原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

理研の笹井芳樹博士の死は日本のみならず世界の大きな損失である

左翼思想家が牛耳った我が国のマスコミは、学生運動家の特徴である、「糾弾」と、その対象に「自己批判」を徹底して求める体質を持っている。

優秀でしかも、病に苦しむ人々の問題を解決する研究成果を築き、またさらに改良・発展に尽力されておられた笹井博士が「限界を超えた。疲れた。」と言って、自らの命を絶ってしまわれた。

本当に残念なことである。

STAP細胞の最初の会見に参加の予定がなかった理事長が、自分が責任者であるから同席した旨を語っていてが、優秀な部下を守ってあげることができなかった。情けないことである。

理事長やセンター長は適任者に交代すべきであろう。

STAP細胞抜きにしても、その功績はノーベル賞候補たり得るという評価が下されている方であり、ご自分が年功序列の出世を打破され、若い人たちが努力と成果に見合った評価が与えられるような組織を夢見て活躍されていたという。

死の直前まで職を失った若い研究員のため転職できるよう尽力されていたと聞く。

この事件に巻き込まれ、一ヶ月ほど入院し、最近10日ほどは言葉がしどろもどろになるほどだったという。

副センター長を辞したいとの要望は却下され、次第に追いつめられてしまったのである。

マスコミの厳しい質問にも実に丁寧に説明されていた。立派である。

確かに共著者の責任は重い。

しかしながら、理研が政府の補助金のGOサインがでるタイミングを見計らって、2ヶ月という短期間に、行き詰まっていた論理構造を笹井博士に一から組み立てさせてネイチャーの審査をパスするまでに至ったのである。つまり、土台無理なのである。データの何から何まで問題がないかどうか精査し把握するなど、時間が到底なかったであろう。

自分は最終段階で参加したと語ったのは、組織というものを少しでも知っていればわかることだが、自分にはどうすることもできない納期や要請と期待があったはずである。

それを膨大なデータをもって組み立てたのである。頭のいい方である。

さて、記者会見を開いて、若山教授が依頼した時に提供したマウスと違うと主張したことにはじまり、結局、同教授が非常に似ているために解析判定をミスったことが分かったことで、STAP騒動は終わった気がする。ES細胞である可能性がでてきたのである。

小保方さんや誰かの陰謀が憶測で立ち上がり、最終的には笹井博士が残念な形で幕引きを行ってしまったのである。

教授の勘違いによって、小保方さんの段階では単なるSTAP細胞という短命の細胞であったものが、STAP幹細胞に変化したと錯覚したことを、誰も気付かないままに、理論固めのため、ごく短時間内で笹井氏に託され、彼は任務遂行に集中したのであろう。

誰も悪意があってなされたことではないようである。

小保方さんが常にSTAP細胞と言い、決してSTAP幹細胞とは言わなかったことは、彼女が自信を持って言えるのは正直幹細胞ではないからである。

安倍総理が一度失敗した人でも再チャレンジできる社会を目指している中、死に至るまでたたきつぶされるこの国の風土を変えねばなるまい。

今回の件は、犠牲が大きすぎたが、多くのことを整備するきっかけを作った。正しく検証されて今後の研究や研究者の育成と活躍に活かされることを祈るしだいである。