原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

心情の8段階から見た 真の父母様の基元節勝利 と 亨進世界会長と國進様兄弟の勝利


文亨進世界会長就任式・문형진세계회장취임식(2008.4.18) - YouTube

 

いぐなっちさんの質問が

私から神の恵みを引き出してくださった。

主はほむべきかな。

ここで語る話しはあなたが引き出してくださった。

バイクの上で聖霊体験をされたという。

 

イグナチウス・ロヨラが免罪符の乱発などで教会が腐敗堕落していくなかで、内的刷新運動を展開したように

神の霊を受けて活躍されることをお祈り申し上げる。

感謝!

 

既にこの時点でも、國進様は見事な勝利をされておられる。

先日の亨進世界会長の証で、聖和される直前のお父様より勝利の祝福を受けられたことが語られた。

 

お父様は何故、私と国進お兄さんを、完成されたカイン・アベルとして

認めて下さったのでしょうか。

真の家庭の歴史で初めて、カインは弟アベルを殺そうとしませんでした。

お父様は何故、2012年6月5日、私たちをラスベガスに呼び、

4次元入籍式を宣布されましたか。

「私の家庭で初めてカインとアベルが一つになった。真の父母の仕事は、完成完結完了された。」

と言われました。

そうして、私たち二人を任命されました。

何故そうしたのでしょうか。

その後遠からずして、霊界に行かれたお父様のために、

カネのため、財産のため、地位のため、

食口が「うわぁ、うわぁ、うわぁ、格好良い」

と褒められるようにではなく、

ただひたすら、お父様の栄光のために

どんな大金を私たちに渡そうとしても、

どんな内容を私たちに受け入れさせようとしても、

どんな財産を渡そうとしても、

賄賂を渡そうとしても、

私たち二人は、そのような誘惑には負けないことを、

お父様はご存知だったのです。

 

文 亨進世界会長と国進様によるアベル・カイン一体化の勝利によって、

「真の父母の仕事は、完成完結完了された。」

と、お父様は語られ、

それは、基元節の祝福式の条件が最終的に揃ったということを意味している。

基元節は大勝利したのである。

 

このように私は語ってきた。

 

先ず、心情の8段階のことはご存知であると思うが、お父様の御言葉を押さえるために、いくらかの御言葉を振り返ってみる。

 

 
二 八段階と八定式
P328

1 縦的・横的八段階
 皆さんの体がサタンの支配から抜け出て、神様と一つになっていますか? 自分を完全に否定しなければサタンに勝つことはできません。ですから、苦労をしなさいというのです。三年半の間。乞食、僕の僕から上がってこなければなりません。縦的に僕の僕から僕、養子、庶子、直系子女、その次には、母、父、神様とこのように八段階なのです。また、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、これも八段階なのです。ですから、縦的に八段階、横的に八段階です。それが原理観です。先生の言葉ではないのです。
 このような言葉は、先生が初めて語るのです。図書館にあるのでもないのです。東洋思想、西洋思想をもってこれを解くことができますか? (いいえ)。神様しか知らないのです。そして、サタンと先生と、三人だけが知っているのです。それを操縦するのは先生なのです。神様もできないし、サタンもできません。(一九八九・四・一、ベルベディア修練所)

2 サタンの活動と八段階
 御覧なさい。サタンが今くわえているものは何ですか? 今まで歴史的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、この八段階を中心としてくわえているものは何でしょうか? 「あなた、神様は、原則的な主人であり、あなたの息子、理想的なアダム・エバ、すなわち、真の父母というものは、原則的な息子なのです。その原則的な父が私を天使長としてつくったので、私、天使長が堕落する前は、あなたの愛とあなたの息子の愛を受けることができるのが原則でした。その愛を尽くさずしては、あなたが原則的な父として原理的な息子を愛することのできる位置に立てないのではないですか?」と言うのです。これが問題です。堕落したが、あなたが私を愛さなければ、私のこの所有を、本然のエデンでアダムの愛、神様の愛の圏内で主管を受けていたすべての万物を探し求めてはいけない、とサタンは言うのです。
 個人的に神様とアベルが一つになって私を愛して、個人的な愛の条件をもってこそ探し求めることができるのであって、そうでなければ探し求めていけないのです。家庭もそうであり、氏族、民族、国家、世界もそのような立場にあり、天地もそのような立場にあると主張するのです。それが、サタンが私たちの胸ぐらをつかむ、何と言いましょうか、首を締める綱なのです。(一九八四・五・一九、イースト・ガーデン)

