NHKの心の時代で 「内村鑑三 その面影をたずねて」が放送された。(再放送 11日土曜午後1時より)
内村の研究を纏められた鈴木範久氏の精誠を捧げる姿には感銘した。われわれもこうでなければならない。
番組中紹介された「基督信徒のなぐめ」という内村の本の目次は
第一章 愛するものの失せし時
第二章 国人に捨てられし時
第三章 基督教会に捨てられし時
第四章 事業に失敗せし時
第五章 貧に迫りし時
第六章 不治の病に罹りし時
キリストや再臨主に近づくためには
如何に多くの蕩減を払わなければならないかが、今さらながら思い知らされる。
初めの妻の死は不敬事件で国賊として迫害されていたとき、天に送った悔しさと切なさがあった。だが、
この体験はヨブ記の解釈に実を結ぶ。
そして
18で夭折した娘ルツ子を天に召されて、再臨を待望することを強く抱くことになる。
わたしは学生時代に井口兄弟から内村鑑三や賀川豊彦の話を聞いて、その観点のすばらしさに驚いたものである。もう30年以上前のことである。
一例を挙げると内村が海洋資源の活用に関心があったと聞いた覚えがある。最近の本にその事が出ているものがある。ご本人もマグロに関わっておられる。
佐々木剛の「日本の海洋資源 なぜ、世界が目をつけるのか」という本の中に、内村の海洋を想う心 と題して書かれている。
井口兄弟は1918年に始まる再臨運動では、確か多くの人に詰め寄られ1918年から20年にわたって兆しがあると言い、さらに何時だ詰め寄られて、最終的に1920年に再臨の兆しが最もあると語ったと聞いた記憶がある。
何分昔のことであり、少し違っていたかも知れない。
日本における洗礼ヨハネ的人物として紹介されていたことを思い出す。
そこで、光言社には井口先輩にご活躍いただくよう是非とも要請してほしいと願うのである。良き編集のアドバイスがあれば大変優れた本になること請け合いである。
とにかくお父様を研究することに精誠を尽くされた第一人者と言って良いと思うのである。
つまり、主の路程の本を執筆されても、例えば前回ご紹介した「再臨主の証明」とはまたひと味違う、心情面から見た主の路程を解説できる数少ない一人である。補完することになろう。
追随を許さないものがある。
宝の持ち腐れという言葉があるが、統一教会の貴重な財産をお持ちの方である。
1800双の井口康雄氏は真の御父母様の心情を語ることができる希有の信徒である。
この先輩は40日断食を10回勝利した信徒として知られているが、本当に真のお父様や真のお母様はじめ御子女様の心情を深く知り尽くされておられる兄弟である。
恐らく「主の路程」を語らせたら右に出るものは世界にいないことであろう。
少なくとも私はそう思っている。
本当にもったいないことである。
主の証し人として生涯を歩んでおられるお姿には誠に敬服するものである。
十巻でも二十巻でも、それ以上でも良いから1800双井口康雄兄弟による「主の路程」を企画完成していただきたいと切に祈るものである。映像や本などで。
特に献身生活を経験していない若い信徒には、是非とも真のご家庭のお姿を井口先輩の口を通して受けとめていただきたい。
非常に心情的な世界を開発されること間違いない。
なぜこんなことを書いているかというと、先日、顕進様や神山氏を尊敬している、ある6500双のキビコジという人のブログをたまたま読み、そこで反対派が井口兄弟をさして、悪意でつけた「断食おじさん」というレッテルをそのまま使っている文章に出会ったからである。これがずっと心に引っ掛かっていた。以下に引用する。
名古屋の講演会にも件の「断食おじさん」来ていましたね。彼も一生懸命歩んできたのだろうが、仕えるべき主人の一番の願いが何であり、それを実現するために何をなすべきか普通に考えることさえ出来ていれば、40日断食という普通人がとても挑戦できないような荒行を成し遂げる精神力が正しく生かされるものをと、残念でならない。
9回にわたる40日断食を成功した井口兄弟に、さらにもう一回せよと指示を出した方は文鮮明 恵父である。ということは、9回もしている者にさらにもう一回加えるよう命じるような者は「断食させおじさん」だということに彼の論法ではなるのだろうか?
