原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 授受作用(授受法) 時空心情思考

あらゆる存在を造っている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、よく授けよく受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、即ち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしむる作用のことを授受作用という。

 この授受作用は天宙を貫く原理である授受法が現象として現れた際の有様を物語ったものである。

時空を超越した神の本質世界の、本性相と本形状の統一性や本陽性と本陰性の統一性が、万有原力をもって、時空という存在形式の現象世界に顕現する際に見られる作用が授受作用である。

このことから、万有原力と授受作用の力との関係は、各々原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという相対的な関係を持つのであり、万有原力を指して縦的な力といい、授受作用の力を指して横的な力であると言い得るのである。

従って、分かりやすく言えば、神の心情や神性、つまり神の神格の行為が授受作用であり、その原理原則が授受法である。

ここでは神は人格神であられるので、その品格を神格と表現することにする。

授受作用を時間的側面から考察した有様を正分合作用という。

正分合作用

万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合成一体化して、神のまた一つの対象となる。このように、神を正として、それより分立して、再び合成一体化する作用を正分合作用と称する。

正:神

分:主体と対象

合:合成体

ここで神の心情が希求し実現しようとする目的を、心情目的と呼ぶとすれば、授受作用を心情目的から考察した有様を三対象目的という。

三対象目的

正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合成体が、各自主体の立場をとるときには、各々残りのものを対象として立たせて、三対象基準を造成する。そうして、それらがお互いに授受作用をするようになれば、ここで、その主体を中心として、各々三対象目的を完成するようになる。

 授受作用を空間的側面から考察した有様を四位基台という。

 

四位基台

正分合作用により、正を中心として、二性の実体対象に立たされた主体と対象と、またその合成体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる。

文鮮明 恵師は10年以上に渡って、歴史上かってないスケールとコンセプトの国際科学者会議を開催してきたのであった。

通常、科学の国際会議と言えば、物理なら物理の全般に及ぶものではなく、一部の領域に関するものが多いのである。ところが、物理学全般に及ぶどころか、化学や生物学など、あらゆる分野に携わる科学者が一同に集う国際会議なのである。この会議は全体会議と分科会とに構成されているのであるが、そのテーマは客観的事実の研究に勤しむ科学とは別世界の存在である、絶対的価値の探求が一貫したテーマで毎年開催されてきたのである。

異分野の科学者達が境界を越えて、共通のテーマで 討論するのである。会議は霊的な恵に満ち、参加者は様々なインスピレーションと自らの心霊の復活を体験し、証言したのであった。

勿論、参加者の中にはジョン・エックルズのようなノーベル賞受賞者をはじめとする、当代最高の科学者が集ったのである。

さて、これを授受作用に鑑み語ってみるならば、神の創造である人間と被造世界の存在物はすべて、授受作用によって構成され存在していると言えよう。

ところで、人間は時空に表現されている記述を追うことのみに追われているというのが実情である。しかしながら、時空というのは容れ物であって、それ以上のものではないのである。

肝心要のものは当然の事ながら、内容である。率直に言えば、三対象目的とは神の心情の記述のことである。

この創造主である神の、単に物理化学などの記述ばかりではなく、その目的の記述を見逃してはならないのである。またその目的を成就しようとする動機である、心情を無視してはならないのである。

キリスト教が現世の要請に充分に応えることができなくなってしまっている現在、かってのニュートンやケプラーの如き神の記述の解明という志を持つ科学者を見つけることは至難の業となったようである。

宗教と科学という、一見、水と油のような分野、愛と科学という定立しがたい学術会議におけるテーマを、より親和性のあると見える哲学的表現、すなわち絶対的価値の探求と科学という深淵な意味の込められている表現に託して、科学者が神の摂理に参席することができるよう導いた御方が、他ならぬ、文鮮明 恵師 すなわちメシアなのである。

この絶対的価値を根本とせずしては、どんなにあがいても、決して円和な世界の発展に貢献することができないばかりか、人間存在が、自らの願いとは裏腹で、かえって自然体系を崩壊させ、人類をも破滅させる張本人となってしまうのである。

時間的に考え、空間的に考え、心情的に考える、また楽しからずや?