原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

再臨時代のメシア待望と驚くべき時代的恵沢  選ばれし者から異邦人に祝福が移行する神の痛み

ここ1週間以上、聖書にでてくる異邦人の女の話が頭を離れなかった。

すると、文亨進世界会長の動画に偶然この聖句に関する説教が為されていたので懐かしく思ったのである。

というのは私が神によって統一教会に導かれて来た経緯があるからである。

私の家も家系もまた親族もおよそキリスト教とはまったく縁のない人々であった。

むしろ無神論といったような世界観を持った血統である。

ところが、何故か私は子供の頃から神様の存在を認めていたのである。

小学校低学年の頃、雨上がりの道を学校から帰るときに、雨傘を振り回しながら、天に向かって眼差しを投げかけ、

「神様、僕は知っています。あなたがおられることを。神様が話しかけなくても、僕の言葉に答えなくてもいいですよ。僕は知っています。神様がおられることを。」

と言って喜びに満ちて、天に向かって微笑みかけることがあった。

その後もまったく何故神様を信じ、話しかけるのかはわからなかった。

不思議なことである。

少年時代はずっとキリスト教的生活環境に憧れていたのである。

中学2年の時、大変にメシアを待望していた時機があった。

それこそ気違いのように。

「十戒」の映画を見た影響がとてつもなく心霊に影響を与えていたようである。

 

子供であるから、何がどうのと詳しい考えがあったわけではない。

しかし、

「世の中の問題は絶対に神が使わされた方にしか解決することができない。」

と確信していたのである。

一体世の中にどんな問題があるかさえ解らなかったというのにである。

「不思議君」と思われていても仕方があるまい。

そんな訳のわからない異邦人の少年が聖書やキリスト教信仰を学ぶことができたのは、主に映画に因るところが多かった。

私ばかりではなく兄弟は皆ぼろぼろ涙を流して、キリスト教系の映画を見たものである。

子供の私にとって、キリスト教の家庭のイメージは、例えば白黒のテレビドラマの「名犬ラッシー」に度々出てくる、家族揃って食事の前に、食卓の祈りを神に捧げる姿であった。どれほど羨ましく思ったか知れない。

