原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

新約の心霊的な信仰を学ぶ基礎を築く3冊 と「聖書から考える牧会」を推薦する 

牧会にせよ、礼拝にせよ、説教にせよ、祈りにせよ、

基本的には御言葉の心霊的な理解が基礎となっている。

そこであれこれと、一気にざっくりとその基礎を築くにはどうすることが効率がよいか、

神様に尋ね求めてきたが、「ウェスレー」という名前が頻繁に浮かんでくる。

そういえばウェスレーはアベル的人生観の代表格である。

第一次文芸復興に続いて、ルターを中心とする第一次宗教改革があった。第二次文芸復興に続いて、宗教界では、ウェスレイ、フォックス、スウェーデンボルグなどを中心とした新しい霊的運動が、激しい迫害の中で起こったが、これが第二次宗教改革運動であった。ゆえに、第三次文芸復興に続いて、第三次宗教改革運動が起こるということは、歴史発展過程から見て、必至の事実であるといえる

 そこで以前から考えてきたことに組み込んで、当初はこのように考えていた。

 

1、イエス様の教えの基本的理解→福音書における譬え話と奇跡物語

  推薦書籍→「愛の構造」杉瀬 祐

 

愛の構造―生きることの意味 (現代キリスト教選書 (3))

愛の構造―生きることの意味 (現代キリスト教選書 (3))

 

 

2,ウェスレーによるイエス様の教えの理解→ウェスレーの説教や聖書理解

     推薦書籍→「心を新たに」A・ルシー

 

心を新たに―ウェスレーによる一日一章

心を新たに―ウェスレーによる一日一章

 

 

  さらに求める人には→「ジョン・ウェスレー説教集 (上)(中)(下)や

            「ウェスレー・バイブル注解」第一巻・第二巻・第三巻

  私が持っているのは、「心を新たに」と「ウェスレー・バイブル注解」3冊だが

  説教集もバイブル注解も非常に入手しにくいようである

 

3,李耀翰先生による新約を踏まえた成約の理解→復帰摂理上の人物の信仰的理解

  推薦書籍→「心情開拓」(以前の「信仰と生活 第一集」)

        特に 4,復帰歴史に見る生活原理P75~172

 

心情開拓―心霊を育てる生活原則 (信仰生活シリーズ (5))

心情開拓―心霊を育てる生活原則 (信仰生活シリーズ (5))

 

 

 以上に挙げた1,~3の推薦書籍三冊は、

文鮮明恵師の「牧会者の道」理解を最終目標として習得するための基礎準備である。

 光言社には版を重ねて頂きたい。

 

今日は以上のような私の頭にあることを知った上でこれからお話しする

牧会についての本を推薦することにする。

従って優先順位としては、上記の本が先に位置づけられるので

間違えないようにお願いしたい。

それぞれの本については後日あらためていくらか説明することにしたい。

 

御言葉の心霊的理解が学びの基本と考えているので

「聖書から考える牧会」 聖書神学舎

 

聖書から考える牧会

聖書から考える牧会

 

 

を推薦したい。7人のサムライ牧師の方々がそれぞれの視点から牧会について述べられているものである。

聖句に即しての考察であることから、普遍性があり、福音書の肝である譬え話と奇跡物語の信仰的理解は、「愛の構造」にて基礎が養われるが牧会書簡とも言われるパウロの手紙を、祝福二世の皆さんが、単なる物語としてではなく、自らが牧会者として、神の召命を受け、神の所有する教会の信徒を預かって大切に牧するにあたり、パウロの勝利圏の相続を如何にするか、この本は示唆に富んでいる。

牧者はある時は信徒の群れを先頭に立ってリーダーとして導かねばならぬ時があり、群れの最後尾より追い立てて行くべき時があり、信徒の心霊と成長の歩調に合わせて共に歩むこともある。

いずれにせよ聖書や成約の御言葉またそれを身を持って表してくださったイエス様や文鮮明恵父を見本として歩むことが神によって要請されている。

統一教会では実に多くの信徒が神学校を卒業しているが、既成教会の牧師先生がそこで学んだものを携えて神のため信徒のため心血を注いでおられるようには、一部を除き使命を果たせないでいることがほとんどである。

どこが違うというのであろうか?