3 御父母様の八段階勝利
 本然の祝福家庭を欽慕するその基準から見るとき、神様がどれだけ今まで待ち焦がれ、イエス様が三十三歳まで過ごしながらいかばかり待ち焦がれた祝福家庭でしたか? 二〇〇〇年の間、再臨時代を経て本然の祝福家庭へ戻っていけるその道をいかばかり待ち焦がれたのかというのです。
 それは簡単にできないのです。これは復帰の過程であるので、八段階で七回出たり入ったりして長子権を復帰する業を、先生が四十年かかってしたのです。キリスト教と自由世界ができなかったことを蕩減して回して合わせたのです。これを合わせなければ大変なことになるのです。ですから、先生がどれほど忙しかったことでしょうか。四十年内に蕩減できなければ、四〇〇〇年歴史をふさぐことはできません。これは明らかにそうなのです。
 それは、通りすがりの客ではないのです。天の王宮、天の国、天地全体の出発点が間違うならば、大変なことになるのです。めちゃくちゃになるというのです。(一九八六・二・九、本部教会)
 先生に似なさいという言葉は良い言葉ですか、悪い言葉なのですか? (良い言葉です)。築かれたすべての福をただでそのまま引き継いであげるというのです。先生が大きな峠を越えたならば、これを中心として同じ型をつくりなさいというのです。そうするならばこの垂直線は同じだというのです。そのように蕩減していくのです。
 個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、世界蕩減、天宙蕩減、神様の心情的蕩減まで八段階が残っているのです。それが、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、神様まで八段階です。これは、縦的な蕩減路程、横的な蕩減路程を愛を中心として上下に全部、無事通過することができるのです。このような連結を成すことによってこの球自体は、愛の圏の所有物になるのです。そのようになるならばこの地球にはサタンの所有権はあり得ないので、サタンは自動的に追放されるのです。終わりです。(一九九〇・二・一六、中央修練所)

