原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 神と被造世界との関係 創造性と相似性

被造物はすべて、無形の主体としていまし給う神の二性性相に似た実体に分立された、神の実体対象であることがわかった。このような実体対象を、我々は個性真理体と称する。人間は神の形象的な実体対象であるので、形象的個性真理体といい、人間以外の被造物は、象徴的な実体対象であるために、それらを象徴的個性真理体という。

 

ここで言う形象的とは端的に言うとそっくりそのまま、ということであり、象徴的とは部分的にそのままということである。

二性性相を中心として見た神と被造世界との関係の要約を原理講論では以下のように記述されているのである。

 

被造世界は、無形の主体としていまし給う神の二性性相が、創造原理によって、象徴的または形象的な実体として分立された、個性真理体から構成されている神の実体対象である。即ち、万物は神の二性性相が象徴的な実体として分立された実体対象であり、人間はそれが形象的な実体として分立された実体対象である。それ故、神と被造世界とは、性相と形状との関係と同じく、内外・原因と結果・主体と対象・縦と横など、二性性相の相対的な関係を持っているのである。

 

以上のような内容から、神の創造や創造性の特徴を求めれば、数学で言う相似の概念にほぼ近いのではないであろうか?

この創造性を価値という側面から考察した人物が日本人にいる。市川亀久彌である。彼が提唱する等価変換理論は、統一原理の立場から正しい位置づけが為されることが望ましいと考える。残念ながら理系ではない私の手に負えるところではないが、是非理系の頭脳を持ち合わせておられる統一信徒には期待したいものである。

等価変換とは身近な例では飛行機が鳥に似せて造られたり、潜水艦が魚に似せて造られたように、現象的には異質性を持ちながら、本質的な共通性を持っている置き換えのことであり、学際的例では磁場と原子核の場の相似性から中間子の予想を得た中間子の理論への展開もこれに当たるものであろう。

 

ところで、この世の理論はすべからく現象に基礎をおいて誕生しているかに見える。神の心情や神の一如の世界から、即ち統一思想で言う原相から、理論は出発しなければならないであろう。