原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 相対思考 自立と依存を意識して考える生活習慣② ゴーストライターを巡って

聴力を失った作曲家である佐村河内守さんの楽曲が、別人である桐朋学園大学の非常勤講師で作曲家・新垣隆であるという記者会見があった。彼は過去18年で20曲以上を佐村河内さんに提供し、報酬として約700万円を受け取っていたことを明らかにした。

「佐村河内さんが世間を欺いて曲を発表していることを知りながら、指示されるまま曲を書き続けた私は、佐村河内さんの共犯者です。皆様、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪し、

「(高橋選手がソチオリンピックで競技して)偽りの曲で演技したのではないかと、世界中から日本に避難が殺到するかもしれません。高橋選手には、この事実を知った上でオリンピックで堂々と戦っていただきたいと」語りさらに記者の質問に答えて

「今まで、特に耳が聞こえないということを感じたことは一度もありません」と佐村河内さんの耳が聞こえない事を否定した。

これに対して佐村河内さんの弁護士は実際に障害者手帳を見て、本人が聴覚障害2級であることを確認しているという。

聴覚障害2級の方によれば人の言葉は全く聞き取れないとのことであり、親しい人であれば表情や口の形や動きで多少の理解ができるようである。

会見を見て感じる事は、新垣隆は十分に自分がしでかした犯罪の重大性を認識しており、ずるずるずるずると問題の解決を引き延ばしてきたことが、震災のコンチェルトやオリンピック代表選手の高橋選手が競技に使う曲となり、社会的に大きな問題を与えてしまったことにいたって、やっと腹を決めて会見に臨んだようである。

人間は誰しも失敗や過ちをするものである。大切なことはその後どんな態度を取るかである。この方は確かに間違ったことをしたかも知れない。しかし多くのフラッシュがたかれる中に一人立ち、全てをさらけ出して謝罪されたのである。

自分がどのように生きるべきか知った今、神から与った 才能を大切に育てて社会の為に活躍してほしいと思うのである。

依存を克服して自立の路を歩み始めたなら、本当の幸せが待っていることであろう。

新垣隆に関しても、依存から自立へと転換を図って貰いたいものである。

ゴーストライターと倫理の問題でこれは氷山の一角である。

出版業界などはひどいものであろう。ガイドラインのようなものがあるのであろうか?有名な占い師にもゴーストがいるという。教授になるためにはいくつもの論文を貢がなければならないと言う話も聞く。

一体どこにゴーストバスターズを求めれば良いのであろうか?

JALの再建を任された京セラの稲盛氏はこの会社の官僚的な気風がとてもいやだったそうである。既に会社は倒産しているが政府の援助があって飛行機は毎日航行しているので依存体質にどっぷり浸かってマヒしていた。それを見事に一掃した。

京セラを一代で築いた稲盛氏に奢りはなかった。

この大任を引き受ける自分に、動機は善であるか?私心はないか?徹底して自問自答して事に臨んだ。立派な経営者である。迷いなく自立しておられる。

新将命が昔、できる人かつできた人になるべきであると言われたことを思い出す。稲盛和夫はそんな社長である。

現在では、日本電産の永守社長が控えている。日本はまだまだ希望がある。

施設の子供に悪影響があるのなら、見ないように指導する道もある。それでも見たらその結果は本人に帰する。

大人は「明日ママがいない」を見て本当の親とは何かをあらためて考えてみるべきであろう。

私が好きな映画に「アイ アム サム」というショーン・ペン主演の映画がある。

ショーン・ペンの役は障害を持っている・・・昔で言う少し知恵遅れの青年である。ある時ホームレスの女性と暮らして愛し合い娘が生まれる。しかし女性は単純に住む家が必要であって真に彼を愛していたわけではなかった。子供を生むと夫だけではなく娘も残して何も告げずに去ってしまった。

彼はスタバみたいな店で、仕事をハンディのある中、必死に覚えて二人の生活を守っていた。子供は徐々に育っていく。福祉団体や行政は彼には親としての責任を果たすことが難しいと考える。小学生の娘の方が彼を追い抜いて賢くなる時期が迫っているからである。娘の方も学校でハンディのある父親を友達に会わせたくないと恥ずかしさを感じ始める。

父と娘は引き裂かれていく。さて・・・。

この物語は子供にとって親の何が本当に必要なのかを教えられる。わたしはいつかショーン・ペン演じる父親のようになれたらと思う。

 

 

I am Sam アイ・アム・サム [レンタル落ち]