その他の文章は、淡々と一見正論を語っているようだが問題が多い。
しかし、コメントは控える。
文章は、続いて以下の文で締めくくられている。
神は「・・教会」というような組織体に働くわけではない。あくまで人間が主体であり、目には見えないが厳然として実在されて歴史の背後で人類を導き見守ってこられた。神は、ご自身が創造のはじめに与えられた「生めよ、殖えよ、治めよ」と言われた三つの祝福を具体的に実現しようとするところに働き続けて来られた。その神の理想を実現するのが「メシア」である。
私の勘違いであればよいが、この文章には何となくお父様とお母さまが失敗して、その使命を代わりに果たすのが顕進様とそのご家庭であるとでも言いたいようなニュアンスを感じる。
さて、彼に私はハッキリと申し上げたい。
神山氏ではなく井口兄弟にこそ、主の心情を尋ねよと!
今回、韓国だけかと思いきや日本まで遠征して講演し、聞けばアメリカでもやってきたという。
摂理的国家三カ国、米韓日を汚染し、最後の日本は蘇生長成完成の三段階で災いを日本にもたらし、社会党政権樹立→民主党政権樹立→神山真の母排斥運動で、天下に復帰摂理史上の致命的汚点を残した。前者2つと並び称せられる失態であった。
エジプト三災過!
不平不満をサタンに利用されないことである。
仁進様が語られるよう、何か問題に気づいた者は自分が為すべき為せることを責任を持って遂行しお母さまをお支えすべきである。
如何なる組織に置いても課題や問題は山積している。
勿論これを見過ごすことはできない。
その点は理解できるところもある。
しかし、どうも神山氏を支持する方たちには、不平不満や批判が中心になってまとまっているような気がしてならない。
何故そう感じるのであろうか?
とはいえ、私も顕進様は敬愛している。
このたび出版されたという「コリアン・ドリーム」という本が世に出たことはお喜び申し上げる。
ただ、少し気がかりなのは
韓半島が摂理の中心である以上、復帰原理に依ってしか解決の道筋はつけることができない。堕落の時と同じ情況で復帰するのが原理である。
したがって、お父様が6数、六カ国が関わって分断した韓半島は、同様に六カ国でもって解決するしか方法がないとされていたように、この六カ国を具体的にどのように活用し統一の解決案を出されるかが、見所であるかと考えている。
その他の点は枝葉の問題であろう。
韓民族の至宝精神の解明は多くの国民に希望は与えることであろうが・・・
ダンバリーでは孝進様が信仰を表し、梶栗元会長や井口先輩などが続いて忠孝の道理を尽くされた。ところが彼らを筆頭とする世界の兄弟姉妹によって霊的に加護された神山氏は、出監して自分の立場で祝いの日を持った。
「神山も、その程度の男であったか!」
と 文鮮明 恵父は深いため息をつかれたのである。
再び 同じ言葉を誰が言うであろうか?
ここに来て、ダンバリーの信仰のメッキが剥がれてしまったのである。
以下のサイトから証を転記した。
井口先輩が条件を立てるタイミングが実に絶妙である。
ダンバリーの時、如何にこの場で主を支えるべきか、やむにやまれず、居ても立ってもいられない中で、梶栗元会長と意気投合して至誠を尽くされたのである。
その心情が素晴らしいのである。
われわれは立派な先輩を誇らねばなるまい。
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10回にわたる40日断食を行った動機は真のお父様を証したい、お支えしたい、という一途な思いからでした。40日断食は人間の極限の状態です。そこで得たものは神からの啓示、興進様のご心情、そして「死なんとする者は生きる」という真理でした。
◇
連載1回目(中和新聞 2007年12月1日号 vol.717)
1回目の40日間断食の動機は、1984年7月20日から無実の罪で米・コネチカット州ダンベリー刑務所に収監される真のお父様を救援するためでした。最初は21日間断食を決意しました。
その理由は、そのころ霊界の興進様から今回の裁判に関して、「日本は愛の負債を負っています。悔い改めの涙を流さなければなりません」と啓示があったことです。さらに、このダンベリー収監が興南監獄から33年目に当たり、十字架で殺されたイエス様の生涯の同時性と言われ、私の祖父が日帝下の興南工場長と親交があったため、その因縁と連帯罪を意識していたことです。
