原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 相対思考 性相と形状を意識して考える生活習慣①内的と外的

初めに、性相というのは性質+象相のことで、目に見えない性質と目に見えないイメージや形を表している。

さらにこの性というのは、考える主体、意識の主体、意思の主体を表し、相というのは、考えられている対象、意識されている対象、思い描かれている対象を示している。具体的には、考えられている事柄、イメージ、観念、概念、構想などである。

森羅万象には二性性相が現れるので、思考においてもこの性質をよく租借して、対象たる物事を観察する必要があるのである。

性相と形状という言葉は抽象的な言葉であるから、さしあたっては、人間の場合には性相と形状が心と体を意味するので、心と体をイメージして物事や事象を考察するようにすることが基本である。

そこからどのように先に進めばよいか、振り返ってみると、いくつかのパターンに分けて利用することが分かりやすいようである。

①内的と外的

我々信仰者にとってこの内的と外的という言葉は、信仰生活をする中で本当に大切な観点である。

内向的と外向的という言葉があるが、それとは意味が違って、内的というのは動機や意義を重視することであり、外的というのは規則や行動を重視する考え方や生活態度のことである。

概して旧約的信仰が行いによって義とされるものであるのに対して、新約的信仰が信仰(動機)によって義とされると比される如くである。

勿論旧約聖書の中には、例えばホセア記のように心情的な記述も多く見られるが、イエス様が降臨された時代に信仰が形骸化され、律法的というのは否定的イメージに転化した模様である。ひらたく言えば、形式的であり、~ねばならぬ・~すべきというmust信仰や信念のことである。

このmustエトスをもって生活すると、なかなかうまくいかないのである。窮屈で不自由を感じるばかりか、自分は偽善者ではないかと悩むことさえ生じる場合があるのである。

これに対して新約的信仰は動機の純粋性や動機が純化され成長することに重きを置いているのである。~でありたいというwantエトス、want信仰である。

そのキーワードは悔い改めと感謝と言うことになろうかと思う。

人間が堕落することにより、万物の主管主から万物以下の存在に堕落してしまい、万物の方が神に近い存在になり、神に至る道を行くには万物を通してしか行くことができなくなり、具体的には万物を献祭し捧げることを通して、神の前に立ち、神の元へ復帰の道を歩んできたのが人類であった。

次のステージでは神から御言葉が与えられ、律法を守る行為を願われたのである。さて律法の完成者であられるイエス様が来臨されると、その律法を守る行為の中心に神の御心に適った純粋な動機を求められたのである。

信仰者には信仰の動機を、非信仰者には信念の動機をみて、一体彼が内的であるか外的であるかを見極めることは、人間理解に重要なことのように思われるのである。

遙か昔の若き日に大阪で最も信仰のあるクリスチャンに会わせてほしいと神に祈り、導かれて出会った御方で森田きくえ姉というご婦人がおられた。

見事なクリスチャンであった。偉そうに嘯いて既成のクリスチャンの信仰も侮れないと思ったものである。

内的であるという究極は、神から絶対に見捨てられたと思わざるを得ない限界状況の中で、神の沈黙に恨みを持ち非難するのではなく、隠された神のさらにいと深き御愛を探し出し、悔い改めと感謝をすることである。

以下に、森田きくえ姉の信仰の証を記す。

森田きくえ姉に神の祝福のあらんことを!

また全てイエス・キリストを敬愛する者にも、神の祝福のあらんことを!

かくの如く吾は聞けり!