私の生まれ育った葛飾の町には教会らしい建物をこの少年は見つけることができなかった。

しかし、時は既に来ていたのである。

中学2年の時、神保町にでも行くところであったか、京成電車にひとりで乗っていた。

おもむろに、顔を上げて天上からつるされている広告のチラシに目を止めたのである。

するとそこには、正確な言葉は忘れたが

「キリストがもし現代に生まれていたら、もっと活躍しただろう」

というような見出しがあった。

「わかった!」

突然、脊髄に電気が走るような衝撃を受けて、

わたしは確かに神様に向かってこう言っているのであった。

「神様、確かに受けとりました。」

この少年にとって、神の存在は疑うべからざる、確固たる存在であった。

同様に神がメシアを地上に降臨させ使わされることも然りであった。

ならば「何時?」

「そうか、現代こそ終わりの時なのか。」

勝手にそう納得したのである。

それで有頂天になり、クラスメイトを5~6人教室で捕まえて、

「俺は神の啓示を得た。神は既にメシアを地上に送ったという。現在、どこかにいるんだ。俺の預言は必ず実現するから、ずっと覚えておいてくれよ!」

そう言った。

信仰を持って後、数学の教師を目指していた学会の信者である、当時の級友に聞いてみると。

「確かにそんなことを言っていたね。」

と覚えてくれていて嬉しかったことを思い出す。

当時、神がこのような間接的な啓示を与えてくださったのはこれっきりであった。

しかし、私の方は

「では何処におられるのだろう?」

と悩み続け、直感を「何処におられる?」に集中し続けた

すると、「日本に生まれている」という強いインスピレーションが消えることなく胸の中に常にあったのである。

ところがいっこうにそれらしいと思われる人には巡り会えず。

日本に生まれているはずなのにどうして自分が会えないのか不思議であった

いつしかその事を忘れ高校生になったがこの頃の直感は冴えていた。

ESPカードというものがあって、5種類の絵が描かれている。

このカードの中から友だちに一枚選ばせ、テレパシーで私の脳に図柄を送る。

それを私が当てるのである。

5回やって5回とも連続して的中させた。

そのころは人が今話しているその先に何を話すのか解ることがよくあって、

相手が言う前に先に言ってしまい、脅かしてびくりしている姿を見るのが好きであった。

そういえば、信仰を持つようになってから、

韓国の修練会で36双の鄭寿源先生が、我々に向かって

「あなた方に叶えてほしいものがあるなら、指で数えながら100回その願いを声に出して言ってごらんなさい。7日以内に叶うでしょう」とおっしゃられたことがある。

私には何年もの間、何処でどうしているのか知れない人がいて、その時そこで、どうしてもその人に会いたいと100編繰り返したことがある。

勿論、7日後に思いもよらないところで出会ったのである。

 

さてその後、19歳になった際に、再び強いインスピレーションに襲われたのである。

「お前は20歳までは生きられない」

というものであった。

直感を集中させると、「向こうから死がやってくる」

というイメージが与えられた。

そこで、交通事故か何かで死ぬのであろうと思っていた。

そこで、家族や友人にはその旨を伝えていたのであるが、

家族みんなで自殺しないか見張っていたという。

別に自分から死ぬ気はなかったのであるが・・・

二十歳の誕生日が近づくこと何ヶ月か前に不思議と死ぬ前に見たいと思ったのが

水戸の三景として有名な偕楽園である。

この水戸でIOWCのチームマザーであったノルウェー人の姉妹に伝道されることになったのである。富士山を背景に久保木会長と映っている写真が、当時のファミリーの表紙を飾っていた。

キリスト教の講義を聴いてほしいという。

私は偕楽園に行く途中なので、そこから帰ってきたら聞きましょうと約束して去った。冬の偕楽園は荒涼として酷いものであった。

約束の時間に約束の場所で会い、古い民家の教会に行った。

そこは世界中から宣教に来た若者で一杯であった。

「終末論」を聞き、翌日には「緒論」を聞いた。

私は冥土の土産にと、せっかく人生で初めて会いたかったクリスチャンにあったのであるから、死ぬ前に自分が神から受けた啓示に、彼らがどう反応するか見てみることにした。

そして上述のような内容を語った。

「私は神から啓示を受けたことがある。。神から与えられたメッセージは、既に神はメシアを使わされていて、メシヤは降臨している。また、来るべき方は日本に生まれているはずである。ただ、それなのにどうして自分が会えないのか解らない。あなたたちはこれをどう思うか?」

というものであった。

生まれて初めて私の言うことに同意する人たちを得たのである。

教会にあった原理講論を購入したいと言ったが、知恵のある女性が私の大学の学生教会を紹介してくれて、そこで購入できると教えてくれた。

だが、東京の恵比寿は当時未開発のところで、自宅からも遠く、お茶の水にあるキリスト教書店に行って「原理講論を下さい」と言って、そこで働いていたシスターたちを驚かせてしまった。

その話しを学生寮まで行って原理講論を買った際に話したらたいそう笑われてしまった。

そこでも、水戸教会のようにメシアの降臨の啓示を話したら、

ある学生に「日本に生まれたというのは間違いではないな。」

と謎のように言われた。

遠藤周作の家にアポ無し訪問をして、家の中にあげて貰って話した人である。

後に、再臨主であれれる、文鮮明 恵父がお生まれになったときには、母国韓国はなく、日本に併合されていたことを知るに至ったのである。

「どおりで会えないはずだ」と納得した。

二十歳になる一ヶ月程前の5月5日

主の路程で再臨主を知ることになり、死の意味は変容した。

古い自分が死んで新しい命を神に与えられた自分になったのだと悟ったのである。

サタンの主管する命から神の主管する命に至ったのである

 

古き我は死に、新しき我生まる

 

内村鑑三のように聖書の研究を天職とし、日々の信仰と見事な3つの視点から再臨の日は近いと預言したのとは大きく違い、神とは何の関わりもない地の果てで生活していた異邦人。聖書も読んだことが無く、お祈りもしたことがない、再臨主という言葉も知らない。何故かキリストではなくメシアを求めていた

