原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

渋沢栄一の「側面観(部分)から全体観へ」 と フェヒナーの「統一的世界観の視座」①

先日NHK渋沢栄一の番組があった。

番組の内容も良かったのではあるが、脳科学者として議論に参加していた、中野信子という方を知った。いつかこの方の本から何かを学びたいと思う。何故かは理由は分からないが、信仰に関係がありそうな気配を感じたのである。

ところで「脳科学」という言葉が実に科学的な表現でないようで、親しみやすい言葉でありながら何も意味していないとも受け取られ得る言葉であると思うのである。

これでは脳に関する科学という情報しかもたらさないと思われるので、もう少し脳の何に関する学問なのかハッキリ分かる方が良いのではと考える。脳に関する全てに関心があるにせよ、本来の専門分野はどの辺りかは、それぞれ脳科学者によって違ってくることであろう。

さて、渋沢栄一の事を以前に書いたが、渋沢が自分の人生の基準にしていた、孔子の教えが書かれていた、「論語」の読み方で非常に特徴的な思考方法があり、その事を村山孚の著作である「渋沢栄一翁、経済人を叱る」によって振り返ってみたいと思う。

それは一言に、「側面観から全体観に」とでもいうべき思考である。以前に相対思考において、全体から部分に視点の移行をするべきであるといった内容を書いたが、一見それの逆の部分から全体へというような感じになっている。

それは部分の積み重ねや総和によって全体を知るということになるのであろうが、私の言葉にすれば、渋沢の本意はむしろ全く別で、「部分の中に反映され浸透している全体を見る」という事であろうと考える。この違いを意識して物事の理解を求めていくことが肝要であると思われる。

先日また別のNHKの番組にカトリックの神父井上洋治が出ていたが、何年か前に放送されたものであった。彼は遠藤周作と親友だということだ。

井上はフランスにカルメル修道会に向かう、船の中で遠藤周作に出会い、以後親友となったそうである。

井上にしろ遠藤にしろ山本七平にしろ、西洋で築かれたキリスト教が東洋の日本人にとっては、どうも体になじみにくくあつらえられた洋服の如きものであり、一体我々日本人は如何にして、この借り物のキリスト教との親和性を獲得すればよいのかという、問題意識があったものと思われる。

井上は聖書には矛盾するような表現がいくらでもあると正直に語っていて、五百だったか数百だったか、そのくらいはあるだろうと言っていた。イエス様が語られた御言葉仏陀が語られた御言葉も、側面観(部分)に浸透している全体観を得ることなしには真意を得ることができない。また全体観という視座を一旦獲得することができれば、さまざまな事象に遭遇するも、正鵠を射た判断を下すことができるのである。

統一原理は神の視座、イエス様の視座に立って、部分を見ればそれぞれ相反するように受け取られるような内容であっても、そこに浸透している全体的統一性をもって聖書を理解できるように、文鮮明 恵師が解明してくださったものである。

さて渋沢も論語の理解について以下のように語っている。

論語』が孔子の言行録たることは、今さら説くまでもないことだが、今その『論語』を通じて孔子の性格をうかごうてみるに、いったい孔子は容易に本音をはかぬ人であった。常に事物の半面だけを語って、全体を悟得せしめることを力(つとめ)ておられるように思われる。なかんずく門下の諸子に説かれた教訓の数々は、たいていこの側面観によって反省をうながしていたものである。

それは今例を挙げて説明するまでもないことであるが、同じく『仁』ということを弟子に説いて聞かせるにも、甲に説いたところ、乙に訓(おし)えたところと、ないし丙に語り丁に示したところは、おのおの相異なったもので、その人物の性格を見て、それに適応するように説き聞かせたものである。俗に「人を見て法を説け」ということがあるが、孔子の教訓法はじつにそれであったのだ。・・・・・

だが孔子のこの教育法は、かえって後人から誤解される動機をつくり、知らず識らずの間に孔子教の本領を誤り伝えるようになったのである。

 

 「論語読みの論語知らず」だというのである。

そのような側面観の罠に掛かった解釈の例が富貴のの観念と貨殖の思想が相容れないという間違えであり、道徳と経済は共存可能であるとする、道徳経済合一説を訴えたのである。

その辺を例えば論語にどう書かれているかというと、

「富と貴きとはこれ人の欲するところなるも、その道をもってせざればこれを得るとも処(お)らざるなり。貧と賤とはこれ人の悪(にく)むところなるも、その道をもってせずしてこれを得れば去らざるなり」(財産と地位とはだれもが望むところだが、正当な手段によったものでないなら不要である。貧乏とうだつの上がらないことはだれでもいやがるものだが、不正な手段を用いてまでそこから抜け出そうとは思わない。ー里仁扁)

この文章の中で渋沢は、「道をもってせずしてこれを得れば」という言葉に注意することが正しい理解に肝要であるとした。そして間違った理解が何時誰から始まってしまい、その影響下にある日本人が多大の被害を受けてしまった原因的人物が、朱子であると嘆くのである。

しかるにこの孔子の教旨を世に誤り伝えたものは、かの宋朝朱子であった。朱子孔子の「儒学」経済学者中ではもっとも博学で、偉大の見識をもっていたものであろうが、孔子の富貴説に対する見解(「孔子は富貴をいやしんだ」とする)だけは、どうも首肯(肯定)することができない。ひとり朱子のみならず、いったい宋時代の学者は、異口同音に孔子は貨殖富貴をいやしんだもののように解釈をくだし、いやしくも富貴を欲して貨殖の道を講ぜんとこころざすものは、とうてい聖賢の道は行うことができないものであるとしてしまった。したがって仁義道徳にこころざすものは必ず貧賤に甘んずる、ということが必要になって、儒者は貧賤であるべきこととなり、彼らに対しては、貨殖の道にこころざして富貴を得る者をば、敵視するような傾向を生じて、ついに不義者とまでしてしまったのである。

渋沢は側面観から、そこに浸透している全体観を把握することに努め、朱子の間違いを正したのである。これが先ず第一に渋沢から学ぶべき考えるということであろう。