原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

文学に神の超越や臨在や遍在を学ぶ      ミケランジェロを描いた リルケ著「神様の話」の中の『石に耳を傾けるひといついて』

 

 

オーストリアの詩人ライナー・マリア・リルケ「時祷詩集」には以下のような詩がある。(尾崎喜八訳)

 

私の目を消してごらんなさい。私はあなたを見ることができます。
私の耳を塞いでごらんなさい。私はあなたを聴くことができます。
そして足が無くても私はあなたへ行くことができ、
口が無くてもなおあなたに誓うことができる。
私の腕を折ってごらんなさい。私は手でするように

この心臓であなたを掴みます。
私の心臓をとめてごらんなさい。そうしたら私の脳髄が脈うつでしょう。
そしてその脳髄にあなたが火を投げ入れたら、
私は私の血であなたを運ぶでしょう。

 

この詩人が書いた「石に耳を傾けるひとについて」は、芸術作品を創造するミケランジェロと神様の物語である。文庫本でわずか5頁少しの物語である。作品をつくるために苦悩するミケランジェロとそれを見守る神様の会話が素晴らしい。

 

石に耳を傾けているミケランジェロに神様が語りかける。

ミケランジェロよ」

「石の中にはだれがいるのじゃ。」

ミケランジェロは答える。

「神様、余人ではございません。あなたです。でも、私は、あなたのところまで、まいれません。」

 

また、ミケランジェロがなんとかして小さくなりたいと思う程謙虚な気持ちに満たされていたとき、神様が再びお声をかけられる。

ミケランジェロよ、おまえのなかに、だれがいるのじゃ」

ミケランジェロは答える。

「神様、余人ではございません。あなたです。」

(神様、あなた以外の誰を考えることができましょう。まさにあなたです。)

 

その時神は解放される。

如何なる時、神は囚われの身となり、

如何なる時、神は解放されるのであろうか?

それをこの物語は諭してくれることであろう。

そして誰が悲しみに打ちひしがれておられる神を

解放し釈放して差し上げられるのであろうか?

 

皆さん、余人ではございません。あなたです。

 

神さまの話 (新潮文庫)

神さまの話 (新潮文庫)

 

 

 

この物語は一遍の美しい散文詩であり、彼の信仰告白である。

超越神としての神や、臨在神としての神、また遍在する神が描かれている。

さらに神の責任分担と人間の責任分担神様の解放など統一原理の用語について考えさせられる内容もある。素晴らしい作品である。

 

さて、登場したミケランジェロ本人はどのような詩を書いていたのであろうか?

始めに80歳頃のものとされる詩、次に最晩年のものとされる詩をご紹介する。

鷹觜 達衛の訳である。

達衛氏

 

我が主よしつこくのしかかっている私の罪の荷を軽くし、

この世から自由にして下さい。

脆くなった木のように疲れた私は、

恐ろしい嵐を逃れ甘美な凪ぎであるあなたに向かいたいのです。

 

棘と釘と、突き刺された両掌とは、

慎ましい、慈しみに満ちたあなたの御顔と共に

悲しみのうちにある私に、深く悔いる恵と、

救いの希望を約束して下さいます。

 

あなたの聖なる目が、正義だけで私の過去を見つめることなく、

あなたの清らかな耳が、私の過去に対し

御腕を厳しく振り翳さないで下さい。

あなたの御血だけが私の罪科を洗い、

私に届きますように、そして私も老いましただけに、

速やかな助けと全面的な許しをお与えください。

 

次は最晩年のものとされている作品である。

 

あなたが引き受けて下さった死の苦しみは、

責めを感じうろたえた人たちには幸せのもととなりました。

それも未だこの世にある人たちのために

閉ざされていた天の門を、いのちを捧げ、開いて下さったからです。

 

幸せのもとと申しますのは、あなたがお造りになった人間を

悲惨のもととなった最初の罪から贖って下さったからです。

うろたえたのは、奴隷だけにしか適用されなかった侮辱的な磔刑

十字架の刑による惨たらしい死を耐えて下さったからです。

 

そのとき、天体に食が起こりました。

それが人々の目から光を奪い、地を裂き

山々を揺り動かし、海の水を濁らせたのです。

 

偉大な先祖たちを冥府から解放し、

悪魔たちを更に悲嘆へと陥れたのです。

ただ洗礼によって新たに生まれた人だけが、心底からの喜びを味わったのです。