6月6日にいったんスタートした直後に、訪米中にお父様からのご指導を受けた梶栗玄太郎先生(43双)から「一緒にやろう」と言われました。お父様は7月20日に収監されることとなり、日本時間で7月21日の午前零時を期して40日断食に入りました。
先回の21日断食では、最初の決意の祈りで霊界を動員するために必死に祈りました。
そのとき、「勝利の秘訣は何でしょうか」と神に祈り求めると、「興進様の事故の痛みを忘れるな」「興進様は事故で10日間、死の境をさまよっている間も、お父様に対する忠誠心を捨てずに勝利して、霊界で勝利者として王の王として立っておられる。だから興進様の昇華の精神で断食すれば、死を越える力が与えられる。愛勝日の恩恵を相続すれば、必ず乗り越えることができる」という神の声がありました。
肉体の限界を越えてもなおお父様を慕っていかれた興進様のような信仰があるならば、40日断食は越えられると確信したのです。
その夏は近年まれにみる猛暑でした。真夏の断食ほどつらいものはないと思いました。途中から苦しみましたが、その苦しみの絶頂でダンベリーのお父様を慕い、興進様の昇華を慕うときに乗り越えることができました。
本部主催の断食明けで、代表祈祷が始まった途端に霊界が開いて、「この断食は興進様が協助した。それは興進様が最初に約束したとおり、お父様の収監に対して一番心配していたからだ。だから興進様を慕って行うことにより、興進様が協助して勝利できた」と神が語られたのです。そのとき死人同様の極限状態にあった肉体が急に楽になり、神の奇跡を感じました。
40日断食の勝利は私の勝利ではなく、興進様の勝利だったのです。自分がやったなどという気持ちは全くありませんでした。神とメシヤと霊界を証す内容だったのです。
「興進様が現れて、40日間全うすることができました」とお父様に手紙を書きました。またお母様からは「(このあと)80日間は気をつけてください」と慰労のみ言葉を頂き、感激しました。
(いのくち・やすお)
連載2回目(中和新聞 2007年12月15日号 vol.718)
最初の40日断食から3年後の1987年3月、2回目の40日断食を決行しました。そのころ日本は、唯物論が横行し、スパイ防止法がないため国際共産主義の陰謀に思うように振り回されていました。
そんなとき、「共産主義を克服するため、むしろ神と霊界を証ししなさい。40日断食をして命を懸けてやれば勝利は保証する」という神の声を聞きました。また「命懸けの信仰とはどういうことかというと、それは梶栗(玄太郎)君が40日断食を行った基準です」と真のお父様が高く評価し、喜ばれたと聞き、再度40日断食を決意したのです。
3月14日午前零時、東京・代々木聖地で激祷する中、1回目と同様神の声がして、「興進様の事故の痛みを忘れずに歩みなさい。そうすれば霊界が保証し、守るだろう」という約束のみ言葉が与えられました。その夜、夢にお母様が現れて、「頑張ってください」と励ましてくださいました。
2度目の断食では、通勤や会議、集会、講演など、通常の生活と仕事を続けました。途中、何回も3時間の講話をしましたが、最後まで声の力も落ちず、脚力も落ちず、楽に終わりました。
4月22日の最終日に聖地で祈祷しました。すると神の声があり、「興進様が導き、霊界が協助した。霊界を証すために行ったので、霊界が守った。霊界の実在を全国に証ししなさい。共産主義はいよいよ滅びる」と語られました。
それから1か月後の5月21日、興進様が霊界から役事を世界的にされているという話を聞きました。そしてある兄弟を通して興進様が「あなたの断食と祈りを私はしっかりと受け止めました。私はあなたを愛します」と激励し、慰労してくださったのです。
同年11月に入り、祈祷していると、「87年は暮れにかけて個人から世界に至るまで非常事態である。今まで以上の覚悟で乗り越えるように。この期間は、死ぬような経験をする者が出るかもしれない」という神の声が聞こえました。そこで3度目の40日断食の条件を立てて、87年を乗り越えようと決意しました。
3回目も出発の際、聖地で強烈に祈祷を捧げました。そのとき突然、霊界が開け、興進様、イエス様、過去の義人聖人たちが現れ、私を激励してくださいました。