4 八段階と氏族的メシヤ
 人類を代表した父母の位置に上がっていくためには、最初のアダム、二番目のアダム、三番目のアダム全部が、「ここにサタンが讒訴する条件が完全にない」と言うことができるように解明しなければならないのです。子女圏世界版図基盤の上に父母圏世界版図を形成しなければならないのです。もちろん、この七年路程の長成、完成、御父母様の七年路程がみなできたものと見るならば、原理結果主管圏が直接主管圏と連結されることによって初めて真の父母の形成が始まるというのです。その時までは、アダム・エバも子女として育ったのではありませんか?
 真の父母形成の位置は、どのようにしてなるのですか? 神様と一つになる位置なのです。人間の責任分担、原理結果主管圏と直接主管圏を一体化させることとは、夫婦が愛を中心として一つになり責任分担を完成することなのです。責任分担の完成基盤の上に神様と真の父母が一つになるのです。そうではありませんか? ですから、その位置に上がっていかなければならないのです。
 その次に、子女圏復帰解怨成事をしたならば、ここに父母圏が始まらなければなりません。この世界五十億人類は、結局はアダムの子孫であり、その次には宗教圏があるので、イエス様の子孫なのです。これと同じなのです。ですから今後、第三アダムが来て、世界をも全部連結させて、本来堕落しなかったアダムの子供として戻しておくのが復帰歴史です。それで父母圏解怨成事をしなければならないというのです。
 子女解怨成事時代が過ぎ去ったので、長子権を復帰することによってサタンを追放し、今や完全に神様の懐に抱かれ得る子女になったというのです。そうであるならば、この抱き得る父母が父母圏を形成しなければなりません。父母圏を形成しようとするならば、アダム時代、イエス時代、再臨時代が解放圏に立たなければならないのです。
 先生でいうならば、個人アダムであると同時に家庭アダム、氏族アダム、民族アダム、国家、世界、天宙アダムの歴史を編んできたのです。僕の僕からずっと縦的に八段階を探し求めて上がっていくのです。それを中心として八段階だけ上がっていくだけではなく、横的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界までみな解かなければならないので、世界の五十億人類まで、世界まで縦横を中心として蕩減路程をみな経て上がっていくことにより、サタンが讒訴することのできない解放圏を成就させるというのです。
 そのような過程を経てくることにより父母圏さえ完成させておくならば、過去、現在、未来にもサタンが讒訴する圏がなくなるというのです。ですから、先生が第三次アダム圏完成基準を中心として何をさせるのかといえば、アダム家庭、その次にイエス家庭を……。イエス様も失敗し、アダムも失敗したのですね。また、イエス様が出てくる時までの復帰歴史の中で、アブラハムからヤコブ、モーセ、全部失敗の歴史なのです。それを全部清算しなければならないのです。それは子女圏解放にも関係があり、父母圏解放にも伸ばしていくのです。
 ですから、父母圏解放をするためには完成した国家代表であると同時に、世界的父母が出てこなければならないのです。その基準を全部築いたのですが、これがまだ横的に連結されていないのです。統一教会氏族編成、民族編成の蕩減的条件は全部つくったのですが、これが世界的に連結されていないのです。中心はできているのですが、世界的に連結されていないというのです。
 世界へ連結するためには、どのようにしなければならないのでしょうか? ここから氏族的メシヤとイエス家庭、アダム家庭が失敗したことを連結させることによって時代別――個人時代、家庭時代――にこのような条件が成立し、世界人類がみな入っていくのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

5 八段階宗教と真の父母宗教
 今まで人類歴史を八十五万年だといいます。大体八十五万年と見るのです。その期間に宗教運動というものは、はるか未開なところから迫害を受けて出てきたのです。それでは、このような役事をさせる方とは誰なのですか? 神様です。神様なのですが、僕の僕から段階的に分かれてくるというのです。ですから、僕の僕の中では、僕が主人になるのです。主人が僕を使うのではなく、僕が使うようになるのです。
 天の国の僕の主人になろうとするならば、サタン世界を全部合わせた僕の迫害を受けて、勝利しなければなりません。
 ですから、死ぬ覚悟をしなければならないのです。それで、「死なんとする者は生きる」という言葉が出てきたのです。僕の僕から僕の立場に上がっていき、その次に僕から養子の立場へ越えていく時も、必ず迫害があるのです。ここも同じなのです。七段階まで。神様まで八段階なのです。
 ではこれを誰が担当しなければならないのでしょうか? 人々は変わっていきますが、神様は変わりがないのです。それで、この世界の宗教の中には、僕の僕になる宗教、僕の宗教、養子の宗教、庶子の宗教、息子の宗教、母の宗教、父の宗教、真の父母の宗教があるのです。一番あとには、父母の宗教が生じてくるのです。終わりの日になっては、真の父母を中心とした真の父母の宗教が出てくるのです。
 統一教会という言葉、宗教を統一するという言葉が出てきたのは、真の父母の内容をもった宗教の教理を通ぜずしてはそれが不可能だからです。(一九八三・一・二三、ベルベディア修練所)

