STAP細胞の論文に関する疑惑について理研が中間発表の会見を開いた。
佐村河内が作曲でゴーストライターを使用したことが発覚した事件が話題を振りまいた後に、数百年の細胞生物学にコペルニクス的転換をもたらす可能性を期待された新たな万能細胞の論文が、こともあろうに世界的権威の雑誌であるネイチャーに掲載されながら、盗用や捏造や過誤がいくつも見られるというのである。
まだ記憶に残っている事件には、隣国のES細胞世界最速成功捏造事件や我が国のiSP細胞を世界初で心臓の手術で移植した、自称ハーバード大学客員教授と、貧しい話題に事欠かないでいる。
小保方晴子、お前もか!とばかりにマスコミは袋叩きモードに入ったようである。
今回の会見のやりとりは産経が以下に(1)~(4)に纏めている。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/140314/scn14031420430014-n1.htm
また、WEB上では本格的なご意見もある。
http://blog.goo.ne.jp/netsuzou/e/67fc8a02d866f8e8f77180229f877594
私自身が最近の一連の報道で気になったのが、早稲田大学大学院の博士論文108ページ中20ページに盗用があったというものである。
5行とか10行のパクリではなく、20ページである。比較してパクってない部分がラインマーカーで色づけされるソフトがあるようで、それで実際に見ると圧巻である。
以下に試された方のサイトがある。
http://difff.jp/dev/obokata_copypaste.html
このような癖のある人はその習慣をなかなか矯正しにくいのではないかと考える人は多いのではなかろうか。
昨日の会見よりも私が驚いたのは、小保方さんがウォールスリートジャーナル宛にメールした内容である。他のメディアには答えず、発表当日に奇怪な行動にすら映る。狼狽しているのかも知れない。
「現在、マスコミに流れている博士論文は審査に合格したものではなく下書き段階の物が製本され残ってしまっている」と伝えたというのである。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304730304579438263049340856.html
ところが早稲田大学の広報はそれ以外の正本の存在を否定しているのである。
まるでコロンボ警部に追いつめられている犯人が支離滅裂になっていく様に似ている。
小保方さんは大丈夫なのだろうか?
仮に下書きだったと善意に受け取ってみても、何のために膨大の文章を下書きしたのであろうか?引用した原本の文章が他から見て、それと分からぬように改竄して清書するためであったのであろうか?
下書きという行為そのものが改竄の前段階と予想されるものであると私は考えるからである。
ただ大学の査定を経て論文が認められたのであるから、まずは大学側に落ち度があったと見るのが妥当であろう。そこで誤りを認め書き直して了承されるのか、あるいは御破産で翌年新たなテーマで一から創らねばならないのかは分からないが、別の道を歩むことができたことであろう。
理研の会見も同様に、一般人から見ると不自然である。分子生物学の歴史を変えるかも知れない大発見と大実証であるかも知れぬ論文であることは、当然組織内には知られていたことであろう。
未熟を初めとして色々な言い回しで小保方さんを非難しておられたが、ユニットリーダーにした責任はどうなのであろう。
理研の上席研究員である石井俊輔氏は「正直小保方さんの経験の程度では、ネイチャーのアーティクルとかレターをロジックを組み立てて、こういうふうに組むというのはちょっとまだ力不足」とおっしゃられていた。
しかし、精神科のカウンセリングでも本人が為し得る範囲を超えると思われる事柄については、スーパーバイザーのアドバイスや指導を受けて実践しているように、理研ではそのような制度がないのであろうか?