断食中は毎日2?3時間の睡眠でハードワークをこなしていましたが、1年に2度の40日断食決行でさすがに衰弱が激しくなり、これが神と真の父母様と興進様の痛みではないかと感じました。
断食23日目に入り、最後の力を振りしぼって祈っていると、興進様が私の前に現れ、「私を迎えるために断食をし、今私を迎えたのだから、途中で終わっても十分です」と言われ、断食を終えたのです。
私はそのとき、興進様が私の代わりに死んでくださったと悟ったのです。興進様の犠牲の条件で私は救われたのです。私が捧げた断食条件はあまりにも小さいこと、真の父母様と興進様の勝利を信じる信仰を通して、すべてが成就できることを知りました。
神と興進様に感謝しました。以後も地上天国実現のため、救われた喜びと感謝をもって、いつでも40日断食を行う精神と決意ができたと思っています。
(いのくち・やすお)
連載3回目(中和新聞 2008年2月1日号 vol.721)
3回目の40日断食は、2回目終了後、一度は挑戦して23日間で終えた1987年から約10年後の96年4月1日からでした。忘れかけていた断食祈祷生活に再度火がついたのは、その前年に韓国での礼拝で「氏族的メシヤとして故郷に帰り、40日断食をやりなさい。たとえ死んだとしても、親族が涙を流して悔い改めて伝道されるようになる。それが蕩減復帰の道である」とのみ言葉を、その場にいた友人の河野樹夫さんから伝え聞いたからでした。
ちょうどそのころ、スペイン南部の海辺でジャンボマグロの蓄養事業に取り組んでいたのですが、6年目の秋の深夜、高速で運転中、巨大な黒い牛との衝突事故に遭遇。強烈な衝撃でワゴン車は数回横転して大破し、手足に重傷を負いました。興進様の交通事故の同時性としてリアルに思い出し、またダンベリー収監当時の最初の40日断食の深刻な信仰姿勢に返るべきとの神様の警告と受け止め、深く悔い改めていた矢先でしたので、み言葉は天命と悟り、決意しました。
さらに当時日本は、反対牧師などによって数千人の兄弟が被害に遭った悪逆非道な拉致・監禁の嵐の真っただ中のような危機でした。また、お父様のご入国のため、河野さん、吉野綱さんという同志とともに「日本入国のための祈願」のテーマで40日断食を決行しました。こうして命がけの120日リレー断食を完遂したのです。お父様も大変喜ばれ、断食明けの写真に祝福のサインの栄誉を受けました。
特筆すべきことは、リレー断食3人目の河野さんが体験した「ラザロの復活」のような奇跡です。河野さんは断食が終了した直後、集会中に意識不明の重体に陥り、救急車で搬送されました。脳死寸前で、死なずとも99%植物人間との診断でしたが、氏族、教会員の熱い祈祷の中、昏睡2週間後に目を覚まし快復したのです。さらに、私の妻の末期寸前の胃がんをこの断食祈祷中に幻による啓示で発見でき、早期手術で危機を免れたのは、何よりの恩恵でした。
4回目は翌97年7月1日から始めました。直接の契機になったのは、6月5日、ニューヨークでの名節の式典の折、「氏族的メシヤの責任を果たすために故郷に帰り、40日断食せよ。痛哭して祭物になれば、同情して一族、町内全部祝福を受け、復帰が早くなる」とのみ言葉を聞いたことです。3回目と同様の内容でしたが、継続を願われていることを痛感し、決意しました。またそのころ、夢で真のお父様から「君は40日断食をたったの3回しかしていないのか! 先生は生涯、その基準で歩んでいる」と強く叱責され、再度決意しました。
またそのころ、清平40日修などの指導で、かつての日本が40年もの長い期間、韓半島を植民地支配して、圧政を加えていたことを霊界から生々しく教えられました。その贖罪(しょくざい)を目的として歩むとき、真のお父様が夢でたびたび現れて激励してくださり、8月9日に無事終了することができました。その日がちょうど天地父母天宙安息圏宣布(七・八節)に重なり、神様の奇跡的な導きに感謝、感激、感動の涙を流しました。(いのくち・やすお)
連載4回目(中和新聞 2008年2月15日号 vol.722)
第5回の40日断食は、1998年夏場の戦いでした。同年3月の真の父母の日に「苦労するモーセに代わってイスラエル民族が40日断食をやれば勝利していた」「大きい目標が完遂できない時は40日断食で蕩減しなさい」と直接聞き、その深刻さから第2のダンベリーの時と直感し、即座に決意の返事をしました。