6 八定式
 霊界と地上界の歴史を経て、今では太平洋沿岸をみな経、大西洋を経て上陸したのちにアラスカで何をしたのかといえば、八定式をしたのです。八定式は、縦的な蕩減歴史的路程、横的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界蕩減路程、八段階縦横の路程を経て定着することによって長子権復帰が起こり、この地の世界の人間の前には、蕩減の路程が解消されるのです。八定式をすることによってそうなのです。先生が宣布したのです。八月三十一日アラスカで。
 なぜ八月なのかといえば、一九四五年を中心として一九四八年までの三年間、死なずにしたので今年のすべての時は、正月から八月まで摂理的プログラムを、みな合わせなければなりません。それで急いだのです。そして、八月三十一日、そのような長子権復帰時代を中心として、勝利的立場で父母に侍ることのできる立場に立ったので、父母の愛によって兄弟たちに対して過ったすべての歴史時代の人々を許してあげるというのです。何のことか分かりますか?
 長子権が復帰され、御父母様が抱いてあげることにより、父母の愛の圏内で長子権復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなり、愛でもって和合できる、蕩減が必要でない時に入ってきたというのです。そのようなことをするためには八定式をしなければならないのです。
 八定式をすることによってその息子、娘を、長子と次子を前においた父母が生じて、このような子供たちを許してあげたので、そのあとには父母容赦圏時代が来るのです。
 それで愛援摂理時代を宣布するのです。救援摂理ではありません。愛でもって援助する救援時代なのです。今までは、蕩減復帰救援だったのですね? それがなくなるのです。長子権復帰をすることによって、兄弟たちが父母の懐にただそのまま抱かれ得る立場に入ってきて、父母の愛を中心として、父母に許しを受けることのできる環境をつくっておいたので、この地上に統一教会に反対する勢力はなくなるのです。反対する時代は過ぎ去るのです。今、そのようになったのです。アメリカに、統一教会の文先生に反対する人がいないのです。いるといってもそれは、共産党の本当のアカと解放神学の連中のみなのです。全部、世の中を知らない者たちなのです。(一九八九・一〇・三、リトル・エンジェルス芸術会館)
 縦的な蕩減、横的な蕩減、八段階の蕩減が全部終わったので、昨年(一九八九年)八月三十一日を中心として八定式というものを、西欧社会の一番高いアラスカに行ってしました。一番高い所なのです。そうして九月一日に天父主義を発表しました。天父主義なのです。愛援主義であると同時に父母主義なのです。父母主義は、愛そうというのです。愛するのにサタンは反対できません。統一教会の行く道にサタンが反対しなければ、たちまちのうちに世界的なものへ展開されるのです。(一九九〇・二・一六、中央修練院)
 八定式が終わることによって何をすることができるのですか? (天父主義)。父母圏解怨成事が始まるのです。この時が来るので先生が父母の位置で、皆さんを氏族的なメシヤの位置に立てて、イエス様の位置の解怨成事、アダム家庭の解怨成事をするのです。皆さんの一族を通じて、父母の失敗の基盤を全部解消させることにより、初めてすべての人が生まれた故郷が、天の国の故郷の地へと転換されるというのです。皆さんの故郷は全部異なるではありませんか? 韓国であると言うことができますか? 一つの国の形態を中心として先生と連結されて、先生に統治され得る故郷の地をして連結させて、自分の父母が生まれた所が天の国の父母の位置に選定されることによって、皆さんの故郷が天の国の故郷に認定される時代に入ってくるというのです。分かりますか? 何のことか? (はい)。そうであってこそ世界の万民が全部故郷をもつのです。(一九八九・一〇・四、漢南洞公館)

 

若い頃伝道していたとき、777双の西木巡回師から

「あなたたち、心情の8段階は何か、考えてるの?自分の問題なのよ。」

と言うように聞かれたことがある。

自分も同じ頃、「一体これは具体的には、どんなことを意味するのであろう?」と

悪戦苦闘していたところであった。

みんな黙っていた。

今考えると「心情の8段階というのは私たちにとって、どういう事ですか?」と

聞けば良かったものをと思う。

 

さて、これを白井康友家庭教育部長が以下のように説明しているというので、以下のサイトより引用する。

http://true-love-family.at.webry.info/201210/article_23.html

 

 三、アベルの正道

 (3)「八定式」の勝利

 

第1段階は、怨讐圏の僕が迫害する中で、僕を理想の主人として仕え、感動させ、自然屈服させることによって僕の僕から僕の位置へと上がっていきます。

 第2段階は、怨讐圏の主人が迫害する中で、主人に仕え、自然屈服させることによって、僕から養子の位置へと上がっていきます。

 第3段階は、怨讐圏の養父母が養子を迫害する中で、養父母に仕え、感動させて、「全ての財産を養子に譲りたい」というところまでいって、初めて養子から庶子の位置へと上がっていきます。

