原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 相対思考 共通性と異質性を意識して考える生活習慣 イルカ猟とイヌの食肉を巡って

ジェームズ・ディーンが主演した「ジャイアンツ」に牧場主の家庭がクリスマスを祝うシーンが描かれていた。ある家庭の幼い子供達が用意された七面鳥に名前を付け毎日えさをあげてかわいがっていた。ところがクリスマスの日いくら捜しても七面鳥が見つからない。一体どこに行っちゃったのだろうと子供が心配していたら、うっかり大人の一人がテーブルの上にいるよと言ってしまったのである。子供達は友達が今日一番の料理となって変わり果てテーブルにあるのを見て、沈黙の後わーっと泣き出したのであった。かわいそうなかわいらしい、もどかしいシーンであった。

友達を食べてしまう人はいない。

私は少年の頃「わんぱくフリッパー」というアメリカのテレビドラマで、少年達がイルカと幸せに生活しながら、時折起こる問題にイルカが活躍するのを見てワクワクしたものである。

このドラマを私のように楽しんだ人たちにはイルカは人間の友達だというイメージがあるのではないかと思うのである。現に調教されていない自然に生きるイルカが溺れた人を助けることもある。

子供の頃何故イルカの漢字が海豚なのか奇妙に感じた。確かに形状が豚のように丸っこいがそれでも変な名前だと思っていた。

ところが和歌山でのイルカ漁に反対するシーシェパードの報道で、鯨だけでなくその仲間のイルカも食べるんだとびっくりした。それで海豚なのかも知れないと漢字が思い起こされたのである。クジラの肉は安価だったので学校給食の献立にも良く出てきたのであるが、イルカは無かった。

豚肉のように海豚の肉が食用肉である連想は私にはそれまで存在しなかった。

フリッパーが好きだったらイルカを食べたいとは到底思わないだろう。

もし私に海に住むイルカに似ている陸の動物は何か?と聞かれたならば、迷わずにそれは犬であると答えるであろう。漢字では海犬となるというわけであろうか?

ある国では犬を料理して食べるという。十数年前にその国の方が日本に来られた際に、母国には一般の人にペットをかわいがるという習慣がないと語った。日本に来て日本人から学んだことは、日本人がペットを大切にすることだった、自分よりもペットを大事にしているように見受けられた、ペットを持つというのはそう言うことなんだと了解したという。彼はミドリガメを飼い始めて、とても幸せそうであった。

日本も昔はペットを買える家ばかりではない時代もあり、お犬様用のペットフードではなく、家族の食べた残飯をあげたりしていた。

次第に家族の一員になり、息子娘が巣立った後では家族以上に頼もしい存在になってきている。

犬を食べるというのは食文化の問題であり、考慮すべき点もあるかも知れない。しかし、陸の犬も海の犬もずっと食べ続けなければならない理はないであろう。両国ともよい転換の時期を迎えているのではないだろうか?

「動物はどこまで賢いか?」という番組の内容の一部を要約して考えてみることにしよう。

牧羊犬のボーダーコリーのチェイサーは、1000もの言葉を理解しているそうである。

1000の縫いぐるみにマジックでそれぞれ別の名前を大きく書いていておく、実は質問者が忘れてしまうからであろう・・・そして縫いぐるみの名前を覚えさせる。

その中から10個なら10個選んで、質問者の視界外のところにおいて、名前を言って持ってこさせると百発百中である。

さらにピックアップした縫いぐるみに一つだけまだ名前を教えたことがない縫いぐるみを紛れ込ませて、それを指定してもってこさせようとしてみる。

一回目は悩んで見つけられずやって来るが、再び命令してチャレンジさせると、驚くことに唯一名前を知らない縫いぐるみをくわえてやって来るのである。

他のものは全部自分が名前を知っているものなので、唯一名前を知らないこの縫いぐるみのことを指しているのであろうと犬が推測して持ってきたような行動である。

人以外では類人猿が手話を覚えたりすることが知られているが、時間が相当掛かるという。ところが犬はあっという間に新しい名前を覚えてしまうのである。

人間の子供は左右に並べたカップの中のいずれかにお菓子を隠したものに、指や眼であっちの方にあるよと示すと理解するそうで、丁度言語を習得し始める時期と重なっているという。

意外にもチンパンジーはこの種の実験は期待する結果を得ることができないそうである。一方イヌは得意だという。

イヌは人間をパートナーとして理解し相手を必要としているが、チンパンジーには相手を喜ばせようとする姿勢は見あたらない。

イルカに色々な芸を教え込むとき、一つ覚えるごとに褒めてあげ、喜んであげると、人間の感情に応じてイルカの鳴き声も変化して喜んでいるのが感じられるという。

イルカはその体の大きさに比べた脳の大きさが、人間に次ぐ大きさを持っているので潜在的な脳力は高いのではないかと考えるのは自然なことである。

いくつかの記号(図柄)の意味を教え込んで、例えば「早く泳げ」「ジャンプ」と命令する事が可能になっている。

こんな実験もある。二重のケージの中にはえさがあるが、その上にオモリを載せさせると、次第に一方のケージが下に下がっていき、4つ載せるとえさが取り出せるようになっている。機械的学習で教えられたことしかイルカが学習できないと言うのは間違いで、バラバラに置いてある紐の付いた重りを、何回にも分けて運ぶより、いっぺんにくわえて運んでくる方が効率が良いと考えて実行する。計画性があるのである。

二頭のイルカに教えられたことではない芸を協力して示すよう「一緒に、創る」と支持する。ものを考え、計画を立て、互いにコミュニケーションを取ることができなければ不可能である。高度な知性が求められる。すると水中で声を出してコミュニケーションをとったイルカは水面に現れ、並んで腹を上にしてひれを上下して見せたのである。驚きである。誰も教えたことのない芸を自分たちで編み出して共演したのである。

コミュニケーションは人格に関わりがあると思われるが、人間ほどではないにせよ、イヌやイルカに見られる人間とのコミュニケーションの力を見れば、他の動物にはない擬似的な人格とでも呼べるようなものを、両者は顕著に持っているように私は感じられたのである。

和歌山県のイルカ漁は人間に親しみを感じているコミュニケーション能力の高いイルカが無防備に、多くの船に誘導されて岸の方に集められ捕獲される事に対して、まるでナチスによってユダヤ人がアウシュビッツに集められて虐殺されてきたようなイメージを欧米の人々に与えてきているのかも知れないと危惧するものである。

生活や文化の問題など一筋縄ではいかないことは承知であるが、わたしはイヌやイルカが人間と仲良く暮らせる日をどこの場所にも求めたいと思う。

似て非なるもの:魚とイルカ

似ずに本質的に近いもの:イヌとイルカ

イルカの鳴き声はイヌよりネコみたいだって?

参考までに和歌山県がイルカ猟に対する代表的批判に対する見解を知らせるホームページがある。それらに対してのコメントを私はしないが関心がある方はご覧になって、お考えになれば中立的な判断の役に立つかも知れない。

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/

高度な知的生物としてクジラが描かれていたスタートレックの映画をかって見たことを思い出しながら・・・