理事の方々は科学者としてのプロフェッショナルであられることは間違いないのであろうが、果たして教育者としては如何なものであろうか?疑問の残るところである。
ノーベル賞受賞経験者で理事長の野依良治氏は厳しく対処する旨を語った。
しかしノーベル賞を取ったと言うことは頂点に立ったということである。終点である。それを考えれば、この身一つ捨てても研究熱心な若い方が、これをかえって好機と捉え大きく変身成長することに尽力すべきであろう。
STAP細胞を小保方さんは作成したといい。その後もできたという。ところが第三者に置いては未だ成功者は現れてはいない。科学の再現性の問題である。iPS細胞の時は第三者の再現に6ヶ月ほどかかったようである。
小保方さんにはできたというのは作用である。またそれが他の人にもできたという再現性は繁殖である。
ひとが神や仏と一体となり悟りを開き語るというのは作用である。語っている相手もまた悟れば、分身ができたようなものである。そこで繁殖ということができるであろう。
前者が信仰基台に関係し、後者が実体基台に関係する。
ある会社ではNTTのフレッツひかりも回線の勧誘をしていた。朝8時から夕方6時までセールスマンが訪問していた。1000人のセールスマンは一件の制約につき一万円を会社から受け取っていた。そこでセールスマンは各自目標を立てて出発し、2時間おきに状況の報告をし、替わりにに他のメンバーの情況も聞いた。10時には一人だけ4件獲得した者がいた。彼は一日で10件を成約できた。彼の目標は最終時刻の目標よりも、最初の報告時間での実績を如何に大きくして全体をできるぞと刺激することであった。作用ではなく繁殖に力点を置いていたのである。
また別の会社では自動車を販売していた。
ところがとんでもなく実績のでない店舗があった。
毎月東京で全国の店長が集められ会議が成されていたが、毎度最低の店舗は有名であり店長は肩身の狭い思いをしていた。さて全体目標から割り振られて必達目標がそれぞれの店舗に与えられた。身を縮めていた最下位店長に追い打ちをかけるように社長は言い放った。「君の店舗は悲惨な状態なのでどうせ達成できないだろうから、君のところだけは目標は達成できなくてもいい。」
店長達は大笑いした。前代未聞だった。目標は与えられるができなくていいというのだ。
身も心もずたずたになって帰ってきた店長をたまたま初めに迎えたのはうだつが上がらない社員だった。出来損ないの社員は店長の会議の一部始終を聞いて気の毒になり。いつになく発憤してきた。
「店長。大丈夫です。頑張りましょう。奴らに一泡食わせてやりましょう。どん尻店舗があっという間に、それも120%以上達成すればみんなあっと驚くでしょう。」いつも頼りない社員が威勢の良いことを言うので不思議な希望が店長にわき始めた。そこで、どうせ期待されていないんだとばかり腹をくくって二人で作戦を立てて、みんなを奮い立てて頑張ってみた。するとあれよあれよとメンバーが成約していき、本当にタイムリミットを大きく残して120%以上達成してしまった。
その報告を聞いて社長は腰を抜かす程びっくりして、気合いを入れて全国の店舗に渇を入れた。どうにもならない店舗がとんでもないことをしでかしたのだから、普通の店舗は当然できるだろう。そう考えたのであり、だれもが反論できない情況に至った。そこで全体の目標は達成された。そのうわさはグループ別の事業にも伝わり波及効果があった。
作用と繁殖の話である。
一点突破全面展開とも関係がある事柄である。
さて、万能細胞の問題を通して私が一番感じたことは、科学という客観の世界は個人の倫理という主観の世界に依存して存在しているという実感であった。個人の倫理が科学の客観性を担保しているのである。
文鮮明 恵父が10年以上に渡って「絶対的価値の追求と科学」をテーマにあらゆる分野の科学者会議を実施されてきたことの意義が今回の件で新ためて了解できた次第である。感謝!
科学は倫理の上に築かれ、倫理は宗教によって裏付けされる。
「汝の若き日に汝の創り主を覚えよ」
画像の管理で名前を付ける際に、「20120316hemo」のように年月日を先にして次に名前のような管理をしていれば、少なくとも大学院の論文のように数年前のものと間違えることはなかったであろうと思うので、残念である。
小保方さんがハーバードでは人一倍研究に没頭されていたとは協働者の発言である。
昔から無くて七癖という。トカゲのしっぽ斬りは簡単である。
自分の命(地位)が危うくなってしまうことが分かっていても、見過ごすことができない心情を孟子は惻隠の情とした。次の時代を担う若者に理事長の職を辞してでもけじめを付け、道を切り開いてあげたとすれば、たとい本人に実らぬ事があったとしても全国の若き科学者に希望を与えるであろう。
人間はおぎゃ~と生まれてきたときは、まるで何かを掴みたいように手のひらを握っているが、死んであの世に行く日にはみんな手のひらを開いて旅立つという。
個人の科学者によるノーベル賞獲得という快挙は作用性であり、理事長としては繁殖性の価値が問われるところである。
ノーベル賞受賞が要因となって理事長の道が開かれたとすれば、その職を辞しても研究員を育てたいと思い実行することができれば、単に科学者として一流ということに終わらず、人間として人物であるということになろう。言うは易く行うは難し。
わたしであれ誰であれそれを人生で問われているのである。
文鮮明 恵父こそ、血と汗と涙で勝ち取った、人類が永遠の生命に至る道を惜しげもなく無償で下さった御方であった。
文鮮明 恵父によって万民が行くべき基準が打ち立てられたのである。
この御方が降臨されるまでは誰も真の愛の基準を知らずに生きていたのである。そんな世界が夢物語ではなく実際に存在することを知らなかったのである。アージュ!