 第4段階は、怨讐圏の父母が迫害する中で、父母に仕え、父母を感動させて自然屈服させることで、庶子から実子の位置へと上がっていきます。

 第5段階は、実子として、アベルがカインを自然屈服させて一つとなり、母を迎えることができます。

 第6段階は、神側、サタン側に分かれていない本然の子女である長子、次子を母親が抱いて、父の前に絶対服従の立場で父を迎える立場です。

 第7段階は、父を絶対視する伝統を立て、本然の四位基台を築くことによって、第8段階の神様の心情圏に返っていくのです。

 この内容が「心情復帰の縦的八段階路程」です。

 真の父母様は個人路程から始まって、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の解放に至るまで、「横的八段階の復帰路程」を歩んでこられました。

 その各段階ごとに僕の僕の立場から、与えて、尽くして、愛して、サタンを自然屈服させる路程を、僕、養子、庶子、実子、母、父、神様という「心情復帰の縦的八段階路程」において歩まれ、
まさに「縦横八段階の蕩減復帰路程」の全てを勝利されて、1989年8月31日にアラスカの地で「八定式」を宣布されたのです。

 

 祝福家庭2012年秋季号 「長子権復帰」の伝統 より

 

これを36双の先生が講義で説明する際に用いた図が、ほぼ以下のようなものである

 

<心情の8段階と人間の責任分担>

 

段階 心情関係  内容や例     宗教         蕩減条件→蕩減復帰

 

8  神(父母)                     信仰基台+実体基台

    ↑                               ↑

7  (夫) 家庭生活                 信仰基台+実体基台

    ↑                               ↑

6  (妻) 三年路程                 信仰基台+実体基台

    ↑                               ↑

5  実子   父母・祝福                信仰基台+実体基台

    ↑                               ↑

4  庶子   再臨主                  信仰基台+実体基台

    ↑                                                                                             ↑                   

3  養子   イエス      キリスト教       信仰基台+実体基台

    ↑                               ↑               

2  僕    ヤコブ・モーセ  孔子仏陀マホメット 信仰基台+実体基台

    ↑                               ↑

1  僕の僕  ノア       良心家         信仰基台+実体基台

                             (ヤコブ・エソウ)

         アダム家庭

 

 

36家庭の黄?先生の講義で与えられた資料では上記のようになっている。ただし、

8段階の上の部分で、段階~蕩減復帰までの太字の部分、は私が加筆している。

また36双の方の講義では父は夫母は妻で代表させている。

一番下のアダム家庭の言葉は資料にある。

残念ながら一つ一つの説明は時間の関係上省かれてしまった。

図から各自読みとるほかに道が無くなってしまった。

 

ここからは、私見にはいるので、吟味して見ていただき、常に公式見解をもって御言葉を理解されんことを切に願うものである。

自分が話したいところだけ部分的に記すことにする。

 

ノアはアダムとは違い勝利した僕の僕である。

という言葉が御言葉に出てきたときは、必ず「天使長」もしくは「天使」にも置き換えて考えてみることをお薦めする。

天使は僕である。人間は堕落してその僕である天使の僕になった。

僕の僕とは、わかりやすく言えば「奴隷」のことである。

自分の意思というものが許されない、自分の行動というものが許されない。

では誰の意思で生きるか、生きているのか?

