原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

善徳女王    継続的意識 と 直感的解釈 見えないものから見えるものへ と       見えるものから見えないものへ

金素天(キムソチョン)が書いた「韓国史のなかの100人」という本がある。

代表的な人物について数頁ずつ書いて紹介している。

韓国人なら誰もが知っているような人々なのであろう。

その中に善徳(ソンドク)女王のエピソードがいくつかあり、創造原理に於いてお話しした、

「見えるものから見えないものへ」

「見えないものから見えるものへ」

という視点の移動が物事の本質的理解に有効であるとしてきた。

善徳女王の話しも関係があると思われたので二つのエピソードをご紹介する。

632年王位に就いた善徳女王(ソンドクヨワン)は、16年間新羅(シルラ)を治め、多くの業績を上げた、秀でた知恵の持ち主として語り継がれている。

 

一つ目の話は、「見えないものからみえるものへ」

 

中国唐の太宗は、使臣を通して牡丹の花の絵とその種三斗を送ってきました。その絵には赤、紫、白色の花がきれいに描かれていました。それを見た善徳女王は、すぐさま言いました。

「この花は美しいけれど、香りがないようですね。」

「女王様におかれましては、どうしてそのようにおわかりなのでしょうか?」

「花は美しいけれど、一匹も蝶や蜂が見えないでしょ。それは香りがない花だからですよ。」

種を蒔いて育ててみたところ、女王の言葉が当たっていました。女王の判断力と知恵は、このように優れていたのです。」

 

見ることができる描かれてい絵に、蝶や蜂が見ることができないので、

香りを嗅ぐことができない絵から、(あたかも実際に香りを嗅いで)薫らないことを知ったように判断できたというわけである。

 

二つ目の話は、「見えるものから見えないものへ」

 

王位について5年目の636年のこと。

時は五月、宮殿の西の六文池(ユンムンチ)に蛙が集まってやかましく鳴いていました。無数の蛙が一度に鳴く声に人々は驚き、動揺しました。このうわさを聞いた善徳女王は、閼川(アルチョン)将軍を呼んで命じました。

蛙の鈴のように大きな目は、猛々しい兵士たちの目です。兵士の目をした蛙が六文池(ユンムンチ)で鳴くというのは、百済(ペクチェ)軍が侵入したことを知らせているに違いありません。聞くところによれば、南西の方角に六文谷(ロクムンゴル)という谷があるそうです。直ちにそこへ行ってみてください。」

閼川将軍が兵を急がせて六文谷に行ってみると、はたして百済軍が隠れていました。百済軍の于召(ウソ)将軍が率いる500人の精鋭軍が、独山(トクサン)城を襲撃しようと潜んでいたのです。そこを閼川将軍に見つけられて全滅してしまいました。善徳女王の知恵に感服しない者はいませんでした。

 

見える蛙の様子から見えない敵の様子を直感し、

見える蛙が騒いでいる六文池から、見えない敵が侵入している六文谷的中させた。

まるでヨセフの夢解きのようである。

 

「ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った『わたしはまた夢を見ました。日と月と11の星とがわたしを拝みました』彼はこれを父と兄弟達に語ったので、父は彼を咎めて言った、『あなたが見た夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか』」

創世記37章9節~

 

ヨセフの話はご存知であろうから、「事象と数」に注目して簡単に整理だけすると、

 

<ヨセフ>

日と月11の星がヨセフを拝んだ

       ↓

父と母11人の兄弟がヨセフを地に伏し拝む

 

<夢解きの基本>

  同数異物

 

①数字はそのままにしておく。

②数字の「もの」は直感で別の「もの」に換える

 

間接的啓示=5%の責任分担によって解釈

 

善徳女王は、相対思考によって「見えるから見えない」「見えないから見える」を

往復する思考訓練を自然にする習慣ができていたのであろう。

敵の進行に対しては常に油断無く意識していたため、

肝腎なときに知恵が働いたのである。

韓国史のなかの100人