たった一つである。

意識の違いである。志があるか否かの差である。

謹んで反省して頂きたい。

神の手によって導かれ願いを託され公的に学ばされているということが全く理解されていなかったことが問題であったかと考える。

今日まで牧会についても礼拝についても説教についても

体系的にまとめられた出版が光言社からでておらず、

入門書ばかりに溢れ、信徒の心霊の成長に貢献する余地が多く残されていると言わざるを得ない。

少なくとも李耀翰先生の著作から公式なりを抽出してみることからでも信徒に役立つ本ができたことと思う。

組織的な正確な名称はわからないが、家庭部・教育部・伝道部・教学部といった領域の構成員と建設的な会合をしてどんどん後方支援としての企画を提出すべきであろう。

タコ壺の中のタコのように、関連部門と授受関係を絶てば何ものも生まれはしないであろう。何十年もこの調子が続いてきている。考えられぬ事態である。

 

公平に客観的に私自身の意見が、皆さんに評価することができるように、いくらか経歴を述べておく。

私には牧会者としての経験は皆無であり、20代で8ヶ月前後、最近では何年か前にある牧会者よりの要請があって教育部長をやはり同じくらいの期間しただけである。

若いときは数度2DAYSの講義及び20日ぐらいの実践トレをした程度であり、何年か前はできるだけ詳しい講義を婦人にしてほしいとのことでお手伝いしたが、御言葉の理解の程度や信仰生活の習熟度がバラバラなのでポイントを絞って要所を確認するような講義が良いと考えたが、なかなか婦人たちが詳しい講義を聴く機会がないことを不憫に思った忙しい牧会者の心情を汲んで始めたのである。

その傍ら、御旨のために家庭を犠牲にされておられる婦人たちの家にできるだけ多くのご主人とお会いする機会を持ち、神様のため御旨のためとはいえ大変なご迷惑ご苦労をおかけしてきたことを、深くお詫びし感謝の意をお伝えした。勿論大変な叱責を頂いた。その後にお祈りをして御家庭が神の加護と祝福に与ることを神にお頼みしてその場を去った。

青年たちはほったらかし状態で、となりの教会の青年部に行って教育を受けていたが、瞬時に「信仰と生活」を輪読した方が良かろうと判断し、こんな話は聞いたことがないと喜んでくれた。

統一原理と信仰生活が結びつかないでいたのである。

若い頃、実践トレのスタッフはチームマザーレベルがすると思うが、全くの未経験者があてられたので、講義の前に2時間ぐらい毎日「信仰と生活」の読み方を指導した。永らく献身してきたのにこのようなことは知らなかったといわれた。後に7DAYSの班長も難なくこなせたと喜ばれた。

これを思い出して青年たちを指導していたが、教会の経済事情によって、牧会者が変わったときに、解雇となった。新しい牧会者は経費削減に努力したが、それでもしばらくして別の教会に吸収された。

その程度の話しにならないキャリアであることを告白しておく。

話しのついでと言ってはなんだが、

私の講義は原研時代の777双の太田洪量氏幹部候補向けの講義に学ぶところが大きい。この講義の特徴は理論的であり心情的な講義であるということである。学生時代信徒から伝え聞いたところでは、お父様によって「太田は原理大学の校長先生だね。」と御前講義を評せられたと聞いている。

環故郷以来ビデオ講義は見なかったので、その後の新しい講師による講義は知らないが、今でもこの先輩の講義を超える人はいないのではないかと考えている。

また、主の路程においては、1800双の井口康雄氏の主の路程が圧巻であり、それ以上のものはないと思われる。若い頃兄弟に頼まれ主の路程を25時間ぐらいかけて話したことがある。井口先輩の講義を参考に付け加えてすることができた。

とにかくできるだけ詳しくと頼まれてそのような結果となった。やりすぎであった。

とにかく徹して何でもするようにとホーム生活では、先輩に指導された癖によるのだと思う。

 

残念なことにこの方々の公式な講義が多くの信徒には見ることができないことである。

井口先輩の講義ほど主を慕い尊敬する、強烈な波動が伝わってくる講義は存在しないであろう。

私にとっては十回の40日断食よりも、この主の路程の方がインパクトがあったと証言できる。

教会が企画し多くの信徒に恵があることを祈る。

 

何事に置いても勝利圏の相続が一番の近道である。

「聖書から考える牧会」では特に、

赤坂泉牧師の牧会と牧会者が印象に残った。

次の内田和彦牧師による 牧会者のアイデンティティも示唆に富んでいた。

松本任弘牧師の ほふるための羊の群れを養え は、ゼカリヤ書を用いてなかなか面白い。

 

牧会者は牧者が羊が行くべき道を間違えそうなときには、杖で導いたり、狼や熊など外的から守ったりするようにして、神の羊である信徒に生命の糧である御言葉によって心霊を育て、使命を果たすことであろう。

 

次回はモーセの母親がモーセを選民教育したが、我々の子供たちに、どの程度どのような教材で先ずは教育すべきかお話ししたい。