また、ちょうどそのころ、責任の部署で深刻な問題で危機に陥り、解決のため1月に4日間、2月に10日間断食を敢行して危機を乗り越えました。さらに3月には壮婦で功労者の仙波由紀子さんが氏族伝道のために40日断食を見事に終え、その断食明けに立ち会い、刺激を受けていた直後でした。
また、夢にも開始前、お父様が笑顔で現れさらに激励され、喜んでスタートしました。
7月1日、代々木の聖地で、特に真のご家庭のご安寧のために激祷していると、モーセやイエス様そして興進様が現れ激励され、祝福されました。
20日を過ぎたころ、最大の試練があり苦労しました。
当時、教育担当していた2人の姉妹が夜の事故ではねられ重傷を負い、責任者として現場に急行し、見舞いや加害者への対応に追われました。
3年連続の40日断食で体重は30?激減し、さらに事故処理の交渉という困難の極限状況の中、かつての興進様の交通事故のときの痛みと、その対応をされる真の父母様の心情を同時に思わされました。
その直後に、真の父母様がこの断食条件を大層喜ばれているとの知らせを受け、神様の愛に満たされ、感謝感激の極みで急に霊肉が楽になり、神の奇跡を感じました。その後は「死なんとする者は生きる」の聖句どおり、不思議にも今まで以上に元気で終えることができました。
6回目の40日断食は、2002年5月1日からで、「南北統一と韓日一体とご入国祈願」のためでした。5回目以降も3日、7日、21日と断食を継続していましたが、01年の真の神の日のみ言葉で「神様王権即位式のための40日断食条件の必要性」、およびその年の春アラスカで「日本入国のための40日断食の必要性」を聞き、6回目を決意しました。すると夢でお父様が「メシヤ宣布のため8名の40日断食する者を選びリレーしなさい」と言われ、自らがリレーで8回をやる決意をしました。
またそのころ、北朝鮮での数百万人の餓死の悲報を聞きました。過去に2度訪朝し貧困の悲劇を知り、南北分断の責任が日帝40年支配にあると痛感し、死んで詫びる意味で懺悔と蕩減のためにと、深刻な思いで始めました。
特に6回目になる40日断食なので、しばしば証しされる真のお父様の6度の監獄路程を、人類を代表して蕩減すると祈祷して始めました。
するとこの期間に夢と幻で、6か所での獄中生活がビデオのように生々しく現れ、驚きました。一番ひどい場面が日帝下での京畿道警察での最初の牢獄生活で、4か月間の間、こん棒や鞭(むち)などで拷問を受け、まさにイエス様の十字架と同時性であり、その怨讐の担当警察官をも愛で屈服させている様子でした。
その血の代償のおかげで、怨讐日本をエバの国、母の国に選ばれ、自殺未遂までして悩んでいた自分も生き返ったと悟りました。このような追体験を意識して歩むとき、限りない感謝と感激で大復活の中、無事終わり、お父様が証し文を読まれ、3枚の写真にサインを頂く恩恵に浴しました。(いのくち・やすお)
連載5回目(中和新聞 2008年3月1日号 vol.723)
7回目の40日断食は、6回目から1年後の2003年5月1日からでした。そのころアメリカがイラクを爆撃し、世界平和が危機に陥る中、真のお父様がその責任を取るかのごとく入院されました。そのとき尊敬するある国家的メシヤから緊急に40日断食の条件を願われました。
それは夢の中で、世界最大の困難を背負い十字架上の瀕死のお姿を見て、ダンベリー以上の危急存亡の時であり、身代わりに死ぬ覚悟で40日断食を供えてほしいとの理由であり「花婿(主)が奪い去られるときには断食せよ」とのイエス様の叫びを思い出し深刻に祈りました。
すると夢を見て、多くの殺戮の罪を犯した先祖が現れ、地獄の苦痛の中にいたが、子孫の入教のおかげで霊界祝福を受けて復活し再臨協助していることを知り、個人のみならず罪深い霊界の先祖まで救われたという限りない感謝を感じました。そして「日本の歴史には、主人に命を喜んで捧げる忠孝の伝統がある」とか「国のために玉砕した特攻隊の精神で、世界平和のために犠牲になれ」のみ言葉を知り、過去の多くの国家的連帯罪を真の愛で許された感謝と恩返しの思いで祝福家庭の「王様」になられた真の父母様のために死ぬ決意で始めました。
