原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

神の立場で見 サタンの立場で見る

統一原理では、「神の立場」で考えることの重要性が語られている。

われわれがあらゆる情況に遭遇した時には、ものごとを「神の立場で見よ」ということである。ではその反対はどういうことであろうか?(相対思考)

「サタンの立場」で考えるということになろう。サタンの立場で見て、サタン立場で考える。こんなことが果たして必要であろうか?

この世ではチャンス(機得)を求め、リスク(危損)を回避することに努めている。

若い頃に伝道していた際、自分がサタンであったらどのように伝道対象者が復帰されないようにするだろうか?意識しながら歩んだことがあった。

その他色々工夫して随分助かった記憶がある。

わたしが何故そんなことを意識するようになったか、そのきっかけは主の路程である。

興南から逃げ延びて南へ南へと主が災いを逃れて行く姿に起因する。

へとへとになるまで苦労して脱げのびてきたのに、そこで野宿するどころか、徹夜でさらに先に進むことを弟子に促されて逃げ延びて行かれる主の姿がそこにあった。

そのことから私は文鮮明恵師「サタンより先に速く動く」御方であるということを深く印象に持ち悟らされることとなった。

サタンより速く動くためには、その意図を見破らなければならないのである。

孫子の兵法なぞでも、上善の策は敵の意図を挫くことにありとされているように、動機や意図を打ち砕かなければならないのである。

そこで、神山氏を実際は批判しているようではあるが、私の意識はその背後に潜むサタンとサタンの意図である。

意図を見抜いて罪状を暴露して、行動を粉砕する道をとってきたのである。

わたしはもう既に批判は終了したと思っていたのであるが、何かまだ余波を感じてか、こうしてまだ批判が続いている。不思議なものである。

自分でも、くどくしつこい自分を見てうんざりしている。

今回で一応終了にしたいので、神山氏の関心がある方はほかのブログなどを訪問されることをお薦めする。

さて、サタンの意図であるが

自分がサタンであったとしたら如何にして真のご家庭を木っ端微塵に粉砕するだろうか?考えてみると、大阪城の外堀と内堀の例を思い浮かべて、ご家庭の外堀と内堀は何かと考えてみる。

勿論われわれ祝福家庭は全て外堀に当たるとは思うが、実質的には

36家庭が外堀であろうか、

内堀は真のご家庭とご親戚になられた家庭や人々のことである。

従って36双という外堀を集中的に各個撃破して真のご家庭の基盤を揺るがしていこうとするのである。

内堀は御父母様のご親戚であるが、ここからのろしが上がれば大変なことになる。

さて、現在はお母さまのご親戚となられた者が御母様を否定的に扱い御母様を揺さぶっているわけである。

かっては教会の組織内の分断をサタンが狙った時代があったが、

子女様が次々に祝福を受けていくことによって

真のご家庭に親戚が誕生した。

サタンはそれ以後は特に、血統的内部分裂や分断を目標として、真のご家庭を切り崩し、木っ端微塵に粉砕したいと、狙っているようである。

お父様は死後は御母様を中心にやっていくよう何度も支指示されてきた。

もし御母様を否定すれば、統一教会はその瞬間に崩壊するのであって、

理論的には評価されることがあったとしても

実体的には跡形もなく消えゆくことになるであろう。

母が不完全であるにもかかわらず、どのような優れた子女が現れ、お父様の後継者になることができようか?

この世でも、偉人の母という話はよく聞くが、偉人の父という話はあまり聞かない。

その子女が偉大であるのは、偉大な母を持ったからであろう。

子供達といつも時を過ごすのは母親である。

血統転換は心情転換と言う。

血統にサタンは侵入して心情を堕落させていこうとしているのである

 

 サタンの意図する侵入経路

36双→真のご家庭のご親戚→子女様→天上におられる真の父と一体化しておられる地上の真の母

 

これを常に分断・分裂を招くよう様々な戦術を持って挑んでくるのである。

刮目して待機すべきであろう。