サタンの意思、サタンの欲望、サタンがそれらによって成し遂げたいと願う悪なる行動である。サタンに徹頭徹尾主管されてきたのが我々人類であった。

そこでイエス様は、

「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」

ヨハネ8:44

 

心の鎖、足かせをはめられた奴隷であり、囚人である。

そこで解放・釈放の必要が生じてくる。

そこでメシアによって原罪を精算され、心情の八段階を経て堕落性を脱いでゆき、

「わたしを見た者は、父を見たのである」

ヨハネ14:9

を目指して旅をすることになるのである。

 

ノアの段階は良心家のレベル。厳密には神を信じる良心家のレベル。

この世に生きる人々もアベル的な考え方、アベル的な物事の受け取り方、アベル的な人、アベル的な団体、アベル的な本・・・・・というようにアベル的なあらゆるものと授受作用することによって、少しずつ少しずつ神の立てられた中心存在に導かれていくようになる。

神はこの世の人々の良心に働きかけて復帰の道に誘うのである。

 

特に実体基台は36双の先生に依れば「完成したアダムが天使長を主管すること」を意味するとのことであった。

そうすると各段階に於いてどのような心情を天に捧げることによって彼らは勝利してきたのであろうか?これが我々にとって問題になる。

その心情が明らかになることによって、我々もその心情圏を訪ね求めて行く出発ができるからである。そこで特に人物の例が挙げられている段階に於いては、彼らの勝利した心情を研究しなければならないはずである。復帰摂理に於いて中心人物が勝利した心情である。

その凝縮されたものが「牧会者の道」にある。

 

<ノアの勝利した心情>

 

ノアじいさんは、迫害が激しく荒々しい環境の中でも、渾身の力を尽くしていったので、その環境に勝利することができたのでした。神様の法度の前に、息子としての忠孝の道理を尽くすだけだ、という謙遜な心をもって進んでいったのです。神様の前に進めば進むほど、環境の非情さを感じ、悲しみを覚えましたが、そのような時であればあるほど、ノアじいさんは、神様に申し訳ない心で悔い改めの涙を流していったので、彼の行く道を遮る者がなかったというのです。何の話か分かりますか? そのようにして百二十年間を過ごしてきたノアのことを一度考えてみてください。ノア一人に対して、サタン世界は、打つすべての方法を動員し、反対するだけ反対しましたが、神様が中心として立てたその基準から見て、ノアは少しのずれもなかったのです。その基準は、天宙の絶対的な中心として立てたものであり、宇宙の正義の人間として立てたものであり、真の勝利者として立てたものです。ですから神様は、この基準に反対するすべての怨讐の要素を清算させようとされたのです。このように、最後まで打たれていけば、素晴らしいことが起こるのだというのです。(一八―一五九)

 

詳しくは、

http://furuta65.fc2web.com/001/bokkaisyanomiti/0301010041.htm

 

<ヤコブの勝利した心情>

 

 ヤコブは家を去り、ハランに行って僕のように過ごしました。彼はおじのラバンからだまされました。彼のおじさんは、彼が願っていたラケルの代わりにレアを与えたのです。ヤコブは、ラケルを手に入れるや否や、そこを逃げ出し、家に帰るようになったのです。二十一年にわたった困難の基盤の上で、初めて神様は彼を祝福することができました。この期間に、ラバンは彼を十回もだましました。しかし、このようなすべての苦労を経ることにより、彼はハランを去ることができました。

 

彼はこのような困難の中でも、彼をだました人々のために祈祷する心をもっていました。また、天使とすもうをした彼の行動は、彼が自分の使命を遂行するために妨害となるサタンに対抗して闘った行動でした。(五二―五四)

 

ヤコブは骨が外れながらも、死力を尽くして闘いました。「私が二十一年間苦労してきたことが、この闘いで判決されるのだ! きょう、この一晩の闘いに勝つか、負けるかによって、私の一生の運命が左右され、イスラエルの祝福の基盤が左右されるのだ!」という思いで、命を懸けてすもうをしたのです。天使が来て冗談で「すもうをしよう」と言うと思いますか?

