原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 二性性相 被造世界の有機的階層性と 層理である戦略と戦術

被造世界に共通する普遍的事実

 

人間:心 と 体

動物:動物心 と 体

植物:植物心 と 体

分子:合目的内命性 と 体

原子:合目的内命性 と 体

素粒子:合目的内命性 と 体

全存在:内性 と 外形

(厳密には内性には性質と形、外形には形と素材がある)

そこで

全存在: 性相 と 形状

(被造世界は現象的結果世界なのでこれを生んだ本質的原因世界にも大元となった内容が全てなければならない)

そこで

原存在:本性相 と 本形状

 

一方

人間:男性 と 女性

動物:オス と メス

植物:オシベ と メシベ

分子:陽イオン と 陰イオン

原子:陽子 と 電子

素粒子:陽性 と 陰性

全存在:陽性 と 陰性

(被造世界は現象的結果世界なのでこれを生んだ本質的原因世界にも大元となった内容が全てなければならない)

そこで

原存在:本陽性 と 本陰性

 

神は本性相と本形状の二性性相の統一的主体(原理講論では中和的主体)であり、かつ、本陰性と本陽性の統一的主体(原理講論では中和的主体)である。

聖書によれば人間は神のに姿として造られた存在である。

人間の知情意の作用を生み出す心やその願いの如くに活動する体を持つ人間がが現れた、その原因である本体である神にも心と体に対応するものがあらざるを得ないので、神は単なる力の本体ではなく人格神であることが予想される。

また、原因である本体の神の中にも、結果として表れてきた人間の男性と女性に対応するものがあったと考えられる。そこで人間が生まれてきた大元の男性は父であり、大元の女性は母であることから、神様は天の真の父母様ということになるのである。

被造世界の有機的階層性は

見方によっては本然の組織論にも見え

見方によっては本然の戦略にもなる。

この世の人に戦略戦術を恵略恵術と名付けた方がいるが

アメイジング・グレイスの歌の如くで良き名称である。

誰にどんな打撃を与えるか、誰にどんな喜びをもたらすか?

それが問題である。

さらに、

見方によっては統一原理の悟りに関する記述であり、天国の記述である。

原理講論の後にでてくる、個性真理体と連体がその核心である。

戦略といえば昔外資系の経営コンサルタントだった方の本に差し込んである、はがきに感想や意見を書いて出した事があった。ご丁寧なことに著者からお礼のはがきが届いた。

そこに書いたことに、色々な方が戦略について、説明しておられるが、ある方は目的と言い、またある方は方法と言っている。また、ヴィジョンとミッションと戦略と戦術の関係が明白ではなく、それぞれが別の意味合いに使っているようにさえ感じられることがある、というものであったと思う。

十年ぐらい前までは時々戦略と名の付く書物に目を通すこともあったが、現在はご無沙汰している。その時に感じたことは、戦略と名の付く書物には、残念ながら戦略のことがあまり書かれていないのではないかという、疑問であった。

今にして思えば、自分の思いの中に「戦略の策定」を指南するいわゆる戦略本には、その策定の手だてとして、本質的には価値論が中心にならなければならない、という見立てがあったのであろうと思う。

ビジネス書には、アメリカの企業で働いた経験のある方達の話に、アメリカ人の同僚がよくヴァリューという言葉を口にするということが書かれている。また、ミッションという言葉もよく眼にする言葉である。

構想理想であるヴィジョンがあり、そのヴィジョンの骨髄に当たるのが価値であるヴァリューであり、そのヴァリューの行動指針として使命というミッションがありる。

戦略はその上位概念のヴィジョンに対しては、実現の為の方法であるが、同時に下位概念である戦術に対しては、戦術の目的となる。誰と誰との相対的関係化によって、目的に見えたり、方法に見えたりするのであろう。

ヴィジョンという言葉が不在の際は、最高戦略がこれに当たるのではなかろうか?企業で言う全社戦略と同じではなく、それを貫く、あるいは、その上位概念としての最高戦略である。

かって、兵法経営コンサルタントの故武岡淳彦氏に電話で戦略についていくつか質問する機会を得た。そのなかで、どうもアメリカの言うストラテジーと日本で言う戦略は少し違っているようだというものであった。その違いについて答えを得るにはは目前に私がいるわけでもなく、時間的余裕もなく、なかなか難しかった。

米軍においては戦略立案において

1,整合性

2,実現可能性

3,費用対効果の採算性

の三つの角度から検討されるが、日本軍の関心は主に実現可能性に注がれ、他の二つには手つかず状態であったと聞く。

ストラテジーは言葉の成り立ちから層理とも訳される、会社に組織の階層があることに対応して、各階層ごとに戦略があり、それを達成するための戦術が存在している。戦略と戦術の階層構造の整合性がとれていることが問題となるわけである。

この整合性は戦略統一と呼ぶ方がよいであろう。戦略統一は静的には戦略が末端組織に浸透している状態を指し、動的には統一行動を指すものである。

ある会社でアフリカのお茶を販売することになった、社長はこの製品の売り上げを、全社上げて伸ばそうと決意していた。ところがその意向が、一回ぐらいの社長の辞令で、人が動くはずもなかった。そこで、始業から帰宅までの社内時間のなかで、一日五回のアフリカのお茶の飲食を促した。

耳にした当時はばかげたことだと思っていたが、戦略の浸透のために社長がひねり出したことだったのである。

戦略統一というのは頭の中では分かっているつもりでも、なかなか人間世界では難しいものであり、工夫が必要だと言うことであろう。