原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

内的摂理と外的摂理 内的使命と外的使命         

 

But when it pleased God,who separated me from my mother's womb and called me  through His grace.

 

ところが、母の体内にある時からわたしを聖別し、み恵をもってわたしをお召しになったかたが、

ガラテヤ人への手紙1章15節

 

新約聖書翻訳委員会の訳では

 

しかし、私の母の胎(の内にある時)から私を選び分かち、その恵をとおして私を召された方(すなわち神)が、(次のことを)よしとされた時、

 

キリスト教の基礎を造ったパウロはこのようなことを語っているのである。

お母様はパウロから始まる新約時代の正統な系譜の後継者なのである。

母の胎より聖別されて生まれてきたという意識を祝福二世は当然持っていなければならない。

 

パウロは言う。

19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストがわたしの内に生きておられるのである。

2章19~20節

 

お母様も変容された、

生きているのは、もはや、お母様ではない。お父様がお母様の内に生きておられるのである。

 

パウロはさらに言う。

19 ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。

4章19節

 

お母様もまた嘆く。

ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にお父様の形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。

それにしても、あなたがたは、かくもお父様に尽くされながら、何故にお父様に似ていないのか。

 

江利川さんがその後どう発言されどう行動されるおつもりか。待っていたがいっこうに誰かが聞いたという情報がない。

少し心配になってきた。

亨進様をあれだけ期待させているからである。

そこでここでは、事実が見えないわけであるから

あくまで仮定の世界で、空想の世界で、この局面で、私がサタンであったらどのように教会にダメージを与えるか考えてみることにする。

 

先ず、復帰摂理はお父様が明らかにしてくださったように、聖書には多くの物語が書かれてはいるが、神は中心人物と中心家庭を選ばれて摂理されてきたことを今一度確認しておきたい。

つまり「摂理」という言葉を思い浮かべた時に、我々の頭の中に浮かび上がってくるものが、内的な摂理であるのか、外的な摂理であるのかが決定的に重要である。

神とサタンの一線はこの中心人物と中心家庭において存在し、善悪闘争の主戦場となってきたことを我々は学んできたのである。

真の父母様を中心とした真の御家庭の一体化こそが、摂理の摂理であり、世界に展開されている摂理を外的摂理とすれば、内的摂理は真の御家庭にある。

「中心は全体を表す」しかしこの逆の「全体は中心を表す」は成立しない。

神の摂理の全体の勝敗を決するのが中心なのである

私が若い頃は、三弟子の最も重要な責任分担は、御子女様、特に長子を始めとする男性の御子女様にお仕えし侍ることであり、御子女様には具体的な人物が担当していた。

三大天使によって果たせなかったアダムとエバの養育を、東方の三博士によって元返して行くべきものが、またしても見物人として去っていったわけであるが、再臨の時には三弟子を先頭に、お父様が見捨てきった御子女様を、その代わりとしてお守りするのが蕩減復帰であり授受法であった。

したがって、たとえ三弟子と雖も、アメリカの責任者であるとか、ヨーロッパの責任者であるとか、世界会長だという責任分担や肩書きは、外的なものに過ぎないのである。

人間に心と体があるように、全ての存在には性形がある。

そして当然のことながら性相が主体で、形状が対象である。

 

すでにブログでは間接的責任を亨進様に指摘された方たちの判断が難しい立ち位置に立っていたことについては同情してきたので、批判追求する気はないのではあるが、

間違いなくサタンは別である。

 

サタンは江利川さんが動き出したことに警戒し不安になったのである。

亨進様と国進様はアベルとカインの歴史的勝利をされた。

ところが現在はお母様と行動を共にしていない。

お会いするために訪韓されても、その機会は訪れなかった。

サタンはしめしめとほくそ笑んでいた。

ところが江利川という女がよけいなことをしはじめたとサタンは警戒したのである。

現在の復帰摂理の中心の問題を解決しようとし始めたからである

それだけはサタンが絶対に容認することができない。

だからその手先である反対派や偽装信徒が最も批判する対象は、お父様は天に行かれたので、常に地上にいるお母様と御子女様である。

サタンは御言葉をよく知っているからである。

 

そこでサタンは神様のところに行って訴える。

「旦那様はいつでも正しい方でございます。ところで聖和された真の父にお会いした亨進様は天聖教に手を付けようとした者を阻止しなかった者にも、間接的な責任があるとおっしゃっています。当然、旦那様もそのようにお考えでありましょうね。」

「それはそう。おまえの言うとおり。真の父と私の心は一つである。」

「ではこの間接的責任を果たせなかったことによって生じた条件は、わたしのものになりますよね。この条件をわたしが行使することができると思いますが、いかがでございましょうか?」

「それはそう。善の条件を立てれば我が者になり、そうでなければおまえの者である。」

「それではこの条件をもとに、霊的に暗くなるよう導き、彼らの正常な判断を狂わせて御覧にみせましょう。よろしいですね。」

「おまえの好きなようにするがよい。」

 