 

 

ここには、神様も立ち会い、サタンも立ち会っていました。ところで最後の決定をするその場で、ヤコブはどれだけ切ない思いだったでしょうか? 天使が腰の骨を打ち、足の骨を折ってしまってもヤコブは放しませんでした。お前が死に、私が死に、二人とも死んだとしても、絶対放さないという思いだったのです。そのように何時間闘ったと思いますか? 十分? 一時間? 二時間? 七時間以上闘ったというのです。(二〇―二二九)

 詳しくは

http://furuta65.fc2web.com/001/bokkaisyanomiti/0301030048.htm

 

<モーゼが勝利した心情>

 

彼が宮中を去り、ミデヤン荒野で羊を飼う牧者生活をしながらも、秘めていたただ一つの思いとは何でしょうか? 彼は、「イスラエル民族の側に立ったために、このようなことになった」と、落胆はしませんでした。自分がこのようになったのは、イスラエル民族のためだとは考えませんでした。モーセが神様の信任を受け得る動機がここにあるのです。失敗はイスラエル民族にありましたが、私がこのようになったのは、神様のためにこうなったのであり、私が孤独を感ずるのは、神様の孤独を代わりに責任をもつために感ずるのであり、私が犠牲となるのは、神様の悲惨さを防御するための盾として犠牲になるのだと考えたのです。このような心情で四十年間羊を飼い、群れを率いて回る時、狼の襲撃がどうしてなかったでしょう、毒蛇の群れの脅威がどうしてなかったといえるでしょうか? しかし、どんなに危険が加重され、孤独と嘆きが吹きすさんだとしても、私がこのようになったのは、イスラエル民族のゆえではなく、神様のゆえだと考えました。このように偉大な内的覚醒をしたモーセは、「神様のみ旨が成されるその日まで、私は忠誠を尽くす」と思ったのです。

 

万一、そこで少しでも自分の過去のことを思っていたなら、すぐに宮中の豪華な生活を夢見、その環境を慕わしく思い、自分の環境と比較してその差が多ければ多いほど悲しくなったでしょうが、そのことを夢にも思わない立場に立ったモーセだったので、捨てられた立場からもう一度、イスラエル民族の主人の立場に呼ばれ得る因縁を結べたのだということを、皆さんは知らなければなりません。

 

 外的に見れば、モーセは完全に時を失った人のようになったのです。パロ宮中で時を失い、ミデヤン荒野で四十年間も天の前に時をもつことができない男性のように、孤独に生きてきました。しかしモーセは、時を待ち焦がれ、天が約束したその日を待ち焦がれていくイスラエル民族を救ってあげようとする心と、失った時と環境を克服して越えていくことのできる忠烈の操が残っていたので、イスラエルをもう一度一つにすることができ、イスラエル国家を救ってあげることができたということを、皆さんは知らなければなりません。

 

 そのことをなすにおいては、他人では分からない内的心情が、どれだけ神様と近い場所にいなければならないでしょうか? 神様がその心情に従い、同情せざるを得ない深い縁が背後で結ばれていたのです。しかし、そのような立場に立った人は、必ず天を代表する一つの時を迎えるようにしてあげるのが天の責任であり、また迎えなければならなくなっているのが天のみ旨だというのです。(五七―三〇一)

 

イエス様については「イエス様の生涯と愛」などを参照下され。

ここでは、上図の他の聖人たちとイエス様の違いについて少しばかりお話しする。

 

14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。

15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。

16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。

ロマ書8:14~19

 

 15節の「子たる身分を授ける霊を受けたのである」とは英語では

received the Spirit of adoption

「養子縁組」を受けたという意味である。

したがって19節の「神の子たち」とは養子のことである。さらに、

 

4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった

6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

7 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。

8 神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた。

ガラテヤ4:4~8

 

ここでも、「わたしたちに子たる身分を授けるためであった。」は

receive the adoption as sons.

であり、同様に「養子縁組」を受けたという意味である。

イエス様が殺されてしまうことによって、勝利復活されて切り開いてくださった霊界が、養子 なのである。

肉身がない立場で霊的に生み返されたと言うことは、肉身から見ると、そのような役事は養子縁組ととらえられる。

したがってキリスト教圏では神と信徒の父子関係は養子としての心情圏であるということである。

そこで3段階目は養子となる。

僕である天使よりは情的関係が深いが、それでも養子の情であるというのである。

 

 