でもそんなに知りたいのなら教えてあげようと神が腰を上げた。

ただ、チラシを一枚。

それをおまえは私からの啓示と受け取るか。

 

時代的恵沢というのは我々が考えているより、遥かに大きな恩寵である。まるで

次から次に小さな者から大きな者まで入ってしまう「てぶくろ」のようである。

 

てぶくろ―ウクライナ民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)

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また、

本来予定されていた立派な方々が受け取る事ができなかった

神様の痛みにも似た恨がある。

 

6,000双以前の信徒に於いては、こうした体験は自分や身の回りで時々聞くことができた時代であった。

よくジョークを言ったものである。

モーゼは山で主に会ったのに、俺ときたら京成電車の中だ情けない。曳舟押上駅の辺りだった。

30歳の頃、帰宅してテレビをつけると、たまたまマザーテレサの番組が始まるところであった。名前だけ知っていたので良い機会だと見ていたら、列車の中で啓示を受けたという。驚いた。

マザーは直接的啓示だったのだろうと考えた。

こっちはチラシを見たに過ぎんと言われるのがおちだった。

ところがマザーの死後日記のことを知り、直接であれ間接であれ、啓示とは夢幻の如しだと思うようになった。

 

さて、私が高校生の時に、

好きだった異邦人の女の信仰の話がこれである。

 

「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」

 

21 さて、イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方へ行かれた。

22 すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。

23 しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。

24 するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

25 しかし女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。

26 イエスは答えて言われた、「子供たちパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。

27 すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。

28 そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。

マタイによる福音書15章21節~28節

 

 カナンの女の呼びかけが見事である。

「主よ、ダビデの子よ、」

ダビデの子と表現し、あなたこそはメシアであると告白しているのである。

ところがイエス様はどういうわけか

「わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」

と懇切に救いを求める女を無視し続けるのである。

イエスはひと言もお答えにならなかった

それを見ていた弟子たちが

 「この女を追い払ってください」

とまで言う始末である。

イエス様は、

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」

とおっしゃられて拒絶するのである。

この女の信仰が素晴らしいのは、

徹底して主によって自己否定させられ続けているにもかかわらず、

離れ去ってしまうのではなく、かえって、

女は近寄り

突き放されたのに、いよいよ

イエス様を拝して言った事を見れば解る。

主よ、わたしをお助けください」

それでもイエスは言う。

子供たちパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」

神の子であるイスラエルの子らに「キリストの体であるパン」を

犬の如き異邦人の子、すなわち子犬には与えられないと言うのである。

豚や犬は聖書ではベイブやラッシーのように良いイメージはなく、極めて悪いイメージがある。

こうして、徹底して否定し拒絶され続けるイエス様を

心から受けとめようとして、すぐに反論せず

主よ、お言葉どおりです。

先ず受けとめそのうえで

「でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」

と訴えたのである。

これはなかなかできることではない。

一度ではない否定の後である。

遂にイエス様は

「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。」

「あなたの願いどおりになるように」

と言ったとたんに

娘はいやされた

というのである。

 

聖書の奇跡物語の本質は病が治るというような癒し力ではない。

問題を抱えている者が、イエス様から如何なる蕩減を与えられても、

イエス様を神が使わされた神の子、メシアと信仰告白したのなら、

これをイエス様が公認されて、神の祝福が現象となって現れるということである。

奇跡物語というのは、実は信仰物語であるのだが、

残念なことに多くの人は現象に心を奪われ、

また奇跡に全能の神の力を認めても

その力が神の愛の動機によって生じてきたことを

見落としがちなのである。

 

さて、イエス様の時代のイスラエル選民に対する神の祝福が、

物質文明を誇るローマに移っていってしまったように

今日の韓国は責任を果たさないと

同様の道を辿らざるを得なくなるであろう。

それは神と真の父母様のご苦労が水泡に帰すことになるということである。

そうなってはならないと韓民族の威信を立ててほしいものである。

 

世界会長のせっかくの説教を邪魔しないよう

おしゃべりな前座はこれにて口を閉めることにする。

 

生ける神の子。文亨進世界会長 億万歳!

 勝利されたお兄様の國進様 億万歳!

お二人をお産みになったお母様 億万歳!