 出発すると 神の霊によって殺されるような試練をモーセは受けた。

ヨハネ先生によれば この時モーセは神による他律的動機で出発したが、本来であれば神から言われなくともミデアン荒野からエジプトに同朋の情況を偵察して然るべきであったという。自発的動機が不可欠だという。

イスラエルを救い出しに行く動機が自分のものでなければならなかったと。

そこで、チッポラの信仰によって助けられた。

自発的動機による信仰と行為

 

お父様は試練を受けるどころか

自ら試練として蕩減を我が身に、さらに課せられるのである。

 

チャングムはとんでもないことを要求していく。

律法の世界に生きていないからである。

律法の成就に生きる。

 

神によって自己を分別する。

自己が分別できれば他者を分別できる。

自分を愛するように

本心基準で他者を愛することができる。

 

これをまたよく我々に教えてくれるのが、映画「奇跡の人」である。

後に霊の親とは何かを考えながら、上記の分別について考えてみたいと思う。

 

チャングムの動機は完全に分別されているのである。

お父様が語る

 「どこの誰も、勝利したいと思うこの欲求の心情を奪っていくことはできない」

という心情を持っている。

 

チャングムが仕えていた王のように、我らがお母様の病も日々深刻な症状を見せて予断を許さない情況にある

このままでは永遠に王妃の座を失いかねない、いわば危篤状態の様相を示している。

チャングムで宮中の王に仕える者たちが、王の命を救うために協議をして活路を見いださんとするも、王の命の蘇生のために、我が命を差し出すものはなかった。

ただチャングムだけが違っていた。

誰よりも王の命の蘇生を望みながらも

幾たびも獄と処刑の目前まで追いやられ

とうに肉身は朽ちて霊だけが己を立てて

王妃の座を賭けて王に仕え救わんとするお方ですら

伺い知ることのできない忠心を

言われなき汚辱の中でこそ 

かえって一層 真を尽くさせ給えと

さらに依って立つべき魂魄を拳で握り絞って

大君のため 何ものも絶つことのできぬ

心情を差し出す。

 

罪の奴隷として喘いでいた我々を釈放解放して下さり、

永遠の命に生み変えて下さった真の母の病が

正しい治療が遅れれば遅れるほどに

取り返しがつかないことになるというのに、

チャングムが危険な鍼を施したように

また前例のない、大胆な行動で条件を奪ってきたように

あらゆる危険を顧みることなく

差し出したものが王妃によってたたき落とされようとも

王妃に罵倒されようとも

我々すべての信徒の永遠の命と、変わることのない孝心とを引き換えに

ただお母様の永遠の命だけは守らなければならない

もし王妃と永遠の別れとなることを知るなら

誰が行儀良く事なきを得て過ごすことができようか。

我々は真の母が激痛で失神する部位であっても、鍼を打つ

 

もし、聖和記念を前に御子女様が動かず、父の下に結集できぬなら

お呼びではない我々がことを為さなければならない。

自分のために亨進様につくものは逆賊である。

自分の救いと永遠の命や祝福と交換に忠誠を誓って

どうして逆臣と違うと言えようか?

 

病の中にあるお母様の代わりにヨナ様が信俊様に敬拝して、天の道理を取り戻された

家庭的勝利である。

これを受けて世界的母である日本エバ国家が続かなければならない

ではどのような条件を奪うべきか?

ヨナ様に続け!

世界的勝利の道を急げ!

エバ国家の全信徒が

今後は聖和されたお父様が地上の後継者・代身者として立てられた亨進様とヨナ様のお写真に敬礼するのである。

これによって審判は過ぎ越されていく

亨進様から言われずとも我々が悟っていく道である。

お母様のことをあそこまで亨進様に言わせてしまっているのは

我々日本食口の罪である

総懺悔しなければならない。お母様の治癒を遅らせてきたからである

亨進様もヨナ様も微塵も私的な感情で真の父母の後継者に立っているのではない。

全ては神と真のお父様と一心で立っておられる。

我々もそこに同参する。

お母様が意識不明の危機を乗り越えられた時に

再び真の父母様のお写真に三拝敬礼できるよう

一刻も早く世界的展開をしなければならない。

先ずは、日本エバ国家が先頭を切る。

こよなく愛して止まないお母様の全てがかかっている。

一見それがお母様に激痛をもたらし逆鱗に触れようとも

父が立てた亨進様・ヨナ様にアライメントしなければならない。

一時的にお母様を愛するものは留まるが良い

しかし、永遠絶対にお母様を愛するものは

超越しなければならない。

 

聖和された父は、勝利のための心情を明らかにされた。

「どこの誰も、勝利したいと思うこの欲求の心情を奪っていくことはできない」

 

そして、この心情こそは、お母様が悩まれた我々の課題の超克となる。

「実直だが無能な者や、有能だが不届きな者   いずれも害を為す者と考える!」

 

我らが真のお母様に永遠の幸あれ!

真の父の権能と真のお母様の威光の復帰の日よ!