するとその夜、夢にお父様が親しく現れ、40日断食の秘訣は何かと聞かれ「真のお父様のために決意をすると、イエス様や興進様が協助してくれます」とお答えすると、「それはありがたい、大いにやりなさい」と激励され感激のスタートでした。
終盤、苦痛の中、真のお父様がこの条件を大変喜ばれたと聞き、まさに夢と同じで、感動で元気に終了しました。
8回目の40日断食はダンベリー収監に対する名誉回復のためとご入国を祈願して04年7月20日に開始。収監から20年目の同じ日で、同時性であり再出発数の8数で不思議な縁でした。
この回は1800双で同じくダンベリー問題に心を痛めている同志の町田松夫氏との出会いが契機になりました。
町田氏は「ハレルヤ大行進」と称し、背中のリュックにつけた垂れ幕に「人類の救世主、真の父母、文鮮明総裁万歳」と書き、メシヤ宣布をしながら、日本と韓国を2度野宿しながら徒歩で縦断。私は同志として支援していました。その町田氏の念願であった北米大陸横断行進の計画が、真のお父様の願いにかない、喜ばれたとの報告を同志で支援会の武田吉郎さんから聞いた瞬間、8回目を決意しました。以前「8人がリレーで40日断食してメシヤ宣布をせよ」と夢の中で指示され8回目を密かに準備していたからです。その後中心の計らいで、40日断食完了直後、ゴールのダンベリー刑務所に町田氏と共に行き、名誉回復の集会を開いていると、ゴルゴタの丘での十字架の情景が幻に現れ神様の涙を感じました 。
特筆すべきことは、母子協助役として2人を全面的にサポートしてくださった江利川安榮世界巡回師から、お父様が2人についての報告を聞き、「大変なことだね」と言われ、プレゼントまでも頂いたとの報を受けた瞬間、3年連続で真夏に断食した限界の苦痛が急にとれました。その後断食35日目に長男の日韓祝福のため訪韓の折、お父様と直接お会いできる機会に恵まれ、大復活して終えました。その後、町田氏と共に、断食明けと北米大陸横断勝利の祝勝会を盛大に行うことができ、その写真にお父様からサインを頂き、「日本を代表して40日断食を8回終えた」とのみ言葉を頂き、神様と真の父母様の真の愛に感謝しました。(いのくち・やすお)
連載6回目(中和新聞 2008年3月15日号 vol.724)
9回目の40日断食は、2005年11月10日から始めました。目的は、真の父母様の120か国巡回講演の勝利とご健康とご入国、および南北統一のためでした。契機となったのはいくつかありますが、8回目の最中に、米国で「40日断食を8回か10回やった者がいる」と言われ、10回を願っておられると痛感したことです。
また、同年4月に米国で、「全米をはだしで回り、8回も40日断食した日本人がいる。それ以上やりなさい」と言われ、米国徒歩横断を勝利した町田松夫氏との共同の歩みを喜ばれていると知り感激しました。さらに7月、韓国で「南北統一のため40日断食をせよ」とのみ言葉を直接聞き密かに準備に入りました。
そして決定的には、9月、120か国巡回直前、お父様が「60日断食しますか、40日断食しますか、祝福完了しますか、40日を3倍して120日走ればできないことはありません」と言われ決意しました。85歳のご高齢で世界一周の講演はあまりにも過酷で、死を覚悟して臨むお姿がイエス様の十字架に至る路程とダブりました。裏切った三弟子の蕩減復帰が願われていると直感し、み言葉どおり3人で死をかけた40日断食をしてお父様の120日間を支えたいと祈りました。その背景には、8回目終了後にイスラエルに招待され、エルサレムを訪れたとき、イエス様の十字架の悲劇の原因が、洗礼ヨハネや三弟子の不信仰にあったことを霊通して明確になり、6度の牢獄路程やご家庭の苦難は、われわれ弟子の不信 仰が原因と深く悔いていたのです。そのころ、お父様は「40日断食を教会員は普通にやっている」と言われるほどで、日本でも10人以上おり、4人がリレー断食しました。
最初はある在日韓国人の女性でした。すでに40日断食を4回、21日断食を5回もしており、柳寛順烈女のように命懸けの精誠を立て、4年連続でしたが天命と受け止めて始めました。途中何度も血の混じった胃液を吐き、最後は目が見えなくなり、呼吸も困難に陥り、救急病院に運ばれ、死の淵を越えて勝利しました。
