原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

CARPと新たな大学生組織         映画「ダーク・クリスタル」にアベルカインの 一体化をイメージする

「一心不乱 一生懸命」 1973年7月8日

 

世界的に恐ろしい軍隊があるとしたら、

恐ろしいほど訓練された軍隊である。

素晴らしい軍隊があるとしたら、

素晴らしいほど訓練された軍隊である。

それ以外にはない。例外はない。

実践には例外がない。

奇跡ということは例外の例外であって、

それは、一時あった場合には千年の穴があく。

我々はそれを知っている。

訓練が必要である。

でたらめな訓練ではない。

計画的であり、

科学的であり、

理論的であり、

実践的な、

計画の訓練である。

先生が好きなのは、

「一心不乱一生懸命」である。

一生懸命、一心不乱に、

目的に向かって進め!

 

二世教育ができる人材が現在の教会にはほとんどいない。

二世教育ができるには、ざっと考えても

信仰的な物事の捉え方ができる。

御言葉がわかり牧会ができる。

講義が出来る。

伝道ができる。

涙の祈りができる。

実践ができ帯同もできる。

このようなことがこなせる若者でなければならない。

このような人材はCARPにしかいないのが実情である。

 

トップガンだのSTFだのはみんな手段である。

目的ではない。

付け焼き刃のような短期研修では不十分である。

そこで何かを感じたり掴んだものを

どのように日常の生活にもたらすことができるかが重要である。

その時だけ盛り上がっても仕方がないばかりか、

帰ってからさらに上がっていかなければならないのに

そうでないとしたら大変なことである。

今回特別巡回師に就任された777双の柴沼邦彦先輩はCARPの前身である原研の副会長経験者である。

当時2~3時間睡眠で生活され、断食・水行に明け暮れ、全体勝利のために尽力されていたことを思い出す。

お父様が若き信徒に求めたものは「超越・跳躍」であった。

そのような理想のもと実際に多くの若い兄弟を育てられてきた中の一人が、

柴沼邦彦先輩である。

お父様は、ギデオンの精鋭部隊のような存在が非常に好きなのである。

それこそガマのようにのらくらとしている若者には用がないのである。

お父様は激しく御旨を歩む若者の話を聞くことを何よりも喜ばれ、

「原研の奴ら」と言って非常に喜ばれたのである。

 

現在も、教会ではCARPに自分の子供を行かせたくないと思っている親がいる。

色々な理由があることだろう。

原研経験者の親の中にもいる。

私は原研から所属が一般教会に移った際に

原研出身者の教会長の原研に対する評価が低かったことに驚いた。

この方は後に日本全体の伝道部長になった人だが、

原研の評判が悪いのは教会畑の人の意見だけではなく、

出身者の意見が反映されていることを初めて知った。

 

原研も戦略性が無く、その事によって優秀な人物が止まりにくい環境であって、多くの信徒が離れてしまったことは、多分にあると思う。

777双の方々の時代や使命を考えると、「戦略・戦術」はこの世の手練手管であるとして忌み嫌われたとしても、止むを得なかったのかも知れない。

私はそのように、ある777双から実際に教育された経験を持つ。

お父様こそ世界一の戦略家だと思っていたので耐え難いことであった。

神のビジョンとか戦略戦術を掲げて歩むのは1800双以降の兄弟に使命があったのではないかと思われる。

今日のCARPも同様でほとんど成長していないように思われる。

ただ彼らには教会に所属する大学生とは違い明確な目標があり、それを達成するための実践がある。

 

自分と同じ世代の若者が、神のため、真の御父母様のため、御旨のため、精誠を尽くして歩んでいる実際の姿を見ることなしには、教会所属の若者には終末は訪れないであろう。

 

昔は実践会員というのが、ひとつの目安になっていた。

今日、この実践ができるということを基準にしてみると

壮婦がアベルであり、壮年はカインである。

その信仰のギャップはほとんど信仰のコミュニケ-ションが不可能なのではと思うほどである。

その原因の一つは壮年に責任分担を与えて差し上げなかったことが大きいのではないかと思われる。

放っておかれたことが続きすぎたのではないだろうか?

 

大学生も御旨を歩んでいるCARPのメンバーがアベルであり、教会所属の大学生はカインである。

 

ややこしいことに、祝福二世がアベルであり、祝福一世がカインであるが

休憩している二世の若者と、アクティブな一世の若者も存在している。

通常であれば二世の方が一世よりアベル的であるはずであり、三世の方が二世より信仰に優れているはずであるが、そういう具合になっていない情況を我々は見ている。

 

我々を振り返ってみると、

一世は自分や社会に対して何らかの問題意識を抱いていたものが多かったことと思う。二世はこの問題意識が一世より軽薄なのではないかと思うことがある。

親から引き継いだ信仰が、自分の信仰となるためには、

先駆けてそのような道を行き、自身の信仰にした同世代の若者の指導がどうしても不可欠なのではないか?

 

親には教育できない部分があるということである。

事情が違うのである。

CARPにはそれを埋めるものがあると私は考えている。

 

新しい教会内大学生組織がつくられるとしても

近い将来CARPと統合される予定でなければ意味がないであろう。

 

教会は不思議なところである。

信仰の基本にアベル・カインがあることはみんな知っている。

しかも運命共同体であるとして一つにならなければならないとしている。

しかし、これらの三つのアベル・カインを真剣にひとつにするべく歩んだ人を私は知らない。

 

 昔のファンタジーで「ダーク・クリスタル」という映画があった。

私が苦手なアメリカの人形がでてくるが・・・

物語は

1000年前、宇宙を支配するクリスタルが砕け、悪の化身スケクシス、平和を愛するミスティクスの2つの種族が誕生した。
以来世界はスケクシスが支配し、腐敗と貪欲がはびこっていた。
予言では3つの太陽が重なる大会合の前に、クリスタルをもとに戻さないと世界は永久に悪に支配されてしまうと言う。
ミスティクスはゲルフリンの少年ジェンに望みを託す。

 

アベルとカインが一つになれば、そこには父母が宿る。

美しい世界が開かれる。

健全な教会が現れる。

お子様とご覧くだされ。

 

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