主の苦難にあずかって

  神を見る一ヶ月

     森田 きくえ

 去る(昭和47年)1月29日土曜日の夜のこと、私は自転車で高槻市内の国道交差点を横断中でありました。すると闇のかなたから一台の自家用乗用車が疾風のように現れたと見る間に私は10m程はね飛ばされてしまいました。 気がついたときには、片足の感覚を失っていました。

 通りがかりの親切な人たちによって交番に抱え込まれて椅子にかけさせられたとき、一番に口からほとばしり出た言葉は

「主よ、お許し下さい。わたしの体は、あなたの住みたもう宮でありますのに、それをこわしまして、まことに申し訳ありません・・・」涙がとめどもなく溢れ出ました。

 

 やがて救急車がやって来まして担架に乗せられみどりヶ丘病院というのに担ぎ込まれました。私は未だ聞いたことのない名前でしたが、山の中腹に新築されたばかりの快適な病院です。そこで私は万事を主にお任せする決心を致しました。

 

救急車で病院に運ばれる30分ばかりの間、私は旧約のヤコブが天使と挌闘して脚関節をはずされ深い悔い改めに導かれるあたりを連想し、私も、主が交差点に待ち伏せ給うて、私の強情を解きほぐして下さったのだと解りました。そして主の十字架の死にあずかり、主の復活に浴する光栄を思うと、たちまち暗い救急車内がパッと明るく輝いて、主が私の枕元にお立ちになりました。

「おおっ、主よ!」

 思わず叫んで胸の高まりを抑え切れませんでした。

 

 主が十字架につけられ給うたとき、釘を打ち込まれなさったのが足首だと承っておりましたが、丁度その足首のところを骨折したのでした。肉を破って骨が飛び出しているのを知ったとき、ちょっとでも味わうことをゆるされたのだと思いました。

 主は両足と両手とに釘を打ち込まれ給うて、しかも人々のあざけりの中に置かれなさったのでした。けれども何と私は主のお守りの故に片足が骨折しただけであって、しかも大勢の人たちの愛と苦労によって病院に担ぎ込まれ、手厚い看護を受けようとしているのです。私は感謝で胸が一杯になり、またもや涙が止めどもなく頬を伝い

「主よ、感謝です。感謝です。」を連発いたしました。

 やがて、まばゆいばかりあかあかと電灯の輝く病院に着きますと、大勢の白衣の人々が待ち構えていて下さいました中に息子の力(つとむ)も来ていました。

 

 治療室に運ばれると、早速ピチピチとはさみでズボンや靴下が除かれて局部麻酔がかかり、主任外科医の手際よい処置でとび出していた骨が元の位置に治まりました。こうして包帯が巻かれたのですが、このまま二週間安静して、肉が固まってから、本式の手術をするそうです。

 治療が終わった頃、交通課の人たちが来て

「36才の女性、6ヶ月の重傷」とか勝手に勘で書いていました。

 病室に移されることになりましたので、息子を呼んで貰って家へ帰すことにしました。

「うちへ帰ったら玄関の黒板に、”エンゼルズ・ピアノ教室 二月中お休み”と書いていてね。それからおばあちゃんに電話しといて頂戴。あんまり大きく言わないでね。腰抜かすから・・」

 そして人々に

「皆さん、どうも有り難うございました。」とお礼を申し述べました。

 

 エレベーターで四階の個室に運ばれました。明るく清潔で、とても感じのよい病室です。ベッドに横たわりながら、先ず感じることは空気のすがすがしいことです。耳を澄ますと山麗を名神高速が走ると見えてその響きがパイプオルガンのように舞い上がって来ます。

 午後11時頃に、加害者の青年が両親に付き添われて見舞いに来ました。たいそうな私の姿を見て消えてなくなりたいようにしています。そこで患者の私の方から元気をつけてあげました。

「お父さん。お母さん。ご安心下さい。私はクリスチャンですから、すべての出来事は神様の御心だと信じています。当然死ぬはずのところをこの通り生かされているのは、神様がお守り下さったのはもとよりですが、この事故を通して、キリスト様をもっとはっきり私にお示しになる必要があってのことです。

 事実、私はクリスチャンになって30年近くなりますが、今日ほどキリスト様を身近に感じたことはなく、また十字架の主こそ、まことの贖い主でいましたことを、これほどまでに身をもって知らされたことはないのです。