2番目は町田氏が引き受けました。初めての40日断食にもかかわらず普段と変わらず最終日まで仕事を続け、最後は議事堂前でお父様の日本入国実現を目指してデモをやり遂げました。
3番目は私が担当、4年連続で、真冬であり、厳しい路程と覚悟をしましたが、開始直前、強烈な霊的体験をしました。それは1998年、ブラジルのジャルジンで溺れそうになった日本人の二世を救って殉教した金榮□(吉+吉)宣教師が幻として現れ、「私は日本の二世を救うため死んだ。君は南北統一のために命を懸けてほしい」と言われ、霊界協助を受け導かれました。
そのころ南北統一の大会が韓国で開催される予定で準備にいそしむ中、興進様と共にいる金宣教師の力強い南北統一への情熱が伝わり苦痛も忘れ、元気に歩めました。また、世界巡回中のお父様が夢に現れ、「早く終えて、君と共に船に乗りたい」と激励され、最終日、先駆けた2人と共に本部で盛大に断食明け集会が開催され、その後、3人の写真に真のお父様より祝福のサインを賜りました。
4番目の志願者として韓国の牧会者、吉野綱さん(40日断食は2回目)が参加し、160日間に及ぶリレー断食になりました。お父様は「40日が9回で360日になる」と喜ばれました。
特筆すべきことはその翌年の3月、ご来日中の真のお母様にお会いでき、「マグロ釣りで覚えていました。40日断食は9回でやめなさい。これからはあなたのように埋もれていた人材を捜して伝道しなさい」と優しく言われ、プレゼントまで賜り、その深い真の愛に涙しました。(いのくち・やすお)
連載7回目(中和新聞 2008年4月1日号 vol.725)
10回目の40日断食は、2006年9月30日から11月8日まででした。
その年の8月21日、天正宮博物館での訓読会で真のお父様が「10回40日断食をやれば、エバのふさがっていた門がすべて開く」と語られたと堀正一成和局長より電話で聞き、5か月前には9回目で終えるようにとお母様から言われていて、青天の霹靂(へきれき)でしたが、神様の深い願いがあると直感し、快諾しました。断食中「日本で40日断食を9回した者に、おいおい(まだまだ)10回目をやるように先生が指示したが、その数十倍の精誠を尽くしている」と語られ、指示される立場の背後のはかり知れないご苦労を初めて知りました。かつて「40日断食をたったの3回か、先生は生涯その基準で歩んでいる」と激しく叱責された夢の意味がよく分かり、感謝しました。
また九数はサタン数で、十数は完成、解放を意味し、聖書にも十戒や十災禍とあります。思えば1回目がダンベリー収監時で、40日断食のご指示を決行して以来、ダンベリー出監21周年大会時に10回目と言われ、再帰一の10数復帰の蕩減摂理を感じました。
また「エバのふさがっていた門が開く」のみ言葉に、ダンベリー以来、エバ国の閉じた門(入国問題など)が開くと思うとき、同時性の神の摂理を感じて宿願成就の希望に満ち、喜び勇み臨むことができました。またこの21年間で40日や21日の長期断食を生死の境を越え、十数人で40回以上決行しており、今回がその精誠の仕上げと実りの時と感じて、さらに決意できました。
そして聖地で激烈に祈祷の中、興進様をはじめ四大聖人が現れ、協助を受けて始めました。
開始後すぐに、アラスカで真のお父様が劉正玉全国祝福家庭総連合会総会長(当時)からそのことを聞かれ、大変喜ばれ「終わった後、大きな祝福がある」と語られたとの報を受け、感激して1日も休まず元気に歩めました。終了時、劉先生と大塚会長の祝辞を頂き感無量でした。また同参した飯田哲也氏をはじめ40日断食経験者が7人も集まり、花束贈呈の祝福を受け、大復興しました。断食明けの後、天正宮博物館での訓読会中、「40日断食を10回しても死なずに生きているんだね」と目の前で言われ、断食明けの写真10枚にサインを賜り、感激の極みでした。そして年末、「天一国祝福家庭新しい出発特別修練会」で、10回の40日断食勝利の「功労牌」を家族と共に授与される恩恵にあずかり、「終った後の大き な祝福」の意味が分かり、真のお父様の偉大なる配慮に感激しました。
