原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

STAP細胞論文に関する笹井芳樹氏の記者会見に思う

先日、STAP細胞論文の共著者である、理化学研究所の笹井芳樹発生・再生科学総合研究センター副センター長が謝罪会見をした。

共著ということは栄光も挫折も共に受けるといった、共同責任を意味する立場であるので、随分遅まきな感じではあるが、組織の力学が働いたのであろうと思われる。

謝罪とはいいながら、自身が論文作成のどのステージやどういったことに担当していたかを、非常に丁寧に説明されていた。

いつものように我が国のマスコミは、人民裁判よろしく徹底してミスを犯した者を許さず、血祭りにも似た糾弾大会の様相を示していた。ほとんど自分たちが社会の良心を代弁しているとでも主張しているかの如くで、あらためて日本という国がいじめ社会であり、その最も急先鋒がマスコミという、左翼思想に浸食された存在であると感じられた。

かって大学では批判する対象である人物を多くの左翼学生が取り囲み、自己批判せよと糾弾している様子を時折見かけたものである。

まさにそっくりそのままであると実感した。

東京大学大学院の地震学、ロバート・ゲラー教授は科学の世界では共著は連帯責任を意味することを強調され、約2年に渡る研究全体のうち最後の2ヶ月ほどに関わり、論文の論理構造の再構築に関わったとした笹井氏の説明は通らないとした。ネイチャーの査定を巡って意見の言い合いが繰り返されるのが通常なので、9ヶ月ぐらいは実際には関わっていた鑑と考えられるという。また論文自体も科学論文としての価値は失ったというような意味の言葉を発している。

厳しいお言葉であるが、これは一般の科学者の意見であろう。

われわれのような素人の中にも、謝罪会見のはずなのに、アリバイの表明ではないかと受けとめた者もいたことであろう。歯切れが悪い、潔くないといったようなことである。

私自身が先ず注目したのは、そういうことではなく、超一流の科学者が物事を説明する際のよく吟味された言葉や適切な論理展開、また質問者の意図をきちんと確認してから、説明する態度であった。

時々専門的になってついていけないこともあったが、3時間ほどの会見はまるで白熱教室のように魅力的なものであった。以下に動画がある。

http://thepage.jp/detail/20140415-00000015-wordleaf

番組にして図解や動画などを駆使して笹井氏の発言を補えば、実に有益な最先端の授業になりそうに感じられた。素人のわれわれが科学の最先端の事情を垣間見ることができる、珍しいチャンスがそこにあるように思われた。

なぜ人は生産的な事柄に関心を向けないものなのであろうか?

科学者の倫理と仕事をリスペクトする信頼性から分業が成り立ち、生産性を向上させている今日、その利点が今回の事件で水泡に帰するのではと危惧するに至った。

研究の途中から、特に最終段階で参加する者には到底全体を詳細に検証することは難しいと思われるので、この事件後に置いては重要な研究になればなるほど途中参加が難しくなるのではあるまいか?

ネイチャーの査定を通過できなかった論文にある、鍵となるパーツを拾い集めて、この現象の仮説を再構築する作業は、自分の研究を纏めるより遙かに労を要するものとなったことであろう。ある意味先行した研究者の通訳や翻訳のような作業のように思われる。

今回の会見では、論文の論理の再構築を指示した、竹市雅俊センター長が先ず、おそらくは納期のある極限られた時間で論文の作成にあたってほしいと要望したことが、予想外の事態に部下を巻き込んでしまい、社会も混乱させる結果に至ったことを申し訳なく思うといったような一言があれば良かった。

後継者にスムーズにバトンが渡されるよう配慮があって然るべきであったと考える。近く辞めていく身なのであるから、容易いことでは無かろうか?そうであれば研究を始めてから論文が纏められるまでに、どの様な経緯があったかは笹井の方からご説明するとすれば、言い訳にとられず部下は守られたであろう。

今後も世界にとって重要な再生医療の最前線で活躍するであろう人材を大切にしたいものである。

度々言われてきたことではあるが、日本には失敗を許さない風土があるという。シリコンバレーの風土と比較されることもしばしばである。

適正を欠いた論文の提示よりも、マスコミやそれらの主張に翻弄された一般の人々が醸造した、失敗を許さない空気の方が遙かに社会的な損失が大きいのではないかと思われる。残念なことである。

2時間の予定の記者会見を3時間半まで延長して誠意を尽くしたことで、もう十分ではないか。

さて、笹井氏のSTAP現象の発言であるが、STAP現象がもしも存在しないと思っていたら共著者に加わっていなかったと語った。

具体的には次の3点である。

①STAP現象を前提としないと容易に説明できないデータがある

②検証する価値のある合理性の高い仮説である

STAP細胞として呼んでいるものは今まで知られているものではないことは確かである。

また有望な仮説とする根拠を3つ挙げている。

①ライブ・セル・イメージング(動画)で変化の様子がほとんど自動で記録されていて、手を加えることができない。

ES細胞に比べて形状も違い小さい

③既存の万能細胞ではできない胎盤に変化している。

笹井氏が考えられるだけの反証可能性をもってしても、以上のような事実が残るというわけである。

わたしはここが一番重要であると思う。何故つるし上げの方に偏るのであろうか?これだけの論拠がある以上。勿論適正に欠いた画像が複数見られた論文であるから、そのまま受け取ることができないというのは分かるが、これらの発言は今後の笹井氏の立場を、場合によっては揺るがすものであり、覚悟の言葉であるのでむしろ傾聴に価するものであろう。

若山教授に関してはマウスが違っていたことを、小保方さんがご自身の研究室に所属していた際の出来事であることを、謝罪会見で明らかにしなかったことは言葉足らずであり、理研からあたかも若山教授が依頼したマウスとは別のマウスを渡されたかのような、印象を誤って多くの人が持つようになってしまったと思う。

話をもどして、3つの論拠をもつSTAP現象は早急に研究を再開できる情況に整備することが最も大切であると思われる。

国益どころか弘益世界に通じる類の貴重な研究故に、バッシングではなく、マスコミも国民も小保方氏などが研究に復帰しやすい協力を惜しまないようにすべきであろう。

病院にいてあれやこれやと思い煩う時間があれば、かえって具合は元に戻りにくいのではあるまいか?はやく大好きな研究に没頭することが健康に一番良く、そのような環境を理研は築きスタッフは支援されるべきであろう。

再現チームとは別に本人も研究に復帰しても良いではないか?

最後に理化学研究所提唱者の渋沢栄一の言葉で笹井氏や小保方氏にエールを送りたいと思う。

 

とにかく人は誠実に努力びん勉(精を出すこと)して運命を待つがよい。もしそれで失敗したら、自己の知力が及ばぬためとあきらめ、また成功したら知恵が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に安ずるがよい。かくのごとくにして、破れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運命に際会するの時がくる。数十度の合戦に連戦連敗の家康が、最後の勝利を得たではないか。