 聖書に、神を愛する者たちには、すべてのこと相働きて益となる。と記されておりますが、今の私にとってまさしくその通りなのです。私は非常に感謝し、感激しております。どうかご心配なく息子さんをお責めにならないで下さい。そして万事主に任せて安心してお帰り下さいます様に・・・」と。そして見舞いに下さった大きな果物籠は看護婦さんたちの方へ廻して貰いました。

 夜中頃、麻酔が覚めて傷口が痛み出したときです。夢か現か分からなかったのですけれど、確かなことは、共にいまし給うたキリストさまがご自身を吸引紙のようにして、痛みをみんな吸い取って下さったのです。私はすっかり甘えて、

「主よ、お任せいたします。ああ、主はほむべきかな。」と申しますとたちまち緊張がほぐれて赤ん坊のようにすやすや眠ってしまいました。

 

 こうして第一夜は明け病院生活が始まりました。

 ここの主任外科医が院長さんです。骨身を惜しまぬ治療ぶりに、私の病院に対するイメージが変わってしまいました。今までは病院と聞くだけでいやでしたのに、今では此処が地上天国のように思われます。

 6ヶ月の重症患者に、天国などのあろうわけがと思いきや、それが聖書にありました。カルバリの十字架上の盗人でした。

 キリストを知り、キリストに隣すれば、死刑の苦悶のさなかでも、そこはパラダイス、天国だったのです。

 

 主にあれば千年も一日の如しとか。あっという間に二週間は過ぎて本手術の日が来ました。その日は朝から立て続けに手術があったそうで、七時近くになって迎えに来ました。もう疲れて嫌になったと申される院長のために「主よ、院長を強めて手術をなさしめ給え。」と祈りますと、院長は気をとりなおしてやって下さることになりました。

 半身麻酔がかけられ、人造人間修理工場さながらの手術が始まりました。肉に焼き付く電気のメス。互いに引っ張り合うペンチの音、皮を切り裂くハサミの交錯する中で、一段と冴えるのは骨を打ち込むハンマーの音でした。

「カーン、カーン、カーン。」

 聞き覚えのあるその音こそは、キリスト十字架釘付けの場面で、劇場をこだまするその響きは、観衆の霊魂を根底からゆさぶり目覚めさせる天からの鉄槌でもありました。

 胸がかっと熱くなり、「感謝です!感謝です!感謝です!」と、涙ながらに受け止めました。

 愛とは、命を捨てることであることを、主は十字架で、この響きの中にお示し下さったのです。

 やがて院長がはれやかに叫びました。

「これみろ、案外うまくいったじゃないか。」縫いぐるみのような、私の足首をかかげて、さも満足そう。手術は短時間で大成功でした。

 痛いという程でもなくて2週間が過ぎました。6ヶ月の重傷は1ヶ月で医され、2,3日してギブスが固まり次第退院致します。

 今の私のねがいは”神を見る 1ヶ月”の連続でありたいということと、「今、この時をイエスと共に生きる。」そのことだけなのです。

法然にも見仏の体験がある。森田姉妹もイエス様に会うに相応しい相対基準を確立されたので貴重な体験をされたのである。復活のイエス様に初めて相見えたのは12弟子ではなく、女性であった。

外的には12弟子がイエス様の弟子であった。しかし十字架を勝利して復活したイエス様が初めて会ったのは女性信徒であったということは、内的には誰が本当の弟子であったと言えるのであろうか?

信仰とは恐ろしいものである。

もしイエス様の時代に森田姉妹が生きていたら、復活のイエス様にお会いできたことであろう。

あるとき聖書の話で、イエス様が弟子たちの足を洗う話をしていたら、森田姉妹がいきなり「わかった!ハレルヤ!ハレルヤ!洗足はバプテスマなんだ!」と言われた。そして「あなたが引き出した。あなたが私から引き出した!」と言われて感謝された。このような信仰的な捉え方はまことに見事であった。しかと学ばせていただいた。

昔、高槻に高山右近あり、今、高槻に森田きくえあり

お幸せをお祈りする!