原理を考える生活習慣ということであるが、中学・高校の数学や物理の問題を解くというように、予め原理が示されて問題の解を求めるというものとは違って、日常生活では現象として現れている事象を導き出している原理の有り無しが先ず問われ、もしあるというのであれば、それは一体どのような原理なのか発見したり解明して、再び事象に良く照らし合わせて吟味するというような手順になることであろう。
したがって、ここで言う原理を考えるというのは、既にある統一原理を意識するという意味だけではなく、一般原理は何かと考え求めていく生活習慣のことである。
山本七平という人物がいた。外国にあるキリスト教でも仏教でもひとたび日本の地を踏めば、あらよあらよというふうに、本来のそれらの姿とは似て非なるものに変容してしまうのを見て、一体このように執拗に物事の本質を変容させてしまう得体の知れない原理はなんなのであろうかと考えたあげく、ついに日本教という、我々日本人が意識もせず感じもせぬ程、我々の血肉となり、考動様式(行動様式)に決定的な影響を及ぼしているものがあると考え、その原理は何かと考えたのであった。
日本教というのは人本主義のことである。キリスト教神本主義と対極に存在する。人本主義とは人間至上主義のことであり、一言で言って人間が一番大切であるということである。人道主義というより人情主義に近いかも知れぬ。
そこでイスラエルの大使から見れば長崎の平和運動が偽善に見えるのである。私は大使は間違っていないと感じたのであるが、そう感じた人間は少なかったのかも知れない。詳細の検討をここでは差し控える。
これを間違っている、偽善だとは言えない「空気」が絶対者の如く日本人を支配していることを、顕在化したのも山本七平であった。
また日本人は勤勉によく働き、外国人から見ればそれはワーカホリックにさえ見えるほどではあるが、西欧にはキリスト教という背景やプロテスタントの倫理の基礎があって、そこに資本主義が登場した際には、資本主義の精神というものが現れたのである。隣人愛の実践としての経済と神が予定している救いに自分は入っているのかは定かでないので、富の蓄積をもって神が自分を愛し祝福していることを確認しようとしたのである。
ところがこの重心を失えば資本主義は金の子羊である拝金主義を生み出さずにはおかないのである。
山本七平は石門心学が説く、農業の作業にしろ、商人の商いにしろ、その労働が仏行であるという教えが広く民衆に広がったことに原因があると考えたようである。
最近は批判もあるようであるが、大切なことはある現象や事象を導いていると考えられる原理は何かという思索である。
たとえ、間違っていることが後に知られるようになってしまったとしても、正しいことが明らかになるための踏み台としての役割を果たしたのであるから、、意味のないことではないであろう。
現に科学の発展も同様に、後から別に正しいことが明らかになることもあるのである。思考も科学も人生も軌道修正をしながら本筋の道を求めるが如きものであろう。
検証可能性とは平たくはそんなことを指すのであろう。
9月17日のニュ-ヨークタイムズに「DNA Double Take」という記事がある。
コナン君にせよ古畑任三郎にせよDNAは犯人を限定する最高の原理のはずであった。唾液からとろうと、皮膚から取ろうと、髪の毛から取ろうと、一人の人間のDNA配列は同一でなければならなかったのである。
であればこそ、お前が犯人だ!堪忍しろ!と言えたのである。
ところがこの記事によるとそうではないらしい。
母親が献血のため採取した血液にA型とO型が見出されたり。子供のY染色体が自分の体に組み込まれていたり
しているという。おそらく女性に例外なく見られるであろうとのことである。
これを知って私はサラブレッドと雑種の交配の話を思い出したのである。
サラブレッドの雄とサラブレッドの雌とを交配させればサラブレッドが生まれてくる。当たり前のことである。では初めに雑種の雄とサラブレッドの雌を交配するとそこには雑種の馬が誕生する。ところでこの交配の後にこの雌のサラブレッドと雄のサラブレッドを交配すると何が生まれてくるか?雑種である。
記事には書かれてはいないが、この記事から予想されると私が思うのは、男女の性行為である。この性行為によって相手の男性のDNAが女性に組み込まれていくであろうということである。
つまり不倫を戒める科学的根拠になり得るのではないか?
文鮮明 恵師が原理本体論で主張する絶対性(結婚前の純潔と結構後の貞操で肉体関係のみならず霊的に惹かれるということさえ許されない心情の全き純潔と貞操)
の重要性やメシアによる血統転換という原罪の精算が々全ての堕落人間に絶対必要なことを科学の立場で遅まきながら語ってくれているのである。
絶対性についてはイエス様の譬え話にその核心が語られており、そのことを亨進様が説明しておられます。
http://www.youtube.com/watch?v=8iwep83jIZo
この科学的根拠になる可能性があると感じたのである。
21世紀の個人の自由尊重の時代で、何故合同結婚式なのか?である。堕落した血統とは具体的には如何なる様相を持ったものなのであるか?
それを宗教的に理解することができるものは、受け止めることができたが、そうでない人にはハードルが高かったのである。
しかし、まてよ別の考えも必要かもと価値観の転換、すなわち終末を迎える可能性をもたらすきっかけとなるべき不倫根絶の科学的情報が提供されたのである。
自分は一人の男性と結婚したと思っていたが、法的には確かにそうであったが、もし過去に別に複数の男性と性交渉をしていたとすれば、DNA的には主人を主役として複数の脇役の存在が子供のDNAに、その情報が明らかに反映されるというわけである。
自分の子であって自分の子でない子供ということである。
もう一つ思い出した話がある。
心臓移植をした女性の話である。
移植後彼女の生活に変化が起きたのである。
食べ物の好みが変わってきたのであった。それどころか良く夢を見るようになったのである。全く関心もなかった運転もできないはずのバイクでツーリングする夢を!
気になってついに彼女はドナーがどんな人であったのか関心を持ち、調べるようになったのである。
すると食べ物の嗜好やバイクの夢をよく見るようになった理由が分かったのである。実話である。
このことは臓器は機械の部品ではないということを物語っているように思うのである。心臓という臓器にはドナー提供者の情報の全てがあるのである。全てとは単なる部品ではなく人格の全てがあるということである。部分が全体を現し、全体が部分をあらわす。
臓器移植に異議ありである。輸血も記事の内容からしてできる限り避けるべきであろう。
その代わりの方法の実現も間近であろう。
最後に、人間というものが、偶然に機械のパーツが寄り集まったような存在であるのか、唯物的な存在なのかご一緒に現代の進化論の行き着いたところを検証したいと思うのである。ここに20分ほどの動画をご紹介するものである。
進化論の終着点
http://www.familyforum.jp/2013092524028
(12の絶対思考 参照)
1,神の立場で考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/15/040754
2,中心が何かを考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/16/030345
3,究極が何かを考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/18/043604
4,心情を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/19/042111
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/22/065846
5,動機を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/24/092013
6,価値を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/26/044825
7,原理を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/29/063145
8,原則を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/02/053949
9,基準を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/03/062741
10、本質を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/05/055401
11、目的を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/08/064458
12、定義を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/09/054011