原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 相対思考 普遍性と特殊性(個別性)を意識して考える生活習慣③

軽自動車にかかる税金を上げることを政府は検討しているという。TPPの交渉でもこの特殊性が公平性を欠くと外国から指摘を受けているそうである。概して日本人は結果の平等に意識が向くのに対して、アメリカ人は機会の平等に意識が向く。自立自助を是とする国民性がアメリカでは西部開拓の時代から培われてきたのであろう。

働かざる者食うべからず。他人に向かって働かない奴が食っていけないのは当然だというようなネガティブな解釈があり、自らが自発的に働いてこそ食事にあずかるべきであるというように、自分に対するポジティブな解釈もある。

軽自動車は低所得者に活用され、また地方では家族のそれぞれが自動車を持たないと仕事にも就けず、交通上不便であることなどから、また農家においても複数の車が必要なことから、かなり社会に役立ってきたとされている。

ところで時代は変わっていくものである。この一ヶ月で私が軽自動車を購入された方のお話を2件聞いたのであるが、それぞれの金額はひとつが160万円台でもう一つは180万円台であった。1500ccクラスでも買えそうな値段である。

思えば今や軽自動車のシートの前後移動はオートではなくとも、ドアロックやウィンドウの上下は自動のものがほとんどである。軽自動車が普通自動車の仕様にどんどん近づいているというわけである。このようなご時世に軽自動車に対する税処置が変更されようとしていることは、ある程度当然の成り行きと言えよう。

燃費の向上に重量の削減に居住空間の自由度に必死になって努力してきた中でアベノミクスが旗揚げされて、いよいよ気勢を挙げようとしていた矢先に、消費税アップが近づき自動車税の増加が検討されては大変だと、自動車業界は熱くなっているようである。

政府を主体と見れば自動車業界は対象と見ることができ、自動車業界を主体とすれば消費者は対象と見ることができる。このように二重の挌位が連なって、その三者が神を中心としていれば、自然界の如く円和理想を為して連体として本然の個性を放つようになるはずである。堕落人間が作った堕落世界では、遙かに低級な生命世界の円和性すら見出すことが難しいとは、嘆かわしいことである。

近江商人は三方良しを旨としたという。二者の人間関係では、双方良しというところを、例えば関係する仕入れ業者良し、商売する自分も良し、さらに購入するお客も良しというように、三層の立場の違いを超えて信義のもと共生共栄を実践したと聞く。

ホロンというのは全体と個という意味の合成語である。これをそのまま訳せば全個体となる。統一原理では自然界が有機的な階層の中に個体は調和して存在すると考えている。そこで単に全体と部分ではなく、各自何かに対して対象でありまた、何かに対して主体という二重の挌位を持ち合わせることから、連という言葉を用いて連体としたのであろう。全体と個の関係は階層性において一つであるというようにホロンより一歩踏み出た表現である。

さて、政府と自動車業界と購入者、それぞれの立場、特殊性の望利が相和する普遍性の共利するところはないのであろうか?

税金のアップのみに着目すれば利用者や業界はあまりいい顔をしないであろう。ところでかって500ccから660ccに変更した際のように、1000ccに変更してはどうであろうか?5年ほど前にインドではTATAがナノという軽自動車を発売した。623ccであった。AT仕様はなかった。今後オートマチックや坂道の走行の厳しさを考えると、この税金の引き上げを契機に思い切っ1000ccにしてアジアにおける市場の中核的役割を持たせてはどうであろうか?勿論税額は1500ccの2/3ぐらいにすべきであろう。税金が排気量にほぼ比例すれば、車庫の件の特典くらいの差異になるかと思う。150ccアップみたいなせこいことは止めて、アジア市場の開拓に健闘している軽自動車の企業に弾みを与えるべきである。税金が上がっても1000ccともなれば歓迎する者も多く出てくると考える。業界もビジネスチャンスを考慮するであろう。

日本ばかり見ていれば環境の変化に対応できず取り残されてしまうこともあるだろう。昔の若者はスリムの者が多かった。今や食生活の向上とやらでどの年齢層もたっぷりしている。軽自動車も排気量を税と共に上げるときが来ているのではないであろうか?