功労牌の文言は、「貴殿は、原理研究会に入会以来、献身一筋で一貫して御旨の道を来られ、特に1984年真のお父様のダンベリー受難路程に同参したばかりでなく、ひたすらお慰めする心情で40日断食特別精誠条件を立て、2006年11月に終えた10回目の40日断食まで、真のご家庭のご安寧と母の国日本の使命完遂、および祖国統一等の為に特別精誠を捧げられることによって絶対愛、絶対忠孝の模範となりました。ここに貴殿の献身に対して、平和の王天地人真の父母様のお褒めに併せて、全世界統一家の尊敬と感謝の気持ちを込めて、本功労牌を授与いたします。世界平和統一家庭連合世界会長 郭錠煥」。
そして昨年11月に興進様の夢による指導で、11回目の40日断食を敢行し、7日間で終えましたが、その報告を聞かれたお父様が「日本で40日断食を10回やった者がいるだろう。死のうとしても死なない」と語られ、感激し永遠の忠誠を誓いました。
連載8回目(中和新聞 2008年4月15日号 vol.726)
「10回40日断食をやればエバのふさがっていた門がすべて開きます。それは誰がしてくれますか。神様が開いておきます」というみ言葉(2006年8月21日)から、サタン分立の断食の意味と共に、神様の役事と摂理の観点から整理してみました。そこでまず10回にわたる40日断食の原点を振り返ります。
思い起こせば1972年、早稲田大学での極左過激派との命懸けの闘いの最中、原理セミナーの参加者が学内で、彼らに凄惨なリンチで殺害される事件が起き、大混乱の中、真のお父様が来日されました。「愛と許しのキリストの精神で暴力のない平和な大学になるまで無期限断食をしなさい」とのご指導を受け、原研50人が3人ずつリレー断食を延べ800日間行って暴力が横行する学内問題を収拾したことがありました。それ以降36年間、毎年7日以上の長期断食を決行しました。
神様の摂理として願われた10回目の40日断食は、過去の断食の集大成であると思うとき、大恩賜と受け止め感謝、感激して希望と歓喜の中で歩むことができ、終了後、神様の役事が起きました。それは、「天一国祝福家庭新しい出発特別修練会」が開かれ、10回目の同修練会で功労牌授与という大恩恵にあずかったことです。また「イエス様の40日断食祈祷とか、血を吐く死の境地に行かない限り、悪の血統が清まらない」とのみ言葉を実感することができました。
恩恵は真のお父様を拷問した日本人にも及びました。お父様が「角材で打たれ、軍靴で踏まれ、血を吐く身の毛のよだつ拷問を受けたけれど、その人を恨まず福を祈り、謝罪したので許し、友達にした」と言われる、日帝時代の元警察官と奇跡的に出会い、その後聖酒を家族で飲むという出来事が起きました。
この人の出会いと祝福は、同じ1800家庭の武田吉郎さん、山本修・久美子夫妻との共同歩調なしには実現しませんでした。
2007年7月17日、任導淳先生のご指導で天正宮博物館で直接、真の父母様にその日本人について報告する好機に恵まれたのです。お父様は元警察官の夫婦の写真をご覧になり、少し驚かれたご様子でしたので、彼と同郷でもあったため連帯罪を感じて謝罪したとき、にっこりと笑われその写真にサインをしてくださいました。その瞬間背後にいた罪深い父親をはじめ多くの先祖が解放される驚くべき霊的体験をしました。
その後、玉砕の島で有名なサイパンに行ったとき、鮮烈な夢を見ました。お父様の留学生仲間が学徒動員されて戦死した場面と、朝鮮人学徒動員反対運動のために真のお父様が拷問で殺される生々しい夢でした。エバを奪ったサタンのように若い女性を従軍慰安婦として蹂躙し、罪のない多くの青年を強制連行して虐殺した、世界史に例を見ない行為に神様の立場で反対したための拷問だったとその夢で明確に悟りました。それと同時に、「今、日本人が命懸けで先生を慕いつつ、忠誠を誓い、ついてくる背後には、先生が怨讐を愛した歴史的な条件を立ててきたからであり、因果の原則があるためです」というみ言葉の意味を実感したのです。
40年間、選民である韓民族を迫害し、しかも生きた神様のお体であるお父様を拷問し、今も時々うずく傷跡を残した日本の大罪を断食などの小さい精誠条件で許された父母様の絶対愛を生涯片時も忘れないで、その偉大なご恩に報いるべく、孝進様、興進様のように忠孝の道理を果たす決意をしました。
(中和新聞2007年12月1日号から08年4月15日号まで、「私の出会った文鮮明先生」として8回にわたって連載)