こうしてサタンは神のもとを去り、教会の中枢にやってきた。

「私の狙いは真の御家庭の分断にこそある。見るがいい。巧妙にして心理的に働く、わたしの圧倒的な力を。」

 

教会の責任者は考えました。

「江利川さんが特別巡回師になって好きなことを話されては、兄弟達が動揺してしまうだろう。そうすれば御旨に兄弟が集中することができなくなり、日本がエバ国家としての使命を遂行することに支障が起きるかも知れない。彼女にはもっと相応しい御旨の責任分担で活躍してもらった方がよいのではないか。」

「確かにエバ国家の使命を果たすことができなくなれば、世界を舞台に展開しているお母様主導の御旨にもご迷惑がかかることだろう。」

「では韓日家庭の代表格でもあることだし、同じ777双の太田さんと組んで活躍して頂くことを提案して本人を説得し、その上でお母様のご承諾を得てみてはどうだろうか。」

 

「ああこれで世界は安泰だ。」

教会責任者はほっとして胸をなで下ろしました。

するとサタンはほくそ笑んで言いました。

 

「ああこれで真の御家庭の分断は安泰だ。人間共には、どうやらまだ復帰摂理というものがわからぬらしい。わたしが御旨のために世界をくれてやると言ったら、簡単に真の家庭をくれよったわい。」

 

そのとき、天界ではいつものように善なる天使たちが神の栄光を讃えてハレルヤ!ハレルヤ!と賛美の妙なる歌を歌っていましたが、そこに現れた暗雲によってあっというまに包み込まれてしまいました。

 

以上の話しは全てフィクションであるが、我々は目に見える外的摂理は高い関心を持って見ていることは多いが、摂理的中心家庭の内的摂理には関心が薄いことがあるということをお話ししたかったのである。

しかしながら、我々が復帰摂理を通じて学んできたはずのことは、中心人物と中心家庭であり、地上における現在では、お母様と真の御家庭である。また、私と私の祝福された家庭である。

そもそも何故「祝福の中心家庭」という名称なのかご存知であるかと、サタンはほくそ笑んでいるのである。

 

そこでサタンはあなたの耳もとでささやく

「外的摂理こそ重要だ、内的摂理を捨てて、私にひれ伏せ、人間ども。」

「外的使命こそ重要だ、内的使命を捨てて、飛び降りろ、人間ども。」

「復帰摂理の教訓を活かせぬ、愚かな人間どもめ!」

 

南北統一に向けて江利川さんが活躍されることは、結構であるが、亨進様を私が支えるとした決意表明はどのような形で継続されるおつもりなのであろうか?

南北統一に集中すればそんな余裕は誰だって失うかも知れない。

ここで江利川さんを責める気は毛頭無い。

彼女は何が重要か、多くの信徒を今一度呼び覚ましてくれた。

万一、以上のようになったとしても、第二、第三の江利川さんが現れればよい。

 

分裂分断の王者サタンは言う、

「あなたは何派かな?お母様派かな?それとも亨進様派かな?どちらに従うのかな。」

しかし、その時、つまりサタン自己分裂自他分裂を招こうとして、

二者択一的な選択を迫ってきた時に、

イエス様が、

カエサルのものはカエサルに、神のものは神に、」

であるとか、

「あなた方の中で罪のない者から、石を持ってこの女を打ちなさい」

というような神の知恵を頂いて、言葉と行為に充分気を付けなければならないだろう。

 

内外合わせて一つの摂理であり、一つの使命である。

しかし構造的に理解しようとすれば、内外を主体対象、原因条件として見ることができると思うわけである。

 

私が何故、天聖教の編集責任者、それが駄目なら、間接的責任者が責任をとらなければならないかというと、聖和されたお父様にお会いしている亨進様の言葉は、神もサタンも認めていることであり、サタンにとって懺訴条件になっているので、お母様に対する攻撃が終わらないからである。

この責任というのは辞表を出すということではない。

つまり御子女様が忠告してくださったように、回避することができるようお支えできる立場にあった責任である。

この責任を全うできていないと子女様は言われたのである。

そこで、誰かがお母様に対して代表して悔い改め責任を引き受けていかなければならないのである。遅まきながらでも、ご迷惑をおかけしたことを心底実感して悔い改めお詫びする。そして兄弟全てに対しても、全体の不祥事の祭物として公然と誰かが悔い改めなければならないのである。

サタンは悔い改めを公衆の面前でする立派な人が大嫌いなので、すぐさま去っていくようになるのである。

それはお母様をも守ることになるのである。

すると、教会スタッフの人員は前と同じであるにも拘わらず、全てが精算されるので、今度は神が積極的に教会に働くことができるようになり、復興が始まるのである。

 

皆様に神の祝福のあらんことを!