この辺の事情が「真の神様」180頁には、

イエス様は何によって一段階上がるのでしょうか。この地上には人間の堕落によって人類の先祖がいないので、先祖の位置に上がればイスラエル民族は養子の立場で接ぎ木され、神様の前で相続圏に対することのできる息子の名分をもつようになります。それゆえローマ人への手紙第八章を見てください。「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。アバ、父よと呼ぶのである」と書かれています。養子にしかなれないのです。今のキリスト教信者は養子です。養子は血統が違います。
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 養子は直系の息子とは違います。養子は、もし直系の息子が来れば、夜でも昼でもいつでもすぐに自分のすべての所有物を直系の息子にあげることができなければなりません。その所有物は自分のものではないからです。

 

そこで再臨主が必要になる。

さて、イエス様は神様と父子の関係を持たれたが、そこにはまだ先があると言うことをお父様はこんな風におっしゃられている。38~39頁

神様を内的父と外的父と見て実体に一致する愛によって統一的な権限をつくろうとするその基準、確実にこの基準までは発見できませんでした

 

 

愛を論じるならば、人格的神でなければなりません。情緒と、人格的に人と同じ素性をもった神でなければならないのですが、そのような神を提示した宗教はキリスト教以外にはないのです。神様を父と言ったのは偉大な発見だというのです。神様を父だと言ったのです。神様を父だと発見したという事実は今先生が話す、神様を内的父と外的父と見て実体に一致する愛によって統一的な権限をつくろうとするその基準、確実にこの基準までは発見できませんでしたが、そんな内容を暗々裡に解明することができる標題を掲げたという事実は驚くべきものです。そして唯一神を論じました。ですからこの宗教は世界的宗教であり、世界がこの宗教を中心としてまとまることができるというのです。この宗教によって世界が一つになることができる道を立てていくと、このように見るのです。

 

さて、一番始めのお父様による説明の御言葉に戻ると、

「八段階で七回出たり入ったりして長子権を復帰する業を、先生が四十年かかってしたのです。」

というように「七回」とあり、その下の方ではわざわざ

七段階まで。神様まで八段階

となっている。

36双の図では8段階にも実体基台の言葉がある。

何故、お父様はこのように微妙な表現を為されるのであろうか?

 

ということは、お父様がアベルの正道として歩むのは8段階ではあるが、

8段階目は神の直接主管圏に達せられるので、実質的には

二世であられる御子女様によって復帰摂理歴史の全てのアベル・カイン問題に終止符を打たねばならないのであろう。

そこで子女様のお二人の男子のいずれかの1組で

決着をつけていかねばならないということである。

 

神の摂理は父子二代で復帰する

 

というのが復帰原理の特徴であるからである。

アダム家庭に始まる摂理は

     アダム

 

  カイン    アベル(死)→セツに使命が移行

 

文 亨進世界会長と国進様によるアベル・カイン一体化の勝利によって、

「真の父母の仕事は、完成完結完了された。」

と、お父様は語られ、

8段階の完全勝利を宣布されたということであり、

それは、基元節の祝福式の条件が最終的に揃ったということを意味している。

基元節は大勝利したのである。

 

御聖婚式が3度もあると誰が予想できたであろうか?

8段階の勝利も八定式をさらに深化させ大勝利されたのである

 

原理本体論の意義 において本体論教育担当のユ講師は以下のサイトによれば

原理本体論教育の意義 | オンライン訓読会

 

孝進様が霊界に行かれることのよって、長子権の代表、興進様を中心とする宗教圏代表して次子として今まで従来した全ての人間が天側とサタン側に分裂して戦ったその全体を真の父母の直系の子女を中心として霊界を統合する実体的勝利圏が立てられた地では、顕進様と國進様を中心としてお母様と一つとなり、真の父母の前に、地上天上の絡まった全てのカインとアベルの兄弟圏の戦いを清算してはじめて真の父母の前にその家庭を探して神様の前に出ていける道を開いておいたのもハワイのキングスガーデンなのです。

 

神と真の父母様がこよなく愛される顕進様が

摂理的大勝利を果たされる日が来るときまで

我らの渇きは癒されることがない。

その日が近いことを信じて疑わないものである。

 

亨進様 億万歳!

國進様 億万歳!

顕進様 億万歳!